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この世が存在する理由とは?
- 私たちがこの世に存在する理由は何なのでしょうか?悩むこともありますが、それぞれに意味があるはずです。
- この世には喜びと苦しみが共存しています。私たちは自身の存在意義を見つけるため、努力し続けることが重要です。
- 一人ひとりが世界に与える影響は小さくとも、助け合いや思いやりで世界を少しずつ変えることができます。
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質問者が選んだベストアンサー
他の方へのお礼を見て、あなたが感じる苦痛をどうにかしたいというのが 質問の意図だと解釈して回答します そもそもの問題は地球丸ごと早く消滅してほしいと、本気で願ってしまうほど 動物や人の悲しみ・苦しみに対して共感してしまうあなたの心そのものにあります 生きることが厭わしいのも感受性が強すぎるせいで神経が疲弊してるのかもしれません そういう過剰に心が反応してしまうあなたのような人は神経症の症状に似ていると思います 精神科を一度受診してみたらどうでしょうか 天のことを考えてもきっとわからないだろうし 存在がどうのと哲学的に思索したところで、あなたの苦痛は取れないと思います 現実的にあなたの心を救ってくれるのは医者が出す薬であると思います
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- mesenfants
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たぶん、、ご質問は「前半」に書かれってあることひとつなのだと思われますが、 参考までに―― 人間は自然過程から若干の距離をつ生き物です(たとえば言語をもつ点で)。 「食べる」は人間がどうしても「自然」から逃れられない場面のひとつです。 (もっとも、それを口実にして、食べることにひとかけらの感謝も負い目ももたない人がたくさんいます) (テレビのドラマやCMでものを食べるシーンが――なんの規制もなく――洪水のように流れいるのも、 おかしいといえばおかしいと、私は思います) たとえば肉食です。 これは電気(冷蔵庫)のない時代、人類にとって死活問題ですから、良いも悪いもない、で殺生するほかない。 (宗教の発生がここにあるとの説もあります) ですが、これだけ保存技術が発達した時代に、 ――ほんとうに肉を食べなくては生きていけないのか? です。無駄な殺生といえないのかどうか(食の快楽のため?)を考える時期かもしれません。 (これは人類にとって巨大な変革になるでしょうが) (宇宙に人がいく時代、肉食なんて化石のような野蛮な習慣になるかもしれない) こう見ると、あなたの「悩み」はまっとうな、未来予見的な問題提起だと思います。 ただ、この、自分では殺せもしない動物の肉をうまいだのまずいだの言って口の中に放り込むご時世では、 あなたの「悩み」は孤立するほかないです。 たぶん(いやほとんど絶対)、私たちが生きている間に、この消費習慣が終わることはない。 ですが、文明は殺生を減らす方向に進むと思いますが、その可能性を真剣に考えることはできると思います。 (それ以外にあなたにとっての救いは考えにくい) また人類が(晴れて?)肉食から解放された暁に、私たちは何を失ったかもよく考えておかねばなりません。 (これこそ哲学的な問いですが、むずかしい問い) 以上ですがl、「2番目」の問いへひと言。 「この椅子は何のためにあるの?」――「座るため」 「この鉛筆は何のため?」――「書くため」 というふに「答え」が出たときに「問い」が終わるのが普通の「問い」です。 この文の形式だけ借りて 「存在はなんのため(に存在する)?」 という問い作るのは、いわばルール違反です。 (答えるのは何のため?に答えると、それにまた同じ問いがかぶさります) そう問わずにはいられないあなたが問われているのでしょう。
お礼
ご回答ありがとうございました。 とても勉強になりました。
- suzumenokox
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こんにちは。 天の意思をビッグバン以後の宇宙の流れという風に解釈すれば、宇宙全体のエントロピー増大の流れがある中で、それらが行き場がなく集中したところにできた惑星に生じた生命の役割は、宇宙のエントロピー増大に対する微々たるバッファーとしてエントロピー減少ということになる今ある生を生きるということになると思います。 神のような存在がいるとすればそこに意図はあるかもしれませんが、もしあっても人間には想像もできないことでしょう。 神の存在を抜きにしても単純なエネルギーの塊からの流れの中のもつれ合った複雑な相関の結果という理解の仕方が可能だと思います。 私はこの世が存在している理由というのはそんなものだと考えています。 単純な生き物を複雑な生き物が食べて自分に取り入れるのはエントロピーの減少。 単純な生き物から複雑な生き物が進化するのはエントロピーの減少。 生態系が異種間の弱肉強食により動的に進化していくのはトータルで 地球上のエントロピー減少という宇宙全体に対するバッファー機能という役割を 果たすことになるのだと思います。
お礼
ご回答ありがとうございました。 とても勉強になりました。
- a_hona
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あなたのおっしゃるところの気持ち、私も持っています。詰まる所、世の中は苦しみなのではないかと。 しかし同時に、次の様な思考も持っています。苦楽も離れて見れば同じ様な現象であり、さして違いはないのだと。勿論、この様なことを言えるのは私が安穏と生きておれてるからであり、実際、苦にみまわれれば、足掻くのは必至でありますが、。その様に思うことによって、おっしゃるような現実と心の距離を保てる様にはなりました。 ひと一人救えない私ですが、少なくとも自分に関しては、この世の苦楽について苦しく思うことは減りました。ただ実相をよく見ようとする様になりました。
お礼
ご回答ありがとうございました。 とても勉強になりました。
- kanto-i
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天は自ら助くる者を助く サミュエル・スマイルズ 世の中が個人の誰かの思い道理にならないからと言って 生物を全て殺戮するのを望むのであれば もしそれにより望まない死が訪れるなら、そんな不条理なことは無い。 自分の死体が微生物にも食べられないで 自然の循環にも入れず、屍をさらすだけなら そんな不幸なことは無い。 悩みと言うのは、その人の中にあり 外に存在するものではありません。 自分を救えるのは、自分自身だけです。 自分と向き合うことで解決に向かいますが 知識の補完として、適切であろう人についてもらうほうがいいと思います。 ここではキッカケぐらいしか得られませんので。
お礼
お礼が遅くなってすみません ご回答ありがとうございます。 まだ消化できておりませんが、とても勉強になりました。
- Y Y(@yy8yy8az)
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lovekeitaさんのつらい気持ちをここ哲学カテでは消せません。 哲学的な答えを求めているのではなさそうだから。 今の心情を変えたいのでしょうか。 それならばその心情を薄めるための行動を生活に取り入れるのがよいと思います。 また、「正」の面を見る努力も必要です。 医学の進歩などはモルモットなどの生命の犠牲の上に成り立っています。 そして多くの人びとや動物の苦しみを取り除いています。 集団で生きる蟻や蜂はせっせと自分の役目を果たしていますね。 lovekeitaさんはまだ役目を模索中なんでしょう。
お礼
再度のご回答ありがとうございます。 このやり場のない気持ちをなんとかしたいと思い、質問させていただきました。 役目を模索中というのも、そうだと思います。 哲学カテゴリーで質問させていただいたのは、何か真理や真実といったものを求めたかったからです。 そのようなものがあれば、このやり場のない気持ちも、整理できるのではと思ったからです。 (もともと私は、そのようなものがあるのではと思っていました。) 無い、というご回答も多く頂きましたが、実りの多い回答ばかりで、こちらのカテゴリーでよかったと思っております。
- Y Y(@yy8yy8az)
- ベストアンサー率17% (89/501)
二面。“有”と“無” “無”は何もなく、従って“有”が「存在」となる。 その「存在(天)」は“天”の「意」と云う力による。(力めばウンチが出る様に) その“力”によって現れる現象はビッグバンから始まる“宇宙”となり時空を伴う。 時空内の物質現象の規則的な変化・反応は理的と云えるのでそれを“天”の持つ理性と云う。 そして“感” 感覚は物質どうしの障礙。 生物の障礙“感覚”には“情”が発生する。たぶん自身の存在は自身の活動に依らざるを得ないから。 それは高等動物に顕著。 動物の精神は肉欲的好悪に左右されるが、人間の高級精神は肉欲から離れた精神欲が有って、精神欲にも我欲とそれから離れようとの欲が有り、それを天欲、と呼びます(とりあえず、ここでは)。 この天欲がlovekeitaサンを悩ませている。 我々の心はもともと天から分かれ出たので、弱肉強食はいわば共食い。 自分の肉を食う様なもの。 だから、心も痛みます。 「存在」は理的現象であって、あえて理由と云えば“天”に意力が有るから。 心の痛みの発生は“天”に戻る過程・途中だから。 生命は大河の流れ。 生み落された赤子の“産声”は怖れのため。 親の体内に戻りたいのです。 生命という心は微生物から段々に育って高等動物となり、人間を通して“天”に戻ろうとしているのです。
お礼
ご回答ありがとうございました。 私の質問文の焦点がはっきりとしていなかったことを反省しております。 私が一番気に病んでいるのは、食用だけではなく、大昔に黒人を奴隷として働かせたり、家畜を働かせたり、強い立場にある人間のいいように他の命をこき使っているという現実です。 前者は廃止されましたが、後者は、私たちが少なくとも食用で人間以外を犠牲にしなければならない体である以上、それが許されており、そのような体制(食用以外でも、他の生物の命を酷使し、犠牲にする)を自分では変えられないという絶望が、たまらなく辛いのです。 誰にも助けられることもなく、ただ使い捨てられる命がある現実が、どうにもできず、つらいのです。
- 0fool0
- ベストアンサー率18% (134/738)
其処に気づいた後、どう生きるかを試す為
お礼
ご回答ありがとうございました。 勉強になりました。
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10007/12518)
私は、dankai-mae-M様もそうだと思いますが、ある時ハタと気づいたら自分が存在していました。といいますか、自分の存在を意識するようになりました。当然ながら、「こういうことをしたいから私を生んで欲しい」などと頼んだ記憶もありません。ということは、あらかじめ理由があって私たちが生まれてきたのではなさそうですね。しかし、そのことは認める、いや、認めざるを得ないとしても、生まれてきたからには何か成し遂げたいですよね。目的が与えられていないとしたら、私は自分でそれを設定したいと思うわけです。そんなことから、私は、常に短期(1週間~数か月)と長期(1年~数十年)の目標を持つようにしています。 それで1つの問題は解決するとして、まだ提起された問題にはお答えできていませんね。前後が逆になったかも知れませんが、「他の生命の犠牲の上に生きていることの罪悪感」です。dankai-mae-M様がおっしゃる気持はよくわかります。小乗仏教の僧侶は、蚊も殺さないといいます。それほどでないとしても、例えば金子みすずが、「漁師は大漁だと喜ぶが、さんまにとっては大惨事…」というような内容の詩を詠んだ時も、同じような感覚だったでしょう。そういうやむにやまれぬ殺生への懺悔や感謝の表現が、「○○供養・謝肉祭・収穫祭」などとして表わされるのだと思います。 大事なことは、次のようなことだと思います。 (1)生きるための殺生に「もののあわれ」を感じる感性や、懺悔・感謝の念はつねに持ち続けたいものである。 (2)だからといって、「消えてしまいたい」などと思い悩むことは、必要ないことだろう。(3)まして、「地球丸ごと早く消滅してほしいと、本気で願って」はいけません! 食用のために屠殺される動物一匹の命に懺悔を覚えながら、「地球丸ごと」(の命)の消滅を願うことの大矛盾はお分かりでしょう? おっと、ごめんなさい。たまたま感極まって、筆の勢いで書いてしまった(に違いないのに)、揚げ足取りのようなことをしてしまいました。(この項取り消します)。 (4)せめてもの感謝の気持として、「供養祭」などをしましょう。そういうことをしないまでも、少なくとも、そういう念を心に抱きつつ、牛丼や豚カツをおいしくいただきましょう! 以上、「この世が存在する理由」のご説明にはならないかも知れませんが、ご回答まで。
お礼
ご回答ありがとうございます。 私の質問文の焦点がはっきりとしていなかったことを反省しております。 私が一番気に病んでいるのは、食用だけではなく、大昔に黒人を奴隷として働かせたり、家畜を働かせたり、強い立場にある人間のいいように他の命をこき使っているという現実です。 前者は廃止されましたが、後者は、私たちが少なくとも食用で人間以外を犠牲にしなければならない体である以上、それが許されており、そのような体制(食用以外でも、他の生物の命を酷使し、犠牲にする)を自分では変えられないという絶望が、たまらなく辛いのです。 誰にも助けられることもなく、ただ使い捨てられる命がある現実が、どうにもできず、つらいのです。
植物や動物から搾取することに罪を感じる人が、 隕石落ちろと願うのはいかがなものか。 存在意義は、次の世代に繋ぐこと。 食物連鎖は罪ではありません。 食事ができて生かされていることに感謝してますか? 残さず食べることが犠牲になった生き物に対する供養になるのです。
お礼
ご回答ありがとうございました。 私の質問文の焦点がはっきりとしていなかったことを反省しております。 私が一番気に病んでいるのは、食用だけではなく、大昔に黒人を奴隷として働かせたり、家畜を働かせたり、強い立場にある人間のいいように他の命をこき使っているという現実です。 前者は廃止されましたが、後者は、私たちが少なくとも食用で人間以外を犠牲にしなければならない体である以上、それが許されており、そのような体制(食用以外でも、他の生物の命を酷使し、犠牲にする)を自分では変えられないという絶望が、たまらなく辛いのです。 少なくとも、地球滅亡なら、虐げる側にも、虐げられる側にも、平等に、死はやってきます。
存在する理由などないですよ。 単に存在してるだけです。 意味の無い物に意味を見出そうとしてるだけです。 ミミズや蟻はそんな事は微塵も考えてはいないでしょう。 彼らの目的は生きる事だけです。 弱肉強食の世界で生き延びて自分の種を残すだけ。 これが生物の唯一の目的です。 他社の命を犠牲にして生きることは生物として当然の事なのです。 ただ、文明と言うオブラートに包まれて人間はそれを身近に感じられず忘れつつあるだけの話。
お礼
ご回答ありがとうございます。 とても勉強になりました。
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お礼
お礼が遅くなってすみません。 ご回答ありがとうございます。 分析してくださり、とても勉強になりました。 感受性が強すぎる、そんなような気もいたします。