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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:この世が存在する理由)

この世が存在する理由とは?

このQ&Aのポイント
  • 私たちがこの世に存在する理由は何なのでしょうか?悩むこともありますが、それぞれに意味があるはずです。
  • この世には喜びと苦しみが共存しています。私たちは自身の存在意義を見つけるため、努力し続けることが重要です。
  • 一人ひとりが世界に与える影響は小さくとも、助け合いや思いやりで世界を少しずつ変えることができます。

質問者が選んだベストアンサー

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  • asisai888
  • ベストアンサー率15% (11/73)
回答No.15

他の方へのお礼を見て、あなたが感じる苦痛をどうにかしたいというのが 質問の意図だと解釈して回答します そもそもの問題は地球丸ごと早く消滅してほしいと、本気で願ってしまうほど 動物や人の悲しみ・苦しみに対して共感してしまうあなたの心そのものにあります 生きることが厭わしいのも感受性が強すぎるせいで神経が疲弊してるのかもしれません そういう過剰に心が反応してしまうあなたのような人は神経症の症状に似ていると思います 精神科を一度受診してみたらどうでしょうか 天のことを考えてもきっとわからないだろうし 存在がどうのと哲学的に思索したところで、あなたの苦痛は取れないと思います 現実的にあなたの心を救ってくれるのは医者が出す薬であると思います

lovekeita
質問者

お礼

お礼が遅くなってすみません。 ご回答ありがとうございます。 分析してくださり、とても勉強になりました。 感受性が強すぎる、そんなような気もいたします。

その他の回答 (17)

  • kanto-i
  • ベストアンサー率30% (180/596)
回答No.7

>天にとっては、この世を存在させる理由は何なのでしょうか。 自分の中の答えを見つけながら、生きて行くこと。 その時々に新たに出会えるものがあるので そんなこんなやってると、存在理由は見つけられると思います。 人から与えてもらうものは、大抵が今の自分に合うものではありません。 今の自分に合わない理由は、とても受け入れられるものではありませんからね。 段々と明確になって行くことを楽しむのも 生きてる醍醐味の一つだと思います。

lovekeita
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 とても勉強になりました。

回答No.6

悪いネタばかりあげていますが、それと同じかそれ以上 に良いネタは、いくらでもあります。 そして、過去の苦痛や悲しみ=自然淘汰の結果として、 我々は高い能力を得ているのです。 即物的な繁栄を望む我々の意識にとって、絶対的な敗北 である死も、もし死ななければ人口爆発を起こしてみんな 餓死するので、死の悲しみは異性との愛や親子の喜び (自己の即物的欲求を越えた愛)とセットだと言えます。 周りに苦痛や悲しみがあるならば、それを克服するのが 生きる事(=克服する喜び)なのです。 それを自分は何もせず、環境の方を否定するのは、怠惰 と独善の産物です。 量子論的世界像において、世界は観察される事によって 有限な存在性を生じる、即ち自我仮説(記憶(時間的流れ) =過去)と時空仮説(予測(空間的広がり)=未来)の相補 分化として、環境は自我成立のための必要として派生して いると言えるのです。 そんな「自己の必要」としての環境において“ぶつかる (自己の意志を阻害する)”のは、そうした自己存在の 本質(物理)を自覚していない自我意識の未熟による 「自己矛盾」としてです。 自己存在の本質に根差した意志(物理的相補性~環境との 物質循環~社会生命的他我による博愛)によれば、「最大限 の認識+最大限の意志+最大限の生産性+最大限の充足」 によって、生きる真の目的である「人生を通算した精神的 充足量の総和の最大化」は達成され得るのです。 山は、高いほど登頂の喜びが大きいのです。 何の苦痛も悲しみも(自分で克服するのではなく)予め 除かれた天国に住みたいというのは、生命としての意志の 劣化(甘え)だと言えます。

lovekeita
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 ある命にとってはこの世はよいネタが多く、ある命にとっては、この世は悪いネタ、困難ばかりであることが、他人事とはいえ、とてもつらいのです。 私にとってこの世がつらいのではないのです。 私が一番気に病んでいるのは、食用だけではなく、大昔に黒人を奴隷として働かせたり、家畜を働かせたり、強い立場にある人間のいいように他の命をこき使っているという現実です。 前者は廃止されましたが、後者は、私たちが少なくとも食用で人間以外を犠牲にしなければならない体である以上、それが許されており、そのような体制を自分では変えられないという絶望が、たまらなく辛いのです。

  • titelist1
  • ベストアンサー率25% (712/2750)
回答No.5

私は仏教徒です。仏壇にも神棚にも手を合わせます。この世に生まれ出て、妻子や孫がいることを感謝しています。経済的にも恵まれて楽しく暮らしています。妙法や真理に興味があります。それでも次ぎのように思っています。 天など存在しません。この世の存在理由などありません。あの世があるとも思っていません。自分の存在理由も本当は判りません。ただ存在しているだけだと思っています。実現しないことを思い願っても空しいだけです。

lovekeita
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 とても勉強になりました。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.4

>天にとっては、この世を存在させる理由は何なのでしょうか? 〇神も孤独であったんですよ。孤独であったゆえその一部で宇宙を創造し、生命体を創造されたんですね。 創造された全てのものが神に向かうことによって、神も孤独から解放されているということでしょう。 一人一人、全ての生物もそれが故に存在が許されているのですね。信仰とは全てのものが創造神に感謝し、創造された最初の念いに向かうことですね。それを忘れたときに存在理由がなくなるということですね。存在理由がない方向でのいかなる生存や哲学も神にとってはガラクタでしかありません。この三次元世界に信仰がある限り、人間としての存在が許されているのでしょう。そうでなければ消えていますからね。昨今、信仰を忘れた人間が増えていますから、あちこちで消されていますね。大雨も津波も消しゴムなんですね。これは逃れようがないんですね。例え、消しゴムから逃れ、信仰なく生き抜いたとしても死後はゴミ箱へですね。 要は、「水の試練も火の試練も与えよう、しかして我のようになれ、強くなれ」ということさえ忘れなければ小さなことにとわれることはないんですよ。

lovekeita
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 試練とは言えない、ただの困難を、誰にも助けられることもなく、使い捨てられる命、がこの世にあると思います。 それがつらいのです。

回答No.3

最新の宇宙論によれば、この世の存在は偶然のようです。 何も無い水素より小さな空間から極小時間にビッグバンが起こり 太陽と地球の大きさまで広がったそうです。それが今から138億 年前のできごとだそうです。 それ以来宇宙は拡大を続けています。 そしていつの日か元の大きさに縮小して別の場所で新しい宇宙に なるかも知れません。 我々は人知を超えたことを「天(神)」に放り投げなければ生きても いけないかも知れません。一方で、そのような「天」という意識は どうしてできたのか、宇宙学者は真面目に考えています。 物事に最初があればどこまでも最初を探さなければなりません。 最初がなければ、永遠に回転(輪廻)している存在そのものがある だけとなります。こういった存在に理由はないと思いますが、如何 でしょうか。

lovekeita
質問者

お礼

ありがとうございます。 科学的な観点からのご回答で、とても勉強になりました。

  • dondoko4
  • ベストアンサー率12% (1161/9671)
回答No.2

>この世のどこかには、苦しめられる人・動物がいて、とても悲しい思いをしているのだと思う そんなことを言ったら、生きていけません。生命をなげうって食用となっている家畜、魚など食べているでしょ。彼らの断末魔の叫び声聞いたことありますか。利益を出すために殺戮するのは人間だけ。感謝して食べていますか。だから、生きるからにして何らかのいきものたちを悲しませなければ生きていけないのです。

lovekeita
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 とても勉強になりました。 つまらない質問におつきあいくださりありがとうございました。 また、私の質問文の焦点がはっきりとしていなかったことを反省しております。 私が一番気に病んでいるのは、食用だけではなく、大昔に黒人を奴隷として働かせたり、家畜を働かせたり、強い立場にある人間のいいように他の命をこき使っているという現実です。 前者は廃止されましたが、後者は、私たちが少なくとも食用で人間以外を犠牲にしなければならない体である以上、それが許されており、そのような体制を自分では変えられないという絶望が、たまらなく辛いのです。

回答No.1

「物理的に存在する」だけであって「天なる人知をこえたものは存在しない」からでしょう。

lovekeita
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 とても勉強になりました。

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