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世の中の明るい部分が嫌い

僕は世の中の「善い」ことや「親切」や「正義」といった、人の綺麗な部分を受け入れることが出来ません。 僕自身、そうしたものを持っていない気もします。 理由も無く、そういう善や正義を象徴するものに対して恐怖感を感じることもあります。 特に悪いことをしていなくても、です。 多分、僕は闇属性で、世の中で明るく楽しそうに生きてる人間とは分かり合えないと思います。 また、闇の方が居心地も良く感じます。 けれど、「正義」や「幸せ」とか光の部分を信じている人間には邪魔者扱いされたり、異常者扱いされてしまいます。 こういう人たちって、何故そこまで「幸せ」というものを信じ切れるのでしょうか? 誰かの幸せの裏には誰かが傷付いていたりするものだし、僕はむしろその幸せってものの方が本当に綺麗なのか疑問を感じます。

みんなの回答

回答No.6

太陽がすきという人と 月がすきという人と 2種類があります もちろん両方でもいいのですが どちらかというとということです 闇夜の月に魅せられた人々が 古今東西、過去から現代まで たくさんの人がいます また月に関する 科学的ではなく 芸術を集めたアンソロジー集も あります そんな本を眺めて わたしも そんな暗い部分が大好きです あなたの書かれた 世の中の明るさ、正義といったことには 月を愛する人にはやはり無縁ですね 反発をするとか嫌悪感ではなく 暗ければいいだけの話です ただ 闇夜を愛している人でも そこに明るさと楽しさを感じ 生きていることによろこびを感じているわけですから けっして闇属性だからといって 幸せまで嫌悪する必要はないと思います 闇夜の幸せと言うものがあるわけですから 「幸せ」を否定するのは すこしおかしいですね あなたの闇夜の幸せに 誰かが不幸になっているわけではありません ただ昼間と夜間とで お互いが出会わないだけの話です しかし 闇夜を愛する人々は たくさんいます そこには「善い」こと「親切」「正義」なんて言葉は ひとつも出てきません 人間の不道徳さの肯定ばかりです テレビなどの明るいものでは なかなか出会えないかもしれませんが 探せばいくらでも あなたと同じように 闇を愛する人を 見つけることは可能です

noname#198188
質問者

お礼

皆さんの回答とk-a-r-a-p-a-n-aさんの回答で、本当に悪いことをするというより、幻想的な意味合いの方に憧れてることに気付きました。 幸せかそうでないかはまた違うのかもしれないですね。 また、僕個人の見方ですがRockとか好きな人は闇の部分を好きな人が多いんじゃないかと思っています。 本当に人に危害を与えることでは無くて、そういう愛し方ができるといいなと思いました。

回答No.5

こんにちわ。。 この文面を読む限りでは、質問者様は、まだ、世の中のなんたるか? よく、理解できていないようですね。 たぶん、社会人ではなくて、学生さんなのでしょうね。 。。 世の中の、多くの人々は、真面目に働いています。 つまり、この世の、人々の役に立つような、仕事をしなければ、仕事場から、占め出せれてしまいます。 つまり、生きていけないのです。 。。 世の中の、善なる人々の、お仕事のおかげで、あなた様も、こうして、能書きを言えて、暮らしているのですよ。 あなた様の食べ物、衣類、テレビ、自動車、パソコン、何もかも、それに係わる人々は、その商品が、利用する、お客様に喜ばれる事を願って、お仕事に励んでいるのです。 道路も、住まいも、何もかも、世の中の、善なる人々の、おかげなのです。 お仕事とは、お客様に喜ばれる事なのです。 。自分のお金儲けの為の仕事では、お客様に見抜かれて、そのような商品は売れません。 。ですから、あなた様も、このような、善なる人々の、お仕事のおかげで、生きていられるのですから この事を、良く、考えて、世の中の善なる人々に、感謝するように、思考を変える事をお勧めします。 。。でなければ、山の中か、無人島で、世の中の善なる人々の、恩恵を受ける事はやめましょう。 そうは、思いませんか?? 逆転地蔵 。 。

noname#198188
質問者

お礼

おっしゃる通り、まだバイトくらいしかしたことありませんでした。 世の中の仕事って良い心から出来てたんですね。 なるほど。

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1154/9141)
回答No.4

人間はだれでも平等に孤独です。ただ人間は平等に孤独であることを認めたがらない。それだけのことです。わたしはみな平等に孤独であることが納得できることだけが唯一の解決策かと思っています。人間以外の動物のほうが幸福かと思うこともありますが、彼らは自分の幸福さを知りませんから困ります。結局生きていくこと、あるいは生きていることはそう楽なものではないということではないでしょうか。

noname#198188
質問者

お礼

完全に理解し合えることって難しいとは分かっているのですが、方向や見えてる世界が違うということでも簡単にはみ出してしまうものなんだなと思ってしまいます。 共感覚があるから人は人を思いやれるのでしょうけれど、共感覚出来るものと出来ないものって分類が出来てしまうのも悲しいですね。

  • toshipee
  • ベストアンサー率10% (725/7148)
回答No.3

 まともな返答が帰ってきたのでヒントとして。  愛の裏返しは恨みだろ?だけど、愛するの反対は無視なんだよね。 で、君の世紀せとか幸せがそういう感覚で保持しているってことは、それを真に味わったことがないって事だ。それは誰に味わわされる?親だよね。それがなかった。  子どもを育ててみてわかったのが、子どもは間違いなく親を好きってこと。子どもに幸せを与えれば与えるほど、俺は子どもに嫉妬する。そう、そんなものいらねぇと思っていたのがじつは根に持ってたってことだよな。恨みってのは、愛してほしいから恨むんだとそれでわかったね。  君はそれを他に転じた。世の中に。これはね、よっぽど愛されていたら自分はこんな考えにならなかったことはわかっている考え方だと思うよ。普通に親してくれてたらいいだけのことなのにね。  そこを考えなおしてごらん。世の中って、家族の集合体だろ?その一つ一つが普通に幸せなら、シャッターのスプレーの落書きもしようと思いつかないんだ。

noname#198188
質問者

お礼

そうなんですか… でも、だとしたら親になりきれない親に育てられてる子供って随分多そうですね。 度々幸せな家庭って本当にあるのかなっても思います。それにそれって幸せじゃない家庭とどう違うのかなとか。

  • toshipee
  • ベストアンサー率10% (725/7148)
回答No.2

偽悪ってのは始末におえないよ。

noname#198188
質問者

お礼

なるほど、確かに1番卑怯とか中途半端なやつの方が詰まらない人間って感じがしますね。 もっと研究します。

  • bari_saku
  • ベストアンサー率17% (1827/10268)
回答No.1

信じているというか、感じているんだと思います。 まあ、同じものを食べてもおいしいと感じる人もまずいと感じる人もいますから、反社会的な行為をしない限り、どちらでもいいんじゃないですか? >誰かの幸せの裏には誰かが傷付いていたりするものだし そうかな?夕日がきれいだったり、桜の花が満開なのを見ると幸せになりますけどね。

noname#198188
質問者

お礼

一晩経って振り返ると、若干僻みとか妬みが混じっていたかもしれません。 僕は感傷的な性格なのかもしれません。

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