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【質問】古墳時代と飛鳥時代の意味とは?また、年表での空白期間の意味とは?
- 古墳時代と飛鳥時代についての意味を教えてください。
- また、年表で1333年から1336年までの空白期間についても教えてください。
- さらに、室町時代から南北朝時代や戦国時代になっていく区分についても教えてください。
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>歴史の年表で30年くらい前の教科書に古墳時代、という区分はありましたか ? ありました。50代の方に確認してみては? >古墳時代と飛鳥時代がかぶっていますが、これはどういう意味ですか ? 古墳時代:古墳が作られていた時代 飛鳥時代:飛鳥に政治の中心が置かれていた時代 したがって、飛鳥時代でも古墳は作られていた間は古墳時代でもあるということです。 >時代区分で1333年から1336年までが、空白になりますがこれはどういう意味ですか ? いわゆる建武の新政と呼ばれる時期ですが、○○時代という呼び名が作られていないので空白になっているだけです。 >室町時代のところが、南北朝時代や戦国時代になりますがこれはどういう意味ですか? 南北朝時代:南朝が成立してから南北朝が合一されるまで 室町時代:足利尊氏の建武式目制定から室町幕府の滅亡まで 戦国時代:応仁の乱の開始から室町幕府の滅亡まで したがって、室町時代の初期は南北朝時代でもあり、室町時代の末期は戦国時代でもあるというわけです。 現在のように元号で時代を区分しているわけではなく、いろいろな目安で時代を設定しているので、重なったりもするわけです。
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- TANUHACHI
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これはよく誤解されがちな問題ですが、時代区分論ほど実際に困難な問題も他にはありません。 この年表ともいえない年表と呼ばれる代物をみても「鎌倉幕府の創設」が1192年となっていることを実例としてお話ししましょう。 「鎌倉幕府の成立に関する年代」といっても実際には幾つもの説が、この「1192年論」もその中の一つでしかなく、それも現在では少数意見的な存在です。その理由も明確で「頼朝が征夷大将軍に任ぜられた年だから」との理由で、征夷大将軍と鎌倉幕府を等号関係に置いている点に説得力がない。 むしろ「幕府」の権能に着目し、守護が全国に配置された年を以て幕府の成立と見なす考え方の方に説得力はあります。 そして何時から何時までを○○時代と呼ぶとの言い方にも問題があり、現在の様に全国一律そして瞬時に情報伝達をできたともいえない時代ですから、地域による偏差もあります。 と同時に実際の政権運営主体による行政統治がいつ動き始めたかとの問題もありますので、○○時代はいつに始まるなどとは教えもしません。教えても意味などありません。いっみれば「移行過程の連続と断裂」の繰り返しともいえます。 1333年の問題でいえば、後醍醐のアナクロニズムによる朝令暮改が繰り返された建武親政とやらの時期ですから、それによる歪みを巡り生じた新たな枠組を求めての前哨段階ともいえますので、南北朝時代と記すケースもあります。 ここからここまでが何時代と切れ味の良い包丁でスパッと切れる羊羹の切り口のようにタイトに区分できるのではなく、切れ味の良くない包丁で切ったトマトのようなものとお考えになれば解りやすいかと存じます。
お礼
歴史年表というものは、学生のころに思っていたよりも いろいろと複雑な要素があるのですね。 勉強になりました。 ご回答ありがとうございました。
- moto_koukousei
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30年前の教科書は手元にないのですが、 吉川弘文館の標準日本史年表(1982年増訂初版)には、 [原始・古代][中世][近世][近代・現代]の大区分があり、 [原始・古代]には、(原始時代)(飛鳥時代)(奈良時代)(平安時代)の中区分があり、 [中世]には、(鎌倉時代)(室町時代)(織豊時代)の中区分があります。 「古墳時代」との表記はありませんが、(原始時代)には《先土器文化》《縄文式文化》《弥生式文化》《古墳文化》との表記が並んでいます。また、《先土器文化》《縄文式文化》《弥生式文化》《古墳文化》との表記の他に、【縄文文化時代/弥生式文化時代/古墳文化時代】【先史時代/原史時代/歴史時代】【石器時代/金石併用時代】の区分表記も並記されています。これらには西暦年のような数値表現での区分はなく、境界線らしきものは斜線で表示されています。 「1334年建武の中興」が、鎌倉時代の区分線の内側に表記されています。 北朝・南朝が併存していた頃は、中世の中ではあるのですが、「○○時代」と明記されていないで、吉野朝廷と武家の政権(室町幕府)の並立のような表記法です。1394年頃に室町政権の確立と表記されていますが、1404年には地方分権の進行、1478年には下克上・群雄割拠・大名領の形成、1490年代には朝廷の衰微との表記があります。 中学、高校の教科書は、ほぼこの標準日本史に似た時代区分を使っていたのではないかと思います。 現在ポピュラーな日本史の時代区分ならば、ウイキペディアをご覧ください。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2%E6%99%82%E4%BB%A3%E5%8C%BA%E5%88%86%E8%A1%A8 多くの時代の始期・終期に関して異なる説があるのは当たり前でしょう。 時代区分は、「時代をどう見るか、どこに時代の特徴を考えるか、その始まりがいつ頃起きたと考えるか」という認識の問題だから、見方、考え方で変わることがあります。 教科書は、そうしたことを踏まえて、その教科書が書かれた時代に「できるだけ客観的に証拠などを挙げて考えた場合に、多くの学者・研究者が妥当と思っている区分」を使っています。 で、飛鳥/白鳳/天平、室町・南北朝/室町/戦国のような区分は、文化や政治状況を考えるか、政権の所在地で区分するだけで済ませるかというようなことも絡んで来ます。 時代区分の名称や年号が大事だとテストなどでは思うのでしょうが、どのように区分にすると(時代の政治や経済、文化などの事情がどのように際立って認識出来るのか)と考えてみてはいかがでしょうか。 そのように考えた場合、時代と時代の移行期は、固有の時代名付けたり、一方の時代に入れてしまわない方がイイということもあるかもしれません。
お礼
年表というものは、唯一無二の物では無かったのですね。 一番一般的な年表を教えて頂いてありがとうございました。 ご回答ありがとうございました。
- ithi
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q123sos さん、こんばんは。 歴史の年表で30年くらい前の教科書に古墳時代、という区分はありましたか ? あったと思います。 古墳時代と飛鳥時代というのは飛鳥時代に日本に仏教が伝来しました。しかし、天皇家や豪族たちはまだ古墳を作っていましたから、重複するのです。 1333年から1336年までが、空白になりますがこれはどういう意味ですか ? それは建武の新政という時代です。後醍醐天皇が朝廷で直接政治を見ていた時代です。この時代は鎌倉幕府が滅ぼされ、室町幕府が成立するまでのわずかな時代です。 室町時代のところが、南北朝時代や戦国時代に分けれているのは 足利尊氏によって開かれた室町幕府はまだ不安定な政権でした。南朝の後醍醐天皇に嫌われた尊氏は持明院統の皇子をを担ぎ出し、北朝を作ったのです。この間義光の時代まで60年間にわたって騒乱の時代になります。これを南北朝時代というのです。 戦国時代は8代将軍義政の時代で起きた応仁の乱がその発端ですから、まだ室町幕府は存在します。だから重複するのです。織田信長が足利義昭を京都から追放する約100年間を戦国時代と呼びます。
お礼
今と違って、時代が重複することもあるのですね。 色々と勉強になりました。 ご回答ありがとうございました。
補足
こんばんは。
- notnot
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意味としては書いてあるとおりの意味だと思います。 時代区分というのは、1つの瞬間が必ず1つの時代に属するように分類する方法もあるし、 「xx時代はxxxの事跡をもって始まりxxxの事跡をもって終わる」という方法もあります。 ご覧になっている年表は後者の考えで作られており、無理に隙間や重複をなくそうとはしていないと言うことだと思います。 例えば鎌倉時代が始まったのは何年か(どの事跡を始まりと考えるか)もいろいろな考え方があるわけなので、あまり細かいことを気にしてもしょうがないと思いますよ。
お礼
なるほど。 年表の作り方は、一つではないのでね。 ご回答ありがとうございました。
お礼
年表の作り方は簡単ではないのですね。 よく理解できました。 ご回答ありがとうございました。