- ベストアンサー
気になります
第一次世界大戦で連合国側(後に中立?)のロシアは、ソビエトになるまでに活躍した戦いなどはあるのですか?
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84_(1914%E5%B9%B4) タンネンベルグの戦いです 結果 しかしロシアの東プロイセン侵攻はドイツ軍に西部戦線から2個軍団を抽出することを強要し、マルヌ会戦においてフランス軍を立ち直らせる原因の1つとなった。 以上引用 本来のシュリーフェン・プランでは http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%B3 予想外に早かった東部戦線でのロシア軍の攻勢。計画では、ロシア軍が攻勢に出れるのは、総動員令から6週間程度は必要であるとしていたが、実際には、ロシア第1軍と第2軍は、8月17日には、東プロイセンに侵攻を始めた。8月21日に、ドイツ第8軍司令官マクシミリアン・フォン・プリットヴィッツ(ドイツ語版)から、東プロイセン全体の放棄を認めるよう要請された、小モルトケは、プリットヴィッツを解任するとともに、西部戦線右翼(第2軍と第3軍)から、2個軍団を引きぬき、東プロイセンに移送することを決めた。 以上引用 シュリーフェン・プランの手順逆に、ちゃんと東部戦線を切り上げた(ソ連と組んでポーランド侵攻を完了させた)ヒトラーは西部戦線でパリを陥落させます。 ロシアが(動員も含めて)頑張ったので、ドイツ軍はパリに到達できなかった。
お礼
意外とロシアも活躍していたんですね!