サンフランシスコ講和条約の発効により、連合国と日本の戦争状態が終了し日本国の主権が回復したので、占領を終了しただけです。ただし、重要な戦略拠点であった沖縄は、その後も占領していました。
なお、占領下の日本が輸出した品物には、占領下日本製( Made in Occupied Japan)と記載されており、植民地下とはありません。第一、植民地ならアメリカの一部ですから、こういう表記は許されません。
植民地は運営して儲けるためのものですが、アメリカは日本占領期間に儲けをだしていませんし、アメリカの法律を運用してもいません。植民地に独自の憲法をもたせたりもしませんから、植民地にしていたというのは誤解でしょう。アメリカは日本の維持に、身銭を切っています。
なんか陰謀めいたことが回答に並んでいますが、日本がアメリカ市場でこれだけのことをしているのに、アメリカの陰謀とは、なんか謎です。
陰謀がない、とはいいません。が、陰謀で何もかも語ろうとするのはおもしろいですが、そのうちなんでも「陰謀」でかたづけるような考えになりかねません。不毛だと思います。
安全保障条約が日本植民地化とは時々聞きますが、吉田茂が「なに、番犬の餌代は、あちらもちなんだよ」と言っています。つまり、日本は国防をうまいことアメリカに肩代わりさせ、軍事費を復興に充てられたから、今日があります。
アメリカにとっても、日本の地勢は重要なので、軍をおけることには意義がありました。日本が冷戦の最前線だったことを、意外と多くの人が忘れています。
あと、タタールのくびき、ですが、これはモンゴルによる支配をロシア(ルーシ)の視点からみたときに言う言葉です。ただ、モンゴルは軍事侵攻初期以外の時期は基本的に地元の自治をみとめ、宗教には寛容どころか放任にちかく、ロシアは東アジアと交易して反映し、後期にはモンゴル人がキリスト教に改宗したり、ロシア人と結婚して多くのロシア貴族のはじまりとなったりしました。
イワン雷帝のモスクワ公国の国家システムはモンゴル帝国が手本です。ヴェネツィア以外の西欧よりまともな法治国家であり、宗教的過激さがなく、また刑罰は穏やかな国でした。
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