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航空機事故で死んだ人は、死んだことも解らず現世を
航空機事故で死んだ人は、死んだことも解らず現世を迷うのでしょうか?サカモトキュウも現世をさまよっているのでしょうか?
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霊魂として彷徨うということでしょうか?現実的な見解を言えば、大半の飛行機事故で死を理解できないほど瞬時に死ぬケースは、前症状無く空中分解でもおこさない限りはないでしょう。後は、それが理解できない乳幼児は、それが飛行機に限らず彷徨うことになりますし、自動車事故などでも、気づかないで横から衝突され、即死なら気づかないことになります。そうなると、彷徨い人だらけになります。 日航123便の場合は、後部圧力隔壁の修繕ミスによる隔壁の損壊が、事故原因ですが、この機体は実際に事故が起きてから、御巣鷹に墜落するまでの30分間上空を飛行しており、その間に一部の乗客は、家族への遺言を書いていたものもいたとされます。即ち、死を意識する時間もなく死んだわけではありません。 尚、墜落直後には生存者がかなりいてうめき声や喋る声も聞かれたと、4名の生存者は述べています。 飛行機事故の多くは、空中で突如分解するなどの問題がなければ、たいていの場合は何らかの前現象があります。飛行機に搭乗すれば多くの人は、その症状が出れば、不安と死のイメージを見るはずですから、知らずにということは多くの場合においてないと思われます。 http://www.ngcjapan.com/tv/lineup/prgmtop/index/prgm_cd/1330 尚、宗教的な見解で言えば、現世で迷うかどうかは、本人の未練次第ではないかと思います。 何らかの執着があれば、とどまってしまう可能性はあるでしょう。ただ、死を意識出来ないのではなく、もし意識というものが死んだ後にもあると仮定すれば、死は分かっているが受け入れられないと考えた方が良いかと思います。 最後に、死んだ瞬間に夢と現実の境界が分からなくなり、夢を見続けているかのように考えると仮定しましょう。この場合、自我境界を保てるのかが重要になります。人は、他人や自分の体を観て、自分の形を知りますから、たとえばオオカミなど別の生き物に育てられれば、人はその習性や性格に近づくとされます。これは、即ち現世における肉体を失ったときに、自分自身が人として認識され、自分自身が人であると認識できるかということになります。 もともと、人は脳で考えて行動しますから、人の脳をハードとした場合、魂がソフトウェアになります。 ソフトウェアだけでは、パソコンは動かないですよね。そして、ソフトがどういう動きをするかは、ハードがないと人には見えません。ソフト側はハードがないと、パッケージの中で何もせず眠ることになります。要は、時間が経過していようが何が起きていようが、現実の場で何が起きているか分からないのですよ。 こういう考え方になると、たとえば彷徨うと仮定すると、ソフトの中身が見えるか見えないかという話だけの問題になります。(これがいわゆる霊感かもしれません) ただ、見えたとしても、そのソフト(死者)は、実際の人間と同じように思考でき、理論に従って自由に行動できるということはないと考えられます。それは、即ちハードウェアがないからです。あくまで、ソフトが最後に動いた痕跡が残るような形になるでしょう。 それを、見るものが彷徨っていると考えるか、それとも次の相性のよいハードに宿るのを待っていると見るか・・・そういう問題で考えた方が、比較的捉えやすく、納得しやすいように思いますけど。
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- kaitara1
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死ぬことを永眠とも言いますね。死体は眠っているのとは違います。魂魄という概念もありますので、永眠している人が夢をみるという想像は可能ですが、実際には死体は早晩分解してしまいますから、少なくとも生物学の問題ではないと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。
- vigbanban
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いえいえ そんな事はありません ちゃんと 死んだと言う事が判るまで付き添う役目の者が霊界に居ますから・・ 俗に天使と呼ばれてますね・・
お礼
ご回答ありがとうございます。
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