• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:人の業績が 人間そのものですか)

人の業績が人間そのものですか

このQ&Aのポイント
  • 存在以外のものを取り払ったその存在が、その人であるのか疑問。
  • クリスマス・ツリーの飾りは要らない。樅の木のみがその人の人間であるという意味。
  • 人類や社会に貢献した仕事や作品が彼女自身なのか疑問。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • a_hona
  • ベストアンサー率21% (95/444)
回答No.2

まぁ、あまり考えなくても、飾りを取り除いたものがその人そのものとなると思います。 しかしながら、世間的に言うと、仕事が人生そのものとも言うことがあり、それほど仕事の比重は重いものでもあるようです。 ただ、仕事は食えたら良い、と言う人と、仕事こそ我が魂の結晶、などとなる人もおり、一概に言えそうにはないですね。 確かに、仕事は生きることでもあると言われれば、そうだろうなと納得できる節もあります。 しかし一方で、人によって千差万別の仕事とは別に、誰しもに対等な、飾りを取り除いたその人そのものというものがあると思われ、そっちのほうがより根源的なのではないかとも見られるのです。(それは、老若男女誰しもに言える普遍的なものでしょう。)   。。。この質問は簡単なように見えて意外と複雑な質問だと思います。 例えば絵描きから、絵をとってしまえば腑抜けになるかもしれません。 しかし、仕事は食えたらいい、と言う人から仕事をとってお金を与えても、それほど打撃にはならないように思われます。 その仕事が自己表現のレベルに達している場合、あながち仕事がその人の存在を表していると言っても的はずれではないように感じます。 結論すると、その人の業績が、その人にしかできない二つとないものの場合、その業績はその人個人を別の形で表したものとなり、だれでも出来る他愛のないものの場合には、その人個人を表したものとはならない。 こんな感じでしょうか。 まだまだ思索の余地はありそうですが、とりあえず。 意外と難しいです。 (余地というのは、たとえば、飾りを取り除いたあとの自己表現は、決して仕事ではないが、その人そのものを表したものになりそうだ、とか、或いは、仕事こそ生きることの表現である、など。)

bragelonne
質問者

お礼

 お早うございます。ご回答をありがとうございます。  そうですか。  ★ 仕事こそ我が魂の結晶、などとなる人もおり、一概に言えそうにはないですね。  ☆ という見方の余地もありますか。  No.1のねむりねこさんからは こういう答えが返って来ました。  ◇ (回答No.1)~~~~~~~~~~~~  作品は、その人の思想やイメージなどの一部を表現したものに過ぎません。  その人の思想などのすべてを表現したものではない。  全人格的なものではない。  ~~~~~~~~~~~~~~  ☆ つまり 作品≒人間 というかたちは つねに成り立つという見方です。  おそらく まづ次の見方は 揺るがないと思います。  ★ 人によって千差万別の仕事とは別に、誰しもに対等な、飾りを取り除いたその人そのものというものがあると思われ、そっちのほうがより根源的なのではないかとも見られるのです。(それは、老若男女誰しもに言える普遍的なものでしょう。)  ☆ つまり 作品がどうであれ このような裸の人間が その人自身であるという見方です。  その上で こうも考え心配していました。  つまり 本人じしんが どう見るかにかんして:  ☆☆(No.1お礼欄) つまり おれの人間は この作品にすべてあるとか わたしの生涯は死で終わるのではなく 作品がなお生き続けるのだとか そういったふうに《業績が 人間である》といった見方をする場合がありませんか?  ☆ すなわち  ★ 仕事こそ我が魂の結晶、などとなる人もおり  ★ 確かに、仕事は生きることでもあると言われれば、そうだろうなと納得できる節もあります。  ★ その仕事が自己表現のレベルに達している場合、あながち仕事がその人の存在を表していると言っても的はずれではないように感じます。  あっ。考えてみれば 問いはもっとかんたんでした。  まづ 本人の問題だということがあります。  言いかえると この問題は 主観において・主観だけで決まってしまうかも知れないという一面が出て来ます。   わが生は 作品において死後も生きる。  というような信念が宣言された場合です。  この見解に対する答弁は どのようであるか? に焦点があたりましょうか。

bragelonne
質問者

補足

 お礼欄で 入力マチガイがありました。  ☆☆ つまり 作品≒人間 というかたちは つねに成り立つという見方です。    ☆ において   x 作品≒人間    ○ 作品≠人間   でした。すみません。

その他の回答 (26)

回答No.17

ああそういかい。 見解が分かれたようだね。 自らが生きるために他者を犠牲にして、自らのみが生き残るのが正義だと言いたいのかい。 殺したら元も子もない。 自滅につながる。 悪はそれを阻んでいて、旧来の悪が何故その点で敗北したかというと、人類が滅びの道を歩んでいるからだ。 そのようにしてすべてを滅ぼす仮面ライダーの出番だ。 滅びの道は人間としての盲目で無明というのだろうよ。 そこに光を当てるのが俺様の嫁のアマテラスさんで。 その光に地獄の業火を思い知られるのが、黒き明星たる私の悪の復讐だ。 悪は人間に由来し神には無い。 人間が思い知らなければならない。 改めて言おう。 君達は滅びる。

bragelonne
質問者

お礼

 ふられおんさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。  ★ 見解が分かれたようだね。  ★★ (回答No.15) ~~~~~~~~~~~~~   死を阻むのが悪の正義だ。   生きる事を助ける神の意志だ。   昔々は生きるために他者を殺しただろう。   それを阻む、生きる事が共に生きることである意思が、究極の善であり、悪の本質だ。  ☆☆ (同上・お礼欄) ~~~~~~~~~~~   ★ 死を阻むのが悪の正義だ。   ☆ 阻めないって。阻もうとするほうが 相手を突っ走らせるかも知れない。   そこが 蠅と蚊の踊り食いなる 悪の正義ぢゃわい。   ★ 生きる事を助ける神の意志だ。   ☆ こんなきれいごとを いつから言うようになった?   ★ 昔々は生きるために他者を殺しただろう。   ☆ ちがう。集団自殺する豚の列の中へ 勝手におのれの悪霊を投げ入れたのさ。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  さあて:  ★ 自らが生きるために他者を犠牲にして、自らのみが生き残るのが正義だと言いたいのかい。  ☆ (あ) 基本として こちらは何もしない。ミラーニューロン現象として しかるべき対応をするにしても それは 受け身であって 基本は 相手の思いや行動に合わせているのみ。合気道のような応対のみ。  (い) だから  ★ 自らが生きるために / 自らのみが生き残る  ☆ という方針は取っていない。そういう結果になるのが ふつうだと言わねばならないけれど そういう方針で行動してはいない。  (う) 《生きる》ということは 相手との応対の有る無しにかかわらず おこなっている。  (え) けれども 《生き残る》とか《自らのみが》とかという心つもりやハカラヒは考えていない。  (お) まして《正義》などという言葉は ない。死語である。強いて言えば 義無きを以って義とす。  (か) ★ 他者を犠牲にして  ☆ これは 時と場合によってあり得る。けれども 心つもりやハカラヒや方針にはあり得ない。  (き) 言いかえると こちらのチカラ及ばず 結果としてその相手が犠牲になることが万にひとつはあるかも知れない。けれども そのひとがみづから欲するのでなければ こういう場合には――つまりひとが前史から後史へ変態をとげるという過程にある場合には――起こらない。犠牲になることを欲する場合に 万が一として あり得ると見ている。  ★ 殺したら元も子もない。 / 自滅につながる。  ☆ そのとおりだが・そして そのように言い放ってもよいはずだが 過程がどのように推移するかは われわれ人間には分からない。犠牲になることを欲するその本人にも 果たしてどのように事態が展開するかは 分かっていない。  ★ 悪はそれを阻んでいて、旧来の悪が何故その点で敗北したかというと、人類が滅びの道を歩んでいるからだ。  ☆ 分からん。《悪》の概念が はっきりしない。  ★ そのようにしてすべてを滅ぼす仮面ライダーの出番だ。  ☆ 《ほろぼす》と言っているではないか? 《殺したら元も子もない》という問題とは別なのか?  このあたりは 考えの筋が 未熟である。自分では分かっていても 人びとには通じない。  ★ 滅びの道は人間としての盲目で無明というのだろうよ。  ☆ ちがう。人間の理性が よからぬことをたくらむ。これによってほろびる。  《無明》というのは ゴータマ・マジックに過ぎない。無・意・味。白痴化のオシエ。――つまり そういうよからぬことを たくらんだ。それは 理性。つまりアマテラス普遍語なる理性。訛ってしまったということ。方言ないし隠語になってしまった。  ★ そこに光を当てるのが俺様の嫁のアマテラスさんで。  ☆ アマテラス普遍人格語の親玉が それを見ていたとすれば 罪滅ぼしにそうするかも知れない。  ★ その光に地獄の業火を思い知られるのが、黒き明星たる私の悪の復讐だ。  ☆ 意味無し。アニメの見過ぎ。  ★ 悪は人間に由来し神には無い。  ☆ そうだったが 神もみづからを揚棄した。もうすべてを人間たちにまかせている。と知らなければいけない。遅れとるよ。    ★ 人間が思い知らなければならない。  ☆ 罪は 死語となった。  ★ 改めて言おう。 / 君達は滅びる。  ☆ おとといの世界だ。フ・ル・イ。

bragelonne
質問者

補足

 怒らせてしまったようですね。  久しぶりにこちらも張り切り過ぎたかも知れません。

回答No.16

ん。囚人番号12番っておいら?呼んだ? 「生の連鎖」→永遠の命なんぢゃないの?             もう寝ますおやすみなさい。        

bragelonne
質問者

お礼

 わたしには 分かんない。

回答No.15

お礼読んだよ。 何度も言わせんな。 死を阻むのが悪の正義だ。 生きる事を助ける神の意志だ。 昔々は生きるために他者を殺しただろう。 それを阻む、生きる事が共に生きることである意思が、究極の善であり、悪の本質だ。 アマテラスさんと愛を交わすことにより人間を名乗るサルである私にも理解できたことだ。 悪である私こそ人間そのものだと、言ってくれたのはアマテラスさんだけだ。 イエスは冷静に分析すれば大したことない。 人間であることは神に由来する生命の奇跡だ。 イエスより古い。

bragelonne
質問者

お礼

 まづは ご回答をありがとうございます。  そろそろ ショッカー氏の登場ぢゃないのかな。  ★ 死を阻むのが悪の正義だ。  ☆ 阻めないって。阻もうとするほうが 相手を突っ走らせるかも知れない。  そこが 蠅と蚊の踊り食いなる 悪の正義ぢゃわい。  ★ 生きる事を助ける神の意志だ。  ☆ こんなきれいごとを いつから言うようになった?  ★ 昔々は生きるために他者を殺しただろう。  ☆ ちがう。集団自殺する豚の列の中へ 勝手におのれの悪霊を投げ入れたのさ。  アマテラスさんは 日を照らして見ているのみだった。  これを企画したのは イエスだよ。  

回答No.14

あー、くだらねー、 囚人番号12番の猿に反撃だよ。 > 命をつないでいけば自己でなくても命そのものであると言う、アマテラスの善しを、少なくとも理解す準備ができて、滅びの宴を祭りとして楽しむ度胸がある。 これを、自己を失っても命はつないでいくと解釈したのだろう。 失われた猿はどうなるのか理解していない。 それは涅槃と表現された永遠に理解が及ばない事だ。

bragelonne
質問者

お礼

 だって。ちゃんと返答をするのだね。元気になったの?  まづは ご回答をありがとうございます。  ★ 涅槃と表現された永遠   ☆ だって!    ★☆ あー、くだらねー  《いま・ここ》って線をも心の片隅に置いておかねばなるめえよ。

回答No.13

12番さんありがとう。 おいらもそういうのは「生の連鎖」って呼んでます。 そうやって命はつづいていくってことでしょう?                              

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  答えを返してくれるかな。

回答No.12

お礼読んだよ。 あんたには悪の正義を認めきれない論理の不備が見えるが、死に際して死を肯定する滅びの宴が理解できている。 命をつないでいけば自己でなくても命そのものであると言う、アマテラスの善しを、少なくとも理解す準備ができて、滅びの宴を祭りとして楽しむ度胸がある。 上出来だよ。 悪、死、無、は俺様の出番だ。 あんたは祭りを楽しんで差し支えないよ。

bragelonne
質問者

お礼

 ふむ ふむ。まづは ご回答をありがとうございます。  そうですな。  ★ あんたには悪の正義を認めきれない論理の不備が見えるが  ☆ ここ。この一点のみ 議論がよわい。  ★ 悪の正義  ☆ なんてのは ごきぶりのから揚げってとこだね。  ゲテモノ食いもいるには いるだろうけれど。

回答No.11

よもやま話だ。 理解が困難な欲望に関する最新の考察だよ。 あんたの神学なり哲学はまだあてにできないほど頼りないが、年長の先輩だあり友達でもある君に対する好意だよ。 欲望は自らの望みではない。 他者に望まれているのである。 おおむねこのような路線で表明済みだが。 その他者に配慮すれば、それは好意ある助言である。 他者の望みに対して自らが好意的に望むところを表せば好意である。 悪心を自らが抱いたくせに、相手方を悪と糾弾すれば悪の連鎖であり、断絶する。 好意ある助言は優しさであり、悪念は、ご存知の悪そのものである。 自身の悪だ。 私は善について、知性ある人間の生きる行いは、または生きている事を自覚する人間の行いは、自らが生きるために他者を自らと等しく生かす、生きる行いを指すと表明している。 これはアマテラスの善し(よし)であり、生命の発露でありながら、自らの知性で無く神からもたらされたと考えている。 神は姿は隠されているかもしれないが生命だよ。 生命の源泉だ。

bragelonne
質問者

お礼

 やってまいりました。かめんらいだー氏。  つづいてご回答をありがとうございます。  ★ ~~~~~~~~~  欲望は自らの望みではない。  他者に望まれているのである。  ~~~~~~~~~~~  ☆ あなたが ミラーニューロン現象を言ったんぢゃん。  ★ ~~~~~~~~~~~  その他者に配慮すれば、それは好意ある助言である。  他者の望みに対して自らが好意的に望むところを表せば好意である。  悪心を自らが抱いたくせに、相手方を悪と糾弾すれば悪の連鎖であり、断絶する。  好意ある助言は優しさであり、悪念は、ご存知の悪そのものである。  自身の悪だ。  ~~~~~~~~~~~~~   ☆ たぶん《悪》をも 飲み込むようになるかも知れない。  ということは 《自身の悪》をも利用するかも知れない。  懲りない人間になるかも知れない。    なにしろ 相手――のふるき人――をほろぼさねばならないのだから。たいへんだ。  ★ 相手方を悪と糾弾すれば  ☆ なんて なまやさしいものではないよ。戦争だよ。  相手の心の奥深く眠る悪念の退治だよ。    ★ ~~~~~~~~~~~~~~  私は善について、知性ある人間の生きる行いは、または生きている事を自覚する人間の行いは、自らが生きるために他者を自らと等しく生かす、生きる行いを指すと表明している。  これはアマテラスの善し(よし)であり、生命の発露でありながら、自らの知性で無く神からもたらされたと考えている。  神は姿は隠されているかもしれないが生命だよ。  生命の源泉だ。  ~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 《隠れたる神 デウス・アブスコンディトゥス》。  でも イエスとして現われちゃった。アマテラス自身が まぶしくて目を開けられなくなってしまった。

回答No.10

うん?でも今生きている人が イエスやゴータマに影響を及ぼすことはできないよ? 話し合いはできないよ?

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ゴータマは どうでもいいんですけれど。  イエスは 影響を与える側ですから 一方的に。  なんてのも まだ話がつづくみたい。  じゅうぶん話し相手になってくれます。いつでも どこでも。

回答No.9

裸を公開したら、猥褻物陳列罪で逮捕だ。 ゴルゴムの掟では死刑だ。 そもそも猿どもの人格は社会性で汚染されており、裸になったつもりでそ卑猥なストリップショーだ。 あなたの言葉で「私は私である」これを自覚することが先決で、それ以前のストリップショーは醜い。 そんなストリップショーは、無効と言って終わらない。 死刑だ。 君達は滅びる。

bragelonne
質問者

お礼

 よお! ご回答をありがとうございます。  ショッカーの親分。  ★ 裸を公開したら、猥褻物陳列罪で逮捕だ。  ☆ つい最近 精神のストリップなる話題を挙げていたけれど 今回は 樅の木ですよ。  ★ ゴルゴムの掟では死刑だ。  ☆ ほお。  ★ そもそも猿どもの人格は社会性で汚染されており、裸になったつもりでそ卑猥なストリップショーだ。  ☆ カザリのほうが きたないかも知れない。  ★ あなたの言葉で「私は私である」これを自覚することが先決で、それ以前のストリップショーは醜い。  ☆ ショーはやんないよ。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~  そんなストリップショーは、無効と言って終わらない。  死刑だ。  君達は滅びる。  ~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 火の中をくぐり抜けて来た者のようにすくわれますから。  ふるい人を脱がなければ あたらしい人を着られない。  ふるい人がほろびて あたらしい人が現われます。  こんだけ? 今回は。  

回答No.8

こんにちは。  私は人間存在の個性は階層構造をしていると考えます。 まず精神性の個性・・・(1) 次に能力的個性 ・・・(2) そして外見的個性・・・(3)  (1)がまず重視されるのは、社会的動物に過ぎない存在として安心して暮らすために、精神的な部分に属する価値観として他者に危害を加えない範疇の個性が重視されるからだという見方ができると思います。  その上で(2)については(1)の上で悪用しないという前提で個性として認められる。  (3)は異性間で。  このトータルの三重構造ごと各人の存在を表す個性としていいというのが私の考え方の基本です。この『存在における個性』を表出した成果としての作品や仕事は、本質に付随するファイルみたいな感じのとらえ方ができると思います。それは個人の存在から派生したエッセンスとしてのたすきに過ぎない。あくまでもその人自身の存在にはなりえないでしょうね。

bragelonne
質問者

お礼

 こんにちは。ご回答をありがとうございます。  ★ 人間存在の個性  ☆ ええ。確かにこの問いは 裏返せば 《個性》の問題です。  個性とは何か?   個性があるから その個性においてひとは存在が成り立っているのか?  それとも 個性は あくまで無くてもよいカザリなのか?  こういったところが関係していると思います。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  このトータルの三重構造ごと各人の存在を表す個性としていいというのが私の考え方の基本です。  この『存在における個性』を表出した成果としての作品や仕事は、本質に付随するファイルみたいな感じのとらえ方ができると思います。  それは個人の存在から派生したエッセンスとしてのたすきに過ぎない。あくまでもその人自身の存在にはなりえないでしょうね。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 《成り得ない》が結論なのですね。  《飾り》は 個性を発揮したそのものだと見られる反面で それによっては 人間が成り立つというものでもない。――こういうことですね。  この見方については 質問者としても見解を同じくしています。    それと ただし《意志行為の特徴的なあり方》 これは 一生の果てをも超えて 後世の人びとに影響をあたえることがあり得るのではないか? こういう問いをも問うています。  質問への回答を受けていて その途中で問い方を変えてしまったのですが みなさんには よろしくお願いいたしたいと思います。  

関連するQ&A