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日本が国際連盟を脱退した理由
「満州事変」「世界恐慌」を使った文で教えてください!
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- Yelm
- ベストアンサー率19% (63/324)
世界恐慌の結果、列強諸国はいわゆる「ブロック経済」を形成し、日本製品は高額の関税が課せられる事になっていました。 このため日本でも同様の「円ブロック圏」形成の必要性が声高に叫ばれるようになり、その結果として満州に対する関心が日本国民の間でも高まっていきました。 しかし当時の中国では、日本を含めた列強に奪われていた利権を取り戻す「国権回復運動」が高まりを見せ、こういったナショナリズムに根ざす運動ではよくあることですが、一部が過激化して日中双方の感情的な対立に火をつけていたのです。 そして日本ではいわゆる「満蒙の特殊権益」は「明治以来、先人が苦労し、日清日露の戦争で多大な犠牲の末に勝ち取ったものであり、絶対に手放してはならない」という意識が強く持たれ、政治的な妥協は困難でした。 そんな中で行われた満州事変は「統帥権の独立」を盾にとった軍部の暴走ではありましたが、上述の問題を交渉では無く軍事力で一気に解決してしまった事で国民は喝采し、軍部はもちろん国民世論やマスコミも政府に満州国の承認を強く迫りました。 そして満州国を承認すれば欧米との妥協の余地が無くなる事を恐れて承認を渋っていた犬養毅は5・15事件で暗殺され(なお犬養は「統帥権の独立」を議会における目先の主導権争いのため、軽率にたきつけてこの事態を招いた元凶の一人なので「因果応報」の面もあります)、日本政府も満州国を承認してしまいます。 この結果、日本政府は外交面での妥協が殆ど不可能になってしまい、日本政府に対して融和的であった国際連盟の仲介案が満州国は認めなかったため、それを受け入れる事が出来ず国際連盟を脱退する事態となってしまったのです。
- ithi
- ベストアンサー率20% (1972/9601)
jpepjtummさん、こんばんわ。 1929年に世界がアメリカで起きた世界恐慌のショックから立ち直り切れていない1931年に日本の軍部が中国東北部で起こした満州事変で元清朝皇帝溥儀を元首とする満州国を建国するが国際連盟はリットン調査団の報告書に基づき、満州の自治やその地域における日本の権益を認めながらも、国際連盟に満州の管理をゆだねるべきであるという意見だったため、日本国内の世論が硬化しました。 代表である松岡洋右が演説をしますが、英仏の代表からは絶賛されますが、中華民国、スペイン、スイスやオランダなどは反対の急先鋒でした。報告書は圧倒的多数で採択され、松岡は退場し、昭和7年3月8日に日本は正式に国際連盟から脱退しました。 詳細は下記のURLを参照ください。 松岡洋右 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B2%A1%E6%B4%8B%E5%8F%B3 満州事変 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E5%A4%89
- あずき なな(@azuki-7)
- ベストアンサー率16% (1963/11745)
軍縮への反発 満州事変と世界恐慌は関係ありません