昼は天照大御神(太陽)、夜は月読命(月)とするのであれば、夜と昼との境目で輝く宵の明星、明けの明星ということになりますかね。
であれば、神香香背男(ほしのかがせお)という神様ということになります。
この神様については下記サイトをご参照ください。
天津甕星 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/天津甕星
夕方は「たそかれどき」と呼んでいました。現在の黄昏時(たそがれどき)の語源です。
遠くに人がいることはわかるけれども、誰であるのかが判別できない時刻という意味です。
なにやらいるけれども良く分からない状態というのは些か不安な気持ちになります。
このことから、邪悪なものが往来するときとみなして「逢魔が時」とも呼んでいました。
昼の神様も夜の神様もいない隙間のときを狙って邪気が横行するとでも考えたのでしょうかね。
詳しくは下記のサイトをご覧下さい
逢魔時 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/逢魔時
日が落ちていく西方に対してはさほど悪い印象はなかったようです。
「山越えの阿弥陀」などの絵を見ますと、山に沈んで行く夕日のイメージです。
ひたすら阿弥陀様を信じてその名号を唱えれば極楽往生できる、という考え方は日本独特のものです。
平安時代に良忍や法然が唱え親鸞が完成させた考え方です。
鎌倉時代以降広く信じられていましたから、夕日が沈む彼方に弥陀の浄土である極楽浄土をイメージした人は沢山いたのではないのでしょうか。
これだけを取り出せば夕方の神様は阿弥陀様ということになりますかね~
チョット強引すぎますかね。
お礼
結論"いない"が一番心理に近そうですね! 神がいないときを狙うというのは後最もですね! ありがとうございました!