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意見に至るまでの、あなたの内的手順を教えてください
見て頂いてありがとうございます。 誤解が生じやすいようでしたので、表現を変えて再投稿です。 意見に至るまでの、個々の内的手順の違いについての質問です。 体感→思考(日常的思考パターン)→意見 考えに詰まった時 自分の意見・見解の提示→人の意見を聞く→気に入った意見の部分または全体の採用→新たな自分の意見 今のところ、様々な意見を拝見してますと このような構図が多いのではないかと推察しています。 個々によって、自分の意見を発するまでの道順の違いが 有るように感じましたので、皆様の日常の内的手順を 教えていただけたら助かります。 正解・不正解はありませんし、単純・複雑に良し悪しもないと考えています。 指南や意見を求めているわけではありません。 内的動向の手順が、どのような順番で日常どのように行われているか 個人差を理解したいと思っての投稿です。 流れとして知りたいので、フィードバックの場合などは こちらで解釈しますので省略されて、大きな流れとしての手順でお願いします。 よろしくお願い致します。
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お礼
お久しぶりです。 お心遣い、変らずの優しさがとても嬉しいです。 人は一人ではないと、有難さが心に沁みます。 潜在能力として持つ、五感としての受容器の働きは それが持つ単純性という特性の感覚でありますよね。 もし、それらが損なわれることがあったとして、その感覚は見えないとしても そのことに対しての他者の想像や体験の再現は割と容易ですよね。 超越論的主観が感じ取れる受容器は、自己理解から発展する自己統合が その受容器を機能するように持っていくことが出来るかの問題になると思います。 一定の条件下でのみ、機能するものでありますから。 それに伴いmiko-desiさんの言う所の「未可能な行動力」は 十分に可能な行動力としての働きを有します。 自己に矛盾が無ければ無いほど、可能度は上がります。 その場合、行動力は感覚の志向性により示すものに忠実な限り その主の望む要求を叶える従者となります。 その時に問うことが重要になると、私も思います。 いわゆる哲学的批判ですよね。 超越は、どこまでとも言えるし、どの部分とも言えるし どれだけとも言えるかもしれません。 内面に物理的限界は無い(今は感じていない)ので、確かに何処へでも行けます。 miko-desiさんも、私と同じように自己超越という山を登ってあるのかと思います。 同じ山を登るのに、同じ道をたどるとは限らないのが面白い所で miko-desiさんは、miko-desiさんの道を表現してあり 私は、私の登っている道を表現してみました。 miko-desiさんは、吉田ルートのようでしょうか? 私は御殿場ルートか、ひょっとしたら知床岬を目指すように 道無き道を分け入っているのかと思うこともしばしばです。 これが正しいという道はなく、自分が歩く道しか無いのかもしれません。 先人の歩いたであろう風景が、残された道標で時々みえるだけです。 自己超越は心技体の心であり、技を得て体と成します。 技が足りないようです。 ネゴシエーションと浮かんだので調べました。 確かに交渉力は、無いに等しい(笑)と自分でも理解できます。 どうやって身に付けて行くか。 王道は何処で手に入れるか。 一歩一歩でありますね。 自己確立の道も、まだまだ続きます。 まだまだ自分、渋柿かも? >_< ああ、熟したい。。。。。 回答、参考にし検討させていただきます。 新しい発見が観えてくることも在るやもです。 いつもありがとうございます。