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鬱なのか、哲学なのか(長文です)

思考が纏っていないので、支離滅裂になるかもしれません。 30歳になる男です。物心付いた頃から【宇宙の果ては何なのか】とか【何故、世界は存在するのか】とか【私は何者なのか】とか、考えたりしておりました。 このような思考は、時に日常に忙殺されたりし、 思考すら忘れる事もあったのですが… 昨年末にとある夢をみた際、酷くその気持ちが強くなり、今日現在までその思考が消える事がありません。 この思考の厄介なところは、 考えすぎ、時には自分自身がパニック状況(大声を上げたり、全力疾走をして気を紛らわしたり)に陥る事がある事です。そして、今現在もまた、不安(恐怖)に似た症状を持ち続けている事です。これまでの中で、これほど、この思考が消えないことがありません。 明日より仕事初めとなるのですが、正直、この状態で仕事など出来るべくも無く、また、家族には平静を保っているものの、全てが【虚像(適当な言葉ではないのですが)】に思えて、仕方ありません。(現在はテレビ等をみて気を紛らわしています) タイトルの質問なのですが、このような状態は、やはり一般的な鬱状態なのでしょうか?また、最初に記述をした思考でパニックになるような事はあるのでしょうか? 現在、抑揚を抑えているものの、いつまたパニック状態になるか、また、以前のような普通の生活が出来るのか不安でたまらず、投稿いたしました。その他の投稿を拝見し、多少気持ちが治まった処もありましたので、広くご意見を頂ければ幸いです。 回答者の方に対し御返信をしたいのですが、なにぶん、自身が不安定な状態なので、ご連絡できないかも知れません。何卒ご了承下さい。

みんなの回答

noname#15514
noname#15514
回答No.10

その夢は、サインだと、私は思います。 日常に忙殺されているだけが全てではない、無意識が出すサインではないでしょうか? そして、サインは、こっちを向け、と、恐怖で示しているのです。 美人と虎が居れば、誰でも虎を意識します。快楽よりも怖れを優先するからです。 しかし問いと虎があれば、あなたは問いを優先します。 それは虎よりも怖ろしく感じられる。 あなたの妻子と、虎が居たら如何でしょう。 同じように虎を意識するでしょう。虎が居ては、妻子の無事もありません。 あなたの妻子と、問いがあったら如何でしょう。 やはり、問いを意識します。それがあっては、妻子の無事が無いからです。あなたは、そちらへ必ず向かう。   世界は、知らない分だけ広いものです。 私には、あなたの抱く問い達は、友であり慰めであります。 怖ろしいものでは在りません。 それがあなたの道しるべ(導くもの)であると、私は信じます。   何時かのころ、眠る前に何時も怖くなっていました。 身動きができない(逃げられない)、成す術が無い、言いようの無い恐怖感に支配されていました。 今は、眠る前の時が、幸せでなりません。 何が違ってしまったのでしょう。 この違いを分けてあげたいが、その違いを、あなたは持ってしまっているので、分けてあげることができません。 持っている人に、分けてあげることがどうしてできるでしょう。 これは、理解ではなく慣れかもしれません。 自転車に乗れるようになったときを思い出してください。 練習を重ねて、ある日あるとき、突然乗れるようになります。 どうやって乗ったかは分からないのです。 しかし実際に乗っており、その乗り方を忘れることはありません。 これらの問いは、自転車のようです。 乗れない間は難しい。しかしそれは、乗れるようになってしまえば、簡単なのです。 怖れることなく、只ひたすら、その問いに答えることを意志してください。 それは、自転車のようです。 何時か乗れる瞬間が、必ず来る。 その問いを諦めなければ。 只ひたすら、その問いに答えようとしたとき、言葉にならない言葉が、頭の中をぐるぐると駆け巡ります。それを纏めようとすることは必要ありません。ただ、その問いの意味(答え)を、求め続けるだけでよい。 身体が縮こまっていては、軽快に漕ぎ出すことはできません。 その問いは、自転車のようです。 怖れることはない。 それに乗って、漕ぐんです。 赤ん坊のころ、初めて立ったときは、このような喜びがあっただろうと、思います。若い鴎がはじめて空に舞うとき、同じような感覚を得るでしょう。その問いが解けたときは、そのようなものです。 そして誰しも、求めれば、誰から奪うことも無く、それを得ることができる。 何故なら彼はもともと、それを持っていたからです。

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質問者

お礼

多くの貴重なご意見、ありがとうございました。 纏めてとなりますが、何卒ご了承下さい。 当初の相談から半年近く経過し、 皆様のご意見を参考にさせて頂きましたが、 正直なところ、不安に似た状態であったり、 また、私の中の結論というものは見出せていません。 ですが、ここで改めて思うのは、 答えは決して見つからない(のかもしれない)という事。 その答えと常に向き合ってゆかなければならないという事。 そして、「その不安と、どう付き合ってゆくか」という事に、 目を向けらる様になったように思います。 今後、またとてつもない不安が襲ってくるかもしれないし、 襲ってこないかもしれない。 それは私自身の問題であり、不安である私が私としてどう向き合うのか、 私自身を見つめていきたいと思います。 これまで、誰にも言えなかった事を相談でき、 それに対して皆様に真摯にお答え頂けた事と、 また、私だけの特殊な悩みではないという事を再認識できたことで、 このような境地になったのかもしれません。 重ねてになりますが、本当にありがとうございました。

回答No.9

こんにちは、35歳の会社員です。 まず、あなたの思考回路は極めて正常です。 なぜなら、私も小さい時からあなたと同じ様なことをずっと考えてきました。 パニックになるほどではありませんが、「自分は誰か」と考え、グルグル思考が回っ て、 解答が見つからず、落ち込んでしまうこともしばしばありました。 しかし、ここ最近でそれらの疑問が解決されつつあります。 まず、「あなたとは何者なのか」ですが、 あなたは今現在生きている生命体(肉体、精神、魂、心)そのものです。 今、現在、生きています。そして会社へ行ったり食べたり、考えたりと活動していま す。 なぜ、今ここにいるのでしょうか。 それはこの世でする必要がある仕事をするためです。 「勉強する」「会社に行く」ということも大事な仕事です。 あなたが会社で仕事をするこにより、誰か他の人の役に立っています。 この「人の役に立つ」ということはとても大事な仕事です。 「人の役に立つ」ために生きていることが、大きな人生の目的であります。 また、今あなたが悩み苦しむことも大事な「仕事」です。 なぜ、悩むことが「仕事」なのでしょうか。 それは、悩み、苦しみ、悲しみを経験して、人は鍛えられて行くからです。 なぜ、鍛えられる必要があるのでしょうか。 それは、進化、進歩、発展、成長のためです。人はみな、成長するため、大きく進化 するために生きているのです。 これは科学ではありませんが、私は人間の生まれ変わりというのを なんとなく、信じています。 生まれる→死ぬ→また生まれる→また死ぬ ということを永遠に繰り返しているのだと思います。 なぜ、何度も苦しい人生を繰り返すのか。それは人は少しずつ成長していくからで す。 何度も何度もさまざまな経験をして徐々に進化していくのです。 つまり一つの輪のようにグルグル回っていると思います。 円に始まりと終わりがないように人生においても 始まりも終わりがないと思います。 ただ、普通の輪でなく、らせん階段のように徐々に向上しています。 死んだり生まれたりを繰り返しながら少しずつ上に上がって行く。 そんなもんだと思っています。 一番上までいくとどうなるのか。 それはちょっとわかりませんが、とっても素敵な人間になってしまいそうです。 次に「なぜ、世界は存在するのか」です。 人はみな、切磋琢磨し、苦しみを乗り越えて、成長するために生きていますが、 そのためには一人では何もできません。 たくさんの人間が必要です。 たくさんの人間が生きるためにはいろいろと必要な物や法則が必要です。 水とか、空気とか、重力とか、季節とか、鳥とか、ビールとか。 それらをまとめて「世界」と呼んでいます。 成長するために人がいて、人が生きるために世界があります。 最後に「【宇宙の果ては何なのか】についてです。 最近の科学では宇宙は風船の様に膨張していることが知られています。 膨張している、ということは宇宙の始まりがあった、ということになるのですが、 そもそも「始まりがあった」ということはその「始まり」の前はなんだったのか、 ということになります。 残念ながら現在の科学ではそのことは解明されていませんが、 私は次のように考えます。 宇宙も私たち人間と同じように一つの生命体です。 台風が南のほうで生まれるのと同じく宇宙も自然に「生まれた」んだと思います。 生命体なのでいつかは「死ぬ」でしょう。 それが人間の寿命にくらべたらとても長いだけの話です。 ただ、人間の人生と同じ様に宇宙も「輪」の一部であり、始まりも終わりもないけれ ども 成長している一種の生命体だと思います。 つまり、宇宙の果て、宇宙の終わり、というものはありません。 なぜ、宇宙に終わりがないのか。 それは宇宙も人間と同じように今まさに進化、発展しているからです。 と、いうような考えにやっと最近いきついて、なんとなくですが、 不安になることはなくなってきました。 あなたの悩みはまさに今、一人の人間が正常に成長していることの証明です。 とても苦しいと思いますが、この苦しみは必ず乗り越えることができます。 この苦しみを乗り越えたとき、あなたはまさに「成長した」ということになるので す。

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質問者

お礼

多くの貴重なご意見、ありがとうございました。 纏めてとなりますが、何卒ご了承下さい。 当初の相談から半年近く経過し、 皆様のご意見を参考にさせて頂きましたが、 正直なところ、不安に似た状態であったり、 また、私の中の結論というものは見出せていません。 ですが、ここで改めて思うのは、 答えは決して見つからない(のかもしれない)という事。 その答えと常に向き合ってゆかなければならないという事。 そして、「その不安と、どう付き合ってゆくか」という事に、 目を向けらる様になったように思います。 今後、またとてつもない不安が襲ってくるかもしれないし、 襲ってこないかもしれない。 それは私自身の問題であり、不安である私が私としてどう向き合うのか、 私自身を見つめていきたいと思います。 これまで、誰にも言えなかった事を相談でき、 それに対して皆様に真摯にお答え頂けた事と、 また、私だけの特殊な悩みではないという事を再認識できたことで、 このような境地になったのかもしれません。 重ねてになりますが、本当にありがとうございました。

回答No.8

貴方はパニック障害ではありません。 パニック発作の要件を満たしてはいませんからネ。 ただ、心理を追求したがる人は本当に多くいるのです。 お経はご存知ですか?写経の経験はありますか? 貴方には、出家が似合いそうに思います。 三十代、どんな荒行にも耐えられる、強い身体をお持ちの今、お経を心に納め、自分の心と向き会う時間をお作り下さい。 人の悩み、苦しみの答えは、そう簡単には出ません。 まず、自分が修行を始めてください。

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質問者

お礼

>貴方はパニック障害ではありません。 …ほっとした反面、ではこの状態は何なのか…という思いもあるのですが(今、また少し不安が襲ってきてます…)。それこそが「自分の心と向き合う時間を作る」という意味なのでしょうか。 現在、勤め人である私ですが「これまでの自分」が何か壊れるような感覚と、また「これまで通りにしなくてはならない」「これまで通りでありたい」という思考が頭を巡り、そして不安(恐怖)に陥ってしまいます。そして、その根底に当初の質問の思考が回っているのです。心と向き合う、という事自体、その意味の有無も含めてに不安めいたものがあると言っても良いかもしれません。 すみません、ちょっと不安が広がっていてネガティブな思考になってしまっています。アドバイスの回答になっていないかもしれませんが、少し落ち着いてから、もう一度、soraniaitaさんのご意見を考えてみたいと思います。

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質問者

補足

多くの貴重なご意見、ありがとうございました。 纏めてとなりますが、何卒ご了承下さい。 当初の相談から半年近く経過し、 皆様のご意見を参考にさせて頂きましたが、 正直なところ、不安に似た状態であったり、 また、私の中の結論というものは見出せていません。 ですが、ここで改めて思うのは、 答えは決して見つからない(のかもしれない)という事。 その答えと常に向き合ってゆかなければならないという事。 そして、「その不安と、どう付き合ってゆくか」という事に、 目を向けらる様になったように思います。 今後、またとてつもない不安が襲ってくるかもしれないし、 襲ってこないかもしれない。 それは私自身の問題であり、不安である私が私としてどう向き合うのか、 私自身を見つめていきたいと思います。 これまで、誰にも言えなかった事を相談でき、 それに対して皆様に真摯にお答え頂けた事と、 また、私だけの特殊な悩みではないという事を再認識できたことで、 このような境地になったのかもしれません。 重ねてになりますが、本当にありがとうございました。

  • Syo-ya
  • ベストアンサー率31% (558/1780)
回答No.7

うつ状態なのかも知れません。 うつのときって、早い話が、気持ちの切り替えが出来ないんです。 だから、いつまでも同じことが頭の中を駆け巡るんです。 でも、心理療法にも「論理療法」というのがあるように、悩みに対して論理的な回答を導き出すことで心の迷いが払拭されて、うつ状態が改善される期待はあると想います。 で、お役に立つと想うので哲学的な回答をしてみると、この世のことで「WHY(なぜ?)」は、人間には判らないんです。もし、判るという人がいても、それは確認のしようがないんです。根拠の示せない回答は、回答ではないんです。人間に判るのは「HOW(なんでこうなるの?)」だけなんです。 ですから、物事を考える道筋として「構造(メカニズム)」を考えると、論理的な思考が出来ると想うので、迷いも払拭されてしまうんです。 ・・・で、説明すると死ぬほど長くなるので割愛しますが、仏教というのは、普遍の真理(諸行無常、諸法無我、因果、縁起・・・)で、この世の全てを説明しています。そして、安らぎの境地に達する方法論までもが論理的に説かれています。こちらのあちらこちらに私の投稿がありますので、是非、読んでみてください。http://okwave.jp/kotaeru.php3?q=1800903 あと、うつっぽかったり、パニック発作が出るようなときって、「セロトニン」という神経の弱りが指摘されていますので、一度、病院に相談してもいいかと想いますし、坐禅がセロトニン神経の活性化に繋がるのだそうですから、これも実践してみると良いと想います。

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質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 仰るとおり、切り替えが出来ないのです(今は、切り替える事が必要なのか、この状態と向き合う事が大切なのかも、実際良く判っていないのですが…)。 自分は【理屈っぽい】人間なので「論理療法」、でしょうか?こちらは、確かに効果があるかも…と、思っています。また、これまでは全く仏教というものに興味が無かったのですが、このような思考に嵌ってしまっている今、全く別の観点で向き合えるかもしれませんね。。。と言っても、変な新興宗教に飛び込むという意ではありませんので、ご安心下さい。 今日から仕事初めでしたが、心が【不安定なまま】で正直辛い一日でした…今は何とか落ち着いています。こちらに書き込む事も、私の気持ちを楽にさせて頂いていると思っております。本当に感謝しています。

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質問者

補足

多くの貴重なご意見、ありがとうございました。 纏めてとなりますが、何卒ご了承下さい。 当初の相談から半年近く経過し、 皆様のご意見を参考にさせて頂きましたが、 正直なところ、不安に似た状態であったり、 また、私の中の結論というものは見出せていません。 ですが、ここで改めて思うのは、 答えは決して見つからない(のかもしれない)という事。 その答えと常に向き合ってゆかなければならないという事。 そして、「その不安と、どう付き合ってゆくか」という事に、 目を向けらる様になったように思います。 今後、またとてつもない不安が襲ってくるかもしれないし、 襲ってこないかもしれない。 それは私自身の問題であり、不安である私が私としてどう向き合うのか、 私自身を見つめていきたいと思います。 これまで、誰にも言えなかった事を相談でき、 それに対して皆様に真摯にお答え頂けた事と、 また、私だけの特殊な悩みではないという事を再認識できたことで、 このような境地になったのかもしれません。 重ねてになりますが、本当にありがとうございました。

  • souziki
  • ベストアンサー率24% (116/482)
回答No.6

僕はまだ高1です。何喋りだすかわかりませんが; 哲学者なんて全員、病人みたいなもんですよ。 人間、どこか欠けてて、どこか病人臭いんです。 うつ病だ!なんてはっきり言えるわけないです。 どこか変で、どこか病気臭いから、人と違う事ができる。 小説家だの画家だの、どこか病気みたいながら職業やってるんですよ。 哲学的思考とうつ病の思考は似てるんじゃないかと思います。 で、うつ病者は全員、哲学者なんだと思います。深く考える能力を人より多めに手にした人たち。 それで自分が苦しいなら、病気と言う事で治せばいいんです。でも、そのままでもいいかな、って思えるなら、それでもいいんだと思います。 誰もがお兄さんみたいなことを考えた事はあると思います。 そこで「ま、いーか」と流せたら普通の人。ときどき、ふと思い出して考えたりする人は哲学者なんです。 お兄さんは哲学者の素質があるんですねぇ。 僕も、たまに考えたりしますよ。で、折角なんだから、楽しもう、って。 ねえ、人にはなかなか手にできない『思考力』を少し多めに持って生まれたんですから、それはそれでいーかしら、と。 質問文は非常にわかりやすく、まとまっています。 回答しやすいです、ありがとう。 返答は気分がよければでいいですよ。楽になって欲しいだけですから、返答するのが辛いなぁ、と思うなら、しなくてもいーことなんです。 無言の返答、受け取りますよw

wp0417
質問者

お礼

>哲学者なんて全員、病人みたいなもんですよ。 一般論かどうかは私には判り兼ねますが…そのような言い回しをされる本などありますね。「私と同じような思考を持つ方」が、他でもいらっしゃるという事に、少なからずの安堵を持っている状態でしょうか。。 実は一度、親に対し「怖い怖い」と叫んだことがあります(小学生の時ですが)。私の家庭は、本当にごくごく一般的な家族で、このような思考を【叫ぶ】という事で表現をしてしまった事、また、自分がおかしくなってしまったのだと思われることに「申し訳ない」という感情を後に持った事で、二度と親の前ではそのような素振りをみせないようにしてきました。そんなこんなで、30年です。。 「ま、いーか」と自分に言い聞かせてきた面もあります。本当に少し前までは「普通の兄ちゃん」だった訳ですし(自分をこう表現するのもおかしいのですが…)。他の回答者さんの仰る事を「自分のペースで」やっていこうと思います。未だ思考が纏っていない状態ですが…そのあかつきに、souzikiさんのいう「折角なので楽しむ」までに至れば良いですね。 ご回答ありがとうございました。

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質問者

補足

多くの貴重なご意見、ありがとうございました。 纏めてとなりますが、何卒ご了承下さい。 当初の相談から半年近く経過し、 皆様のご意見を参考にさせて頂きましたが、 正直なところ、不安に似た状態であったり、 また、私の中の結論というものは見出せていません。 ですが、ここで改めて思うのは、 答えは決して見つからない(のかもしれない)という事。 その答えと常に向き合ってゆかなければならないという事。 そして、「その不安と、どう付き合ってゆくか」という事に、 目を向けらる様になったように思います。 今後、またとてつもない不安が襲ってくるかもしれないし、 襲ってこないかもしれない。 それは私自身の問題であり、不安である私が私としてどう向き合うのか、 私自身を見つめていきたいと思います。 これまで、誰にも言えなかった事を相談でき、 それに対して皆様に真摯にお答え頂けた事と、 また、私だけの特殊な悩みではないという事を再認識できたことで、 このような境地になったのかもしれません。 重ねてになりますが、本当にありがとうございました。

  • russy1
  • ベストアンサー率11% (20/178)
回答No.5

お悩みは身に沁みるような感じがします。普段忙しくしているときは忘れていますが、何かのきっかけでその回路が動き出すとお書きになっていることと殆ど同じような状態になります。他の人はどうなのだろうと思いながら現在まで来ました。哲学の本を読みますと主体と客体という言葉が出てきます。これはいわゆる西洋流の、全ては理解の対象となるという前提から作られた概念だと思います。つまり主体も理解の対象となるということです。しかし、もし主体が理解の対象になるのだったら、主体も客体のひとつになってしまいます。ここに大きな落とし穴があると思います。主体は認識の対象にならないからこそ認識や理解が可能となるのであって、主体が理解されたら、誰が理解したら良いのでしょうか。わざと誰と書きました。つまり誰でも主体としての自分は理解できないということです。口は食べ物でもないでも呑み込むことは出来ますが、口自身は口にとって呑みこむ対象には出来ないのと同じいだと思います。ふつう自分と思っているのは本当の自分、主体としての自分が所有している自分の衣服とか教養とか才能とか財産とかそういうものを自分と呼んでいるだけです。要するに主体としての自分は理解のという、対象としてはいけない聖域なのです。これは虚無主義でもないし、オカルトでもないと思っています。一応ここで一先ず終えます。主体としての自分は敬してとおざけるという敬遠の本来の意味で理解すべきものでしょう。又このことが本来の神という概念の起源なのかもしれません。神の名をみだりに語ってはならないとか偶像崇拝に対する厳しい禁止なども特定の宗教とは別に考えてみるのも参考になるかもしれません。

wp0417
質問者

お礼

お返事遅くなり申し訳ありません。 すみません、難しい事はよく判らないのですが…「他の人はどうなのだろう?」というのは、小さい頃からしばしば思っていた事でした。ただその時は「自分は特別」「他の人は、そういう思考(状態)にはならない」と、言い聞かせていたのも事実です。そして、その思考は時間と共に解決し、今日まで来ているような状況です。 宗教やオカルトというものにも、これまでは「全く」興味がありませんでした。いや、厳密に言うと、幽霊や心霊現象といったものに対し「普通の人が怖い」と思うものに「純粋に怖い」という感情があったのですが…現在は、表現が難しいのですが【それ以上のものに怯えている】という感覚です。自分が自分で無いような…話にまとまりが無くて申し訳ありません。 今は、この状態の自分と向き合って、「答えの無いものを追求する」のか「今までどおり受け流すよう努める」のか、試行錯誤している状態です。 現在も思考が頭を巡ってはいますが、russy1さんの仰ることもまた一つ、参考とさせて頂きたいと思います。ありがとうございました。

wp0417
質問者

補足

多くの貴重なご意見、ありがとうございました。 纏めてとなりますが、何卒ご了承下さい。 当初の相談から半年近く経過し、 皆様のご意見を参考にさせて頂きましたが、 正直なところ、不安に似た状態であったり、 また、私の中の結論というものは見出せていません。 ですが、ここで改めて思うのは、 答えは決して見つからない(のかもしれない)という事。 その答えと常に向き合ってゆかなければならないという事。 そして、「その不安と、どう付き合ってゆくか」という事に、 目を向けらる様になったように思います。 今後、またとてつもない不安が襲ってくるかもしれないし、 襲ってこないかもしれない。 それは私自身の問題であり、不安である私が私としてどう向き合うのか、 私自身を見つめていきたいと思います。 これまで、誰にも言えなかった事を相談でき、 それに対して皆様に真摯にお答え頂けた事と、 また、私だけの特殊な悩みではないという事を再認識できたことで、 このような境地になったのかもしれません。 重ねてになりますが、本当にありがとうございました。

回答No.4

哲学者 中島義道さんの本をお薦めします。 中島さんは同様の悩み 「人間はいつか死んでしまうのになぜ今 生きているのか」 を幼い頃から持たれ、かなり興味深い本を たくさん書いておられます。 どの本もお薦めですが 「カインー自分の『弱さ』に悩む君に」 はいかがでしょうか。

wp0417
質問者

お礼

お返事遅くなり、申し訳ありません。 すみません、今さっきまで、やはり発作的なもの(動悸)があり、キーボードに手が伸びませんでした…。 No2、No3さんのお返事のとおり、一度病院には行ってみようと思います。そののち、ご紹介頂いた本も読んでみようと思います。ありがとうございました。

wp0417
質問者

補足

多くの貴重なご意見、ありがとうございました。 纏めてとなりますが、何卒ご了承下さい。 当初の相談から半年近く経過し、 皆様のご意見を参考にさせて頂きましたが、 正直なところ、不安に似た状態であったり、 また、私の中の結論というものは見出せていません。 ですが、ここで改めて思うのは、 答えは決して見つからない(のかもしれない)という事。 その答えと常に向き合ってゆかなければならないという事。 そして、「その不安と、どう付き合ってゆくか」という事に、 目を向けらる様になったように思います。 今後、またとてつもない不安が襲ってくるかもしれないし、 襲ってこないかもしれない。 それは私自身の問題であり、不安である私が私としてどう向き合うのか、 私自身を見つめていきたいと思います。 これまで、誰にも言えなかった事を相談でき、 それに対して皆様に真摯にお答え頂けた事と、 また、私だけの特殊な悩みではないという事を再認識できたことで、 このような境地になったのかもしれません。 重ねてになりますが、本当にありがとうございました。

noname#71482
noname#71482
回答No.3

こんにちは。 鬱病歴約15ヶ月、現在2度目の休職中の会社員です。 質問者様の状況(症状)は私が知りうる限りでは鬱のの症状とは違う気がします。 しかし、なにがしかの精神疾患の可能性は否定できないので、専門医(心療内科、精神科)の受診をお受けになったほうがいいかもしれません。

wp0417
質問者

お礼

ご自身、病であるにもかかわらず、御返答痛み入ります。 他の質問者様の内容を拝見する限り、確かに鬱とは異なるような気がしております。こういう類のものを自己診断するのはあまり良くないのかも知れませんが、発作的におきる恐怖は「パニック障害」のような気がしますし…。 私の場合「漠然とした恐怖」ではなく、最初に質問した内容のついて不安を持っているのを自覚している(つもり)ですので、この状態自体が「健全な思考」なのか「疾病」なのか判らず、その事自体が更なる不安を助長している次第です… 自分の気持ちを落ち着かせる意味でも、機会をみて受診してみようと思います。ご回答ありがとうございました。

wp0417
質問者

補足

多くの貴重なご意見、ありがとうございました。 纏めてとなりますが、何卒ご了承下さい。 当初の相談から半年近く経過し、 皆様のご意見を参考にさせて頂きましたが、 正直なところ、不安に似た状態であったり、 また、私の中の結論というものは見出せていません。 ですが、ここで改めて思うのは、 答えは決して見つからない(のかもしれない)という事。 その答えと常に向き合ってゆかなければならないという事。 そして、「その不安と、どう付き合ってゆくか」という事に、 目を向けらる様になったように思います。 今後、またとてつもない不安が襲ってくるかもしれないし、 襲ってこないかもしれない。 それは私自身の問題であり、不安である私が私としてどう向き合うのか、 私自身を見つめていきたいと思います。 これまで、誰にも言えなかった事を相談でき、 それに対して皆様に真摯にお答え頂けた事と、 また、私だけの特殊な悩みではないという事を再認識できたことで、 このような境地になったのかもしれません。 重ねてになりますが、本当にありがとうございました。

  • aya-pi-
  • ベストアンサー率30% (258/834)
回答No.2

確かに鬱病だとイライラもしますね。だからといって=鬱病ではないと思いますよ。 自制出来ておられるようですが、またいつ発作的な事が起こるかもしれない不安があるようですね。 私の場合はテレビのスイッチすらつけれず、起き上がる事なんてもってのほかで食事は勿論喉を通らないし話しすら出来ませんでした。 症状から病名を特定する事は出来ませんので心療内科に行かれる事をお勧めいたします。 症状により適切な投薬される事で、精神的な病気は治るものです。少なくてもマシにはなります。 私は薬のおかげで生きていられるんだと感謝さえしております。 なので何も気持ちを押さえつけずご家族にご迷惑をおかけしない点でも受信は必要かと思われますよ。

wp0417
質問者

お礼

ご返答ありがとうございます。 お恥ずかしい話、これまでは「思考を忘れる」と言う事で、だましだまし【日常】を送ってこられたのですが、この年末年始で、全ての行為(衣食住全てですね)が億劫というか、恐怖に似た衝動に駆られ、その不安自体にまた、不安を持つというループに嵌っているもので…やはり一度病院に行ってみたほうが良いのかも知れませんね…。 正直、この思考が「病気」なのか「ある種の哲学」なのかの判別が付かず、また、以前まで普通にこなせていた「日常」が明日から始まる事が、また怖くて… まとまりが無くて申し訳ありません。今は多少気持ちが落ち着いているので、良いタイミングで行ってみようと思います。

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質問者

補足

多くの貴重なご意見、ありがとうございました。 纏めてとなりますが、何卒ご了承下さい。 当初の相談から半年近く経過し、 皆様のご意見を参考にさせて頂きましたが、 正直なところ、不安に似た状態であったり、 また、私の中の結論というものは見出せていません。 ですが、ここで改めて思うのは、 答えは決して見つからない(のかもしれない)という事。 その答えと常に向き合ってゆかなければならないという事。 そして、「その不安と、どう付き合ってゆくか」という事に、 目を向けらる様になったように思います。 今後、またとてつもない不安が襲ってくるかもしれないし、 襲ってこないかもしれない。 それは私自身の問題であり、不安である私が私としてどう向き合うのか、 私自身を見つめていきたいと思います。 これまで、誰にも言えなかった事を相談でき、 それに対して皆様に真摯にお答え頂けた事と、 また、私だけの特殊な悩みではないという事を再認識できたことで、 このような境地になったのかもしれません。 重ねてになりますが、本当にありがとうございました。

回答No.1

宇宙の果ては何なのか 何故、世界は存在するのか 私は何者なのか・・・。 っていう思考が頭の中をぐるぐるまわりはじめたら、 「だれもわからない。」と自答してください。 本当に答えなど無いのです。 テレビだけでなく、音楽とか映画も見ることで、家族や友人と共通の話題ができて、もっと、毎日が楽しくなると思います。 まだ新年明けたばかりですから、友達とぱ~っと飲みに行くとかすれば、気分もまぎれると思います。

wp0417
質問者

お礼

答えが無いのは理解している(つもり)です。ですが、今までであれば「忘れる」事ができたのに、1週間以上経っても「忘れられない」ので、自身、不安なのかも知れません…。年末年始に掛けて、友人と忘年会をしたり、正月を家族親族と過ごしたりしているものの、頭の片隅(と言ってもウェイトは大きいのですが)に【存在】するのです。 しかしながら、悩みを聞いて頂き少し不安が解消されました。御返答ありがとうございました。

wp0417
質問者

補足

多くの貴重なご意見、ありがとうございました。 纏めてとなりますが、何卒ご了承下さい。 当初の相談から半年近く経過し、 皆様のご意見を参考にさせて頂きましたが、 正直なところ、不安に似た状態であったり、 また、私の中の結論というものは見出せていません。 ですが、ここで改めて思うのは、 答えは決して見つからない(のかもしれない)という事。 その答えと常に向き合ってゆかなければならないという事。 そして、「その不安と、どう付き合ってゆくか」という事に、 目を向けらる様になったように思います。 今後、またとてつもない不安が襲ってくるかもしれないし、 襲ってこないかもしれない。 それは私自身の問題であり、不安である私が私としてどう向き合うのか、 私自身を見つめていきたいと思います。 これまで、誰にも言えなかった事を相談でき、 それに対して皆様に真摯にお答え頂けた事と、 また、私だけの特殊な悩みではないという事を再認識できたことで、 このような境地になったのかもしれません。 重ねてになりますが、本当にありがとうございました。

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