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嫌われる勇気を持つには

嫌われる勇気を持つには自分を嫌ってくれる人と好きになってくれる人を自己受容すること。 集団の中に自分がいるという世界観をしっかりもっていて人から嫌われてもそんな事はよくある普遍的なことだと思えることだと思いますが、他に斬新な考え方で嫌われる勇気を持つ方法はありますか? 人には人付き合いをしたいという底なしの欲があり、底なしのためか人から嫌われるという事はトラウマ(小さいですが)になると思っています。嫌われる度に傷口が深くえぐられていくように自分への負の感情は蓄積していくのだと私は思っています。 嫌われても平気だと思えるために私のあげたもの以外に斬新な考え方は他にありますか?

みんなの回答

回答No.11

こんにちは。  嫌われるというか、反論されることはあるくらいのスタンスが妥当なのではないでしょうか。ただ、そこに人間性を否定するような目線まで入ってしまったら行き過ぎだと思います。そういう面で行き過ぎないような人間に成長することを目指していけたらいいですね。

回答No.10

嫌われることに耐えたり、黙視したり、受容するということは「勇気」とは違う気がしますが・・・。 嫌われることを恐れない勇気なら、ということで回答させて頂きます。 まず一つは堅い信念と意思です。 たとえばアップルの創始者ジョブスはひどい嫌われ者でした。しかしその信念と意思を貫き、iPhoneによってスマートフォンを改革せしめ、いまや多くの人になくてはならないものになりました。ジョブスが「嫌われる」ということを恐れていたら、まず実現しなかったでしょう。 次は倫理観や正義です。 これも信念や意思に通じるかも知れませんが、マンデラやマルコムX、キング牧師は白人からもの凄く嫌われました。 しかし彼らの倫理観はいまでは世界標準と言っても過言ではないと思います。 さらに毛色をかえると自己保身と恐怖です。 これはお勧めしませんし、ちょっと疑問ですが・・・、例えば「上司にこびを売る同僚」いませんか? 彼は同僚に嫌われるより、上司に嫌われることを恐れ、同僚から嫌われることなど「屁とも思っていない」のです(笑) まあ、多少は面白くないのかも知れませんが、恐れが別の勇気(?)を生む例かも知れません。 例えば今まで飛び越せなかった小川が、いじめっ子に追いかけられて無我夢中で飛び越えた。なども。 ある意味、がむしゃらなのかもしれません(笑)

  • 0fool0
  • ベストアンサー率18% (134/738)
回答No.9

「あぁ、またか」で私はお仕舞いです。 私は自分を曲げると言う事をしませんので、大概の人間関係で嫌われていますので、別に気にはなりません。 なにより私は私を曲げない自分を愛しています。 仮に私が相手に気に入られる為に、自らに背いて迎合する等は想像すら出来ません。 まぁ、命を握られたり、子供を質に取られたりでもすれば、土下座位はするかもしれませんが。 自分で自分を愛していれば、誰に嫌われても全く問題ありません。 しかし社会性としては大問題の人格ですので、そもそも深い人付き合いは出来ませんがw

barutokai
質問者

お礼

回答ありがとうございます なるほどもう一人の自分を形成して自分で自分を愛するというような感じですね。 そうするには今の自分を愛してくれそうな尊敬できるマザーテレサなどの偉大な博愛主義者を探し出しその人のマインドを自分にも取り入れる必要が私にはありそうです

noname#201242
noname#201242
回答No.8

別に斬新ではないのですが、 人は誰でも、周りにいる全員から等しい程度で好きになってもらえることはありえないので、中には合わない人がいても仕方ありません。 嫌われるかどうかまでは分かりませんが、同程度に関心を持ってはもらえません。 自分が気にしているほど他人はこちらのことを気に掛けていないことが多いですし。 「嫌われても全然平気」という人も少ないでしょうし、わざわざ嫌われるように仕向ける必要もないでしょう。 でも逆に、「全員に同じぐらいに好かれたい」とか「本来なら全員から好かれるべきなのだが」とか思う必要もないです。良い悪いでなく単純に性格や好みが違ったりもするので、そもそも無理です、それは。

barutokai
質問者

お礼

回答ありがとうございます

回答No.7

他人に好かれたい、嫌われたくないというのは、他人に依存している証拠です。 自分の善悪基準をもち、自立した精神をもつことが必要かと思います。

barutokai
質問者

お礼

回答ありがとうございます

noname#197435
noname#197435
回答No.6

八方美人だとしても、それで嫌われますが 他人から嫌われることが無いように努力し続けるのが普通の考えです。嫌われてもいいや・・ではダメ。

barutokai
質問者

お礼

回答ありがとうございます

noname#205097
noname#205097
回答No.5

嫌われ者というのは弱い者に対してだけ意地悪をするような人間です。そんな奴が世の中ゴロゴロいます。そういう奴らに嫌われたって別に構わないと私は思ってしまいます。そういう人の機嫌をとるような胡麻すり野郎たちに好かれても心から嬉しくないですもん。 嫌いな人達に都合良く扱われて自尊心を傷つけられたくないからです。だから嫌う人には勝手気ままに嫌わせておくことにしています。

barutokai
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

  • gouzig
  • ベストアンサー率25% (536/2078)
回答No.4

とてもいい質問だと思います。 誰でも若い時はいろんな人に好かれたい、尊敬されたいと思います。 そのために、人に嫌われると自分に非があるのだろうと考えてしまいますね。 しかし、自分に非がなくても嫌ってくる人はいるのです。 例えば、背が高い・ハンサム・可愛いなどというだけで嫌ってくる人もいます。 でも、そんな人を相手にしていたら体が幾つあっても足りなくなります。 ご質問にある「嫌われる勇気を持つ」のもいいのですが、勇気をもつのは疲れますよ。 私の生き方は「家を出ると出会う10人中8人は自分を嫌う、残りの2人が自分を好く」です。 その程度に考えておけばよいのです。 初めて出会った人から嫌われたら、そうかこの人は8人の中の1人だと軽く考えましょう。 そうすれば、毎日いやな思いをせずに自分が楽しく明るく行動できます。 私はこれで何十年も生きてきました。 友人もたくさんいますし、地域の方たちとも親しく楽しい人生ですよ。

barutokai
質問者

お礼

回答ありがとうございます 合理的で体験談から基づいた回答感謝します

  • oignies
  • ベストアンサー率20% (673/3354)
回答No.3

人付き合いで悩んでいた時にかけてもらった言葉で、10人いればよく思う人もいれば悪く思う人もいる、というものがあります。往々にして悪口をいうひとは悪口で盛り上がったりいやがらせをかんがえたりなどしていてめだつのですが、このましいとおもっているひとは、心の中で思っているだけでめだたないが存在する場合があるのだとそのときかんじました。 誰にでもすかれるというのは、その裏返しでいえば、不可能だしそうしようとするのは不毛だということです。質問者様の言うことと同じことなのかもしれませんが。 嫌いな場合にもいいおとなは特に日本人はそれを表面にださないのがふつうです。ある程度成功するひとはみなそうです。そのように考えれば、ささいなことをねにもつなどして敵意むきだしになるひとは、一般のひとからみると幼いとおもえるはずで、そのように考えれば、多少は、うけながせるのではないでしょうか。

barutokai
質問者

お礼

回答ありがとうございます

回答No.2

こんにちは 最初から全ての人間はお互いを嫌っています。本来全て敵 その中で生活や子孫繁栄の為の必要最低限の居場所を確保して生きているのです。 嫌われても平気なのはそれだけの生活の場が確保された!!生きていけるあかしではないでしょうか?

barutokai
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 なるほど面白い考え方ですね!

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