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江戸時代のような飢饉が起こらないのは偶然?
昔は天候の悪化とかで飢饉、餓死者がでる...というようなことを歴史の時間に学びましたが、今これが起こらないのは偶然ですか? 歴史マンガを読んでいてふと思いました。なぜ? 少なくとも私が生まれてからはタイ米騒動以来、食べ物に困ったなんていう記憶は全くございません。。。
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江戸時代の飢饉には、寒冷気候・農業技術の未発達以外にも、経済問題が大きく関わっています。 当時の経済は、国家的規模での流通は存在しましたが、国家としての経済政策は持ち合わせていませんでした。 各藩の独自の政策により、米中心の経済運営が行われていたため、歳出を図るために当年の予測収穫量により、年貢米の先物取引が行われるようになりました。早い話、当年の予測収穫量を抵当に入れる形で借金財政が行われ、その利息が一層藩財政を苦しくしました。農民は搾り取られ尽くしても尚絞られる苦境に置かれていました。そうした中での収穫減は、まさに庶民を直撃したのです。 生産地では食糧不足に苦しむ反面、江戸や大坂には米が集中し、大量の米が酒の醸造に回されています。『江戸っ子は宵越しの金は持たねー』などと粋がっていたのは、米中心の藩財政の失敗が最大要因です。 現代は経済の基本が米を離れ、鉱工業や商業、金融に依存するようになって居ます。 その代わり、国の経済運営は政府に一任され(国会の承認は必要ですが、事実上は与党の思いのまま)、大企業が自らの利益を図るために深く介入しています。だから国債発行高が急増し、国民は生まれながらにして借金を背負う羽目になりました。 現代型の飢饉が、非正規雇用の拡大という形で襲い掛かってきています。
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- raiden787
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>気候って長い目で 「サイクル」 のようなものが存在するのでしょうか。 します。 ただ、気候の周期にはばらつきがあるので明確にいつから暖かくなり、いつから寒くなるとはっきりと言い切るのは難しいようです。 サイクルを生み出す原因の1つとして考えられることに、太陽からのエネルギー量の変動が考えられています。 地球の気候は太陽からの放出エネルギーによって変化します。 そして太陽から放出されるエネルギーの量には波があり、ある程度の周期で増えたり減ったりします。 波がある理由としては太陽の中心での核融合反応のぶれが太陽表面まで伝播する際にゆらぎを生み出しているからではないかと思います。 詳しくは「気候サイクル」で検索して見て下さい。
お礼
質問の趣旨からずれた回答まで付き合わせてしまいましたね。すみません。でも勉強になりました!! だとしたら温暖化って騒いでいるのもあまり意味ないのではと思いたくなっちゃいますよね。 寒冷期に入ってしまえば、太陽のエネルギーに比べたら音質ガスなんて微々たるものだと思うので。。
- chiha2525
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小氷期と呼ばれる、世界的に寒冷な時期であったことが原因と今では考えられています。 産業革命以降、一人あたりの生産量が20倍だったか100倍だったかに跳ね上がっており、すぐに飢饉に陥るということは無いでしょう。 ただ人間も動物であり、基本的に飢え死にする人数まで人口を増やそうとします。逆に言えば、気候の変動により多少変動するものの飢え死にする人は必ず出る、というのも事実です。 さらに飽食の時代と言われて久しいように、経済的に成功している国では、飢饉はもちろん餓死する人さえほとんど出ないでしょう。(例え他国で大規模な飢饉が発生したとしても・・)
お礼
改めて産業革命の影響力に驚かされてしまいます。
- eroero4649
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他の方が振れない重要な理由があります。それは「肥料、農薬の発達」です。19世紀頃から農薬と肥料が爆発的に発達しました。農薬で作物が病害や虫害に遭うことがかなりなくなりました。さらに、肥料の発達で収穫量が増えました。だから、収穫量が爆発的に増えたのです。 実は人類の人口が爆発的に増えたのは、20世紀になってからです。それだけ爆発的に人口が増えることができたのは、それだけの作物の収穫量があったからです。牛や豚を食べるにしても、エサとなる飼料が必要ですよね。飼料用のトウモロコシなどが大量に用意できるのも、トータルの意味で作物の収穫量が増えたからです。 そして、その収穫量が増えることが可能になったのも、農薬と肥料が発達したからです。 ところで農薬って時々殺人事件に使われたりしますよね。そう、農薬や肥料ってある種毒劇物でもあります。そして、その毒物を霧状にして噴霧する。・・・何かに似ていますよね。そう、毒ガスの技術と農薬や肥料の技術って化学的に非常に近いのです。フリッツ・ハーバーという人は、「化学兵器の父」と呼ばれる人物ですが、肥料技術を発展させた功績でノーベル化学賞も受賞しています。 なお、アフリカの最貧国や北朝鮮ではお金がなくて肥料や農薬を充分に買うことができないので、これらの国々では現在でも飢饉がしばしば起きています。
お礼
肥料や農薬なども関係があるのですね。。ちなみに農業技術の進歩や機械化(田植え機、コンバインなどの発達)などとの寄与の割合的にはどれくらいなものなのでしょうね。 ハーバってハーバーボッシュ法を確立した人ですよね。高校の時に勉強した記憶があります...本当にいろいろな技術の積み上げのたまものなのですね。勉強になります。
>昔は天候の悪化とかで飢饉、餓死者がでる...というようなことを歴史の時間に学びましたが、今これが起こらないのは偶然ですか? 天候による凶作と餓死者が多発する状態が重なって初めて飢饉と呼びます。 天候による凶作は天災です。餓死者の発生は人災すなわち為政者の手落ちです。 江戸時代は気象学的には寒冷期です。 凶作が頻発しました。しかし藩のよっては餓死者ゼロという藩もあれば村ごと消滅という藩もありました。 >食べ物に困ったなんていう記憶は全くございません。。。 70歳代以上の日本人であればだれもが鮮明な記憶を持っておられます。 下記のサイトをご参照ください 山口良忠 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/山口良忠 第2次世界大戦後の日本 - A50 www.a50.gr.jp/jp/2ndwar.html 配給制度と人々の暮らし - 特別企画展・イベント | 昭和館 www.showakan.go.jp/events/kikakuten/110723/ 日本人が凶作による餓死の恐怖から解放されたのは歴史的にはつい最近のことです。 偶然でもなんでもありません。 日々の努力の結果です。
お礼
ありがとうございます。農業、インフラ従事者の努力も知らずに、偶然なんて言ったら怒られてしまいますよね。
- DESTROY11
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インフラ整備が進んだことも大きいでしょう。 昔の飢饉は雨が少ないことによる水不足で作物が育たなくなることに原因が大きいです。 現在は大規模ダム等の水利インフラや水の融通により最低限の水需要は満たせるようになりました。 また、他の方もいうように、他地域からの食料調達手段も容易になり必要充分な量は確保できています。 今後も地球規模の異常気象が起きない限り先進国レベルなら食料不足は起きにくいでしょうね。
お礼
インフラって日々生活の中では何かが起きない限り(ライフラインの切断みたいな)当たりまえ過ぎて恩恵を感じにくいですが、それに携わっている技術者の方などには感謝しなければだめですね。
- princelilac
- ベストアンサー率24% (1618/6634)
(1)品種改良が進んで、寒冷地でも育つ作物が作られました。 (2)社会全体が豊かになった。 この(2)番の理由の方が大きいように思います。つまり、工業、商業によって経済が発達し、それによって国内で相互援助ができるようになりました。江戸時代の頃は、農業が打撃を受けると、他の分野まで大きな影響がでたのですが、現在は農業の損失を補うだけの備えができるようになりました。つまり公金(税金)による支援をしても、被災地以外の人達が出費の痛みを感じないほど、日本全体が豊かになったのです。 ただ、日本は食糧自給率が低いため、寒冷化などの世界的な食糧難に陥ったら、真っ先に餓死の危機が迫ってきます。いくらお金があっても、食糧の絶対量が少ないなら、生産地の農民が自分達の分を確保するのがやっとで、売りに出されなくなるからです。温暖化は日本にとっては歓迎すべきことだと言えます。
お礼
ありがとうございます。温暖化が日本にとっては歓迎すべき現象だなんて初めて聞きました...
- あずき なな(@azuki-7)
- ベストアンサー率16% (1963/11745)
今は貨幣経済 飢饉になっても最悪外国から食物を買えます それに備蓄も豊富にあります 2~3年の飢饉なら現代は耐えしのげるようです
お礼
ありがとうございます。 そもそも貨幣経済の反対後は何??? そうじゃない時代は年貢でしたよね。確か。。。 べんきょうぶそくですみません!!
- ithi
- ベストアンサー率20% (1972/9601)
Paltaro さん、こんにちわ。 そのため農林省は冷害や干ばつに強いコメの品種改良や備蓄米制度を整備しました。だから、今のところ、食糧不足にならないようなっているのです。
お礼
へぇコメの品種改良でもそういった事態を防げるのですね。勉強になります。
- phj
- ベストアンサー率52% (2344/4489)
現代でも飢餓・飢饉といのは経済問題なのです。 江戸時代の飢饉のときも、備蓄米や全国の米の生産高からすれば、余裕はあったのです。 しかし、藩財政が逼迫していた津軽藩や仙台藩などは、飢饉の前年までに備蓄米を供出させるなどしていて、飢饉の際に配る米がなく、また藩財政も逼迫していたので、米の不作による米相場の高尚と、藩札の下落で思うように米を買い入れることができず、餓死者を増大させたといわれています。 しかし、逆に米沢藩や白川藩は飢饉に備えて麦作を奨励したり、豪農からの寄付や倹約令で乗り切ったりしたといわれています。 江戸時代の日本はすでに貨幣経済ですから、金に余裕があれば餓死者は出なかったといえます。 現代の日本においては、たとえ米が少なくなってもほかに食べる食品はたくさんあります。小麦などはほぼ100%輸入ですから、日本国内よりも米国や豪州の不作のほうがよほど影響します。ただし、その場合も小麦粉の価格が上がる、パンの価格が上がる、という図式で他の地域の小麦粉の輸入や国内産小麦の採算性の向上などで、供給量はそれなりに維持されます。 日本のような金持ちの国では、全世界同時不況でないかぎり、飢饉はありえません。 いま世界中でおきている飢餓も「軍事政権が独占的に富を収奪するため」とか「紛争で食糧輸送ができないため(もちろん買う金を作るための仕事もできません)」などがあります。 北朝鮮などは食糧援助しても住民に届くのは3割程度と言われていますので、いくら大量に援助しても軍部を肥やすだけ、と言われています。
お礼
う~ん。考えさせられますね。やはり日本が金持という恩恵はこういうところにも。。 逆に、北朝鮮のように貧しい国であれば...なんかかわいそうですね。
- 0fool0
- ベストアンサー率18% (134/738)
現代では農業技術が格段に進歩している事と、化石燃料の使用により大量生産が可能になっている事、更に人口増加が止まっている事等が考えられます。(先進国においてですが) それと江戸時代に飢饉が酷かった理由の一つが、換金作物である稲作に拘りすぎた為という側面もあります。 東北等のギリギリ稲作可能な気候の地域は、少しの冷害で大きく米の取れ高が落ち込んでしまいますので、その影響で更に飢饉が悪化したという事が言えます。 藤原三代の頃の東北は山菜の種類も多く、今より植生が豊かだったという話もありますし、縄文期には栗・胡桃等の気候に適した食料の栽培も行われていました。
お礼
ん、やはり農業技術の進歩はあるんですね。クボタ&ヤンマー様様ですね。ありがとうございます。
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お礼
私ここで初めて気づいたのですが、 気候って長い目で 「サイクル」 のようなものが存在するのでしょうか。江戸時代が寒冷気候だったなんて初めて知りました。 温暖化なんていわれて久しい今も数十年後くらいには同じサイクルに入ってしまうのでしょうか? >経済の基本が米を離れ、鉱工業や商業、金融に依存 なんかガツンときました。改めてそこまで米に依存していたのかと...江戸時代といっても後ろからは200年ちょっと前の話なのにね。。。 まぁそれはそうとして...そうですよね「現代型の飢饉」…どこかしら歪みは生じますよね。。考えさせられます。