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なまり
バドミントン部の時、数日休むとなまりを感じた覚えがあります。 ギターを弾いていた時数日休むとなまりを感じた覚えがあります。 例えば1+1の回答は普段勉強なんかしなくても解けますよね。 これはどういう事ですか? 完全に記憶した物はなまらないという事ですか? 芸術はどうですか?芸術のセンスがある。色のセンスがある。 センスという言葉がありますが、 センスもなまりますか?
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こんにちは。 なまりというものは‘神経回路網の強度における劣化‘という風に解釈していいと私は考えます。難易度が高いほど劣化しやすく、低いほど保持できるものだと思います。また、種として普遍的なものほど回路網におけるそもそもの強度が強く劣化しにくいと言えそうです。 バドミントンやギターの例は1+1に比べて、種としての人間にとって共通に難易度が高く同時に多様性の意味合いが強いもの(普遍性の意味合いが低い、つまり個人差の意味合いが入り込む余地が大きい)で、そういうことで劣化しやすいといえるのではないでしょうか。 芸術のセンスに類することは才能のある人ほど先天的な強度と質が高く劣化もしにくいのだろうと思います。
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- kurinal
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rakurakutokeru様、こんばんは。 知らずに?蓄積していた「疲れ」を取る、 というのも、あるとか。
- raiden787
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これは哲学ではなく生物学の問題かと思います。 脳の可塑性の問題ですね。人間が何かをできるのは脳にそれを行う回路が形成されるからです。 日々熱心に練習するとその回路はますます洗練され、神経の繋がりが強くなって上達していきます。 でもその回路を使わないと神経の繋がりが弱くなって上手くできなくなります。 質問者さんはバドミントンやギターは常に自分の技術の限界を求めて行っていたのでしょう。すると僅かに回路の繋がりが弱くなっただけで明確に技術の低下を認識します。 でも例えば質問者さんがバドミントンもギターも適当にこなし、技術の向上も求めず、ごく気楽に行っているだけなら数日怠けてもなまりは感じないことかと思います。自分の限界を計測してないから下手くそになってても気付かないのです。 1+1についても同様。質問者さんが数学オリンピック優勝を狙って毎日猛烈に数学の勉強をしまくっていれば、数日怠けたら自分の計算能力になまりを覚えるようになりますよ。 極限の記録をもとめて作られたレーシングカーはほんのわずかな性能の低下でも明確に記録の低下として現れるので性能低下が分かりやすい。でも日常で使ってる乗用車はよほど劣化しない限りは性能の低下にはまず気付きません。 限界性能を発揮する機会がないですからね。 そう言う感じです。
- a_hona
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絵はなまります。自転車はなまらないですね。しかし、スポーツサイクルをしている方はなまると思います。磨きをかけているものはなまるということではないでしょうか。
- 0fool0
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1+1もなまります。 ただ、差を感じるほどに脳を酷使する必要が無いから、通常では感じません。 例えばこれが単純であっても、百マス計算ほどにもっと大量な計算であれば、日々の鍛錬の差が出ます。 センスと言うモノは、先天的な特質に繋がるものですから、そもそも無い人と比べれば失われにくいかもしれませんが、使わない機能は例外無くその効力(センス)は減少して行きます。
芸術とか勉強は頭で考えるから忘れることがあっても、なまらない。 でも、運動や音楽とかは感覚や身体でやるものですよね。 だから、なまるのです。運動の場合は体力が落ちて思ったように 動かないとかあるわけです。ギターの場合は感覚が鈍ったりするので 自分の思うように引けなかったりするんです。 頭で考えることは忘れても覚えなおせばいい。自分で気づけばだが。 体力や感覚のほうは以外と気づかない。 頭の中に昔の記憶で残ってるためにそれを計算に入れないのが、なまりの原因。 芸術は頭で考えると言ったけど。選ぶのは頭で考えているので なまったときは年を考えたほうがいい。
お礼
大変参考になりました。ありがとうござました。