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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:『スッタニパータ』五章「序」「結語」の編纂意図)
『スッタニパータ』五章「序」「結語」の編纂意図とは?
このQ&Aのポイント
- 『スッタニパータ』五章の「序」と「結語」の扱いについて、異なる解釈があるようです。
- 一部の訳や解説では、五章は四章を通して読むことを重視されており、序と結語の役割は薄いとされています。
- しかし、序と結語には二つの意図が想定されている可能性があります。一つは内容の強調や経文の特定部分への注意喚起、もう一つは新しい視点の提起です。皆さんのご意見や関連研究もお待ちしています。
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noname#195588
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noname#195588
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- NemurinekoNya
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- mmky
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noname#195588
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noname#195588
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- NemurinekoNya
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お礼
何度もありがとうございます。お礼が遅くなって大変失礼をいたしました。 実は『新アジア仏教史』シリーズは買おうかどうか迷ってる本です。なんか内容的にはよさげですね。 >>肉親の仏陀より教法を重視 確かにこの傾向については、中村元師も指摘してますね。中村師はその傾向からいわゆる仏身論の「法身」の考え方が生まれ、大乗の十方の諸仏が生まれたと考えているみたいですね。(『中村元選集[決定版]第十二巻ゴータマ・ブッタII』P344、P480) >>しかし本来、釈尊に直接して教えを受けている人びとにとっては、教えよりも釈尊その人を目のあたりにすることの方が大切であったはずである。 そうですね。ただ、肉身(仏身論ではいわゆる応身ですかね)のお釈迦様を重視する傾向は仏舎利崇拝の方に受け継がれるようですね。確か『マハーヴァンサ(大史)』のなかにも、スリランカに仏教を伝えたマヒンダ長老は当時のデーヴァ―ナンピヤティッサ王に 「スリランカに来てから、ブッダ(お釈迦様)に会えなくてさびしいよう」 ということを言うと、王様が 「いやいや、ブッダはもう死んで何百年もたってるでしょ?会えないってどういう意味?」 とその旨を問いただすと、マヒンダ長老は 「遺骨を見ると、ブッダに会ったことになるんです。」 と答えていますからね。つまり、文中の「目の当たりにすることが大切だった」とは、お釈迦様在世当時も亡くなってからも同じだと思うんですよね。ですから、釈尊に会うことが当時の人たちにっとってどのような意味があったかということが重要なように思います。 >>釈尊よりもその教えを重要視し永遠の法として受け止めようとする傾向は、釈尊の存在感が薄れ始めたことを反映するものと思われる。『スッタニパータ』の終末では、老いて体力も気力も衰え、もはや釈尊の許に赴くことのかなわなくなったピンギヤが、身はそのまま居ながらにして、眼で見るが如くに心で釈尊を常に見得ることを述べる。 たしかに、このピンキヤ尊者の問答そして結語は、問答集しかなかった時代においてもピンキヤ尊者の問答が結論であったでしょうし、「結語」が付け加えられてからもやはり結論はピンキヤ尊者が語ることであり、『スッタニパータ』としてみた時もやっぱりここが結論ですからね、重要度は高い部分ですね。 ただ、「釈尊よりもその教えを重要視し永遠の法として受け止めようとする傾向は、釈尊の存在感が薄れ始めたことを反映するものと思われる。」とはいうものの、文献学的なところでさかのぼりうるお釈迦様像ってここまでなんですよね。 神格化説論者の言うところの「肉身のお釈迦様に出会うことが、法身のお釈迦様(法と一体となったお釈迦様)に出会うという神格化」を遂げたという論法は、現代的思考に慣れている私たちの目には正しいように見えるわけですが、本当にそうなのでしょうか?この論法の矛盾点について、新田智通師は 何者かが「X化」されるということは、当然それ以前において「非X」であったということである。非Xが論法はそれがそれが相対的概念においてもちいられる場合ならば、アプリオリには問題を生じない。しかし、絶対的・永遠的存在に対してその論法をあてはめられたとき、Xが非Xであったということは、ただちにそのXの絶対性・永遠性の否定になるから、そのアプリオリな撞着語法となる。 (『シリーズ大乗仏教5仏と浄土大乗経典II』P88) つまり、「ただの人間であった肉身のお釈迦様(非X)が亡くなった後、法の重視から法と一体となった法身のお釈迦様(X)が想定されるようになった」という論法は、「法と一体ではないお釈迦様(非X)」を想定することであり、悟りを開く前のお釈迦様をそう呼ぶのならば問題ないのですが、悟りを開いた後のお釈迦様にまで適用しては、仏教においては致命的な理論矛盾が生じるようにおもいます。 また、『スッタニパータ』第五章においても学生ウパシーヴァの質問においてもい、 1074師が答えた「ウパシーヴァよ。たとえば強風に吹き飛ばされた火炎は滅びてしまって(火としては)数えられないように、そのように聖者は名称と身体から解脱して滅びてしまって、(存在する者としては)数えられないのである」 とあって、そもそも肉身(身体)としては想定できないというのが、お釈迦様に対する一つの認識であり、「結語」のピンキヤ尊者の言葉にも、法身のお釈迦様という考えにも、通底した考えであるとおもいます。原始経典の中から文献学的に抽出可能なお釈迦様は、肉身のお釈迦様ではなく、肉身でありながら法身のお釈迦様です。つまり、上述にある「釈尊を目の当たりにする」ということに意味は「パーラーヤナ」結語にも名前があがるヴァッカリ尊者に『サンユッタニーヤ』の中でお釈迦様がおっしゃった「法を見るものは私を見る、私を見るものは法を見る」という言葉が表すように、当時の人たちはそのように認識していたのではないでしょうか? また、今のような認識を踏み越えて、一人の人間(肉身)としてのお釈迦様を想定することについてレギナルド・レイ師は 象徴や崇拝、伝説と離れて無関係な。脱神話化された個人性という西洋的で近代的な概念は、初期仏教の真相とは全く関係ない。 (『シリーズ大乗仏教5仏と浄土大乗経典II』P92) と端的に述べています。また中村師も、 いわゆる〈仏教学〉なるものを捨ててかからねば『スッタニパータ』などのような最初期の仏教のすがたを伝える文献を理解することはできない。 (『中村元選集[決定版]第十二巻ゴータマ・ブッタII』P478~479) と述べるものの、レイ師の言葉を借りれば、「西洋的で近代的な概念」を捨ててかかることはできなかったのでしょう。つまり、「パーラーヤナ」を一つの経典として普通に読んだとき、私たち現代人が持ちがちな「肉身の仏陀より教法の重視」という考え方を、当時の編纂者たちは本当にそのように見ていたのか?それとも、そのようなことは意識しておらず、他の何かを伝えようとしていた結果我々にはそのように見えるだけではないのでしょうか?そのときに、当時の編纂者たちはどのようなことを伝えようとしていたんでしょうね?なかなか、その疑問が解決されません。 >>B.韻文経典 >>韻文経典は、最初の段階では三蔵に収録されていなかったのだから、四阿含のように律蔵をまとめた僧団によって編纂されたものではない。四阿含には韻文経典を批判する経典が収録されている。その経典は、将来、 「如来によって説かれた、甚深であり、甚深な意味の、出世間的な、空に関する経典」が聞き学ばれず、 ただ「詩人たちによって作られた、詩人の、さまざまな言葉、さまざま表現から成り、異端的な、弟子たちによって説かれた経典」が人気を博すことを予言し、そうならないように戒めている(『相応部』因縁品譬喩相応第七経「鼓輻経」)。この記述から、四阿含の系統から韻文経典が快く思われていなかったこと、それゆえに、韻文経典が四阿含に収録されずに斥けられたことを推測できる(ヴィンテルニッツ 一九七八、六一頁)。 これは初耳でした。確かに、『相応部』にそういった文言があったのは聞きかじっておりましたが、確かにそのように解釈できますね。ありがとうございます。やっぱり、この本買おう。 >>「わたくしはかれから離れて住んでいるのではないと思います」――この感懐は、禅における「相見せざるなし」という表現や、 >>また遠く跳ぶが、親鸞の「大悲無倦常照我」(『正信偈』)に通ずるものがある。 確かに「パーラーヤナ」を浄土教念仏の原初形態であるという研究をポール・ウイリアムズ師が『Mahāyāna Buddhism-The Doctrinal Foundations-』の中で指摘していますね。 >> <彼岸に至る道>をわたくしは読誦しましょう。 >>読誦しましょう? >>いや、ブッダが言ったことを暗唱したのだろう。たぶん。 まぁ、「パーラーヤナ」自体がヴェーダ学では「読誦」「読了」の意味で使われますから、文脈としては暗唱なんでしょうが、翻訳としては読誦なんでしょうね。翻訳の難しいところですな。 >>アングッタラ・ニカーヤのどこにあるのか >>見つけられなくて困ってます。 あれ、漢訳の方だけだったかな?それとも『雑阿含』かな?私たまに『増一』と『雑』間違えるんですよね。たしか、パーリの『増支部』だったはずなんですが、確か七集が『スッタニパータ』系の話のまとめでしたよね?そこの確か50経あたりだったと思うんですよね。 内容は、ナンダ尊者のママが朝早くから「パーラーヤナ」を唱えていると、そこに通りかかった神様が「あら、こんなところでお釈迦様の御言葉が聞けるなんてギザウレシス」といって、ナンダ尊者のママにおコメを大量にプレゼントします。そんで、そこに通りかかったサーリープッタ尊者とそのお弟子にナンダ尊者のママが「私ファンなんです。これどうぞ。」ってそのお米をお布施して、みたいな話だったはずです。 すいません、どの本で読んだのかうろ覚えで出てきません。間違ってたらすみません。 回答参考にさせていただきます。ありがとうございます。 合掌 南無阿弥陀佛