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スッタニパータ235に関して

中村 元訳「ブッダのことば」 235 古い(業)はすでに尽き、新しい(業)はもはや生じない。その心は本来の生存に執著することなく、種子をほろぼし、それが成長することを欲しないそれらの賢者は、灯火のように滅びる。このすぐれた宝が〈つどい〉のうちに存する。この真理によって幸せであれ。 今日では結婚しても自らの意思によって子を成さない男女も、非婚の男女も珍しくないでしょう。私の観るところ、これらの男女はスッタニパータ235でいう賢者の条件の一つを満たしていると判断します。さて、この判断はブッダの考えに適っていますか。何処かに考え違いがありますか。ブッダの思想に通じている方の説教を希望します。 よろしくお願いします。

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  • magga
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回答No.2

sono-higurashiさま、こんにちは。 「種子」は、この生命の死後に再び生まれる(次に輪廻する)業のポテンシャルのことと思います。 子供・子孫はここでは無関係と思いますよ。 子供がいる阿羅漢も多々いたでしょう。 ブッダもそうですしね。 ~生きとし生けるものが幸せであれ安穏であれ~

sono-higurashi
質問者

お礼

やはり、そうでしたか。 質問文に「何処かに考え違いがありますか。」と入れておいてよかったです。どうも怪しいと思っていました。 直ぐ締め切りたいです。原稿を準備されている方があってはいけないので18時までは締め切らずにおきます。 有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。

その他の回答 (1)

noname#91529
noname#91529
回答No.1

通じているというわけでは、ありませんが、凡人の立場からちょっと 「本題」が何かという立場からじっくり読む/ 仏教的「時」ということも考えに加味してみてください。 文脈を切り離して、素直に読むだけでも「滅びの賢者」 がどんな人たちか 想像が、つくような気もしますが。 賢者に対し、この文面から「条件」はないと思います。 飲み物の例をとってみましょう。 殺人事件があり、現場に残されたグラスの中に残っていた 液体を分析したところ、砂糖の成分が検出されました。 さて砂糖を成分として持つ液体と、この事件の関係性は、 どうでしょう。 結び付け方は、人それぞれでしょう。 もしかすると、砂糖はこの事件と関係するかもしれません。 関係しないという確立のほうが高いですが・・・。 結び付け方によります。 「ここ」すくい/「そこ」すくいの 分析的手法には、限界があります。 ここでは、解釈ということも入ってきますので・・・。 「説教」を聴く必要がないのでは? 自分で考えるべきです。

sono-higurashi
質問者

お礼

>>「説教」を聴く必要がないのでは? 自分で考えるべきです。<< 自分で決めてよいことは自分で決めます。私は訊きたいから訊きました。 大事なことが書かれているのかも知れませんが、文意が掴みきれませんでした。 有り難うございました。

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