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関西には、なぜ韓国と朝鮮の人が多いのですか?
「都道府県別統計ランキングで見る県民性」というサイトを見ると、以下のことが書いてありました。 人口100人あたり韓国・朝鮮人数が最も多いのは大阪府で1.40人。全国平均のおよそ3倍だ。以下、京都府、兵庫県と関西が上位3県を占めている。関西には全在住者の4割にあたる22万人の韓国・朝鮮人が住んでいる。 関西が上位3県を占めていることが不思議に思いました。 何か歴史的な理由があるのでしょうか? すみませんが、お教えくださいますよう、お願いいたします。
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関西に在日朝鮮人・韓国人が多い理由は3つです。 第一に古代の渡来人が定住した土地が 近畿地方です。奈良の飛鳥地域を中心に 栄えた大和朝廷の豪族たちの3~4割が 渡来人でした。 第二に戦前・戦中・戦後と日本で最大の 経済地域は東京ではなくて大阪だったこと。 つまり朝鮮半島から仕事を求めてくる人は 必然的に大阪とその近辺に来ます。 (僕の住む地域で2カ所朝鮮人の集住地域が あります。1つは軍の秘密基地建設に1つは 河川工事にかり出された人たちの場所) 第三に当然ですが移住する人たちの多くは 親戚などのツテを頼りに来ますのでますます 近畿地方に集まることになりました。
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- Willyt
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関西というのは歴史的には過去少なくとも千年の間日本の中心であり、他所から人々が入り続けていた場所なのです。ですからこの地域に住む人達には余所者を受け入れる気質が千年の間育ち続けており、それは今でも続いているのです。ですから日韓併合後、職を求めて日本にやって来た朝鮮からの人達を毛嫌いせずに受け入れられたのはそのせいだったのです。日本人はおもてなし精神を持っていて大変余所者を受け入れるのが上手と思われていますが、実はそうではないのです。訪問者に対して暖かいもてなしはしても、いざその人達が棲み着くといろいろな差別的な扱いをする地方が殆どで、それは首都圏ですらそうなのです。ところが関西はそういうことが大変少ないのですよ。関西は朝鮮半島だけではなく、琉球が日本に併合されてから沖縄から関西へ移り住んだ人やその子孫が沢山住み続けています。そしてナチの迫害を逃れたユダヤ人やロシア革命で逃れた白系ロシア人も沢山いますよ。
お礼
ご回答、ありがとうございます。 関西には韓国や朝鮮のひとだけでなく、沖縄の人やユダヤ人や白系ロシア人とかいう人など、多くの人種の人が移り住んでいるのですね。 歴史的にそのような土壌があるのですね。 お教えいただきまして、ありがとうございます。
戦前戦後にかけて全国でも有数の都会だったからでしょう。それに比べると福岡、北九州など、まだまだ規模が小さかったです。土地をもたないそとものが自力で業を起こして生活するには大都会が最適です。京都市はずっと革新の府でしたし、大阪も飾り気のないくだけた実業家の町ですから肌があったのだろうと思われます。東京圏は遠いし、気取った街が多いので棲みにくいのかもしれません。
お礼
ご回答、ありがとうございます。 戦前、戦後にかけて全国でも有数の都会だったので、仕事を求めて移住してきたのですね。 土地を持たないで生活するのは、大都会が最適だったのですね。 いろいろお教えいただき、ありがとうございます。
- toshipee
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DNAで考えたら、小さい話だよそれ。
お礼
ご回答、ありがとうございます。
- dogday
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朝鮮渡来人の多くが職能としてやってきたので、物流上、京都郊外にしか仕事がなかったのです。 元来の土地を持ってないのだから小作農はできないし、人がいないと製品は売れない、遠くからは沢山運べない。 朝鮮人に屠殺食肉系の業種が多いのも、馬の手配と処理、武具になめし革の供給が必要だったから。まとまった武家がないと商売にならない。 で、一度集まると、そこにさらに集中する。中華街のように。差別ではなく区別するために互いにとって都合がいい。それが部落になります。 まあ、もともと縄文時代から、渡来人は福岡から上陸して瀬戸内海沿岸を耕作拡大し、大阪の湿地で土着して、琵琶湖より東は高野山延暦寺ができるくらい、田んぼに不向きな山岳地帯なので、あまり移住していません。 平安時代まで、東国はもののけ姫みたいな世界で、征夷大将軍とか軍隊が必要だった位で、日本とは西日本、四国、九州が国土のほとんどであり、 もののけ姫のとおりに、鉄器をつくるため森林伐採と開墾して、土地を持たない渡来人の鋳物師が全国広がっていき、鉄器の普及で開墾が加速し、農具や武家の供給に、馬や牛飼い、革職人や織物職人がついてくるみたいな日本地図の拡大をしました。
お礼
ご回答、ありがとうございます。 一度集まると、そこの集中するのですね。 平安時代までは、関東はもののけ姫みたいな世界だったのですね。 いろいろお教えいただき、ありがとうございます。
- mukaiyama
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大正12 (1923) 年に済州島-大阪間に定期航路が開かれ、それまでの釜山-下関航路に比べて渡航が容易になったからです。 済州島は半島に比べて生産性が低く、多くの人々は働き口を外へ求めたようです。 今でも大阪市生野区には、特に済州島出身者の子孫が多いそうです。
お礼
ご回答、ありがとうございます。 済州島と大阪に定期航路がひらかれて交通が便利になったのですね。 済州島というところは、働く口のない貧しい島だったので、職を求めて日本に来たのでしょうか。 いろいろお教えいただき、ありがとうございました。
- kusirosi
- ベストアンサー率32% (2838/8859)
古代日本では、 中国大陸、朝鮮半島から 多くの渡来人が日本列島に移住し、文明をもたらしました。 特に、飛鳥時代には百済(現在の韓国東部)の滅亡により 多くの亡命貴族一門が日本を頼って渡来し、現在の関西各地 に広まりました。
お礼
ご回答、ありがとうございます。 古代から、朝鮮半島から渡来人が関西各地にやってきていたのですね。 お教えいただきありがとうございました。
- あずき なな(@azuki-7)
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渡来人技術者が都があった関西(京都・奈良・大阪)あたりに多く住んでいたからでしょう その子孫は今でも関西に根付いています
お礼
ご回答、ありがとうございます。
お礼
ご回答、ありがとうございます。 古代の渡来人が定住した土地が関西なのですね。 大和朝廷の豪族たちの3から4割が渡来人だったということは驚きました。 また、昔は経済の中心は東京ではなく大阪だったということも知りませんでした。 日本最大の経済地域だったので、仕事を求めて大阪にくるのは必然だと思います。 あとから移住してくる人たちは、先に移住した人のツテを頼りにくるので、さらに増えていったのですね。 いろいろお教えいただき、ありがとうございます。