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子どもが強く手を握る時…
先日、子ども達だけが参加出来るキャンプにボランティアとして参加しました。大学生の僕に子ども達はなつきます。1日目は不安もあったのか、慣れることが出来なかった小2の女の子が2日目、手を差し出してきたので、手を繋ぎました。ずっと手を繋ぎながら行動していたのですが、しばらく繋いでいると、手を『ギュッ』と強く握って来ました。その時に、『ギュッ』と握って来たことに心理学的に何か理由が有るのではないかと思い、質問させていただきました。 無ければそれで良いのですが(^_^;) その子は手を繋ぐと、安心感があったのか、落ち着きや、笑顔が増えていったので、良かったですが、手を繋いだ時の落ち着きというものも、心理学的にどのようなものなのか、教えて下さると幸いです。 宜しくお願い致しますm(__)m
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お礼をいただいていたのに ご無沙汰してすみません、No.7、8です。 回答を読み返してみると無駄に説明調で、お恥ずかしい限りです。 時間が経った今、読み返してみると「ここはもっと短くまとめられたな」とか、「ここの語句はいらなかったな」と思えるのですが、そのときは書き上げようという気持ちばかりが先走って、近視眼的に全体が見えなくなってしまっていたんですね。 そんな文章でも返信が楽しみだと言っていただけて素直に嬉しいです。 どうもありがとうございます。 回答に関しては、自分では書き尽くせたと思っていたのですが、ご要望にお応えして今一度、投稿させていただきます。 _______ >僕は20歳になるまでは大人だと思っていませんので、19歳で未だ子どもの立場の気分で居ますが、子どもながら子どもを支える立場に居る事が、良いものだと感じています。 位置づけとしては大人側なので、大人として居るつもりですが、心の中では大人と言われると「まだ子供だし」と否定している自分も居ます(笑) どちらにしても、子どもに大人には頼っていいんだよという事を感じさせ、より安心して居て貰いたいです。 子供の心が分り、そして子供を守ることができる立場にいる今という時期は貴重な時代ですね。親よりもずっと年齢が近くて子供の心が残っているので、同じ目線になって話が出来て、そして、同年代の子供たちよりもずっと大人で…。 子どもにとって、学生さんは良いとこ取りに見えるものなんじゃないかなと。 私が小学生の頃は、セーラー服姿(当時の制服はセーラー服が主流でブレザーはあまりなかったです)の高校生のお姉さんたちを見掛けると、「格好良いなぁ」と憧れみたいな感情を持っていましたし、教育実習生の若い先生も、お兄さんみたいで「格好良いなぁ」と思っていました。 子どもの頃は、そんな学生さんたちを見て「私にもあんなお兄さんやお姉さんがいたら良いな」とか、「いつか、あんな風になれるかな」と、そんな風に感じていたんだろうと思います。 >授業で、教育者としても愛着を築くことは必要だと言っていましたので、愛着を築くのは親だけではないという事ですね。 はい、そう思います。 核家族化が進んで、地域の結びつきが薄れている今の時代は、社会全体が温かさを求められている時代になりました。 だからなのでしょう、モンスターペアレンツなんて言葉が誕生してしまったほど、教師には期待が重く伸し掛かっています。実家やご近所に頼ることが出来なくて、教師をカウンセラーのように頼る親が増えて社会問題化しているという話も聞きます。 世間では子供の不登校がよく問題になりますが、先生の不登校が増えたという話もありますしね。 どんな人にも良好な愛着関係は必要なんだと思います。 モンスターペアレンツというのは、親や親に代わるような人たちと良好な愛着関係が築けないまま大人になった人たちであり、氷山の一角じゃないかと考えています。 愛着というのは、思いやりに向かうものであり、むしり取るものではないと思うんですよね…。 >親から愛情を注がれるのって、本当に大切なものですよね。 僕も親から愛情を注がれ続けているので、しっかりとした子に育ったつもりです(笑) はい、私も未来の先生に期待したいと思います。 キャンプでの貴重な体験を生かして、全体像が見える先生を目指していただけたらと。 >親が子をキャンプに参加させようとしている時点で、それも親の子どもに対する「自立精神を向上させよう」という愛情ですからね。 そういう機会を上手に利用している段階で、かなり良い親御さんですね。 参加を決めたほとんどの親御さんは良い方なんだと思います。 心配し過ぎて子どもの自主性を摘み取る親御さんとか、逆に先天的な障害がある子に無理に集団生活に慣らせようとする親御さんだとか、愛情からだというのは理解できますが、さじ加減の難しさがあります。一番大切なのは「子どもの気持ち」なんですよね。 親が心配に思っていても子供に意欲があるのなら参加させてあげて欲しいし、逆に子どもの恐怖心や不安が強いのなら、無理矢理参加させないであげて欲しいです。 親がどう感じていても、「その子がそうしたいと心から思うなら、それがその子の最適な時期」なんだと思います。 >子ども的には、いくつもの居場所を確保しておきたいという事なのでしょうか!? 居場所が無くなったら、どうしようもないですからね。 心の中に安全基地を作る感覚ですね。 空想じゃなくて現実に一回でも持てたなら、そう簡単にペシャンコにはならないし、大人になってペシャンコになったと思っても、ちゃんと立ち直れる人になることができると思います。 >担任の先生に注がれた愛情の大きさは計り知れないものだったのではないかと、話を伺って感じました。 そういう先生になりたいですね、僕も。 体験談を話すのは結構照れ臭いものなのですが、そう言っていただけると、こちらとしては嬉しい限りです。 >先生、本当に喜んでいました。退職なのにおばちゃんっぽさを全く感じなかったんですよね。お世話になった時と同じ若々しい姿で、会った瞬間名前を呼びながら抱きついてきました。 ご質問者は先生思いの優しい生徒さんだったんですね。 先生の感激も ひとしおだったのでしょうね。 良いなぁ、私もそういう再会がしたいです。 先生にガッカリされたらどうしよう…なんてことも思ったりしますが、でも、会えるものなら会いたいし、そう思うと言葉ばかりじゃなくて、もっとちゃんとした大人になりたいなと思います。 私は、ご質問者が仰るように立派じゃないですけれど、不思議と子供が真っ直ぐに育ってくれているので、私の存在にも意義はあるんだろうなって。 そうですね…そうやって考えると、私が人並みに結婚出来たり子供を授かったのも先生の御蔭なのかも。私に最初に自信を授けてくださったのも、困難に立ち向かおうという気持ちを授けてくださったのも先生ですから。 今も複雑な感情はあるものの、両親は両親で、それぞれの役目を果たしてくれましたし恩も感じています。しかし、自分を信じること、人を信じることの大切さを教えてくれた最初の人は先生なんです。最初の友達のことを今でも懐かしく大切に思うように、何でも最初というのは忘れられないものですね。私からは言っていないので、向こうは自分たちが最初だとは知らないと思いますけれども。 教師を目指していらっしゃるご質問者は、誰かの心の中に明かりを灯すことが出来る立場に進もうとなさっているということですね。けれども、女の子のことや恩師のお話から、もう既に灯していらっしゃるんだなって思いました。 私は「手をつなぐということは、心の中に明かりを灯すこと、共に歩むこと、先を照らすこと」でもあると思います。 ~長らくお付き合いいただき、また、数々の 心温まる体験談を聞かせてくださって ありがとうございました ヾ(´ー`*)
(No.7の続きです。) 母とは途中から愛着が上手く築けなくなって、ギクシャクしてしまったけれど、先生と良い形で築けたことは、私の人生の中の宝物の一つだと思います。 小1のときに、いつも私を守っていてくれていた友達もです。 二人は私には見返りを何も求めずに、ただ信じるということをしてくれたし、愛情を示してくれました。 二人がいなかったら、私は人間不信に陥っていたかもしれないし、母のことも許せずにいたかもしれません。 そこまでの恩義を感じていながら、皆が皆、引っ越しの多い環境にいたので、私は二人が今どこでどんな生活をしているのかわかりません。 だから、恩を得たのに未だに返せずにいます。 人生のごく初期の頃に躓きを感じ、生きる意味が解らなくなるという、一歩間違えば絶望に追いやられるところにいたときに私を助けてくれた二人。 十代になるよりもまだ早い、「幼いうちに人を信頼することの意味」を教えてくれた二人の存在は私には大きな宝物です。 そして、二人とはもう少し後で出会った、最初の回答でお話した看護師さんとのことも…。 誰かに信じられることも誰かに助けられることも、自分の存在価値を見出すことになり、それは自尊感情や自信に繋がります。 誰かから信じられたから、自分も人を信じることができるようになるし、誰かに助けられたから、自分も人を助けることが出来るようになる。 人とは、そういうものだと思います。 信じることも助けることも知恵と同じで、授けられるということ、自分で感じるということを経験しないと、自分もまた誰かに授けることが出来ないものだと思います。 ______ ご質問者がこの時期にこういったご質問をしたのは、ご質問者も女の子と同じように、新年度に向けて不安があったから、お互いの優しさに共感したのではないでしょうか。 >その後、僕から何度もその子に対して、「また同じグループになれるといいね」と言いました(笑) 僕もその子の成長していく姿を近くで見たいので・・・(*^^)v 子供は純粋ですし、ひたむきですから、大人でも学ぶことはたくさんありますよね。 子どもは、こちらが年齢を重ねるうちに忘れてしまったことを気付かせてくれるし、子どもが褒めてくれるときも、慕ってくれるときも、お世辞じゃないので、こちらは本当に嬉しいですよね。 その子だけではなく、ご質問者もまたその子から自信や信頼感をもらったということですね。 途中でネガティブな記憶について書いてしまいましたが、ご質問もご返信もポジティブな内容でしたので、ここには書き切っていませんが自然とポジティブな記憶の方が多く思い出されたのは、自分でも驚きです。 例えるなら、残っていた瘡蓋が綺麗になったみたいな感覚です。 長々となってしまいましたが、 何度もお付き合いいただき、ありがとうございました。<(_ _)>
お礼をありがとうございます、No.6です。 返信を頂いていたのに、返答が遅れてすみません。 更に申し訳ないことに文字数制限内に収められなかったので、投稿は二回に分けました。 _____ >あ~そういうの有るみたいですね。子どもが憧れの先生を好きになるっていうこと・・・。 >「あと10年経ってまだ好きだったら、その時にまた言ってよ」とか答えるんですかね!?(笑) 微笑ましくて、良いですね。もし告白されたら、それで行きましょう^^ 昨夜、ご質問を読み返していて初めて気が付いたのですが、ご質問者がキャンプに参加した時期は、春休み開け前後の辺りですよね。ご質問者は、その小2の女の子との遣り取りが、印象に残ったご様子ですが、それは、この時期ならではの緊張感が影響していたのではないでしょうか。 この時期の子供たちは、新年度のクラス替えで環境が変わることで、良い意味でも悪い意味でもストレスを感じています。なんとなく舞い上がったり、不安になったりと、ソワソワとして、普段よりも気分の浮き沈みが大きくなってしまう時期です。こういった時期にキャンプに参加するのは、いつもより期待も不安も大きくなるものだと思います。 子どもたちがキャンプに参加することで、普段ならあまり関わることのない子や見知らぬ子、大人や学生さんと関わりを持ち、連帯感や共通の目的意識を持って参加することは、新年度の学校生活に向けての予行演習にもなったと思います。子どもは子どもなりに、自分に役目があること、誰かの役に立てることは嬉しいことですし、共同生活の中で親しい友人が出来ることは、いっそうの喜びと自信に繋がります。 それは大人も同じことで、子供のひたむきな姿には大人も心が揺さぶられますし、子供は子供で困ったときには親以外の大人を頼っても良いんだということを肌で感じる機会を持てたということは、今後の進学や就職にもプラスの意味で影響を与えることになったと思います。 >愛着・・・アタッチメントというようなものですか!? 御見それしました! 流石は小学校教諭を目指されている学生さんです。 恥ずかしながら、ご指摘を受けて調べてみたのですが、心理学でいう『愛着』とは『アタッチメント』の和訳だったんですね。勉強させていただきました。 話は逸れてしまいますが、『マズローの欲求5段階説』を回答中に引き合いに出したときは釈迦に説法ではと悩みながら書いていたのですが、興味ある話だと言っていただけて良かったです。 あれは人間のあるべき姿について書かれているようで、納得したり、耳が痛くなるようなことも触れていたりで、心理学と言いつつも哲学のようですね。 前回『愛着』という表現を使ったのには、小2の女の子の行動に対する率直な感想でもあったのですが、近頃、『愛着障害』という言葉を巷でちらほら聞くようになったので、『愛着』とは何も母子だけが築くものではなくて、父子や年長者と幼い子供の間でも、育むことができるのではないかという思いもあったからです。 子どもは褒められて伸びると言いますが、幼い子ほど褒められて伸びるものなのに、普段から両親が厳しかったり忙しかったりで、あまり構ってもらう機会がない子の場合、親から叱られることはあっても褒られる機会は少ないのでは?と思います。努力の積み重ねで出来たことでも「出来て当たり前」と親は思っていたり、年齢以上の高いレベルを求めていたりで、普段から萎縮気味の子は意外と多いと思います。 親からしっかりと愛を注がれ、子どもと親の間に健全な愛着関係が構築されることは望ましいことですが、親とはまた違う、保護者的な立場の人たちから愛されることも、子供には大切なことだと思うのです。 親も人間ですから、不完全な面やバランスの悪い面を持っていたり、露骨に出してしまうことがあったりと、子供が求めている愛情とはズレが生じてしまっていることがあります。 だから子供には、家庭の外にも誰か自分よりも大きくて、子供の気持ちも分かる人、そんな存在が必要な時期があるんですよね。親に愛されてすくすく育つのが理想的ですが、誰もが家庭に恵まれている訳ではないし、誰もが親と良好な関係であるとも限りません。ですから、学校の先生や同じ町内の大人たち、サークルやボランティア活動で子供たちと関わる学生さんや社会人が、ときには養育者に変わる大きな役割を持つこともあります。 ________ 自分のことでネガティブな話から始まるので申し訳ないのですが、自身の問題と子だくさんの家に生まれた子の宿命か、幼い頃の私は母親からはお荷物扱いされていたので、幼稚園の年長の頃には母親から見捨てられたと感じていました。 二年保育が一般的だった時代に周囲より入園が一年遅れた幼稚園では、最初から仲良しグループが出来上がっていたので中々輪に入れずにいたし、みんなより遅れて入った私には園のルールがよく理解できていなかったのも良くなかったです。私は完全に浮いていました。 その後の小学校も、殆どがその幼稚園の出身の子ばかりだったのですが、そこでも私は浮いていて、どちらも通うのが苦痛でした。 小1の頃は、そんな風に周りに馴染めずにいる私のことを守ってくれる女の子の友達が一人いて(その子は幼稚園のときはいじめっ子のグループにいたのですが、小1のクラスで再会したとき、私を見るなり謝り「友達になろう」と言ってくれたのです)、友達の言葉に偽りはなく、休み時間も一緒に楽しく過ごしたし、何かと絡んで来る子を追い払ってくれたりと、親身になってくれたので今でもとても、その友達には感謝していますが、2年に進級したときにクラス替えになって、その友達とは離れ離れになってしまいました。 新しいクラスでは番長みたいな子に目を付けられ、その子が何かにつけては家来を引き連れて難癖をつけてくるのでお先真っ暗だったし、家にいれば家の中は両親の夫婦げんかの嵐で…。 子どもの力だけで環境を変えるのは難しく、だからこそ環境というものが子供の心に与える影響は大きく、 「学校でも家でも嫌なことだらけなのに、私は、いったい何の為に生きているんだろう? こんな辛い日々は、いったい、いつになったら終わるんだろう」と誰にも言えずに暗い日々を送っていました。 けれども、3年生の時の担任の先生がとても良い人で…。 どんよりした曇り空の切れ間から、突然現れた太陽みたいに心の中を照らしてくれた若い女の先生でした(私は女性なので、先生は初恋の人にはなりませんでしたが、私が男性だったら先生は初恋の人になっていたのかもしれません)。 最初の印象は、唯々厳格で、ハイジに出てくるロッテンマイヤーさんみたいに怖い人というものだったのですが、それまでの担任の先生とは違って、いじめの背景に何があるのか見極めようと努め、人を色眼鏡で見たりしない、厳しい中にも愛がある先生だったんです。 先生がこちらを叱るのはヒステリーではなくて、そこにはちゃんとした理由があり道徳があったから、私は先生を信頼してついて行くことが出来たし、担任が違うというだけで学校生活はこんなにも違うものになるんだと、しみじみ思いました。 いじめそのものが根絶したということはなかったけれど、陰でコソコソやる子は激減したし、何よりも先生が見守ってくれているという安心感は、私に情緒の安定をもたらし、ずっと悲惨だった私の通知表も、その先生になった途端、人に見せられるまでの成績になったんです。 母からは「馬鹿」と呼ばれ、こんなにもしょっちゅう言われるぐらいだから「わたしはきっと世界で一番馬鹿なんだ」と、4,5歳の頃にはもう幼児特有の万能感とは無縁になっていた私だったのですが、担任の先生が同級生のいじめから私を守り、私を馬鹿にしていた子の前では「○○さん(=私のこと)は、馬鹿じゃありませんよ」と毅然と仰ってくれたことが、萎縮していた能力を上げる大きな切っ掛けになっていました。 子どもは信じてくれる人がいたら応えたくなるし、それだけで成長できるものなんですよね。それまでは無理と思っていたことが無理じゃなくなったんです。 先生は叱るときも きっぱりとしていて叱り方が上手なら、一人一人の良いところを見つけて褒めることも上手で、変な計算みたいなものを感じさせない方だったんです。「仕向けるのではなく、心から思い、率直に言っている」という感覚が力強く伝わって来るので、言葉がすっと心に届いたんです。 私は家ですることと同じことをしていただけなのに、先生は私の良いところを見つけて、たくさん褒めてくださいました。 当時は、周囲からの刺さる言葉は私には呪いになっていたけれど、先生の褒め言葉は呪いを跳ね返す魔法のような力を持っていました。言葉は心の中で反芻すれば自己暗示となりますが、相反する言葉が同時に投げ掛けられたとき、自分が信頼している人の言葉が勝っていました。 我が身を斬り付けるような自己暗示は気力も能力も奪い去る恐ろしいものであったけれど、心から信じられる人がいるだけで、守られているという安心感があるだけで、心の回復も成長も全く違っていたのです。
お礼
いつも返信して下さるのを楽しみにしています! こういった内容で長文を読むのが好きですので、嬉しくて仕方ないです(笑) 告白された事が無いので、告白されたら子ども相手でも恐らく焦るでしょう・・・(笑) 大人としての対応を出来るようにしたいです。 そうですね、時期も春休み中でしたし、そういったものの関係した緊張感もあるでしょうね。 個人的には、小学生は学校の無い時期で、「休みだ~」って気分の方が強いと思いますが、少なからず、新年度に向けた意気込みと同時に不安もあると思いました。 確かに、子どもは、自分に役割が有ったりすると喜びますよね。 共同生活って大きな経験となりますよね。 >親以外の大人に頼っていいんだ 確かに、親や先生(学校や習い事)に頼ることは有りますが、大学生などの若い大人に頼る機会って無いですからね。僕は20歳になるまでは大人だと思っていませんので、19歳で未だ子どもの立場の気分で居ますが、子どもながら子どもを支える立場に居る事が、良いものだと感じています。 位置づけとしては大人側なので、大人として居るつもりですが、心の中では大人と言われると「まだ子供だし」と否定している自分も居ます(笑) どちらにしても、子どもに大人には頼っていいんだよという事を感じさせ、より安心して居て貰いたいです。 愛着はアタッチメント、習ったなぁという記憶だけで書いたので、正直、曖昧でしたが合っていたみたいで良かったです(^_^;) 授業で、教育者としても愛着を築くことは必要だと言っていましたので、愛着を築くのは親だけではないという事ですね。 やはり、褒める事って重要ですよね。褒められると自信になりますからね。 悪い事をしたときに叱るのも同じく、重要な事ですよね。 親から愛情を注がれるのって、本当に大切なものですよね。 僕も親から愛情を注がれ続けているので、しっかりとした子に育ったつもりです(笑) 親の愛情が欠けていても、キャンプのような機会で愛情を注がれれば、子どもも良い子に育ってくれると思っています。 ただ、愛情は積み重ねですし、親との信頼関係を築くことも必要ですから、キャンプだけでは物足りないですよね。 でも、親が子をキャンプに参加させようとしている時点で、それも親の子どもに対する「自立精神を向上させよう」という愛情ですからね。 >家庭の外にも誰か自分よりも大きくて、子どもの気持ちも分かる人が必要 子ども的には、いくつもの居場所を確保しておきたいという事なのでしょうか!? 居場所が無くなったら、どうしようもないですからね。 po-ria1さんも、苦労されてきたのですね。 子どもの頃に、親から見放されていると思ってしまうなんて、さぞかし辛いものだったでしょう。 担任の先生に注がれた愛情の大きさは計り知れないものだったのではないかと、話を伺って感じました。 そういう先生になりたいですね、僕も。 そういった形での子どもとしての初恋も、有り得る話なんでしょうね。 ロッテンマイヤーさんは分からなかったですが、調べたら何となく分かりました(笑) 第一印象が悪くても、良い人ってたくさん居ますからね。 担任の先生の影響って本当にすごいものなんですね。
No.5です。お礼をありがとうございます。 >「○○(僕の名前)と同じグループで良かった、また同じグループになれるといいね」という彼女の言葉にどういう意味が含まれていると感じますか!? これまでの回答と被りますが、それはきっと「信頼感」からの言葉でしょうね。 それと、信頼に応えて欲しいという「期待」も込められていたと思います。 女の子はご質問者からも、「そうだね、一緒のグループになれて良かった。また同じグループになれたら良いね」と、返事して欲しかったのじゃないかなぁと。 このときにはもう女の子は、ご質問者に愛着を持っていたんだと思います。 積極的、かつストレートに訊いているので、ご質問者も同じように自分に愛着を持ってくれたら良いなと考えていたし、幼いながらも期待通りの返事が来るという確信も、かなりあったんじゃないかなぁと。 幼いうちだと、男の子の初恋の人が幼稚園の若い女の先生っていうのがありますし、小学生の女の子が、教育実習に来た若い男の先生を好きになったりっていうのもありますよね。 あくまでも、お話を伺った印象ですけれども… その女の子は、ご質問者に淡い恋心を持っているのかもしれないですよ。 もしかすると初恋の人なんてことになっていたりするのかも。 だとしたら可愛いですけども、夢を壊さないようにって、 これまでとは、また違った責任を感じちゃいますよね。 ヾ(´ー`*)
お礼
遅くなってしまい申し訳ございません。 信頼、期待・・・子どもって本当に素直ですよね! その後、僕から何度もその子に対して、「また同じグループになれるといいね」と言いました(笑) 僕もその子の成長していく姿を近くで見たいので・・・(*^^)v 愛着・・・アタッチメントというようなものですか!? 大学でそんな風に学んだような・・・(笑) あ~そういうの有るみたいですね。子どもが憧れの先生を好きになるっていうこと・・・。 恋心を抱かれて居れば、それはまた嬉しい事ですよ。 初恋の相手に・・・ですか(笑) 僕は、未だかつて恋心なんて抱かれた事もないと思いますので、想像もつかないです(笑) そういう部分の大人としての適切な対応は分からないですね・・・ 「あと10年経ってまだ好きだったら、その時にまた言ってよ」とか答えるんですかね!?(笑) そういった部分も学んでおきます(^_^;) もし宜しければまたご返信お願いしますm(__)m
No.4です。 心温まるご丁寧なお礼をいただき、誠にありがとうございます。 ご返信からは、当時の楽しい雰囲気が伝わって来て、ご質問者も子供たちも充実した楽しいひとときを過ごされたようで何よりです。 ご質問の女の子ですけれど、キャンプの初日にご質問者を囲む賑やかで元気な子供たちに気おされて、輪に入れなかったのが心残りだったのでしょうね。 だから次回には勇気を出して、ご質問者に手を差し伸べたら、手を繋いでくれたことがとても嬉しかったし、そのまま手を握り続けていてくれたことで個人的に親しくなれたという喜びと共に、「これで私は、ここの仲間として認められたんだ」という感動も沸き起こっていたのではないかと思います。 その女の子にとっては、ご質問者と親しくなれたという喜びは、集団での居場所が確保できたという喜びにも繋がっていて、それは「承認欲求」に結び付いていたと思います。 キャンプの集まりを一つの家族に見立てるならば、引率者であるご質問者は「お父さん」や「年長のお兄さん」のような役回りですよね。そういう保護してもらいたい人や愛情を注いで欲しい人から親しくされるということは、その集団の一員として認められるということでもあるので、女の子はみんなとは血の繋がりこそはないけれど、家族として迎えられたような安堵感と喜びに包まれていたのではないかと思います。 ボランティア活動の一環として行われたキャンプ。 家庭や学校がそうであるように、そこも一つの社会で、その社会の一員として認められるという経験は、子供にとって健やかな成長を促し自信に繋がることだと考えられます。こういった小さなステップの積み重ねが自信を付け、豊かなコミュニケーション力と人間性を育むことに繋がって行くのですから、そのお手伝いが出来たのならば、小学校教師を目指すご質問者にとっても幸せなことですね。 ** 余談になりますが、女の子は今回のキャンプに参加したことで『マズローの欲求5段階説』でいうところの第3欲求 “所属と愛の欲求(社会的欲求)” と第4欲求 “承認の欲求(尊厳欲求)” が満たされるのを幼いながらも体験できたのではないでしょうか。 こういった体験の積み重ねは、子供にとっては将来の大切な土台作りになりますし、次のステップの第5欲求 “自己実現の欲求” にも繋がる貴重な体験だと思います。 そんな風に生き生きした子供たちと接することは、ご質問者にとっても “自己実現の欲求” に繋がることであり、まさにライフワークに身を投じていることになり、子供たちと一体感を持てたことは素晴らしいことですね。今回のことで、はにかみ屋さんな女の子に自信を付けさせるお手伝いが出来たのですから、ご質問者にとっても願ったり叶ったりでしたね。 【心理学における承認欲求】http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%BF%E8%AA%8D%E6%AC%B2%E6%B1%82#.E5.BF.83.E7.90.86.E5.AD.A6.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E6.89.BF.E8.AA.8D.E6.AC.B2.E6.B1.82 【マズローの欲求5段階説】http://matome.naver.jp/odai/2138276425484692401?&page=1 _____________ 遅くなってしまいましたが、前回お尋ねになっていた件について返信させていただきます。 >強く手を握られた時に、僕も少し力を入れて、握り返しましたが、その返答は心を通わせるのに良い返答になったでしょうか!? はい、良かったと思います! ご質問者の温かな思いは、きっと、女の子に伝わっていたと思うので。 そのまましばらく繋いでいると、手を『ギュッ』と強く握って来たという女の子。 きっとそのときは、まだ はにかんでいて、でも嬉しくて、好感を持っているということ、このまま楽しく過ごしたいことを伝えたくて、思わず『ギュッ』と手を握ってしまっのでしょう。その女の子の手をご質問者が同じように握り返したことで、「僕も同じ気持ちだよ」と共感してもらえたと女の子は受け取ったのではないかなぁと…。 その後も、女の子は安心して笑顔で過ごしていたということですので、手を通して絆が結ばれたんだと思いますよ。 ご質問者が取った行動は、心理学でいうところの『ミラーリング効果』(“同調効果” または “姿勢反響” とも)にあたると思います。 自然にリアクションできたので、気持ちが女の子に上手く伝わったのではないでしょうか。 ------------------------------- ◇ミラーリング効果 Mirroring effect 好感を寄せている相手の仕草や動作を無意識のうちに真似てしまう事。 また、自分と同様の仕草や動作を行う相手に対して好感を抱く事。 意識している、していないに関わらず、「真似る」「模倣する」といった行為は、相手に対する尊敬や好意の気持ちを表現したものとして認識され、 自分の仕草を真似る人=仲間・味方 といった形で記憶・認識されます。 ~ http://shinri.c-goto.com/jikken7.html より ~ ------------------------------- 返信を書こうとパソコンに向かって直ぐに、「承認欲求」や「ミラーリング」のことが頭を過りましたが、齧った程度で不勉強だったので、これをキーワードに幾つか参考文献をネットで探して読みました。 リンクするのに手続きが必要であったり、引用不可のサイトがあったので、今回は渇愛したものがあります。 今回、参考リンクでご紹介した内容に関しては、既にご存知かもしれないと思いましたが、後から読んでも確認できるようにしておきたかったのと、他にもこの回答を閲覧してくださる方がいるならばと、便宜上リンクを載せることにしました。 もし、ご関心がおありでしたら、更にキーワード検索して読んでみてください。 今後のヒントになるようなことが、みつけられるのではないかと思います。 幾つか読んで思ったことは、『マズローの欲求5段階説』にしろ、『ミラーリング効果』にしろ、最終的に大切なのは純粋な気持ちと真心なんだなと思いました。 ご質問者は、小学校の先生を目指していらしゃるとのこと。 子供は、わざとらしい行動には敏感ですから、ご質問者が出会った、はにかみ屋な女の子が打ち解けてくれたというのは、おそらく、ご質問者が自然体で接することができたからだと思います。 前回は私事ばかりを書いてしまいましたが、私は、あの手術室で一緒に泣いてくれた看護師さんの涙と手の温もりに「痛みを少しでも取り除いてあげたい」という優しさと真心が感じられたから、苦痛に耐えることが出来たんですよね。 執刀医が看護師さんと同じように泣いていたら手元が狂うし、こちらも不安になるだけだったと思いますが、あのときの看護師さんは、まるでお母さんのようでした。 あんなに痛くて怖い思いをしたのは初めてだったので、まだ子供だった私には、一緒に共感してくれる、温かく包み込んでくれる人が必要だったんですよね。 小学校教員を目指すご質問者ですから、生徒たちのお父さんやお兄さんのような、温かで大きな存在になってあげて欲しいと思います。 そして、不安を抱えていたり、口下手で上手く話せない子供たちを輪の中に導いてあげてください。 採用試験に向けて頑張って下さい。陰ながら応援させていただきます。<(_ _)>
お礼
おそくなってしまい申し訳ございません・・・。 こちらこそ、お礼に対してさらに返信して下さり感謝です。 本当に楽しいものでしたし、充実していました。 手を繋いだ話にはまだ続きが有ります! いくつものグループに分けられ、グループ行動だったのですが(僕はその子と同じグループでした)、たまたま、自由に遊んで良いという時間が有り、手を繋いできたのはその時の話です。 自由時間に手を繋ぎながら2人でしばらく一緒にいると、その子が「○○(僕の名前)と同じグループで良かった」と笑顔で話してきました。 さらに続けて「また同じグループになれるといいね」と言われました。 この時は本気で嬉しかったです。まるで、「今までの不安が○○(僕)のおかげで全くなくなったんだよ!また次も参加したいな♪」って直接言われているような気分でした。 思い返すだけで、嬉しくて泣きそうになりますよ(笑) 本当に素直で純粋な子です。 自分の気持ちを直接伝えて貰えるのは、ここまで嬉しいものなのかと感じました。 将来、自分にも子どもが出来た時、こういう素直で純粋な子に育てたいなと思いました。 po-ria1さんは、「○○(僕の名前)と同じグループで良かった、また同じグループになれるといいね」という彼女の言葉にどういう意味が含まれていると感じますか!? 宜しければ、また、ご回答くださいm(__)m そうですね、役回り的には、父親、兄という立ち位置だと思います。 キャンプは子どもたちにとっても、僕にとっても、非常に生きている上で価値のあるものだと思っています。 キャンプが終わった後の寂しさによる辛さは計り知れないレベルですが・・・(汗)。 「マズローの欲求5段階説」については知らなかったです。 でも、難しいですが、楽しそうですね! こういうことは、さらに知りたくなります。 「自信をつける」という練習に携われた事は、僕の成長にも繋がっているので、良い勉強になりました。 子どもたちも、僕もこういった機会で大きな経験を出来る訳ですから、それを大人になった時に、この経験を生かしたいと思います。 僕はもう大人目前ですが(^_^;) 手を通して絆を結べたのは、やはりお互いがしっかり楽しんで居られているという証拠だと思いました。 ミラーリング効果というものは非常に該当していると感じました。 その瞬間は、正直言えば「同じ気持ちだよ」と考えて起こした行動ではなく、自然に握り返しちゃったという感じですが・・・。 あとから考えなおすと、様々な捉え方が出来ますね。 わざわざ、様々な事を調べて下さり、嬉しい限りです。 今後も子どもたちと関わる機会が有れば、自然体で、一緒に楽しむ気持ちで関わっていきたいと思います。 子どもたちを関わる上で、不安、上手く話せない子どもたちを輪の中に導くのは大切だと、改めて実感しました。 採用試験に向けた勉強も頑張ります。 ご返信して下さりありがとうございます!
>1日目は不安もあったのか、慣れることが出来なかった小2の女の子が2日目、手を差し出してきたので、手を繋ぎました。 おっしゃる通り初日を経て幾らか慣れたことで、その子は ご質問者に「親近感を持った」のでしょう。自ら手を差し出すという積極性も見せていることから、「安心できる相手、頼れる人として受け入れます」という意思表示をして来たと考えられます。 >しばらく繋いでいると、手を『ギュッ』と強く握って来ました。その時に、『ギュッ』と握って来たことに心理学的に何か理由が有るのではないかと思い ご質問者は引率する側で、その女の子の他にも子供が何人もいたのですから、ごく単純に考えると、「こちらに注意を向けて欲しい、もっと一緒にいて欲しい」という、その女の子の意思表示と受け取ることも出来ますね。まだ幼い子ですから、独占欲のような感情があったかもしれません。 「楽しい」と感じていれば、もっと同じ時間と空間を共有したいという思いから手を握る力が強くなることがあるし、「寂しさ」から同様に、もっと同じ時間と空間を共有したいと望んで握る手に力がこもることもあるでしょう。 どちらにしろ、「相手(ご質問者)から離れたくない」という気持ちの表れですね。 家庭環境や普段の友達との様子が分らないので、女の子がご質問者の手を強く握った要因が寂しさからだったのか嬉しさからだったのか、そこは分りませんが、その場にご質問者がいて自分と手を握っているということ、そのことにその子は「安心していた」ということですね。「私たちは仲間だよね」という気持ちもあったんだと思います。 >手を繋いだ時の落ち着きというものも、心理学的にどのようなものなのか、教えて下さると幸いです。 実体験をもとにした意見です。 状況はかなり違いますが、よろしければ参考にしてください。 私は小学生のときに、局所麻酔で腰にできた良性腫瘍を取り除く処置を受けたことがあります。(当時の主治医からは、切開する範囲が小さかったり患部を取り除くのに時間が掛からない場合は、手術ではなく処置と呼ぶのだと説明を受けました。しかし、それは私にとっては気休めでしかなく、入院はしなくて済むものの、場所は手術室だし、体にメスを入れる行為であることには変わらず、手術と同じで恐怖でしかありませんでした。) うつぶせになって処置を受けたのですが、そのときは麻酔の量が足りなかったようで、あまり効かず、腰にメスが入ったときは、まさに切り刻まれるとしか言えない痛みで、悲鳴を堪えようにも堪えられず、患部を取り除くために切開したところを広げられたときには、お腹の皮や筋肉が引っ張られるのも分かりました。あまりに激しい痛みだったので、今でもリアルに思い出すことが出来ます…。 そんな風に痛覚や皮膚感覚が通常と変わらないぐらい残っていたので、処置を受けている間は拷問と変わりませんでした。どんなに怖くても辛くても、そこから逃げることは敵わず、激しい痛みに耐えねばならず、ベットの柵を両手で力一杯握りしめ、悲鳴を押し殺そうにもそれも出来ずに泣き叫んでいたのですが、すぐ傍にいた女性の看護師さんが、ベッドの柵を握る私の両手に自分の両手を上から被せるようにして、しっかりと握りしめてくれました。 私は気を失うことも出来ず、ただ泣くことしかできなかったのですが、顔を上げてそちらを見ると、看護師さんの両の目からは涙が溢れていました。 一人で恐怖と痛みに耐えねばならないこと、このことは言葉に言い尽くせないほどの苦しみだったけれど、すぐ傍で両手を握って、一緒に痛みに耐えようと励ましてくれる看護師さんにどれだけ心が救われたことか。 看護師さんは、私がどれだけの苦痛を体に受けているのか、必死で堪えているのかを察して一緒に泣いてくださり、無事に処置を終えようと両手を握りしめながら応援してくださったんです。交わした言葉は少なかったけれど、熱い涙と両手の温もりに、どれだけ心が慰められ励まされたことか。一人ぼっちじゃないと直接訴え掛けてくださったことで、どれだけ心が安らいだことか。 手と目には、言葉だけでは語りつくせない思いを込めることが出来ますし、言葉よりも純粋な思いが伝わることがあります。 手を繋ぐとき、繋がっているのは手だけではありません。 それは「行動を共にする」ことを意味するし、「心を繋ぐ」ということであり、「心に寄り添う」ということです。手を繋いで来るということは「信頼して欲しい」ということでもあるし、「信頼している」ということでもあります。 強く握るということは、思いの強さと比例しています。 不安な人を勇気づけたいときや、その思いに応えたいときは手を握る力は強くなります。不安なときには、差しのべられた手を強く握り返すし、感謝や喜びの気持ちも込めて強く握りますよね。 手を握ることが親愛の情や友好の証(従順・素直な心)なら、手を振りほどくことは拒絶や嫌悪感、不信感(反抗心)を表わす行為と言えます。
お礼
ご回答、本当にありがとうございます♪ 感謝、感謝です!! 前日には無かった積極性がこの日、有ったということで、やはり親近感を持ったということですね! 実は、その前日は一緒に活動していたうちの一人の小3の女の子、小1の男の子、その他低学年の子たち等、積極的になついてくる子と一緒に居る事が多く(というより、積極性のある子のペースに乗せられていたという方が正しいかもしれないですが;;)、その小2の子とは大きく関わることがそこまで無かった訳です(^_^;) ですので、po-ria1さんのおっしゃる通り、「もっとこっちを見て!一緒にいて!」という気持ちはあったのかもしれないですね。 『ギュッ』と強く握ったこの時は、ちょうど、僕と小2の子だけで、近くに誰も居なかったので、独占したいという気持ちのあらわれなのかもしれませんね。 どちらかと言えば、「寂しさ」よりも「楽しさ」での『ギュッ』だったと思われます。 自分1人に目を向けてくれたことに対して、満足感があったのではないかと感じました。 手を繋ぐということに、仲間だという安心感を持ってくれていたのであれば、彼女にとっても良い経験になりますし、僕にとっても非常に良い経験になったといえるものだったと思いました。 この先も、小学校の先生を目指していく上で、子どもの心をしっかりと読み取れるように頑張りたいと思います♪ そして、分かりやすい体験も含めた具体例まで出して下さり、ありがとうございます! 想像しただけで、po-ria1さんの味わった痛みというものが突き刺さってくるような気がしました・・・。 看護師さんの素晴らしい対応に助けられたという事ですね。 その看護師さんの、涙や手を握るという行動は自分を助けられる、大きな支えとなったでしょうね。 それだけ、同情してもらえるってすごい事なんですね!! 言葉よりも純粋な思いを乗せることのできる事がある、「手」や「目」、今回の僕の質問と重なる部分が有ったという訳ですね~ 「手を繋ぐとき、繋がっているのは手だけではない」というのは印象に残る言葉ですね。 心を繋ぎ、心を通わせる大きな役目が有るのですね。 信頼感を分かりあうためにも、手を繋ぐということは良いものということですよね。 強く手を握られた時に、僕も少し力を入れて、握り返しましたが、その返答は心を通わせるのに良い返答になったでしょうか!? 宜しければ、お答えいただけると幸いですm(__)m
- atelier21
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心理学は解りませんが 親としては 不安や(正しくそんな場所?)緊張其れに訴える時 恋人でも 何か伝えたく言葉を補強する様な時 別れる前等 外人ならばハグだろうが(近頃は日本人も)
補足
そういったこともあるんですね! ありがとうございました!
- rokometto
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手を強く握ると言うのは小さい子どもに見られる「訴え」です。 自分の気持ちをうまく伝えられる力がない時、何かしらのアピールをします。 泣いたり、かんしゃくを起こしたり、指をさしたり、手をもって自分が関心を持っているものに触れさせるクレーン現象もそうですね。 保育士などはそのサインをどれだけ感じ取り要求にこたえる科、それがプロとして求められる能力の1つになります。 しかし小2となると一般的には会話能力もかなり発達し感情を表現する力は充分にあります。 ではなぜ幼いころに使っていたサインを出したのか。 おそらく不安が強く緊張があり、わがままを言いたくないという気持ちが自分の気持ちを言葉に出せなかったのでしょう。 サインの意味は「安心できるので絶対離さないでね」だと思います。
お礼
本当に分かりやすいご回答ありがとうございます! rokomettoさんのご回答で、とても納得できました。 小さい子どもの「訴え」でもあるんですね~ その様々な訴えはよく理解しておきたいと思います。 小学校の先生を目指している以上は、しっかりとそういう事まで理解しておこうと改めて感じました。 不安が有るような感じや、緊張しているような感じは、よく伝わってきましたので、そういった事なのですかね。 しっかり者2年生という感じだったので、わがままを言いたくない気持ちというものも恐らくあったでしょう。 それを、言葉として出せなかったという事ですね。 このサインに、「安心できるので絶対離さないでね」というものが有ったのではないかという、rokomettoさんの推測については、自分の中で抜けていたパズルのピースがちょうど当てはまったような気がしました。 これからも、似たような事が有れば、自分で推測できるように頑張ります! ご回答に感謝ですm(__)m ありがとうございました♪
>心理学的にどのようなものなのか、教えて下さると幸いです 行動を決めるには様々な要因がありますのでわからないですね。 ・その子の家系には親しみがある行為として古くから手をぎゅっと握るしきたりがある ・学校で握力勝負が流行っており、親しくなったあなたにやってみた とか?
補足
確かに行動には様々な要因が有りますね。 実際、家系とかそういったものが関係している場合もあるかもしれないですね。 ありがとうございました!
お礼
僕は、po-ria1さんが恩を返せずに居るとは思いません。 先生に会って直接返す事は出来なくても、僕の質問に丁寧に回答して下さったりして、誰かの役に立とうと考えていらっしゃったり、先生にお世話になったという気持ちを持ち続けているだけで、十分先生に対して恩返しは出来ていると思います。 恩返しって直接でなくても出来るものだと思います。 僕は小学校の時の担任の先生が退職されるという事で、辞校式にその先生の居る学校まで自転車を飛ばしました。前日行ったら居なかったので、当日改めて行きました。先生、本当に喜んでいました。退職なのにおばちゃんっぽさを全く感じなかったんですよね。お世話になった時と同じ若々しい姿で、会った瞬間名前を呼びながら抱きついてきました。 当時、騒がしい児童だったので覚えてくれていたのでしょうね、きっと(笑) 僕の場合、会って、恩返しをしましたが、会わなくても恩返しは出来ますよ。 先生は、児童が素直に育って、po-ria1さんのように、見えない部分で恩返しをしている姿も望んでいらっしゃるのではないかと思います。 僕が言うのもなんですが、非常に立派な人生を過ごされてると感じました。 でも、お世話になった時の先生や友達に会える日が来ると良いですね。 助け合いの心、常にそれを踏まえて、そして子どもたちにも教えながら生きていきたいと思います。 大人だって成長はし続けますからね。 誠実な子どもの素直な気持ちを、少しでも理解できるよう、学び続けて居たいですね。 お時間が有れば、また返信頂けると嬉しいです。