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The Value of the Bible and the Popular Conciliation Theories
- Understanding the Value of the Bible: Analyzing Popular Conciliation Theories
- The Importance of Recognizing Erroneous Views in the Bible
- Theology's Shivering Existence and the Need to Let Go of Untenable Theories
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Believing, as we do, that if the value of the Bible as a book of religious instruction is to be maintained, it must be not by striving to prove it scientifically exact, at the expense of every sound principle of interpretation, and in defiance of common sense, but by the frank recognition of the erroneous views of nature which it contains, we have put pen to paper to analyse some of the popular conciliation theories. ↓ ご質問文では、Believing as we do that if となっておりましたが、原文では、Believing, as we do, that ifと、途中カンマで区切っておりましたので、そちらに沿って訳してみました。 「我々がそうであるように、宗教教育の為の本としての聖書の価値が維持されると信じることは、解釈のあらゆる原理原則を犠牲にし、一般常識を無視して科学的に正しいことを証明しようと骨を折ることによってなされるものではない。しかしそこに含まれる自然に関する間違った見方を正直に認識することにより、我々は人気のある調停理論のいくつかを分析する為に筆を執ることとした。」 The inquiry cannot be deemed a superfluous one, nor one which in the interests of theology had better be let alone. 「疑問はどうでもいいものとも、ましてや神学の利益の為にはほったらかしにして良いものとも言えないのである。」 Physical science goes on unconcernedly pursuing its own paths. 「物理科学は何物にもかまわず己が道を突き進むものだ。」 Theology,the science whose object is the dealing of Got with man as a moral being,maintains but[but=only] a shivering existence,shouldred and jostled by the sturdy growths of modern thought, and bemoaning itself for the hostlity which it encounters. ↓ 原文と比較してタイプミスや、カンマミスなどが多いので下記の原文に沿って訳してみました。 Theology, the science whose object is the dealing of God with man as a moral being, maintains but a shivering existence, shouldered and jostled by the sturdy growths of modern thought, and bemoaning itself for the hostility which it encounters. 「学問としての目的が、善悪を区別できる存在としての人と神との交わりである神学は、恐怖を感じる存在ではなく、揺ぎ無い現代的思考の成長により押しのけられもまれてきた。 そして(神学に対する)敵対心の為に嘆き悲しんでいる。」 Why should this be, unless because theologians persist in clinging to theories of God's procedure towards man, which have long been seen to be untenable? 「進学者達が人に対して神がなさることにしがみつき固執しない限り、何故この学問が長きにわたり支持されないものと見なされねばならないのだろう?」 If, relinquishing theories, they would be content to inquire from the history of man what this procedure has actually been, the so-called difficulties of theology would, for the most part, vanish of themselves. 「もし理論を放棄することとなれば、彼らはこの行為を実際に行ってきた人間の歴史から調べることもいとわないであろうし、神学上の問題と呼ばれるものはほとんどの部分で、それ自体が消滅するであろう。」
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- Nakay702
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以下のとおりお答します。 (shouldred→shouldered, hostlity→hostility, produre→procedure, havelong→have long, inpuire→inquireの誤植と見て訳しました。) 宗教の教本としてバイブルの価値が維持されるべきだとするならば、すべての正常な解釈の原理を犠牲にしたり常識に逆らったりしてまで、それが科学的に正確であることを証明せんと努力することによってではなく、聖書に含まれる自然への間違った見方を率直に認識することによってこそなされるべきである。このように信じるからこそ、私たちはポピュラーな懐柔理論のうちのいくつかを、分析の俎上に乗せたのです。 その質問吟味は余計なものと考えることもできませんし、神学の利益のためにそのままにしておく方がよいというものでもありません。物理学は、無頓着にも自らの道だけを探求し続けます。神学は、道徳的存在者としての人間との関係において神を扱うことを目的とする科学である神学は、近代思想の確固たる成長によって担がれ小突き回され、それが遭遇する敵意のゆえに己が身を嘆きながら、ただ震え慄かせるような存在として存続しています。 もし神学者が対人間の神の御業という、長年支持されない状態にあった理論にしがみつき続けるのでないとしたら、なぜこんなことにならなければならないのでしょうか? もしも彼らが理論を放棄して、この御業なるものが実際は何だったのかを、人類史の角度から尋ねる論客にでもなれば、いわゆる神学上の難問もその大部分は、自ら消滅することでありましょう。
お礼
ありがとうございます。
- angkor_h
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------------------ 宗教の指示の本としてのバイブルの値が維持されることになっている場合に、私たちがそれをするように、信じること、それは、それを証明するために努力することに科学的によってはなりません、強要する、解釈の、および常識に逆らうすべての正常な原理を犠牲にして、だがそれが含んでいる自然の謬見の率直な認識によって、私たちはポピュラーな懐柔理論のうちのいくつかを分析するために置きました。 その質問は余分のものと考えることができません、および、神学のためにそのままにしておかれたほうがよいもの。 物理学はそれ自身のパスを平気で追求し続けます。 神学、そのオブジェクトが取り引きである科学、道徳的行為者として人と得られた、維持する[しかし=]のみ、シバリング生活、近代思想の頑丈な成長によってshouldredされ押された、またhostlityのためにそれ自体を嘆くこと、どれ、それ、encounters.Why、これはそうであるべきですか、でないならば、神学者が神の人へのprodureに関する理論にはりつくことを続けるので、どのhavelong、主張し難く見られる? 場合、理論を放棄して、それらは人類史からのinpuireへのコンテストになるでしょう、この手続きが実際にだったもの、神学のいわゆる難しさはひとりでに消えるでしょう(大部分は)。 --------------- 下記を利用しました。 http://www.excite.co.jp/world/english/
- oignies
- ベストアンサー率20% (673/3354)
わからない部分だけ抜き出して訳してください。少しはわかるんでしょう??ちがうんだったら質問しないでください。
お礼
ありがとうございます。