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今の日本はアンチ仏教社会になっている?

「中道」は意味について議論がありますが、「一心三観」「悪見」など。 日本での仏教文化は長いですが、仏教について詳しくないですが、今の日本を見てどう思われますか? 仏教はインド哲学ともいわれますので、このカテゴリーでしました。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#191685
noname#191685
回答No.6

凄く簡単な質問です。仏教は、煩悩、特に欲望を無くす教えなので、今の日本の欲望主義だと、仏教の教えと真逆なんです。キリスト教やイスラム教だと、90度くらい違う感じですが、仏教だと、今の日本は180度違いますね。みなさん、地獄に行きますよ。

noname#209756
質問者

お礼

最大多数の最大幸福でしょうか? 快楽が多いほどいいというのと、煩悩、欲望はよくないというのはおっしゃる通り、反対です。 ご回答ありがとうございました。

その他の回答 (13)

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.14

pkuobe99様、ありがとうございます。 >「日本での仏教文化は長いです」

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.13

pkube99様、こんばんは。 >{日本での仏教文化は長いですが、仏教について詳しくないですが、今の日本を見てどう思われますか? 仏教はインド哲学ともいわれますので、このカテゴリーでしました。」 >「日本での仏教文化は長いですが、仏教について詳しくないですが、今の日本を見てどう思われますか?」 (笑)

  • stmim
  • ベストアンサー率24% (57/236)
回答No.12

アンチ仏教というか、アンチ宗教というか、宗教無関心というか、そうゆう状態になっていますね。 そもそも日本の仏教は本来の仏教とだいぶ違うものになっていると思います。 仏事で何回忌法要とかやりますけど、これは本来の仏教とものすごく相性が悪いです。 仏教の基本の考えは輪廻転生ですよね。転生したら他の人間に生まれ変わっているのに、法要するのは変ですよね。 本来、人が死んだら、それは抜け殻で川に捨てたりしていました。今でも死体を処分して墓をつくらない地域もあります。 先祖供養は仏教とまったく関係ないです。どうも儒教と合体したものらしいです。 ですから日本の仏教は本来の仏教(ブッダの教え)からはだいぶはなれたもののようです。

回答No.11

神国日本。どうもこうもない。 神も仏教もイデオロギーも哲学も味噌もクソも消化するのが日本。 毎年、教会でクリスマスを楽しんで、除夜の鐘をついて、神社でお札をもらう。 南無アーメン恐み恐み白す

回答No.10

俺様は無を悟り仏道を極めたものだ。 日本は今も仏教社会だ。 全員俺様の奴隷だ。

noname#209756
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。

回答No.9

アンチ仏教も何も、今の日本人は、思想や宗教、哲学 といった世界観や価値観(生きる指標)などなく、 お金や出世といった“馬車馬の目の前のニンジン”に 操られて、他律的に社会性のコースを走らされている だけです。 本質的に社会生命(分業化&組織化)として助け合って いながら、意識としてはお金を奪い合う弱肉強食の疑似 ジャングルで、本来生きる事そのもの(根源的喜び)で ある助け合いを、お金をもらうためにイヤイヤ働かされる ものにしてしまっているのです。 生きる意味を必要としない者に、宗教も哲学も無用だ。

noname#209756
質問者

お礼

他律的というのはわかります。 生きる意味を必要としない> 本当にそうなってはいけませんね。 ご回答ありがとうございます。

回答No.8

そもそも宗教と言うのは、伝来や時間がたつごとに変化していくものです。 日本は仏教というより神道の国なので、仏教だけでなく様々な思想が入り今のような国民性になっています。 国それぞれの民族性や国民性を見るには、「自然観」「死生観」「歴史観」を見ればよいですが、例えばインド仏教の自然観は、生き物には精神があると考えられていますが、石、物には精神は宿っていないと考えられます。それに対し日本人の自然観は、水木茂作品では、道具でも長く時がたてば魂が宿り妖怪になりますが、これは日本では、物や岩にも精神が宿ると考えられているからです。 長くなるので「死生観」や「歴史観」の比較は省きますが、「自然観」だけ見てもこれだけ違います。詳しく書けばもっと違います。はっきり言って日本人の「自然観」「死生観」「歴史観」は世界でも珍しい思想で、全く別物です。 なので、本来の仏教と日本の今が乖離していると言うのは別物なので、当たり前の話です。 日本人の精神のルーツの一つに仏教もあるので、共通点はありますが別物です。 (重要なので二度言いました)

回答No.7

日本の仏教は、親鸞や日蓮によって捻じ曲げられ、念仏を唱えるだけで極楽に行けるなどと勝手なことを言って信者を増やしました。 浄土真宗や日蓮宗など、当の出家坊主本人が肉食妻帯を断ずることができずに、現世の欲望にまみれております。 一部の出家坊主など、妻を娶り、セックスし、子を設けて、寺院を相続させるなど、市井の煩悩そのままの人生を送るものもおります。 勿論、臨済宗や曹洞宗や天台宗など、禅宗系の仏教徒にはまともな方も多くいらっしゃるようですが、如何せん、最大人口を擁する浄土真宗と日蓮宗が日本の仏教を駄目にしてしまった。 このように、ガウダマ・シッダールタの教えに反する日本仏教、葬式仏教であられば、人々の仏教に対する見方も変わってくるのは仕方が無い。 それでも、アンチ仏教というほどの敵対・敵視はしておらず、「あまり興味が無く、尊敬もしていない」というのが一般日本人の仏教に対する感覚だと思います。

  • 0fool0
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回答No.5

アンチかどうかは兎も角、別物になっているのは事実です。 ですので、敢えて「日本仏教」と呼称されたりします。 日本の風土・習俗に合わせて変化し根付いていますので、今でも日本人の生活の中にしっかり入っています。 原典というか、古典と言うか、初期の物と比べると全くの別人28号ですが。 ただ、貴方の言う「アンチ」の単語を用いる意味が判りません。 私の知る日本仏教において、その単語は表現としては不適切なのではないでしょうか。 原理主義を掲げ、原典を離れれば「アンチ」だと言うなら、そうですが・・・・

回答No.4

仏教は聖徳太子の時代の紀元6~7世紀に百済から渡来したと言われています。 それまで人が死ぬと葬儀をせずに死体を野原や村はずれに捨てていたのが、仏教が入ったことで僧侶が怪しげな呪文を唱えると死者の祟りを追い払ってくれるものとして歓迎し、民衆に広く普及することとなりました。 それ以前は死者は生者に祟ると思われていたのです。 神道の世界観では死者は「けがれ」でした。 だから人々は死者を畏れたのです。 日本人にとって仏教は宗教というよりも呪術です。 死者の魂がこの世にさ迷わないようにして、あの世に追い払う意味での呪術です。 ところが平安時末期から鎌倉時代初めの戦国時代の戦乱と混乱の中で仏教は人々に来世の極楽を約束する「祈り」になりました。 人々は早く来世に往生することだけが希望であって、そのための手段として、あるいは導いてくれるものとして仏教にすがりました。 日本で仏教が役に立ったのは鎌倉時代が最後で、以降は再び「葬式仏教」の本来の姿に戻りました。 仏教を宗教と勘違いしている人がいるようですが、少なくとも日本において仏教は葬式仏教で、死者の魂をあの世に送る呪術でした。 本来の宗教としての仏教であったのは平安末期から鎌倉初期までで、日本の歴史を見るとその一時期を除けば、終始一貫葬式仏教です。 仏教にインド以来の哲学を期待する人がいますが、私は期待していませんし、現代を見ても仏教はただの葬式仏教です。 葬儀だけをやっていれば、それが本来の姿だし、それでいいと思っています。 哲学をしたかったら、仏教にそれを求めなくても、西欧哲学などたくさんあります。 今も昔も日本は仏教社会ではなかったし、アンチでもなかったと思います。 人々は葬儀が終われば仏教はすぐに忘れました。 今でもそうです。 葬儀の時だけ僧侶の話を聞きますが、葬儀が終われば僧侶の話なんて忘れます。 仏教なんて、その場限りのものにすぎません。

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