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旧日本軍の兵士の丸刈りについて
- 旧日本軍の兵士がいつ頃から丸刈りするようになったのかについて調査しました。
- 日露戦争時代の兵士の写真では普通の短髪であり、丸刈りは見られませんでした。
- 海軍の兵士は世界各地を訪問するため、奇異に見られないよう普通の短髪であったという話もあります。一般男性についても丸刈りが主流であったかは不明です。
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海軍の場合、諸例則(しょれいそく)という日常のお約束で、「頭髪はこれを梳る(くしけずる)べし」とあり、キチンとしていれば問題ありません。兵学校にも海軍省にも、大型の軍艦にも床屋が傭人(雇われた民間人)として乗っています。 昭和13年ごろから丸坊主が海軍でも多くなります。が、強制ではありませんでした。笑い話ですが、 「丸刈りはサッパリしていいぞ。お前もそろそろやったらいい」 「そうですか? でも米内大臣は髪の毛があるし、教官はヒゲ生やしているから、それでアイコですよ」 翌日、教官がヒゲをそってきたそうです。言われた方はそれをみて、素直に丸刈りにしたそうです。 丸刈りは衛生面で有利(水で簡単に清潔が保たれる)なので、特に戦地で髪を整髪する余裕のないことが多い陸軍では丸坊主が一般的です。バリカンをお金出し合って分隊で1個買い、お互いにのびたら刈っていたそうです。私の祖父は陸軍の師団軍医長でしたが、やはり丸刈りです。 丸刈りは私も剣道の重要な試合で負けて、全体責任で2回経験しましたが、軽く、水とセッケンで簡単にキレイになるので、これはこれでいいと思いました。 ソ連軍は丸刈り強制です。 一般の人は、戦前でもポマード、シャンプーなどが競争で売られていたので、普通にのばして整髪していました。戦時中に物資不足になると、丸刈りがおおくなったそうですが。あと、学生は基本丸刈りです。だからといって延ばしていても非国民呼ばわりはまずないとおもいます。 不潔だったら、いつの時代でも批判されるでしょう。
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- k16399638
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>ヒゲ 笑い話の人は、時局が厳しくなるから気合をいれるために坊主はどうだ、坊主にしない理由がわからん、と部下にいい、私はあなたがヒゲをそんなに立派にしている理由がわかりません、とツッコミをくらって、意地になりヒゲをそったら、言い返した部下も、のばしていたヒゲを自分の一言でそってしまったのだから、坊主にしないわけにはいかなくなった、といういみです。 陸海軍ともヒゲについて規制はなかったので、立派にしている人がいます。例えばキスカ撤退作戦を成功させた木村少将は、後ろから見えるほど立派なヒゲで、ネコがサンマくわえているようだから、「ネコサンマ」とあだ名されたそうです。お味噌汁飲むとき、片一方のヒゲをお箸でつまみあげていたそうです。カレーライスをどうやっていたのか、私も知りたいです。 無精髭は陸海どちらも糾弾されますが、中にはこれから生やすのです、と言い逃れしていた人もいます。 抜いたりするとそこからバイキンが入って化膿する面疔(めんちょう)という病気があり、抗生物質がなかった当時は、これにかかったら大変なことになりました。そるならキチンとひげそりでそれ、ということだったようです。 白兵戦でヒゲをつかむということは、手にした兵器がもう、ない、ということですから、やる方も必死でしょう。
補足
有難うございました。 なるほど、無精髭は厳しく問われていたのですね。 さすがに「帝国軍人ともあろう者が、なんと汚らしい、みっともない」という事だったのではと感じました。 ただ、南方戦線で苦労した兵士の当時の写真をみると、ぼうぼうに無精髭を生やした人もいましたが、厳しい戦いで髭を剃る余裕など無いという事だったのでしょうね。 興味深いお話に感謝します。 有難うございました。
- bougainvillea
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官僚の丸刈りについては、「日本の近代 13巻 官僚の風貌」に いろいろ書いてあります。興味がありましたら、一読してみてください。 日中戦争~太平洋戦争突入で丸刈りが増えたようですね。
お礼
有難うございました。 機会がありましたら、是非読んでみたいと思います。 アドバイスに感謝します。
- ota58
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将校が丸刈りにするのは、戦争突入の発表があって、宣戦状態時だけです。
お礼
有難うございました。 将校が丸刈りにするのは戦争中だけだったのですか。 勉強になりました。
海軍の飛行機乗りには最後まで丸刈りでなかった人々がいます。 この人の場合、頭を怪我から保護するためとか言っていたようです。 http://www2b.biglobe.ne.jp/~yorozu/sub10-3.4.html 城山三郎の『指揮官達の特攻』(新潮文庫)という本が出ています。 (最後までちゃんと読んでないのですが・・・・) 山本五十六なんかは戦前、大使館付き武官として欧米に行っていましたが、どうなんでしょうね。おじさんになってからの写真だと、米内光政も井上成美も、みんな短髪ですけれども。あ、でも米内さんはちょっと長めでした。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E5%86%85%E5%85%89%E6%94%BF ウィキペディアには、高木惣吉さんは丸刈りの写真が出ています。 以上、海軍です。 ちょっと覚えていないのですが、新潮文庫から出ている『兵隊たちの陸軍史』という本が、徴兵検査の中から抽選で選ばれて現役入隊で2年間兵役に付く場合(戦時でなく平時)の暮らしぶりが出ているので、もしかしたら入隊時の髪型のことも書いてあるかもしれません。 フィリピン戦線に大隊長候補(予備?)として送られた陸軍大佐の若い頃の写真を本で見たことがありましたが、丸刈りでした。 国民学校の先生なんかの写真を見るとたいてい丸刈りに国民服ですけど、一般人には丸刈りでなかった人もいたと思います。国民服はこんな感じ。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E6%9C%8D ちょっと前まではテレビドラマでもしばしば見かけた服装です。 国民服令(昭和15年勅令第725号) というのがあったそうです。昭和15年11月2日に公布・施行だそうなので、開戦の1年ぐらい前ですね。 http://www.geocities.jp/nakanolib/rei/rs15-725.htm こちらだと11月1日になってます。こちらのほうが漢字+平仮名で読みやすい。 http://www.city.suwa.lg.jp/scm/dat/kikaku/data_files/html_dat/H11_touka/kokuminfuku.htm
お礼
有難うございました。 国民服に関する法律を読ませて頂きました。 当時の言葉使いって面白いですね。 ズボンまたはパンツの事を「袴」と呼んでいたのですね。 上着ですが、スケッチを見ると映画などで見たような気がします。 少し前まで中国では一般人は人民服を日常的に着用していたようですが、もしかすると日本の真似をしたのかも知れません。 頭髪ですが、丸刈りにすると、たしかに洗髪も乾燥も楽だと思います。 冬は寒いでしょうが ・・・ 入隊すると俗世間と縁を切るという意味合いとは別に、戦場での実用性も考えられたのでしょうね。 とても面白いお話に感謝します。有難うございました。
#1です、補足質問にお答えします^^ ★旧陸軍では軍規によって将校(士官)も兵も丸刈りが基本であったのに対し、旧海軍では准士官以上は原則自由として長髪が許されていた。しかしながら陸軍でも外国大使館附の駐在武官や留学者、私服捜査を行う一部の憲兵や特務機関・中野学校のスパイ、その他一般軍人でも西竹一など一部の将校は長髪であり… とウィキにありますから、要するに「お偉いさん」は長髪で、さらに部署によっては長髪が認められていたんでしょうね。
お礼
有難うございました。 なるほど、陸軍でも一部では長髪が認められていたのですね。 それと、ちょっと気になったのですが、下級兵士に全員丸刈りを強要しているのは世界でも日本だけだったのでしょうか? いわゆるGIカットとか、スポーツ刈りのような短髪にしている兵士は古い映像などで見かけますが、日本のように丸刈りの兵士って見た事がありません。 丸刈りの兵士って、旧日本軍だけだったなのでしょうか?
- tpg0
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私の伯父(叔父)二人は海軍だったので丸刈りではなかったです。(写真確認済) そもそも、太平洋戦争は1941年(S16)に開戦ですから、海軍は4年足らずしか戦争をしてませんが、陸軍は1931年の満州事変から戦争をしてた経緯があるのです。 1937年の支那事変(日中戦争)あたりから陸軍の士気を高める為に将校達が丸刈りにしたようですから、丸刈りは陸軍に限られてたようです。 赤紙で召集された伯父達は陸軍に入隊したので出征時には丸刈りにして戦地に向かいました。 これには、陸軍14年間の戦争の歴史と海軍の4年足らずの歴史の違いがあると思ってます。 残念ながら、伯父達は全員故人になってるので本人達から詳しい理由は聞けませんが、当時は床屋なんぞ行ってられない風潮があったのでしょう。 家庭でバリカンで刈れる丸刈りは軍人に限らず一般男子国民にも浸透してたようです。 因みに、私の父親は軍属技師だったので丸刈りではなくオールバックの髪型でした。
お礼
有難うございました。 へー、お父上も、海軍に召集された叔父様たちも丸刈りとは縁が無かったわけですか。 イメージでは、何だか日本人全員が丸刈りにしていたように思ったのですが、実際には違うのですね。 でも、丸刈りにしなかったのは、やっぱり当時でも「丸刈りはカッコ悪い」という考えがあったのでしょうか。 この辺、興味があります。
Wikipediaによると^^ 1873年(明治6年)に徴兵令が公布されると、軍人の標準的な髪型である丸刈りの習慣が国民に定着していくこととなった。軍人の丸刈りは俗世間からの訣別の気構えや規律の維持などの他に、虱や頭垢の予防といった衛生上の目的、戦闘で頭部を負傷した場合の手当てのしやすさ、軍帽・略帽や鉄帽着用時の蒸れの緩和といった実際上の利点があり… あとはコチラからウィキをご覧下さい^^ 質問の答えが全て載ってます ★ja.wikipedia.org/wiki/丸刈り
お礼
有難うございました。 明治6年から丸刈りが強制されていたのですね。 ただ不思議なのが、質問に挙げた日露戦争当時の将軍たちの写真では、全員が普通の頭髪をしています。 日露戦争当時の陸軍トップの大山厳の写真を例に挙げます。 http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/39.html 他の将軍たちの写真も同じです。 この辺が不思議だなあと感じています。
お礼
有難うございました。 興味深いエピソードに感謝します。 ソ連軍は丸刈り強制だったのですか ・・ 日本のように入隊すると俗世間とは縁が切れるという精神面の要素は無いとしても、やっぱり衛生面や手入れの簡単さが重視されたのでしょうね。 イメージでは今でもアメリカの海兵隊は思い切り刈り上げて、頭頂部だけ少し残した、いわゆるGIカットにしていると思います。 ドレッドヘアーやロングヘアーの兵士なんて髪型ばかり気にして、戦場では使い物にならないのでしょうね。 ご紹介の笑い話に出てくる髭ですが、これは髪の毛と違って何の指導も強制も無かったのでしょうか。 明治時代の将軍たちの写真をみると、どれも立派な髭を伸ばしています。武士の名残りで、多分、下級兵士も同じかなと思うのですが、ある意味で髭も手入れが大変だったのではないでしょうか。 食事をすると食べ滓が髭についたりして、いつも注意をする必要があるはずです。 また万一、取っ組み合いの白兵戦になった時、相手に長い髭を掴まれて苦戦するとか無かったのかなと思います。 すみません、疑問が深まるばかりです。