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論文の引用について
- 論文の引用について説明します。論文を書く際に、「事実」や「事実背景」を説明するために他の論文の文章を使用したい場合、引用と同じように注を付けることができます。
- ただし、引用とは異なり、本文中で参考にしたことに触れず、数字で参照し、引用一覧に論文の詳細情報を記載します。
- この方法を使用することで、複数の論文の文章を参考にしてスムーズに説明することができますが、文章のスタートがわかりづらくなる可能性もあります。
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質問者が選んだベストアンサー
以下のとおりお答えします。 >論文を書くにあたって、ある「事実」や、「事実背景」を説明するのに、その事実について書いてある論文の文章を使いたいと考えています。ただ、そのまま引用するのではなく、だからといって自分の文章に書き換えるわけでもなくて、「少しだけ」文章を変えて使いたいのです。その場合、引用と同じように、注をつければよいのでしょうか。 ⇒原著者の記述内容を要約したり、自分の言葉や表現にして述べる場合は引用符は不要でしょうが、おっしゃるように、脚注や参考文献欄には入れたほうがよいと思います。 >また、注の付け方として、引用とは違って(?)、本文中で参考にしたことに触れるのではなく(×~によれば「…」)(×「…」(~、ページ数)) 参考にした文章のところに数字だけをつけて、引用一覧のところの該当する数字のところに、参考にした論文の著者、タイトル、出版社、出版年、ページ数をつけるやり方で書きたいです。 ⇒そうですね。『OO』参照とか『OO』に基づく、といった形にすればよいでしょう。なお、参考にした論文は、おっしゃるように著者名、タイトル、出版社、出版年、該当ページの順に書けばよいと思います。ただし、タイトルは、『OO』のように二重カギカッコで囲み、出版年については、同じ年に2本以上の論文がある場合、時系列順に2014Aとか2014Aのように区別することをお忘れなく。 >ひとつの事実を説明するために、多くの論文の文章を使って(参考にして)説明したいので、このやり方でスムーズに説明したいと考えるからです。ただ、この方法だと、どこからが参考にした文章のスタートになるのかがわかりずらいのではないかとも思います。 ⇒なるほど、そういう懸念がありますね。カッコにでも入れて、「このあたりの考え方は、OOOOの『OO』に負うところが多い」とか、「~から大いに啓発を受けた」などの文言を補ったらいかがでしょう。また、語句単位で引用することもあり得ますね。特に原著者独特の表現や造語の類の引用はこの方法に限ります。 少しそれますが、大いに先人の業績を参照・引用しましょう! There is nothing new under the sun. と言います。我々にとって、まったく独自に新しいことを発見することなどそう簡単なことではありませんよね…。しかし、先人の業績を参照することで、「間テキスト性」という付加価値を生み出すことはできるはずです。ただし、そのためにはそれらの業績の比較対照や吟味はもとより、「自分自身の脳ミソの参加」がぜひとも必要ですね。 「学びて思わざれば即ち暗し。思いて学ばざれば即ち危うし」(論語)。 以上、ご回答まで。ご健闘、お祈りします。
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- TANUHACHI
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もし貴方が大学生だとしたら、指導教員がまともな指導をしているかとの疑問を感じます。それほどに基本的な部分を誤解してもいる。 「引用」がそのままを抜き出すことは言うまでもありません。卒論なり学位論文ならば、他の説を紹介するならば「~によれば」の形をとり、その前提として問題提起の段階でテーマと過去の研究史整理を行い、その段階で「この問題に関する先行研究には以下の諸見解がある」としてA・B・………と研究者名と論旨の骨格を示す。そして[注]の形で一括し論文名、掲載誌などの典拠を示す。 「少しだけ形を変える」とはいっても、引用する側の解釈とその論文を読む側での理解に齟齬を生じさせる危惧があることを貴方は考えていますか?。 質問者が過去に何本か論文を読んでいることを前提としてお話ししますと、そうした作法そのものを理解していないとも受け取られてしまいます。 貴方が「少しだけ形を変えて引用した」論文を全く白紙の状態で読んだなら、その引用内容が正当であるかどうかはどこかに置き忘れられてもしまいます。そうなった場合に問題となるのは、貴方の論文が正当な論拠によって構築されているかどうかとの根幹的な問題を同時に派生させもする。 質問文で「聞きたいこと」の大凡の見当もついています。けれども僕は敢えて意地悪な形で応えてもいます。それがなぜかお解りですよね。この質問文面の読み方一つですらも、読み手によって解釈に幅が生じていることを知っていただきたい、知っておく必要があるとの配慮からです。 「少しだけ形を変えた」は既に貴方の理解が入っている形ですから、それを引用とは呼びません。弁解無用です。「引用する」ならば本文中に該当箇所を記すのではなく、○○はこう述べている[注No.]として[補遺]にその当該文を掲載する。 「ひとつの事実を説明するために、多くの論文の文章を使って(参考にして)説明したいので、このやり方でスムーズに説明したいと考えるから」であるなら、その「問題」に対し、先行研究A・B・Cが自説を補完するための傍証となるか、それぞれの見解が提起されそして批判される形で別の見解が提起されているのはなぜかまでを含めなければ、それは意味がなく徒に字数だけを埋めるだけにしか過ぎないともいえます。 専門領域の人間が覧れば、この○○の見解はだけであのことかと見当も付きます。
お礼
丁寧に、そしてご指摘ありがとうございます。まだほとんど論文を書いたことがなく、いただいたお答えに答えられる力量はないと思います。これからきちんと勉強していきたいです。 私の疑問の詳細についてはNo1さんのお礼の回答にもかかせていただいたのですが、意見の引用、正しさ、解釈の仕方というよりは(ご指摘いただいたように、解釈の幅や齟齬がでることは大きな問題であります。) ある事実を説明したく、 参照して書く場合について質問しました。極端な例になりますが、(解釈の問題は無視させてください) 「AとBが口喧嘩を長くしていた」という事実があるとして、ある論文Cでは「AとBが喧嘩をしていた」とその事実を説明しているとします。その事実をわたしが説明する場面で、その論文Cの文章を参照して「AとBが喧嘩をした」と書いて、注に論文Cをあげる、というような形です。 ある事実は複雑で、色んな論文を使ってこのパターンを続けていったときに、この注の付け方で大丈夫なのか疑問に思い、質問しました。
- minitya-han
- ベストアンサー率50% (10/20)
「少しだけ」文章を変えて使いたい、という疑問ですが、 引用の終わりに(原文を筆者が一部書き加えている)や(一部改編)という言葉を載せるのが一般的であったと思います。 指導教官がいらっしゃるのでしたら、一度お尋ねになってみてはいかがでしょうか。 どこからが参考にした文章のスタートなのかわかりづらいのではないか、という疑問ですが、 引用は二重括弧『』でくくりますから、大丈夫と思います。 おそらく『』でくくる部分と、間に自分の言葉が入るため、飛び飛びになってしまうことを気にしていらっしゃるのではと思います。 その場合、『』のすべてに番号を打ち、末尾注にその数字を一気に書き(1~13)、あとはあなたが把握しておられるような書き方にするのが丁寧です。 ただ、これではあまりにも注の数字が大きくなりすぎる、とのことでしたら、 最初と最後の『』に数字を打ち(1,2)、末尾注にその数字を書き、1~2の間の『』は何々から引用している、という書き方にするとよいと思います。 または、末尾に注を入れるという方法をここだけあきらめ、その段落の末尾に(『』の部分は何々によるところが大きい)という書き方をするという方法もあります。 既存の論文をご覧になり、同じような場合にどのような注をつけているか、参考になさるとよいかもしれません。 上の方法は、私が読んでまいりました論文に使われていた方法です。
お礼
丁寧にお答えしていただき、ありがとうございます。 筆者の「意見」等については、ご指摘いただいたように、引用として、「」でくくり、本文中にもきちんと示した上で書いているのですが、 ある「事実」を説明する場面については、自分で参照して(「」はつけず、文章を少しだけ変えて)使用しようと思っています。その事実というのが、複雑で、いくつかの論文を使って説明する予定なので、途中途中で参照したことを本文で触れると、流れがわかりずらくなると思い、数字のみをつけて、最後の引用一覧で示す方法を使おうと思いました。 私がみたいくつかの先行研究論文では、事実に関しては、注をつけていない場合が多いです。(ある事実を、自分の言葉で説明しているからだと思います。それでも、同じテーマの論文間では似たり寄ったりの文章であることもあります。事実なのでそうならざるを得ないからだと思います。) 自分が少しでも参考にした論文の文章については、注をつけなければならないと思うのでつけていますが、その加減?や注の付け方に不安があり、質問をさせていただきました。ある事実を全て自分の言葉で説明できる文章を書けばすむこととも思うのですが、 、、
お礼
丁寧に答えてくださりありがとうございます。聞きたかったことを理解して回答してくださったのでベストアンサーに選ばせていただきました。私の疑問はno1さんの回答のお礼の方にもさらに詳しく書かせていただいたのですが、 自分の脳ミソを参加させた?本論の部分は自分の文章になりますが、そこに至るまでの前提条件としての、ある事実、事実背景の説明部分がほぼ参照の文章だらけになってしまうことに不安を感じ、質問をさせていただきました。