>鎌足はあくまで「中臣」であり「藤原」は息子の不比等から名乗ったと思うのですがどうなのでしょうか?
中臣鎌足という人物は、本当に不思議な人物です。
日本書紀では、藤原一族の正当性を記した物語ですよね。
この藤原一色の物語でも、百済救済へ向けて派兵する前後の記録から鎌足は消えています。
この事から、俗説として扱われている「鎌足=百済国の人質=百済国の王子=豊璋」との説が出てきます。
大化の改新にしても、百済援軍に猛反対していた(当時の外務大臣)蘇我一族が粛清されたのが要因。
「いっしの変」で、蘇我本家が滅んだ時に「入鹿は、韓人に殺された」という古人大兄皇子の叫びが意味を持ちますね。
以後、天智天皇(鎌足の力で、天皇即位。傀儡政権)は「反新羅政策」を協力に進めます。
まぁ、天皇即位に尽力した鎌足一族に対しては「YES」しか言えなかった様ですね。
天皇を顎で使う事が出来る鎌足一族は、徐々に日本人の長として実力を持ちます。
天智天皇としても、日本の名家として鎌足一族を扱う必要がでてきます。
結果、鎌足の死後「藤原姓」を送りました。
>息子の不比等から名乗ったと思うのですが
実は、その通りで鎌足本人は藤原とは名乗っていませんよね。
息子から「藤原一族の不比等」と名乗ります。
が、日本では「死後の贈り名」という制度が昔からありますよね。
宗教の世界では、空海が(死後天皇から)弘法大師と送り名を得ています。
空海本人は、一度も弘法大師と名乗った事はありません。
が、誰もが「弘法も筆の誤り」など現在でも読んでいますよね。
同じ事です。
天皇に関しても、昭和天皇という号は「死後に与えた追号」です。
現在の天皇は「今上天皇」で、決して「平成天皇」ではありません。
それでも、明治天皇・大正天皇・昭和天皇と「死後の号」で呼んでいますよね。
同じ事です。
お礼
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