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宇宙人
この前幼年期の終わりというSF小説を読みました。その小説中では人類よりはるかに優れた文明をもつ宇宙人と人類が接触することによって、世界中のキリスト教やイスラム教などの宗教は仏教の一部以外消滅してしまいました。 もしも本当にそのような宇宙人と人類が接触したら、宗教はどのような影響を受けるのでしょうか。自分の信じる宗教の教えが絶対に正しいと信じている人には、その教えが相対化されかなりの衝撃だと思いますが。
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殆どの宗教は悩める人間を救うと言います、それが目的だと主張します。これに異を唱える人はめったに居ないでしょうね。 でも考えてみてください、仮に布教活動の結果全ての人から悩みが完全に消えたらどうします? 目的を達成したのだからもう存在意義はありませんよね。なら解散するか?とんでもありません! 巨大な組織となった団体はそれ自体で自己増殖作用を発揮します。当初の目的は何であれ今となっては組織の存続が何より重要で人々の幸福など関心の外になります。 ある宗教は全ての人は罪人であると言います。いえ私は罪を犯していません、と言っても無駄、生きる事自体が罪だと言っているのですから話になりません。これなら人間が生きている間は信者を捕まえていられますね。 また別の宗教は幸福をもたらすと言います、ではなぜ新聞の勧誘をしつこく迫るのですか?人々に幸福をもたらすのに新聞はそんなに有効なんでしょうか。以前読みませんからと断ったら「読まなくても良いから一ヶ月だけとってください」だって。これが多くの宗教の正体です。 残念ながら殆どの宗教の実体はそんなものですから宇宙人の教えを有り難く戴くなんて考えられません。組織の存亡がかかっているのです。 覚えていてください、どんな組織も巨大化すると当初の目的とは別に恐るべき自己増殖作用を発揮します、まるで悪性腫瘍のように。 食品偽装、政治腐敗なども根は同じでしょう。
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- taco8ch
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宇宙人にも布教するんじゃないですか?
15です、その場合既存の宗教と宇宙人の間で激しい対立が起こることは明白です。 人間は他人からのお仕着せを非常に嫌いますしまして相手は縁もゆかりも無い宇宙人。 同じ地球人同士でさえ激しい宗教対立が起こるのだから既存の宗教が素直にひれ伏す筈がありません。地球の宗教同士が結束し宇宙人に立ち向かうかも知れません。 めでたく追い払ったとしてその後地球は従来の秩序が崩壊し地獄の様相を呈すかも知れませんね。 人間とは、宗教とはそういうものだと思いますよ。
お礼
回答ありがとうございます。小説中宇宙人は人間に歴史上かってないほどの平和と繁栄をもたらした慈悲深い存在として描かれています。 既存の宗教はそんな宇宙人を追い払おうとするんですね。 宗教は人間の苦悩からの解放をうたっておきながら、実際にそうなりそうになると全力で反対するんですね。あなたの考えではは既存の宗教こそが建前とことなり、人間の苦悩を一番必要とする偽善であるといったわけです。ということはそんな宗教を信じる人も本心は苦悩から解放されたいのではなくて、苦悩することが実は好きなんでしょうか?いろいろな考えがありますね。
宇宙人の高度な文明でも宗教を根絶やしには出来ないと思います。 人間に悩みがあり将来が不透明で合理的な解決手段が無い場合現存の宗教が形を変えて存続すると思います。組織の自己増殖作用を軽く見てはいけません。 教義の解釈を微妙に変えて何事も無かったように振舞うかも知れないと言うことです。 このような事が起こるのは聖書のここに書いてある、と言うようにこじつけなどいくらでも出来るし「聖書のどこにも宇宙人は存在しないなんて書いてありません」と言うかも知れません。 他の宗教も同じだし更に宇宙時代に相応しい新興宗教が次々に生まれるかも知れませんね。 キリストの時代でも様々な宗教がありむしろキリスト教は少数派だったのです。アポロニウスの教えなどもっと高級で上流社会に相応しかったらしいですが難解で普及は難しかったとか。 混乱の時代に様々な宗教が生まれては消える事は歴史が証明しています。
お礼
回答ありがとうございます。でももし宇宙人の指導により人間の悩みなどが既存の宗教よりも確実に減ったことが明らかになれば、既存の宗教の存在意義はなくなりますよね。
当方は頭を真っ白にして何も考えない状態になれる特技があります。 まだ仏教的な悟りの境地には程遠いのですが、きわめて効率的な瞑想が可能です。 宇宙人に限らず宇宙全体の普遍的な意思と呼べるものは、人類の歴史を総合すると「愛」です。(まだ幼い人類にとっては慈悲でもあります) 殆ど年中瞑想状態で悟りの道を目指す当方の感想では仏教に限らずインド哲学は最高の古典です。 せいめい進化の中で人類にかぎれば、文化、文明、固有の歴史などは必要で、その他の宗教と言うよりも「偽物の信仰心」「裏切り者の愛」などが淘汰されます。 これが現在起きている自爆テロの現象の由来です。 銃乱射などもこれに含まれます。
お礼
回答ありがとうございます。
- lv4u
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>>もしも本当にそのような宇宙人と人類が接触したら、宗教はどのような影響を受けるのでしょうか。 「幼年期の終り」はアーサ・C・クラークの小説ですね。本だなに並んでいました。 「そんなこと知ったこっちゃない」って蛸つぼの中のにはいったような宗教も出るでしょうし、葬式等の儀式だけやっていればいいと思っている宗教も同じかもしれませんね。 でも、もちろん大きな影響は出るでしょう。地球と彼らとの数千年の科学技術レベルの差を示す「有形」なものによる影響は大きいと思います。 1)無尽蔵といえる無害なエネルギーの供給手段 2)有害物質の原子転換による無害化 3)ワープ航法による、数百光年先の星もお隣さん同様な宇宙旅行 4)タイムトラベル機能を搭載したUFOによる、紀元前以前時代の映像や歴史的人物の思考データ提供 5)貨幣制度、地球的な宗教の存在しない、貧困が無い宇宙人の社会制度の紹介 6)大気・食品の有害物質排除等による、人間の長寿命化 7)異次元通信機による死者(前世意識)との対話 特に、4の技術により、キリストが十字架のところで死んでいなかったとか、彼の子どもの姿などが映像に出てきたら、彼の功績はゆるがないとしても、やはり影響は大きいでしょうね。 既存の宗教を信仰している方でも、素晴らしい科学技術の成果を見れば、(もし宇宙人に宗教があれば)そっちに鞍替えする方も増えると思います。でも、科学技術の成果は吸収できても、心・魂・信仰等が一気に彼らのレベルに追いつくとは思えません。2~3世代の世代交代を経て、ゆっくりと変化していくものと思います。 地球人類のみで、彼らのレベルへの進化って選択もあるけど、「日本の下手な政治」とか「イスラムvsアメリカ・イスラエルの果てしない泥沼」、そして核の北朝鮮・イランを含む多くの国への拡散状態を思うとき、「彼ら、宇宙人の力を借りて、事態の打開を図る」って選択もありかな?なんて思うこのごろ。
お礼
回答ありがとうございます。 地球人類のみで、彼らのレベルへの進化って選択もあるけど、「日本の下手な政治」とか「イスラムvsアメリカ・イスラエルの果てしない泥沼」、そして核の北朝鮮・イランを含む多くの国への拡散状態を思うとき、「彼ら、宇宙人の力を借りて、事態の打開を図る」って選択もありかな?なんて思うこのごろ。 にはふかく同意します。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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ANo.10さんの論理が明らかにされております。 私達も絶対という唯一者を信仰するが、宇宙の創造聖なる河が打ち寄せている、岸辺の藻屑や流れ自体に虜になった意識が紡いでいる世界や状況をそれと決定してしまうことは、警戒したいですね。 そのためにいろんな勤行や伝統的手法があります。その実践とともに 外部からの訪れ、来訪神との接触は大事ですね。 人や何かでの有形の訪れ、そして無形の訪れ。 宇宙人やその宗教は有形で訪れてくれるでしょうか。 でも、いろいろ接触したり、教えがもたらされたりしているのを、私は宇宙のある意識がされているように思えてきます。 brageloneさま、そうですよね。
お礼
回答ありがとうございます。
- kigurumi
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No.5です。 >ちなみにこの本は欧米ではあんまり評判が良くなかったようです。 実はあらすじはwkikpediaで読んだんですね。 そこにはあらすじ以外『しかしSFファンからの評価はさほどのものではなく、欧米では長いことクラークの代表作としては扱われなかった。 これに反して日本では紹介当初からSFファンに高く評価され、歴代SFベストテン投票の常連となっている。 この差異の原因は何よりまずクラークの描く終末観に見られるアンチキリスト教的色彩に求められよう。』って書いてあったんで、その情報を元に内容をうっすら想像したんです。 で、『人類に嫌悪の情を催させる特異な姿をしたオーバーロードが人類の進化を援助し、人類の終末を見取るという結末は、欧米の一般読者層には受け入れがたいものであったと考えられる』この欧米の一部の層に受け入れられたと考えられるってのも、また想像してしまいました。 西洋の思想はユダヤ教とキリスト教により成り立っている。 で、キリスト教はかつて「もう人類が絶滅するしか救いの道は残されていない」と考える人も教父の中に結構いたらしいんです。 絶滅の後の進化。 意味よくわかりませんが、肉体が滅んだ後も人は存在し続ける という仮定の前提がなければ成り立たない理論。 オーバーロードの目的は「人間を養殖していた?」って印象があるんですね。 ばらまいて、どういう進化を遂げるか観察していた。 で、あるところまできて、一向に自分の目標に人間がならないので、えええーい って思って、直に人間の進化に介入したんじゃないかと。 その介入がなければ人間は殺しあうしかなかったとすれば、救済? 結局 それ奴隷だからですよね。 飼育され調教される奴隷。 恐怖で支配して服従させ、自分の思う通りに相手を作り上げる。 トップの支配者が変わっただけで、結局奴隷のまま。 だから これはクーデターだって私思ったんです。 アーサー・クラークの作品は2001年と2010年宇宙の旅しか映画で見ていないのですが、2001年の時にオーバーロード的な存在が現れ、核兵器をお互いの国に向けていたソ連とアメリカは、オーバーロードのメッセージを受け、仲良くすることにいきなりしましたよね。 自分達より大きなものの存在に気づき畏怖が生まれ、こりゃ こんなことやっても無駄だって気づき、仲良くすることにしたわけですが、両国のトップはオーバーロードに跪いたわけで、、、、 お互いの国が自分こそ正しいってケンカしていたが、いわゆる 自分が地球のトップだと確信していたのに、それを上回る存在が現れたとき、トップの座をオーバーロードに明け渡したわけで、これは男性の特徴。 キャンプで誰がボスか決定すると、見事な統率力をみせ、一人のボスの命令に従順に従う社会を作り上げる。 これが男性社会の特徴。 男性の別な特徴の一つに暴力と殺人がある。 刑務所に入っている凶悪犯・殺人犯の9割は男性だということからも、この理論は全く間違えているわけじゃあないとわかるんじゃないかと。 で、紀元前3500年頃を終わりとして、母権社会は一応地球上ではなりをひそめたんですね。 その頃から人類は侵略・破壊が活発になりだした。 その侵略・破壊・殺人が今までに無い規模になったのは、キリスト教が大きくなってから。 父権社会の象徴のようなもの。 どんどん他の地域の女神たちを悪魔だと塗り替えていって残っていた母権社会、女神崇拝を地球上から消し去っていった。 ave maria という歌。 これはアンチキリスト的な要素を持つと思えます。 最後の句は 『今も、我らの死の時も』 死の時も?? と不思議な印象を受けますよね。 ヒンズー教にカーリー・マー というものがある。 創造・維持・破壊を司る女神。 カーリーは子宮(womb)であるとともに墓(tomb)。 そういう意味では、小説の中の地球の人々が宇宙船に乗るということは、wombに帰還するということを比喩的に表現しているのかもしれない。 ヨナ物語もクジラに腹に3日間滞在して、また再生したという描写になっている。 カーリー・マーは破壊者の面が主に注目されているわけです・ で、カーリー・マーの信者たちは、かーりー・マーのお陰で生まれ、カーリー・マーにより生かされたんだから、カーリー・マーにより滅ぼされるということをいさぎよく受け入れる という思想のようなんです。 新世紀エヴァンゲリオンでは、ATフィールドというものがあり、このせいで、いがみ合いが起こり、無理解が起こるとされていたんですが、リリスから発せられたアンチATフィールドにより、この人と人とを隔てる壁が消えていったんですね。 融解が起こりつぎつぎくっついていくわけです。 その前に主人公はレイに「僕はいてもいいの?」って聞いたんですね。 レイは無言。 これで主人公のタナトス(死)への欲求が起こり、サードインパクトが起り、人類は一つになった。 人(男)は誰か自分より強いものの存在により、自分の存在を確認するしかないのか。 相対的にしか自分の存在を確認できないのか。 そうなると 常に相対的な誰かの存在を永遠に求めるしかないわけです。 そのような永遠のカルマ(運命)を断ち切ってくれるのが、カーリー・マー。 もののけ姫の場合だと、シシ神がカーリー・マー。 ave mariaの『今も、我らの死の時も』はカーリー・マーをイメージしていると思えるんです。 結局これも信仰ですが、この信仰は滅びも受け入れているわけです。 同じくカーリー・マーも超越的な存在で、人間がイメージしたものかもしれませんが、カーリー・マーは架空の存在ではなく、自然界と同じもので、同じというよりカーリー・マーは自然そのものであり、現実私達はそのカーリー・マーの世界の中に生きているし、その世界の中でしか生きられない。 何故なら我々も自然なのだから。 つまり、我々はカーリー・マーの一部である。 このことを知った時、ジャンのように滅びを受け入れるんじゃないかと。 それができないと、永遠のカルマによりグルグルと周り続けるしかない。 車輪から脱出するには、死を受け入れることだと思います。
お礼
回答ありがとうございます。「小説の中で地球の人々が宇宙船に…」 とありますがそうなりませんでした。
ちょっと横からの物言いになりますが。 《自分の信じる宗教の教えが絶対に正しいと信じている》場合というのは その教えが たとえ正しいものであったとしても――その信じ込みによって―― 《絶対に正しくない》と自己証明していることだと思います。 つまり たとえ仮りにその《教え》が《絶対に正しい》ものだとしても それを《信じている》人間は どこまで行っても 時間的・経験的で相対的な存在でしかないからです。その有限の能力しか持たない存在が――信じることは自由ですが―― 《絶対だ》と言っていることは 他の人から見れば《相対》のことでしかないからです。 そのように他の人の存在と信教・良心のことが見えなくなっているのなら その宗教の教えは 絶対ではありません。(教えは 正しいが それを信じる人が悪かったのだという弁解を用意するかも知れませんが もしそう言う人であるなら その人は 他の宗教の教えが絶対だと言っている人の存在とその宗教の存在とを まづ認めなければなりません。つまり すでに 相互の教えが 相対的なものであるとなります)。 つまり 設問に沿うならば そのような宇宙人との接触によってやっと初めて 《その教えが相対化され》ただけとなります。たしかに《かなりの衝撃だと》なるのかも知れませんが。
お礼
回答ありがとうございます。宗教を信じる人は、絶対に自分の信仰が正しくほかは間違った教えだという考える傾向があるんですよね。本当に困ったものです。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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失礼誤植訂正 分化⇒文化 そんな鯉が現れてから考えるさ。と応えた。 ⇒そんな鯉が現れてからの事さ。と応えた。 失礼しました。
お礼
回答ありがとうございます。世の中ひろいですね。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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分化同士の接触は多かれ、どうあれ、衝撃はありました。 相当あるでしょう。私も信仰者ですが、絶対者とその教えは信じていますが、自分の信仰が絶対だとはまだいえません。 でも絶対者の領域に一になれば、絶対者を景仰しながら、その領域にいるでしょう。 そして他の惑星などよりの絶対の信仰に遭遇できれば、幸いと存じます。快いがどうか知りませんが、衝撃は結構ではありませんか。 修行を積んだ禅者が、名の響く大師に面会し、ここに金の荒綱でもふん縛れない、大鯉がいる。 師はこれをどうするや。 などといった。 大師はほぅ。どこにそんな鯉がいるかな。 そんな鯉が現れてから考えるさ。と応えた。 ことばのやりとりが、ここで問題ではなく、両者が自分も知らない、現実の心底がどうだったかの問題なのだが、修行を積んだと思っていた、遍歴の禅者は、全身を冷汗でぬらした。というお話があります。 私は禅宗の勉強も、お勤めもしてはおりませんが、みなそうやって、見知らぬ、方に日日お会いしているのでしょうね。
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お礼
回答ありがとうございます。たしかにその通りかもしれませんね。 組織的宗教にとって最大の脅威は、信者が救済されることなのですね!