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死んでいい人間はいない

死んでいい人間はいないっていいますけど 死んでも困らない人間はいますよね? 例えば私が死んでも貴方は困らないはずです 一切の関わりも何もない存在でいないのと一緒だから では、その死んでも困らない人間が死んではいけない 貴方の立場から考えた理由は何でしょうか? っていう問いにはどう答えればいいですか?

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noname#209756
noname#209756
回答No.13

私は人権重視ですが、それでも社会的にこの人死んだほうが社会のためと思う人がいます。 多分、精神障害と性格が重なって悪いことばっかり考えてます。 普通の人と考える善悪の比率が反対くらいなんですね。 でもその人はおそらく犯罪を犯せば、刑務所で加害者としての人権があります。 また犯罪を犯さなくても、本来なら社会に悪を創造して周囲に迷惑をかけさせないため、隔離して何かの同等の人権はあると思います。法学でいう不快原理に近いでしょうか。そういう人間が普通にやっている行為が暗数化され、普通に生きて周囲に迷惑させているのが、実際の世の中なんですが。 ようは困らないというのは便利なんであり、有用でないと生きてはいけないというのはかつての第2次世界大戦中と前のドイツを思わせます。全体主義という感じです。 職場の雇用はその方向が暴走しないように気をつけないといけないですね。役に立たないものは解雇では、やり過ぎになってしまいます。 功利主義がはびこっているのですが、どのような人間にも人権は存在します。社会に有用、無用で生きてていい悪いではなおです。

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  • a_hona
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回答No.4

死んでいい人間はいない、という時のその言わんとするところは、自分を大切にしなければならない、というくらいの意味かと思います。じぶんは自分の一番の味方であるということを、他者であるがゆえに諭したくなるものではないでしょうか、他人のために何もしてやれない時の方が多いのですから。 後は、世間的な解釈では、両親や友人が悲しむ、一人で生きているわけではない、などが考えられると思います。

回答No.3

死んでいい人間はいると思うぞ。 まさに人を殺そうとしている人間は死んでもいい。 あなたに死んでもらっては困る。この回答を読んでもらえない。 あなたが死ぬと困る人間を知る人間が困り、その人間を知る人間も困るならば、私は多分誰が死んでも困ることになる。ま、なんとかなるってだけだけどね。

  • yuniko99
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回答No.2

麻原彰晃は別として 貴方にとって私が死んでも困らないとすると 私にとってもあなたが死んでも困らないことになるかもしれません そうすると僕にとって50億人くらいの人は死んでも構わないことになるかも そうすると向こうもそう思う 僕は50億人以上の人から必要のない 死んでもいい人間になる いや実際にそういう考え方が主流になれば 私を必要と持ってくれる人が果たして何人いるか? 死んでも代わりの人が入るだけ(今の雇用のようですねえ)になれば 実際に人権など無視して死んでも構わないムードになってしまう そうなるともうそういう考えで社会が運営されてとてもじゃないけど生き辛い世の中になると思います。 死んでも構わないなら戦争しちゃえ 粛清しちゃえって事になって この世は地獄になりかねないのではないでしょうか?

回答No.1

死んでいい人間もいなければ、死んではいけない人間もいない。 「死んではいけない」のは、人ではなく時である。 生きるべきであるが、生きるために死ぬべき事もある。 人の遺伝子には、50回ほど細胞分裂すると、それ以上分裂 できなくなり、老化して自ら死ぬタイマーが備わっている。 異性と交配し、遺伝子を組み替えて、新世代を育てる以上、 死ななければ人口爆発して絶滅してしまう。 異性を愛する事、子供を慈しむ事は、自らの死を望む事だ。 衣食住どれをとっても、世界中の人々の営為に依っており、 あなたは一人では生きられない。 人類は社会的生命であり、「あなた」の命は人類全体だ。 社会生命において、分業化し共同する組織の内は「自らの命」 だが、その外とは生存競争する敵対者に他ならない。 であれば、その構成員は、内部での競争における優劣とは 無関係に、どんなに非力であっても、共同か競合かによって プラスかマイナスかの絶対的な価値の差異がある。 人は、どのような戦闘に勝つよりも、より多くの人と協力する 事が真の勝利なのだ。

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