• 締切済み

A級戦犯は何の罪を犯したのですか?

私は理数系で社会科学には疎いので、お手柔らかにお願いしますm(*- -*)m (1)靖国神社の問題で「A級戦犯が合祀されている」という批判が聞かれます。 (2)そもそもA級戦犯とは何の法律を犯した人たちなのか?を自分なりに調べてみました。 (3)A級戦犯とは「極東国際軍事裁判所条例の第五条(イ)項」に反した罪で、この根拠は「国際軍事裁判所憲章」にあるらしいです。 (4)しかし「国際軍事裁判所憲章」は1945年8月8日に戦勝国のみで調印された憲章であって、日中戦争や太平洋戦争開戦時には存在しなかった憲章です。 (5)法学には「法の不遡及」という大原則があって、実行時に合法であった行為を、事後に定めた法令によって遡って違法として処罰することを禁止するものです。 (6)こうして考えてみると、A級戦犯は実行時には憲章がなかったのであるから、犯罪者ではないようにも素人ながら思えるのですが・・・A級戦犯が犯罪者である根拠を教えてください。 お願いします。

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  • Ganymede
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回答No.7

どうも基本から分かっていらっしゃらないかも知れません。軍事裁判にはざっと3つの類型があります。 (a) ニュルンベルク裁判、東京裁判 (b) 軍律法廷 (c) 軍法会議 軍法会議は、主に自国の軍人を裁くものであり、軍には付き物だ。無茶苦茶な兵隊は野放しにせず、自国で取締らないと、軍の秩序も維持できないのである。 軍律法廷は、軍の司令官が占領地で軍律を布告して、被占領民(敵国の民間人や軍人)などを裁く。我らが日本は、日露戦争でも第一次大戦でも、軍律法廷を設置するための軍律を発布している。 ニュルンベルク裁判および東京裁判は、軍律法廷の一種でもある。ご存知のように、東京裁判はマッカーサーの発布した極東国際軍事裁判所条例に基づいていた。ただし、この2つはそれ以前の軍律法廷に比べてド派手だった。 いや、第一次大戦でも派手な軍事裁判が開かれる手はずだった。戦勝国は、敗戦国ドイツの皇帝ヴィルヘルム2世(敗戦直後に退位)を、裁判にかけることを決定した。理由は、「皇帝は国際信義に反し、条約の神聖を汚した」というものだった。日本は戦勝国であり、この裁判に同意している。 ただし、ヴィルヘルム2世は中立国オランダに亡命し、オランダが連合国に対して引渡しを拒否したので、裁判は不発に終わった。 つまり、仮に第二次大戦後に戦勝国が天皇を裁判にかけたとしても、日本は抗議できる筋合いではなかったのである。天皇は憲法第3条(天皇は神聖にして侵すべからず)により無答責(責任を問われない)だったが、それはドイツ帝国でも同様だった。と言うか、君主の無答責はヨーロッパの方が先で、明治憲法はそれを真似したのである。にもかかわらず、第一次大戦後日本は、ドイツ皇帝を裁判にかけることに同意したではないか。 第二次大戦後は、天皇の身代わりのように、軍および政府の高官たちが裁判にかけられた。それが東京裁判である。 東京裁判に対しては、国際法の横田喜三郎、刑法の団藤重光という二大巨頭が、これを(部分的には批判しつつも)おおむね肯定的に評価したということが大きい。二人とも東大法学部教授、最高裁判所判事(横田は長官)、文化勲章受章者である。 それに比べれば、ネトウヨ御用達の佐藤和男(国際法学者)など小物も小物で、話にもならない。多くの学者は東京裁判を無効と考えているなんて、何を根拠に言うのか。……と、小物以下の存在である私が居丈高に申すのも滑稽なので、ここは一つ、なぜ碩学たちが部分的には批判しながらも結論的には肯定したのか、忖度(そんたく)してみよう。 前回の回答で述べたように、大陸法の考え方に照らせば東京裁判は事後法でアウトなのだが、英米法の考え方ではセーフになりうるのだ。それが分からなければ、どうぞ勉強なさってください。 「侵略戦争は国際法上の犯罪」、「その罪は可罰性を有する」という不文法が第二次大戦前から存在していて、それを確認し成文化したのが極東国際軍事裁判所条例(http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPUS/19460119.O1J.html)である。したがって、行為当時の不文法に違反していた東京裁判の被告らの犯行は、裁判所条例によって裁かれ得る。 ただし、ここで私たちは高柳賢三を想起すべきだろう。英米法学者で東大法学部教授、東京裁判では日本側の弁護人を務めた。 彼は、コモン・ローの漸進性を強調する。これもご存知なかったならば、「コモン・ロー 漸進性」で検索してみてください。 この高柳の批判は、当たってもいるだろう。ニュルンベルク裁判と東京裁判はコモン・ローの漸進性に反していた。このように、東京裁判を批判する声は英米法学者(または英米の法律家)の間にもあるわけだが、それを誇張するのがネットのガセネタの通弊である。世界の多くの学者が東京裁判を否定だって? 批判と否定は同じじゃないだろ。そして、それを真に受ける御方も少なくないのだった。 また、A級戦争犯罪の法的な根拠についてであるが、裁判長は「のちほど申し渡す」と言い、根拠を判決(ジャッジメント)の中に書いた(http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1276125)。所詮、トートロジーのような根拠なのだが、ジャッジメントに書かれては弁護団はもはや反論できない(すでに裁判は終わっている)。連合国はネトウヨの何倍も頭が良かったってことだ。 しかも、日本政府は講和条約第11条でジャッジメンツを受諾したのだから、A級戦犯が国際法上の犯罪人であると認めたことになる。「同第十一条によって、日本国は、右裁判によって判決を受けた事件に関する限り、国際法上の犯罪であることについて反対しない義務を負ったのである」(外務省条約局第三課、1953年2月24日)。 これを逆に言うと、「国内法によって犯罪人とされたのではない」となるが、負け犬の遠吠えのように聞こえる。 また、法というのは弱者の味方もする。 B級(通例の戦争犯罪)ならば事後法の恐れはないのに、なぜ連合国はC級(人道に対する罪)を設けたか。これは、ナチスドイツに蹂躙された弱小国などを擁護して、連合国が助太刀するためだった。 弱小国と言っては失礼だが、チェコスロバキアなど、初期に早々とドイツに占領された国々である。ナチスドイツの残虐行為にさらされた。このナチス犯罪を剔抉(てっけつ)するには、「通例の戦争犯罪」の範疇だけでなく、それを拡大したような「人道に対する罪」の概念が求められた。 こうして、「ドイツに早々と占領された国々」の反乱軍と、英米などが、ガッチリ協力して第二次大戦を戦い抜く道筋ができた。いや、英米などは必ずしも大規模な戦犯裁判に大賛成でもなかったが(国際法上の瑕疵を意識していた)、ぜひとも約束する必要があった。 なぜなら、「占領された国々」がナチズムに馴致(じゅんち)されてしまったら、連合国の戦争目的が霞(かす)むからだ。「暴虐非道のドイツを打倒して、我々を解放してください」という声を、それらの国々に上げてもらってこそ、連合国の大義名分が立つ。 このC級(人道に対する罪)は第二次大戦後も適用例があり(例えば1993年旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷)、国際法として確立された。 平凡社『世界大百科事典』によれば、第1回国連総会は、「ニュルンベルク裁判所条例によって認められた国際法の諸原則」を確認する決議を、全会一致で採択した。これを受けて、1950年国連国際法委員会はいわゆるニュルンベルク諸原則をまとめた。「ニュルンベルク原則」で検索してみてください。 ニュルンベルク裁判所条例をまねしたのが東京裁判(極東国際軍事裁判)所条例である。つまり、東京裁判は否定されるどころか、肯定されたのであり、国連のお墨付きを得て国際法の原則となっていった。

  • 3355Teach
  • ベストアンサー率11% (12/101)
回答No.6

戦争という、主権国家による政治行為の指導的地位にあったからです。そして、東京裁判は一般法廷ではなく、国際軍事法廷です。軍事法廷は、勝者が敗者を裁く場です。ゆえに、挙げておられる諸項には何の意味もありません。日本が勝利したとしても、同様のことを敗戦国にやったでしょう。

ideaism
質問者

お礼

この論理は解せません。 日本は第一次大戦や日露戦争などで勝ってますが軍事法廷はしてませんよね。 国際軍事法廷は勝者が敗者を裁く場だからなんでもいい、というのは、まかり通らないと思います。 それゆえ、多くの学者は東京裁判を無効と考えているのではないでしょうか? 法律というのは弱者の味方もするものです。 そもそも無法だと勝った方のなすがままになるので、法律ができたのですよね?

回答No.5

ご質問の内容とほぼ同じ内容の質問、すなわちA級戦犯の法的な根拠について 東條首相のアメリカ人弁護人が初回審理でウエッブ裁判長に質問していたと記憶 しています。裁判長は後日、回答すると言ったまま、結局、回答はなかったはず です。 まあ「平和に対する罪」などというものの説明はできんわな^^; もう、とっくに国際法の学問分野ではあの裁判の有効性は世界的に否定されて いると聞いていますが、それは学問的なことで^^、、、、 あれは、政治ですからね。日本人が一番よく理解してるでしょう、日本には昔から 適切な表現がありますから。 勝てば官軍。負ければ賊軍。

ideaism
質問者

お礼

>勝てば官軍。負ければ賊軍。 この言葉。全くその通りです。 問題は、「負けた日本はいつまで賊軍でい続けなければいけないのか?」 ということ。 薩長と会津の戦いも賊軍にされてしまった側は、後の世、名誉回復されてますよね。 戦後もう70年も経つので、そろそろ政治ではなく、学問的に正しい歴史観を日米中韓は持った方が良いのではないかってもいます。 >もう、とっくに国際法の学問分野ではあの裁判の有効性は世界的に否定されて > いると聞いていますが、それは学問的なことで^^ これが一番知りたかったです! 大変参考になりました。回答ありがとうございます。

  • jagd4
  • ベストアンサー率30% (70/233)
回答No.4

「侵略戦争」なら、判決は正当という意見は間違いです。 目的に関わらず、戦争は「国家の行為」です。 である以上、戦争指導者であっても、国際社会においては「個人の責任・犯罪」は問えません。 国際法についても誤解している人が多いのですが、 「主権国家を裁く権利」をもつ存在は、戦勝国を含めて現在でもありません。 「戦時国際法」は、「戦時下での個人の国際法違反の行為」を裁くものであって、「国家」や「戦争」そのものを裁くものではありません。 その為に、戦争は「平和条約」という国家間の契約によって「終戦」するしかありません。 また、国際法とは国家間の条約や協定、当時の習慣や常識の集合であって、【国際法】として明文化されたものではありません。 そして、国際法は時代と情勢の変化により進化をし続けていることも確かです。 ↑を理由に東京裁判を正当であるという主張もあるようですが、それは以下の理由で誤りだと思います。 東京裁判の裁判所条例ですが、ドイツを裁いたニュルンベルグ裁判の条例を基にしています。 この条例は、当時の「国際法」や「条約」では日本とドイツの指導者を裁く事は出来ない為に、新たに作られたものです。 その為に、英米仏ソは戦犯の意義を拡張する為の会議をして、1945年8月、ニュルンベルク裁判の条例を作りました。 しかし、ポツダム宣言を発したのは7月25日で、その時には東京裁判どころかニュルンベルグの条例すら出来ていません。 以上から、日本とドイツはこれらの裁判所条例で裁かれることを承知で降伏していません。 降伏後に後付の条例や、【法の一般原則】とやらで当事国の承認もなく作られた法や、彼等の都合によるそれらの解釈で裁かれることが正当化されるなら、それは国際社会が勝者による私刑を認めたことになります。 それ以前に、「不文法」や「コモン・ロー」とやらを理由に、判例もない事件・犯罪について裁けるなら、わざわざ裁判所条例など作る必要すらないと思います。 ところが、各裁判の判事は、犯罪の定義は「裁判所条例」に決められていると語っており、↑と矛盾しています。 質問の主旨ですが、文章からは(6)のみと考えてよいのでしょうか。 また、以下の回答は、質問者様はA級戦犯の定義や、彼等への判決が遡及法によるものである事をご存知だという前提でのものです。(見当違いの薀蓄の長文で騙されるような方でもないと思いますし) 回答 質問文では、「誰から見て」「どのような見地から」という視点を要求していないので、以下のようになります。 連合国については、「東京裁判は正当な裁判である」という事に拠っています。 それに、連合国の立場では、現実に処刑されてしまった人達がいる以上、 今更「ついカッとなってやってしまった。国際法などどうでも良かった。今は反省している。」などと言える筈もありません。 しかし、公的(国家、政府として)には、認めていませんが、連合国の関係者には認めている者もいます。 一方、日本は当時の国際法では、対象の個人を裁ける法はないという事から、東京裁判を正当な裁判とは認めていません。 実際に、元A級戦犯の中には叙勲された者もいることから、国内世論も彼らを犯罪者とは見做していないと思います。(理由は後述) (日本では有罪が確定した者には叙勲資格がなくなります) 日本側から見れば、降伏後に定められた裁判所条例である上に、↓のような運用で行われた東京裁判は、連合国の報復感情による私刑でしかありません。 イ:判事は、国際法より連合国の意向に沿う判決を要求されていた。 (「法」以外の何かの「意向」が優先されている時点で裁判ではありません) ロ:元A級戦犯の罪状である「平和に対する罪」が戦時中には存在しない「事後法」を適用している。 ハ:判事や裁判官に戦勝国側の者しかいない(裁判の公平性が保たれていない) 二:判事に国際法の専門家は、インドのパール判事しかいない。(パール判事は、日本の無罪を主張)」 ホ:実際の審理も、連合国に有利な証拠は審理が甘く、敗戦国側からの証拠や弁護は認められなかったり、却下されている。(これは、判決後、裁判に関わった者も指摘しています。) へ:戦争を個人の罪として裁いている。 更に、東京裁判では、↓が遵守されておらず、判事国の都合で恣意的に運用されていました。(動画も参照) 【第九条 公正なる審理の為めの手続】 被告人に対する公正なる審理を確保する為め、左記の手続を遵守すべきものとす。 (ロ)用語 審理並に之に関連せる手続は英語及び被告人の国語を以て行はるべきものとす。 文書其の他の書類の翻訳文は必要なる場合請求に応じ提供せらるべきものとす。 動画の部分の日本語の記録がないのは、【条例】で定めてあるはずの、法廷における日本語への同時通訳が停止してしまった為です。 (日本人の傍聴者に知られて都合の悪いことがあったのでしょうか) ブレイクニー弁護人の発言は英文の速記録には記録されています。 この問題については、↓のサンフランシスコ平和条約の第11条の「accepts the judgments」を日本語では「裁判を受諾」と訳しているので、A級戦犯の罪を認めているという意見があります。 【サンフランシスコ平和条約の第11条】 Japan accepts the judgments of the International Military Tribunal for the Far East and of other Allied War Crimes Courts both within and outside Japan, and will carry out the sentences imposed thereby upon Japanese nationals imprisoned in Japan. The power to grant clemency, to reduce sentences and to parole with respect to such prisoners may not be exercised except on the decision of the Government or Governments which imposed the sentence in each instance, and on the recommendation of Japan. In the case of persons sentenced by the International Military Tribunal for the Far East, such power may not be exercised except on the decision of a majority of the Governments represented on the Tribunal, and on the recommendation of Japan. しかし、日本では「裁判」とは「裁判場・審議・判決」等を含む意味として用いられているので、その解釈についての意見が分かれています。(裁判全体の承認なのか、判決のみを受け入れたのか等) 同じ部分について、他国語訳では、「accepte les jugements prononcés par……」(仏語:言渡された判決を受諾する、)スペイン語では「las sentencias」(判決)と訳されており、それらには「裁判」という意味はありません。 以上から、問題は日本の関係者がその【judgments】や【受諾】、【承諾】についてどう考えていたかということになります。 それについての資料は↓があります。 3:【軍事裁判・本邦戦争犯罪人】(1953年(昭和28年)2月24日、条約局第3課作成文書) http://www.geocities.jp/windows_user2013/san_francisco_treaty11_02.htm (平和条約第十一条は、『日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の“裁判を受諾”し…』と規定している。この「受諾」とは、日本国が(イ)戦争状態の継続中連合国のなした右裁判(連合国戦争犯罪法廷の裁判)の国際法上の適法性及び(ロ)戦争状態終了後連合国がその刑を続いて執行する場合に、その執行の合法性について、争わないことを意味する。即ち、同(サンフランシスコ講和条約)第十一条によって、日本国は、右裁判 によって判決を受けた事件に関する限り、国際法上の犯罪であることについて反対しない義務を負ったのである。) ↑ですが、文章をその表現だけで読解した場合、 【(裁判の正当性とは関係なく)判決に文句を言えなくなった】 というだけの意味しかなく、条約に基づいて刑の執行(禁錮刑)は行うが、裁判の合法性や正当性を認めたわけではないと思います。 このことから、条約の【受諾】や【承諾】についても「決定事項について争わない」だけのことであって、「正当性を認めた」ことではないと考えられます。 だとすると、条約の【judgments】が「裁判」と「判決」のどちらの意味でも、「その正当性」を認めたとはいえない事になります。

ideaism
質問者

補足

「お手柔らかに」と申しましたのに、凄い分量! それだけ、丁寧にお答えくださって嬉しいですけどね。 後日、時間があるときにじっくり拝見して、お礼しますね。

  • Ganymede
  • ベストアンサー率44% (377/839)
回答No.3

論理的に考えること以前に、その分野に関する知識を仕入れておかなければなりません。仕入れを怠ると、いくら包丁をふるっても食事を供することはできないでしょう。 例えば、「コモン・ロー上の犯罪」というのをご存知でしょうか? ご質問者は、大陸法の考え方しかご存知ないのではありませんか? 「コモン・ロー」は英米法の基本的な概念だが、多義的な言葉でもあるので、ちょっと詳しく見よう。と、偉そうに言ってる私は素人で、日本の法律もろくに知らない。ましてや英米法の知識などない。 それでも俄か知識を並べると、「英米法」に対して「大陸法」というものがあり、日本の法律は大陸法の系統である。これは成文法中心主義である。ご質問文を拝見したところ、成文法しか考慮していらっしゃらないように見受けられる。 しかし、英米法は判例法中心主義であり、その「判例法」を指してコモン・ローということがある。英米法の国々では、法律の条文で犯罪と規定されていなくても、社会の認識で罪と見なされる事柄で、かつ、有罪判決が積み重なっていれば、それは法的な犯罪となるのだ。何せ、イギリスには日本のようなひとまとまりの「刑法」がないそうだ。各種類の犯罪をそれぞれ規定した個別の法律は順次作られてもいるけれど。 さらに、コモン・ローは「判例法」より広い概念であり、必ずしも判例が積み重なっていることを要しない。例えば「自殺」である。キリスト教社会では、自殺は罪と考えられてきた。しかし、実際に有罪判決に処せられることはまれだった(第一、被疑者は既に死んでいるわけだ)。すなわち、有罪判決は積み重なっていなかったが、それでも自殺はコモン・ロー上の犯罪とされてきた。 さて、英米法にせよ大陸法にせよ、国内法であるが、ご質問は国際法に関する事柄である。しかし、国際法というのは英米法や大陸法の考え方が混じり合って形作られた。もし、「日本は大陸法系統だから、英米法の考え方など受け入れない」とか、「イスラム諸国はイスラム法以外の考え方を認めない」なんて言ってたら、国際法はさっぱり成立しないだろう。 また、罪刑法定主義の考え方は英米法にもある。というか、罪刑法定主義が最初に現れたのはマグナカルタ(1215年)だそうだ。ご存知のように、イングランドのものである。もちろん、かの国において、法というのは成文法だけでなくコモン・ローも含む。いや、コモン・ローこそ第一義的な法であって、それを再定義したり修正したりするのが、成文法の役割だそうだ。 前出の自殺について述べると、イギリスでは1961年に自殺法というのが制定されて、自殺が犯罪ではなくなった。逆に言うと、それ以前の同国では、コモン・ローを根拠に自殺が裁判で裁かれ有罪を宣せられることがあり得たわけだ。 ここで、「明文の法律に拠らずに、不文法に基いて有罪を宣告するとは、何と恣意的な」と思う人がいるとすれば、大陸法の考え方に凝り固まった偏見ではないだろうか。むしろ、成文法中心主義こそ恣意的かも知れない。ときの権力(議会で多数を握った勢力)が条文をいじれば、裁判はその条文に基いて行われるから、「良識に照らして有罪の事柄」も無罪になってしまい、「良識に照らして無罪の事柄」も有罪になってしまうではないか。このように、英米法と大陸法には一長一短があるのだ。 さて、国際法ではコモン・ローという言い方はしないかもしれないが、「法の一般原則」という概念が認められている。ここで、国際法の存在形態を挙げていこう。まず、条約がある。これは成文法に相当する。次に国際慣習法がある。これの成立根拠としては、「法的確信」と「諸国の慣行」の両方が必要と考えるのが普通である。 しかし、この「条約」と「国際慣習法」の二つだけに国際法を限ると、国際裁判が不能に陥る場合がある。そこで、「法の一般原則」なども国際法の存在形態として挙げる考え方がある。これは、文明国の国内法で共通に認められている法原則のことである。 まあ、早い話が、条約や憲章の明文の規定で定まってなくても、「国際慣習」や「主要諸国の国内法の原理原則」をも国際法に仕立て上げちゃうことが可能なのだ。 したがって、ご質問文の(5)、(6)は論理的に穴がある。当時、憲章(成文法)として存在しなくても、同趣旨の不文法が存在していたとすれば、それに反する行為は違法である。同趣旨の不文法とは、「侵略戦争は国際法上の犯罪」、「それは指導者個々人の罪として処罰されるべき」という法原則の確信のようなものである。これらは「ニュルンベルク諸原則」としてニュルンベルク裁判で採用され、東京裁判の原理ともなり、国連決議(1946年)で確認された。日本人の多くは、東京裁判を否定したがるあまり、これを等閑視しているが、ニュルンベルク諸原則は国連の基本原則の一部にもなっている。 それでは私は、当時不文法が存在していたと言いたいのか。否、言いたくない。要するに、東京裁判は正しいと証明することもできないし、誤りと証明することもできないというのが結論である。 さらに詳しくは、下記質問の拙答などをご覧ください。「だらだら長くて読んでられねーよ」という場合は、下記の引用部分だけでもお読みいただけると幸いです。 なお、「侵略戦争」を定義しようという国際的な努力は、長い歳月を要しました。戦間期(第一次大戦と第二次大戦の間)からすでに侵略戦争は「不戦条約」で違法化されていますが、侵略戦争の定義が明確ではなかったので、「侵略戦争は国際法上の犯罪」も成文法として明確ではありませんでした。それでも、不文法としては根強いものでした。 近年ようやく、成文法として定義がまとまりましたが、まだ発効していないので、本決まりまでもう少しというところのようです。 戦犯はもういないのか? http://okwave.jp/qa/q8406316.html 軍国主義 http://okwave.jp/qa/q8420563.html 〔引用開始〕 東京裁判はニュルンベルク裁判の二番煎じだった。両裁判に瑕疵(かし)があったことは事実だが、だからといって「裁判でも何でもない」などと全否定する者は基礎知識が欠けているだろう。 正式名称を見れば分かる通り、これは軍事裁判であり、講和前に行われた。戦争行為の一環として行われたのだ。中立国が戦争行為に加わるわけもなく、判事は連合国出身者だった。 そもそも「軍法会議」では、被告の上官(法律の専門家ではない)などが判事を務めることも多い。弁護人が付かないことも多い。それに比べれば、東京裁判はまだましな方である。アメリカ人(カニンガムなど)・日本人(清瀬)らが弁護人を務め、彼らはこの裁判を痛烈に批判した。 また、占領地の軍人・民間人など(つまり外国人)を裁く「軍律法廷」では、事後法で裁くこともあった。他ならぬ日本軍も、米軍のドーリットル隊を「空襲軍律」という事後法で死刑に処した。 〔引用終り〕

ideaism
質問者

補足

「お手柔らかに」と申しましたのに、凄い分量! それだけ、丁寧にお答えくださって嬉しいですけどね。 後日、時間があるときにじっくり拝見して、お礼しますね。

回答No.2

アメリカが勝手に作り上げた犯罪者です 勝ったんだから何でもあり とはまさにこの事 日本と戦争して多くの米兵が死んだ その腹いせに集団リンチとも取れる形でA級戦犯を作り上げた というのが真実です 現在は日本政府によって名誉が回復されてるので 戦犯は存在しない事になっています(もちろん一部の過激派の国民は認めていませんが)

ideaism
質問者

お礼

アメリカもひどいですよね。 今は日米はそこそこ仲が良いので、「あの裁判は間違いだった」と米国は言ってくれないのでしょうかね? (日本政府の立場)戦犯は存在しない⇒靖国神社A級戦犯合祀はそもそも前提がおかしい⇒靖国神社参拝は問題ない (中韓の政府の立場)戦犯は存在する(東京裁判は有効)⇒靖国神社はA級戦犯合祀されてるから首脳の参拝は問題。ということになる。 両者の前提が違うんですよね。 回答ありがとうございました。

  • lv4u
  • ベストアンサー率27% (1862/6715)
回答No.1

ウィッキペディアを見るとA級戦犯について 「日本政府は公式に戦犯の名誉回復がされたとは表明していないが、以上の事実により実質上は名誉回復されている」 という意見や 「戦犯は国際法によって裁かれたもので、国内法上の犯罪者には該当しないため、名誉回復の必要性自体が存在しない(名誉が損なわれていないので、回復する必要がない)」 という意見もあるようです。 たぶん、A級戦犯は犯罪者かどうか?ということを問う場合、その判断の前に、大東亜戦争は自衛戦争だったか、侵略戦争だったのか?という点を考えないと判断は難しいと思えます。 たとえば、ある遅れた小国がとなりの先進国の援助を受けて発展しようと考えているけど、それに反対する有力者がいる。なので、勇敢な男性が立ち上がって、駅の近くで銃撃により暗殺に成功し、近隣の大国との併合が成立し、この大国の一部になれた。そして、その大国から多大の援助をうけて、国家の近代化に成功した。 この場合、暗殺犯は、「犯罪者」です。でも、その小国を発展させるための機会をつくったといえますので、長年の夢であった両国の併合を実現した「英雄」だと考えることもできます。 また、A級戦犯だとして処刑された方もいますけど、どうみても犯罪者ではなく、当然の戦闘行為をしただけであり、それが犯罪とされたという方々もいます。 もし、大東亜戦争が侵略戦争だと決め付けたら、日本軍の極めて当然な戦闘行為であっても、A級戦犯と判断されて処刑されることに正当性があるのかもしれません。逆に、自衛戦争、あるいはアジアの覇権をめぐって、日本と米国が戦った覇権戦争であるとすれば、どちらが善い・悪いではなくボスの座をめぐる争いにすぎません。そして「戦闘中だから、彼の行動は軍人として当然の行為であった。罪に問われるものではない。」という判断となります。 個人的には、A級戦犯が犯罪者かどうかよりも、大東亜戦争、太平洋戦争をどう考えるか?のほうが重要だと思えます。

ideaism
質問者

お礼

>個人的には、A級戦犯が犯罪者かどうかよりも、大東亜戦争、太平洋戦争をどう考えるか?のほうが重要だと思えます。 太平洋戦争が侵略戦争だったのか?覇権戦争だったのか?自衛戦争だったのか? 日本の立場⇒当時獲得していた権益を守りたかった 中国の立場⇒日中戦争に米国を参戦させることで逆転勝利を狙った 米国の立場⇒米国の太平洋戦争によって得られる利益というのが、イマイチわからないのですが、恐らく、ソ連という共産圏に対抗するため、日本を潰しておいて、米国の属国的な国(防波堤)にしておきたかったのかな。とも思います。または中国の共産化も防ぎたかった(けどできなかった)のかもしれませんね。 各国の思惑が複雑に絡んで戦争になったので、一概に○○戦争ということはできないのではないか?とも思います。 勉強になりました。回答ありがとうございます。

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