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旧A級戦犯の方々なぜ今も戦犯と呼ばれ続けてるのか

かつて極東国際軍事裁判で処刑された元A級戦犯の方々はなぜ今も”A級戦犯”と呼ばれ続けているのでしょうか。 一般に、裁判で死刑判決を受け、執行された被告人は”元死刑囚”と呼称されます。 ですが、極東国際軍事”裁判”で処刑された戦犯は未だに”A級戦犯”と呼ばれ続けています。 首相の靖国神社参拝問題についてもよく出てくる問題ですが、仮にも処刑され罪を償った元戦犯たちをどうこういう言うべきではないと思うし、分詞などは以ての外だと思います。 なぜ今もマスコミ等は今もなお彼らのことを”戦犯”と呼び続けているのでしょうか。

みんなの回答

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1972/9601)
回答No.10

torlin さん、こんばんは。 もう私たちの年代になってくると戦争を知りません。そうなってくると、東条英機といってもわかる非常に人は少ないです。他のA級戦犯なんて誰だっけ?の世界の人がほとんどですよ。 まあ少しはわかりやすいように、便宜上、戦時中元陸軍大将で首相兼陸相だったA級戦犯のとつけるほかないんでしょうね。だけど、もう戦後70年たっているんだから新聞はじめマスコミ界も他の肩書で説明するくらいはできそうなものですがね。 合祀するときも、かなり抵抗があったと聞いています。合祀できたのは今から30年くらい前でしょうか?私は靖国神社に合祀されている人たちだけが戦争の犠牲者だと思っていません。他に一般市民、例えば、東京大空襲や広島、長崎の原爆などで亡くなった人。沖縄戦で亡くなった人とかがいっぱいると思います。こういう人たちだってお祀りする必要があると思いますから、千鳥ヶ淵に無宗教の施設を作るには賛成です。

回答No.9

戦犯だから戦犯です。 戦犯なのに首相をやった中曽根も国民を戦争に導いた読売の正力も戦犯です。 なのに戦犯が、戦犯の組織が未だでかいツラしてること自体おかしい。 戦争に導いたのですから今でも戦犯です。 そして再度戦争に導く安倍や日本会議、ネトウヨも同じように戦犯級のバカ野郎です。

回答No.8

中韓および在日へのアホな配慮です そもそも アジアを開放した英雄を戦犯と呼ぶ国は日本ぐらいで いかに狂った国かが分かると思います まぁメディアも政府も在日が支配する国ですからね

  • 92128bwsd
  • ベストアンサー率58% (2275/3919)
回答No.7

A級戦犯といった時に「戦犯」は特殊な用語で、戦後の軍事法廷に際し戦争犯罪の容疑をかけられた人を起訴されたかどうかに関わらず容疑者になればそう呼ばれています。犯が付いているかと言って犯罪者と言うわけでもなく、また東京裁判の判断をどうとらえるべきかも異論がたくさん有る中で、便宜的に使っているに過ぎないと思います。他にもっと良い言葉があればそれでも良いのでしょうが恐らくどんな名前にしても議論が巻き起こるでしょうね。 そう言う特集な用語なので、元をつける意味すら無いと言うことでしょう。 分祀と言う概念は靖国神社には無いそうです。合祀があるのに変ですが。問題は合祀したこと。靖国神社は国のために戦って戦死した人たちを英霊として祀るところで、戦後生き残っていた人を祀るのはロジックからしておかしい。実際A級戦犯の家族の中にすら反対する人もいるくらいですから。 マスコミに特殊な用語としても定着している「戦犯」と言う言葉を使うのを辞めさせたければ、いろいろな立場の人が納得しうる言葉を考えてまずはNHKに打診してみることでしょう。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.6

かつて極東国際軍事裁判で処刑された元A級戦犯の方々はなぜ今も ”A級戦犯”と呼ばれ続けているのでしょうか。   ↑ マスコミや反日日本人達があえてそう呼び続けて いるからです。 なぜ今もマスコミ等は今もなお彼らのことを”戦犯”と呼び 続けているのでしょうか。     ↑ あの戦争は悪い戦争だった、日本人は悪いことをした という観念を植え付けるためです。 どうしてそんなことをやるのか。 私見ですが、戦後の米国による洗脳工作と、社会主義思想が 化学反応を起こし、世界でも希な反日日本人を大量生産 したためだと思っています。

回答No.5

 戦後の占領時代にGHQの指導により、日本では米国に対する批判は封鎖されてしまいました。戦争犯罪に対する情報統制計画(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムWGIP)により、日本では米国に対してばかりではなく、連合国全体に対する批判や、果ては韓国、中国に対する批判まで止まってしまいました。これに違反すると出版停止、放送禁止に追い込まれるからです。米国の提灯記事だけが許されたのです。  米国が戦時中に犯した空襲、沖縄戦、原爆投下は、当時の国際法に照らして、どれ一つ取っても重大な戦争犯罪でした。民間人を標的にした攻撃だったからです。ですので、東京裁判が公平に審議されていたら、トルーマンなどは確実にA級戦犯として処刑されていたはずです。ところが裁判が米国主導で終わったため、米国は何の罪にも問われずに済ませることができたのです。これが戦勝国の権威です。  米国は自国の戦争犯罪を隠さなければ将来的に立場が悪くなることを最初から承知していました。そこで、明治維新以降の近代日本史を全て悪の時代だったかのように塗り替えたのです。  米国がこの点で非常に巧みだったのが、日本人自身の手で日本史を汚すことに成功したことです。その手先になったのが、共産主義を標榜する学者、政治家、マスコミ、教育者です。彼らは戦後に失職した保守派の後釜に就き、ありとあらゆる言葉を尽くして日本を陥れることで収入を得たのです。  A級戦犯を「最も重い罪だ」と広めたり、「永久戦犯」と呼び変えたりして、戦後生まれの日本人を洗脳してしまいました。マスコミは報道が誤報であっても、謝罪はしません。せいぜいテロップの誤字や、言い間違えを訂正する程度です。報道姿勢の偏向などを指摘されても、決して耳を貸さない者の集まりです。戦後の混乱期のやむを得ない事情での誤報は、改める時期が来ていますが、多くのメディアは認めません。

回答No.4

マスコミは日本に対して未だに否定的な部分が多く、A級戦犯(平和に対する罪)は第二次世界大戦後に出来た国際法による罪なので、完全な事後法の為、犯罪を犯した時はそれは罪でなかった物なので、東京裁判後しばらくして取り消されたもの、自由主義社会ではあってはならない裁判のため、そもそもが第二次世界大戦時は犯罪でないので日本のA級戦犯は犯罪ではないのに、マスコミは”A級戦犯”と連呼する。 元死刑囚どころか、無罪なのに戦犯と刷り込みをするマスコミは何処の国の人なのでしょう、裁判やっちゃった戦勝国はあまり触れたくないだけなので何も言いません。 B級(戦争犯罪)やC級(民間人に対する戦争犯罪)は犯罪です(戦前からあるので)ただし、朝鮮人も多くいる(朝鮮人148 人で(死刑23 人))ので、韓国は日本人しかいないA級戦犯を連呼します。

  • 441moe
  • ベストアンサー率16% (75/449)
回答No.3

マスコミが故意にそう呼称してます。 日本はサンフランシスコ条約で軍事法廷の判決(裁判)を受諾しています。 11条だったと思います。 安倍首相は「判決は受諾したが、裁判の価値観まで受諾した訳ではない。よって彼らは殉国者である」と詭弁弄しています。 軍事法廷は開催国の法理念で運営するとされ、東京裁判は米国つまり英米法の法理念で裁かれています。 多くの方が指摘する事後法、不遡及は関係なく、ABCも本来関係ありません。 原爆投下の戦争犯罪訴追されない為、大陸法を法理念とする国の判事も入れています。 インドのパール判事が有名です。 大陸法理念ではA級無罪、BC有罪と言っています。(BC有罪は面に出ません) 結果、外国から見れば、合祀は反省ない証拠と思われます。 個人的には日本古来からの価値観として、亡くなった方を等しくお祀りする価値観が有ります。 戦犯者であれ、等しくお祀りし、不戦を誓う行為は正しいと思います。 政府も、詭弁弄せず、日本古来の価値観をアピールすべきと思います。 余談ですが、 多くの意見が事後法故に無罪と言いますが、英米法の理念無視してます。 英米法では裁判で有罪を決めれば良いのです。 長くなりますので、英米法お調べ下さい。コモンロー、不成文法とも言われます。

  • lions-123
  • ベストアンサー率41% (4360/10497)
回答No.2

>かつて極東国際軍事裁判で処刑された元A級戦犯の方々はなぜ今も”A級戦犯”と呼ばれ続けているのでしょうか。 我が国にはA級戦犯は存在せず、平和に対する罪として極東軍事裁判で裁かれ刑に服された者は死して責任と罪状は贖罪され、その後の国会にて全会一致で故人の名誉回復を図り、その国家に捧げられた犠牲を悼み、昭和殉難者と称されることになった。 従って、源氏あの日本にはA級戦犯は存在せず、靖国神社の存在や我が国との歴史認識問題で自虐史観に基づき問題視する朝日新聞等のマスコミとそれに呼応する左翼系団体やプロ市民がいつまでも戦犯とレッテル貼し、追随して特亜(中国・韓国)の反日教育やナショナリズムの矛先に日本の再建繁栄を快く思わない中でのシンボルとして標的として批判の的に悪用されている。 ※ご参考 ◇昭和殉難者 http://www.weblio.jp/content/%E6%98%AD%E5%92%8C%E6%AE%89%E9%9B%A3%E8%80%85 ◇靖国神社 先入観なしに、色んな意味での全国各地にある護国神社の一社であり、国の為に命を捧げ犠牲となられた御霊を祀った杜である。 そこに、遺骨は無くとも、多くの方(男女や年齢や身分の違いを分け隔てなく)を祀り国家としての崇敬の念と慰霊を行い、将来に不戦・平和を祈願する所だと思います。 そして、由縁の人が、多くの同胞が、慰霊と子孫としての近況報告、平和祈願の為に参拝する社でもあります。 政治利用する者も、批判の為の批判をする報道機関、我が国の宗教観や人生観に外交カードにしたり内政干渉する中韓の姿勢にも疑問を持ちます。 「靖国神社」を政争の具や外国への迎合追従のプレゼントに利用は許せない! まるで戦争犯罪人を祀った戦争賛美の軍事化の象徴のように忌み嫌ったり、特別な周辺国に配慮し秘匿するような巣窟扱いは、尊い犠牲となられた先人・御霊に対し誠に申し訳なく恥ずかしい。 死者に御霊に非礼・冒涜する事になり、ご家族や関係者への心無い非情な発言、同胞として恥ずかしい心根・事なかれ主義の発想だと思います。 参拝する自由も、参拝しない自由もあり、それは国民一人一人の思想信教信条の自由であり、歴史観や価値観にも繋がる事かもしれないが、他国や特定の政治団体等から参拝の自由&不参拝を束縛強制干渉される事では決してないと思います。 誰でも、心ある人が、参拝できる時に参拝していただけば良いのであり、殊更に誇示・喧伝する事柄ではないと思う。<総理等の参拝はSPの問題が有り、ある程度の広報と準備が必要と思うが、なるべくは立ち寄る程度に済ますのが混乱を避け、参拝する本意・心情にもかなうのでは・・・報道は参拝・慰霊の事実を結果報告で十分> 靖国神社は250万余の御柱の眠られている静謐な杜である。 戊辰戦争:3,588柱以降 その後の佐賀の乱・西南戦争・日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦・満州事変・支那事変・第二次世界大戦で戦死・傷病死された方々。 安政の大獄や禁門の変に倒れた方々、吉田松陰・橋本左内・坂本龍馬・高杉晋作・頼三樹三郎・真木和泉守・清川八郎・武智半平太・中岡慎太郎等の維新の志士、従軍看護婦を始め、沖縄で戦没したひめゆり・白梅等の七女学校部隊、樺太真岡の自決殉職された電話交換手の女性の御祭神も57,000余柱、小・中学校の児童生徒、シベリア抑留中に死亡された軍人軍属の方々、戦争終結時に責任を負って自決された方々、戦争犯罪人として処刑された千余命名の方々(その後、国会での全会一致による名誉回復・人権尊重の主旨で昭和殉難者と呼称)・学童疎開で潜水艦に撃沈された対馬丸の学徒・空襲下で軍需工場や防空防火活動中の爆死者等、私たちの先人であり、今日の我が国の安寧の為に礎となり身を捧げられた方々である。 このように、我が国には死者は神仏になって土に還る、そして現世の子孫を見守って下さるとの思い、慰霊と感謝の気持ちから、由縁の方々を戦死・戦傷病死された軍人・軍属ばかりでなく、民間の方、女性や児童も含めて多種多様な御祭神をお祀り申し上げているのです。 そして、御霊の由縁の方々は日本全国に津々浦々に遺族・戦友・関係者が居られます。 明治天皇が命名された「やすくに」には「国を平安(安の字は靖に通ずる字)にし、平和な国をつくり上げる」というお心が込められている。 そして、霊ジ簿と言う和紙に一人一人の神様(死者)の名前を記し綴じ納められている、遺骨を納め祀っているのではない。 その神・仏と成られた御霊は→祖国永遠の平和とその栄光を願いつつ、掛け替えの無い尊い生命を国に捧げられた同胞たちで、これらの方々は身分・階級・職業・年齢・性別・宗教宗派等にかかわりなく等しく祀られているのです。 個々の方々の遺骨は故郷や由縁の地に埋葬されており、靖国神社は戦友・同志・献身の人々の魂が霊ジ簿に記され、集い、国の行く末を見守り、子供や孫が後事を託した私達の訪ねて来るのを楽しみに待っていて下されている。 その御霊・英霊が静謐なる杜におわすと信じるからです。 そんな靖国神社を、戦争遂行のシンボルだった、軍国主義の復活への道だ、A級戦犯が合祀されている、他の宗教信者である、A級戦犯(我が国に戦犯は居ない国会でも全会一致で名誉回復:昭和殉難者とした)は出て行けの分祀合祀論、中国や韓国がクレームetcで参拝拒否?は信じられない。 誰のための誰が祀られた社なのだろうか・・・愛する国家・家族の為に身を捧げ、犠牲となられた方を国家が国民が(無論、天皇陛下や皇族の方々も含め)今日の平和を感謝し、これからも不戦を誓うのに、家族子孫の近況を報告するのに誰に憚る遠慮せねばならないのだろうか? 国難・存亡危急の時、国の為、家族の為、子孫の為に生命を捧げ犠牲となられた方々へ、外国への配慮だとか分祀云々は→国家として、同胞として、否、人間・個人として余にも軽薄・事なかれ主義・無責任な発言だと思う。 非難する国が有れば、堂々と祖先を慰霊し、平和に感謝し、不戦の誓いを行い、子孫の近況を報告する為の社であり、参拝だと言えば良い。 それが言えぬ、思わぬなら、日本人として、心の中まで、死生観や死者の慰霊まで、信念・信条・矜持を忘れたのか持てぬのかと、問いたい糾したい・・・。 あくまでも、人間として日本人として個人として、誰からも指図や強制されずに自己の信条・心情・真心で、他人にも押しつけるものではなく、自由意志で参拝するもしないも決めれば良いのである。 ことさらに8月15日の参拝だとか公式参拝だと政治家が騒ぐのは迷惑であり、その思いが有るならば、何時でも静かに靖国神社や千鳥ヶ淵や各地の護国神社や平和記念公園に行き、<閣僚等のSPの問題は別だが>手を合わせれば良いし、実際に行くことが叶わない場合にも、心で慰霊と平和への誓いをすれば良いのだと思う。 私は、「後を頼む」と無念・非業の死を迎え旅立たれた御霊に対して、今日の平和に対し、生命を捧げ礎となられた方々へ、慰霊の心、感謝と責任を申し上げ誓う為に、これからも機会を作り靖国神社へ参りたいと思います。

  • trytobe
  • ベストアンサー率36% (3457/9591)
回答No.1

合祀していなかったものを、勝手に靖国神社が判断して合祀したから、存在が目立った上に「分祀」とかの反感を生み出して、昭和天皇すらもその宮司に呆れて参らなくなった、という宮司の暴走のせい。形式だけ祀った宮司の思いの至らなさ。

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