- 締切済み
A級戦犯と靖国参拝問題・・基礎から教えて下さい!
こちらのサイトで、たった今、A級戦犯について勉強しました。まだまだ理解までには至りません。だから教えて下さい!! まずは私的な感情から・・・。 A級戦犯の意味がとてもショックでした(>_<)戦争犯罪人などと名付けられ、同じ国の人間が同じ国の人間によってを処刑されたなんて、とてもショックでした。 戦争に誰が悪いなんてあるのですか?みんなが悪いしみんなが犠牲者ではないのでしょうか?でも、責任者が責任を取る・・それと同じだと聞き、そしてそれは、言わば見せしめの為でもあるという残酷なことも知りました。東京裁判所への批判はあっても、その当時は仕方のないやり方だったと言われると、そうだったかもしれない・・(;_;)としか言えません。 (1)戦争を進めさせた昭和天皇は裁かれず、A級戦犯合祀を批判するのはおかしくありませんか? (2)でも、合祀されたということは、時代とともにその方達への弔いの気持ちが現れたということではないのですか? (3)それならば、なぜ、小泉首相はあんなにまで批判されなければならないのでしょうか?弔いの気持ちひとつで参拝しているのを、どうして穿った見方をするのでしょうか? 無知を承知で質問をぶつけています!どうか、教えて下さい!
- みんなの回答 (23)
- 専門家の回答
みんなの回答
- freshman2007
- ベストアンサー率12% (7/56)
冗談でしょう? 中国人やらを無駄に虐殺したのも戦犯者の仕業ですよ?負けを認めず国民を無駄死にさせたのも戦犯者ですよ?責任はあるに決まっていると思います。 『戦争に誰が悪いなんてあるのですか?みんなが悪いしみんなが犠牲者ではないのでしょうか?』 全くキレイ事としか思えない。カッコつけるなよと。 (1)おかしいと思います。 天皇は軍幹部に騙されていたいわれていましたが国を治める者としてその悲惨なありさまを自ら確認しようとは思わなかったんですかね? 「戦争はすべて朕に責任がある」 との発言は有名ですが、実は本当に発言されたかどうかも分からないみたいじゃないですか。 メディアでは天皇のいいとこばかり取り上げて、真実を調べようとしません。 (2)靖国はあの悲惨な戦争を「肯定」しています。 今でこそメディアが注目したりアメリカが批判したりで、そういうった表現は控え気味になってきていますが、肯定している部分が多々あった事は事実です、ですから、戦犯者であろうとも偉大なんじゃないですか? (3)中国や諸外国は日本国民に浸透のない2で書いた事実を大きくメディアを通じて国民に知らせています。 そんな実態を知ったら批判せずにはいられないでしょう。それで関係がギクシャクして、それを考慮したりであったり、単純に事実を知って反対してるのでしょう。
- shazzan7213
- ベストアンサー率14% (1/7)
パソコンが壊れてたのでようやくネットが繋がりました。いまさらですが回答したいと思います。 >事実として言えることは、特定の個人が戦争に持ち込んだ訳ではないこと。当時日本をとりまく世界情勢の中で、外務省、陸海軍ともに戦争を回避すべく全力を尽くしたことも事実だと思います。 っていう話はよく聞きますよね。私は詳しくはないので実際のところどうだったのかはわかりません。世界情勢が確かに現代よりも支配的で良い時代ではなかったのは確かなのでしょう。 ただ外務省、陸海軍が戦争回避を全力で尽くしたというのは違うと思います。A級戦犯とされた人たちの中にはその組織にいながら、戦争を先導していたり止める気など全くなかった人がいます。(個人名までは覚えてませんが) まるで世界情勢の流れで戦争をしたような意見を言ってる人がいますが、流れで戦争にはなりません。 真珠湾に先制攻撃をしたっていうのは有名ですよね。先に攻撃をしているのに、どこに戦争回避なんてしているのでしょうかね? 当時の欧米諸国が世界各地を植民地化していたっていうのは事実ですし、今でも植民地のままの国もあります。 当時、どうして日本があれほど戦争をしていたのか明確な答えは私はわかりませんが、他国の資源が目的であったのは明らかだと思います。 欧米諸国がアジアやアフリカを植民地化していったために日本もそうせざるを得なかったという考えも聞きますが、せざるを得なかったのか、それとも他国を占領することに罪悪感がなかったのかは両方ありえる考え方だと思います。 戦争についてネットから知るのは手っ取り早いですが偏っていると思います。考え方を知るには参考にはなりますがあくまでも参考程度にしたほうがいいと思います。 ネットの場合は両極端な考え方がかなり飛び交っているので。 悲惨さはテレビの特集が手っ取り早くわかると思います。映像で見たほうが簡単ですから。
- fieldsfairies
- ベストアンサー率23% (7/30)
>戦争を進めさせた昭和天皇は裁かれず、A級戦犯合祀を批判するのはおかしくありませんか? >ということではでも、合祀されたということは、時代とともにその方達への弔いの気持ちが現れた >ないのですか?それならば、なぜ、小泉首相はあんなにまで批判されなければならないのでしょうか? >弔いの気持ちひとつで参拝しているのを、どうして穿った見方をするのでしょうか? 1 昭和天皇の戦争責任 連合国の政府の中には昭和天皇の訴追を主張もありましたが、 米国政府は昭和天皇を訴追すると日本国民が反発し、 占領統治と体制改革の妨げになるとの判断から昭和天皇の訴追は見送りました。 日本国民の中で、天皇に戦争責任があると認識する人々とは、 天皇制を階級支配制度を認識する、階級闘争史観、唯物弁証法のイデオロギーを持つ、 日本国民全体の中では少数の人々の固有の認識・主張です。 イデオロギー的偏見を持たない大部分の日本国民は、 大日本帝国憲法では、天皇は国家元首と規定され、 名目上では軍隊の統帥権を持っていたが、政治的な実権は立法権は議会、 行政権は政府、司法権は裁判所にあり、天皇は議会や政府の決定を名目的に 承認する存在であり、実質的には日本国憲法の象徴天皇制と同質だったと認識している。 皇国史観イデオロギーを扇動して天皇を政治的に利用したのは政府であり、 天皇が名目上・形式上、開戦の詔勅を発しても、 天皇に戦争を計画し決定し遂行した政治的な責任は無いとの認識が、 イデオロギー的偏見を持たない日本国民の多数意見です。 2 靖国参拝支持者が靖国参拝を支持する理由。 筆者自身は靖国神社に行ったことは無く、筆者の周辺に靖国参拝をする人も、 靖国参拝を支持する人もいないので、社会心理学的な考察・推察の範囲内で回答します。 表面的な現象形態である表象と、その表象を発生させている本質・根源は異なります。 靖国神社も靖国参拝も表象であり、その本質・根源は「皇国史観」「国家神道」です。 だが、表象と表象を発生させる本質・根源が混同され同一概念と誤解さている例もある。 例えば、ユダヤ教=シオニズム、ユダヤ教徒=シオニストと誤解されがちですが、 本質・根源は、ユダヤ教≠シオニズム、ユダヤ教徒≠シオニストです。 上記事例と同様に、戦没者の追悼施設=靖国神社、戦没者追悼=靖国参拝と誤解されがちですが、 本質・根源は、戦没者の追悼施設≠靖国神社、戦没者追悼≠靖国参拝です。 靖国神社 http://www.yasukuni.or.jp/index2.html Wikipedia 靖国神社 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%96%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE Wikipedia 靖国神社問題 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%96%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E5%95%8F%E9%A1%8C Wikipediaから引用 >明治2年6月29日(新暦1869年8月6日)に戊辰戦争での朝廷方戦死者を慰霊するため、 >東京招魂社(とうきょうしょうこんしゃ)として創建された。 >1879年に「靖国神社」に改称。同時に別格官幣社となった。 >戦前においては神社行政を総括した内務省ではなく、 >陸軍省および海軍省によって共同管理される特殊な存在であり、 >国家神道の象徴として捉えられていた。 >戦後は政教分離政策の推進により宗教法人となり、 >日本政府との直接的な関係はないとされている。 上記の引用のとおり、靖国神社とは明治政府が近代国家建設のために、 社会的に作ったイデオロギーである「皇国史観」「国家神道」を具現化した施設です。 明治時代以前にも戦争や戦死者は存在し、国民・地域住民や戦没者の遺族は、 それぞれの思想・宗教観や方法論で戦没者の追悼を行っていた。 つまり、明治時代以前の人々は靖国神社が存在しなくても、 戦没者の追悼に不自由していたわけではない。 (1) 靖国参拝を支持する人たちの動機別分類 (1-1) 原理主義的国粋主義者として過去の戦争を正当化し、靖国神社の歴史観を支持する人々 国際社会の中で、自国は常に正義を体現した存在であるとの独善的な思い込みを持ち、 自国は他国よりも特別に優越的な存在であるとの独善的な思い込みを持ち、 自国と他国との関係において、自国の行為は全て正当化する原理主義的イデオロギーを持ち、 ゆえに過去の戦争も全て正当化するという歴史観を持ち、靖国神社の歴史観に賛同する人々。 上記の思想的傾向の関連として「皇国史観」「国家神道」というイデオロギーを信仰し、 「皇国史観」「国家神道」を具現化した施設である靖国神社という表象も堅固に支持し、 戦没者の追悼施設は靖国神社であるべき、戦没者追悼とは靖国参拝であるべき、 という硬直的な思考回路と原理主義的イデオロギーで大脳前頭野が支配され、 本質的な考察、多様な観点からの考察を拒絶し、 本質的な考察、多様な観点からの考察をできない人々。 (1-2) イデオロギーを具現化した戦没者追悼施設としての靖国神社という表象を本質と誤解する人々 日本の過去の戦争を正当化しているわけではなく、 過去の戦争を反省し、日本に侵略された諸国に謝罪し、再び戦争が起こらないように望み、 純粋に戦没者を追悼しようとする動機で参拝を支持している人々。 ただし、明治政府が近代国家建設のために社会的に作ったイデオロギーである、 「皇国史観」「国家神道」を具現化した施設である靖国神社という表象を本質と誤解し、 戦没者の追悼施設は靖国神社であるべき、戦没者追悼とは靖国参拝であるべき、 と誤解したまま、本質的な考察、多様な観点からの考察をできていない人々。 ただし、上記(1-1)の人々と異なり、原理主義的国粋主義者ではなく、 硬直的な思考回路と原理主義的イデオロギーを持っているわけではない。 3 靖国神社はアジアの国々への侵略戦争を正当化しているのか。 正当化している。アジアの国々への侵略戦争だけでなく、 戊辰戦争以来の日本の全ての戦争を正当化しています。 靖国神社>国立慰霊施設の新設構想に反対する http://www.yasukuni.or.jp/siryou/siryou2.html 靖国神社>日本人にとって「靖国神社」とは何か http://www.yasukuni.or.jp/siryou/siryou3.html 靖国神社>靖国神社公式参拝を考える いわゆるA級戦犯とは何だ http://www.yasukuni.or.jp/siryou/siryou4.html 靖国神社>A級戦犯の真実と虚構 http://www.yasukuni.or.jp/siryou/siryou5.html 靖国神社>反日と謝罪では見えない歴史の真実 http://www.yasukuni.or.jp/siryou/siryou6.html 靖国神社>戦没者追悼の心 http://www.yasukuni.or.jp/siryou/siryou7.html Wikipediaから引用 >靖国神社の歴史観など >戦争遂行の当事者であり、同時に犠牲者ともなった軍人・軍属や犠牲になった一部の民間人も祀り、 >慰霊・顕彰するという特殊な性格から、靖国神社は以下のような歴史観を取っている。 >これは必ずしも政府見解・国民の一般的な感覚と完全に一致するものでもないため、 >時に議論となることがある。また中国、韓国などは、 >こうした神社の見解が軍国主義の名残であるとして拒否感を持っている。 >欧米の一部では“War shrine”(戦争神社)や“Military shrine”(軍事神社)と揶揄され、 >特に遊就館の展示が「恥知らずにも戦争を美化している」と批判されることがある >(USA Today、Financial Timesなど)。 >また大東亜戦争が起きた第一の原因を連合国側の経済制裁であると >就遊館の展示物などで主張しているため、そのことがアメリカ社会に知られると >日米関係に重大な悪影響を与える恐れがあるとの指摘もある。 >大東亜戦争(太平洋戦争、日中戦争)は日本の自衛のため、 >そして欧米の植民地であったアジアに自由と平等を実現するために行われた正当なものであった。 >日清・日露戦争など、それ以前の戦争についても同様。 >東京裁判などの戦争裁判は戦勝国が国際法を無視して行なった不法な裁判であり、 >所謂「戦争犯罪」は全て冤罪である。 >日本は中韓両国と平和条約を結んでおり中国・韓国に対してこれ以上重ねて謝罪する必要はない。 >首相による靖国神社参拝を支持する。 >また首相の公式参拝は1985年の中曽根康弘氏から始まった。 >天皇陛下も靖国神社を参拝される事が望ましい。 >靖国神社に代わる戦没者追悼施設を作る動きには反対する。追悼施設は靖国神社以外あり得ない。 4 靖国参拝はアジアの国々への侵略戦争を正当化することになるか (1) 原理主義的国粋主義者として過去の戦争を正当化し、靖国神社の歴史観を支持する人々の場合 国粋主義者として過去の戦争を正当化し、靖国神社の歴史観を支持する人々の場合は、 靖国参拝はアジア諸国に対する侵略戦争の正当化と同義です。 (2) イデオロギーを具現化した戦没者追悼施設としての靖国神社という表象を本質と誤解する人々の場合 イデオロギーを具現化した戦没者追悼施設としての靖国神社という表象を本質と誤解する人々の場合は、 本人の内面としてはアジア諸国に対する侵略戦争を反省し、謝罪し、 再び侵略戦争を起こすことなく、アジア諸国との友好・共存共栄関係をめざしていますが、 靖国参拝に批判的な人々や、中国、韓国、東北東南アジアの諸国民からは、 靖国参拝=侵略戦争の正当化と誤解されやすい現実はあります。 (3) 首相の参拝の場合 首相の参拝の動機としては、 イデオロギーを具現化した戦没者追悼施設としての靖国神社という表象を本質と誤解する人々の場合 と同じく、アジア諸国に対する侵略戦争を反省し、謝罪し、再び侵略戦争を起こすことなく、 アジア諸国との友好・共存共栄関係をめざしていると筆者は認識していてます。 その根拠は、自民党の本質とは、占領統治下での東京裁判、日本国憲法制定、 農地改革、財閥解体などの諸改革を受け入れてサンフランシスコ講和条約を締結した 吉田内閣の後継勢力であり、第二次世界大戦以前の国家体制や国内・対外政策を賞賛し、 第二次世界大戦以前の国家体制や国内・対外政策への回帰をめざす政党ではなく、 国内政策も対外政策も日本国憲法に準拠して行っている。 自民党は設立時から自主憲法制定をめざし、2005年に改憲案を公開したが、 大日本帝国憲法への回帰をめざすものではなく(そんなものは国民に受け入れられる可能性ゼロ)、 現行憲法の国民主権、人権保護、国際平和の追求の原則を改変するものではなく、 自衛軍の保持と自衛権の行使の明記や、現行憲法制定時に考慮されていない概念の盛り込みなどであり、 国際紛争解決のために武力を行使しないという現行憲法の9条1項は保持されている。 自民党の改憲案2005年11月15日版 http://www.jimin.jp/jimin/shin_kenpou/shiryou/pdf/051122_a.pdf 第二次世界大戦後の日本政府は過去のアジア諸国に対する侵略戦争と戦時下の人道犯罪を 正当化したことは無く、反省と謝罪と再発防止の姿勢を常に表明してきた。 1972年 日中共同声明 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/nc_seimei.html 1992年 朝鮮半島出身者のいわゆる従軍慰安婦問題に関する加藤内閣官房長官発表 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kato.html 1993年 慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html 1995年 戦後50年の村山首相の談話 http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/danwa/07/dmu_0815.html 1995年 女性のためのアジア平和国民基金発足のご挨拶 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html 2001年 元慰安婦の方々に対する小泉首相の手紙 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/letter.html 2005年 戦後60年の小泉首相の談話 http://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2005/08/15danwa.html 外務省>戦後60周年>歴史問題Q&A http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/qa/index.html 外務省>歴史問題Q&A >Q.1 先の大戦に対して、日本政府はどのような歴史認識を持っていますか。 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/qa/01.html 外務省>歴史問題Q&A >Q.2 日本は、戦争で被害を受けたアジア諸国に対して公式に謝罪していないのではありませんか。 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/qa/02.html 外務省>歴史問題Q&A >Q.3 日本は先の戦争で被害を受けた国や人々に対し、どのように賠償したのですか。 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/qa/03.html 外務省>歴史問題Q&A >Q.5 「従軍慰安婦問題」に対して、日本政府はどのように考えていますか。 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/qa/05.html なお、一部の日本国民の中には、上記の一連の政府の公式声明に関して、 >日本政府は毎年8月になると心にもない反省や謝罪の生命を読み上げているが、 >日本政府や自民党は過去のアジア諸国に対する戦争を反省し謝罪する意思など >全く無いことは政府や自民党の日々の言動を見れば明らかだ などと断定する人々がいるが、それらの言説は何の根拠も出典も証明もない妄想であり、 それらの人々は自分のイデオロギーや政治的目的にとって不都合なものは真実と認めず、 現実認識を自分の主観に従属させ、イデオロギーの色眼鏡で、脳内空間の空想世界で 自分のイデオロギーに都合がよく歪曲した現実認識を真実と思い込んでいる人々である。 上記のような認識や言説は政府の公式声明の重みを全く理解せず、 日本政府の公式声明を虚言者の虚言と同程度に貶めるものである。 上記のような認識や言説は、個人も法人も国家も言葉の信用性以上に、 現実に何をしているか、現実に何をしてきたか、現実の行動の積み重ねが、 言葉よりも重大な評価の根拠になることを全く理解していない。 上記のような認識や言説は第二次世界大戦後の61年間において、 日本が対外的に武力を行使したことがない数少ない国の一つであり、 その実績により、国際平和を追求してきた国として国際的に評価されていることを認知せず、 自分が信仰するイデオロギーでは悪と不正義の体現者と評価する、 日本政府や自民党を貶めることしかできない人々、 日本政府や自民党を貶めることで人格を保っている人々である。 中国政府も韓国政府も、靖国参拝や、新しい歴史教科書を作る会の教科書については抗議するが、 中国政府も韓国政府も、第二次世界大戦後、日韓国交回復後、日中国交回復後から現在まで、 日本政府が過去の植民地支配や侵略戦争を正当化しているとは主張せず、 日本政府が過去の植民地支配政策や侵略戦争政策を復活しようとしているとは主張せず、 過去の侵略戦争や植民地支配という関係を乗り越えて、未来志向の日中関係、日韓関係を 築けるよう求めているのであり、上記のような認識や言説は国際的にも通用しない。 首相や政府閣僚の参拝も私人の参拝の場合と同じく、 靖国参拝に批判的な人々や、中国、韓国、東北東南アジア諸国の国民からは、 靖国参拝=侵略戦争の正当化と誤解されやすて現実はありますが、 私人の参拝と異なり、首相の靖国参拝が、中国、韓国、東北東南アジア諸国の国民から、 靖国参拝=侵略戦争の正当化と誤解されることは、対日感情を悪化させ、 友好関係の障害になり、国益を害するので、中国、韓国、東北東南アジア諸国の国民から 誤解を招くような言動はできるだけ未然に抑止することが必要である。 5 国内外から批判される靖国参拝の問題点は何か。 (1) 対外的な問題点 東京裁判でA級戦犯として有罪判決を受けた人々を合祀し、 アジア諸国への侵略戦争を正当化している靖国神社に、 日本の首相が参拝することは、 日本政府が、アジア諸国に対する侵略戦争の指導者であるA級戦犯や、 アジア諸国に対する侵略戦争を正当化していると、 中国、韓国、東北東南アジア諸国の国民から誤解されやすい。 中国、韓国、東北東南アジア諸国の政府が、日本の首相が参拝することを放置すると、 中国、韓国、東北東南アジア諸国の政府が、中国、韓国、東北東南アジア諸国の国民から、 日本の首相がアジア諸国に対する侵略戦争を正当化することを放置していると批判されるので、 中国、韓国、東北東南アジア諸国の政府は日本政府に抗議せざるをえず、 結果として、日本に対する中国、韓国、東北東南アジア諸国の国民感情が悪化し、 政府間の友好関係にも障害となる。 小泉首相の靖国参拝についての姿勢の問題点とは、 自分が首相として靖国神社に参拝する理由は、 「アジア諸国に対する侵略戦争を正当化したり、A級戦犯を賛美するためではなく、 純粋に戦没者を追悼し、再び戦争を起こさないように祈願するためだ」という論理が、 中国、韓国、東北東南アジア諸国の国民の理解を得られず、信用を得られず、 中国、韓国、東北東南アジア諸国の政府から抗議されている現実に対して、 中国、韓国、東北東南アジア諸国の国民の誤解を解消し理解や信用を得るために何もせず、 中国、韓国、東北東南アジア諸国の政府との関係修復のために何もせず、 理解したい、理解できないならば、理解しなくてもよいとばかりに、 自分のイデオロギーや主張を一方的に振りかざすことに終始していることである。 このような態度は一個人なら許されるが(本人の不利益にはなるが)、 法人や行政製機関などの組織で働く職業人としては、組織の信用や利益のためには不適格であり、 まして、国家の首相なら、国家の信用や利益のためには、なおさら不的確である。 (2) 国内的な問題点 靖国神社は靖国神社の基準で合祀対象者を決定し、対象者の承認無く合祀する。 宗教観は個人の内面に帰属するものであり他人が強制するものではない。 靖国神社が合祀対象者本人や遺族の承諾無しに合祀することは人格権の侵害とする認識もある。 >憲法第二十条 >1 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。 > いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。 >2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。 >3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。 上記の問題とは別に、第二次世界大戦以後から現在にいたるまで、 日本国民が、明治維新以後の日本の対外的な戦争をどのように認識し評価するのかについて、 および、国家としての戦没者の追悼の方法について、真摯な考察を怠り、戦没者の追悼について、 明治政府が近代国家建設のために社会的に作ったイデオロギーである 「皇国史観」「国家神道」を具現化した靖国神社に丸投げしてきたことが、 今日の国内外の紛争を引き起こしているとも言える。 日本国民が明治維新以後の日本の対外的な戦争や、 国家としての戦没者の追悼の方法について真摯な考察を怠ってきたことは、 明治維新以後の日本の対外的な戦争に対する賛成・反対、 靖国神社参拝に対する賛成・反対の立場を問わず、 日本国民が真摯に考え、取り組んでいかなければならない問題である。 5 靖国参拝問題の解決、中国・韓国との関係修復によい方法は何か。 (1) 無宗教の国営追悼施設の建設と国家・政府の行事としての追悼 戦没者追悼施設として、社会的に作られたイデオロギーである「皇国史観」「国家神道」と それを具現化した靖国神社に代わる存在として、 日本国民としても、日本政府としても、外国政府の要人としても、 誰もが精神的な抵抗や違和感無しに参拝できる国営の無宗教の戦没者追悼施設を作り、 政府の行事として毎年定期的に、例えば8月15日+春秋の彼岸に追悼行事を行う。 上記案は自民党の中にも主張する勢力があるので、 自民党も公明党も民主党も社民党も共産党も取り込んで、 超党派の取り組みとして実現できる可能性が高い。 いわゆるA級戦犯の分祀案は、靖国神社側の硬直的な原理主義的態度から実現可能性は低く、 政府が靖国神社に要求することも、憲法20条の政治と宗教の分離の原則に反する。 (2) イデオロギー的追悼施設としての靖国の存在感の希薄化・実質的な無効化 上記の(1)の方法を実現しても靖国神社が消滅するわけではなく、 憲法20条の政治と宗教の分離の原則により、第二次世界大戦以前は国営施設であったにしても、 現在は一宗教法人である靖国神社を国家・政府が強制的に解散させることはできない。 首相が私人として靖国に参拝することを法律で禁止することも憲法20条に照らせば不可能である。 従って、今後の首相が私人として靖国に参拝することを阻止することも不可能である。 ではどうするのかといえば、国民が首相に対して、国民と国家のマクロな観点、長期的な観点 からの利益のために、靖国参拝をしないように対話と働きかけを継続して行くことである。 靖国参拝に賛成する国民に対しても、 「イデオロギーを具現化した戦没者追悼施設としての靖国神社という表象を本質と誤解する人々」 の場合は、対話と働きかけの継続により、多様な観点からの考察ができるようになり、 戦没者の追悼施設=靖国神社、戦没者追悼=靖国参拝、という誤解を認識して誤解から脱却し、 「国営の無宗教の追悼施設における国の行事としての追悼」への賛同に転換する可能性はあり、 靖国参拝反対勢力からの対話と働きかけの継続により、国民大衆を 「国営の無宗教の追悼施設における国の行事としての追悼」支持勢力に取り込むことができる。 「原理主義的国粋主義者として過去の戦争を正当化し、靖国神社の歴史観を支持する人々」 に対しても、対話と働きかけを継続してゆくことは必要ですが、 このタイプの人々の場合、硬直的な原理主義的な思考回路にとらわれているので、 戦没者の追悼施設=靖国神社、戦没者追悼=靖国参拝、と誤解している人々と比較すると、 「国営の無宗教の追悼施設における国の行事としての追悼」への賛同に転換する可能性は、 ゼロではないですが著しく低いと推測します。 靖国参拝賛成派に対する対話と働きかけの継続により、 「国営の無宗教の追悼施設における国の行事としての追悼」に賛同する人々を多数勢力にして、 靖国参拝賛成派を相対的に少数勢力にすることにより、 イデオロギー的追悼施設としての靖国の存在感を希薄化させ、無効化させることができる。 中国、韓国、東北東南アジア諸国民に対しては、 過去の植民地支配や侵略戦争を正当化する原理主義的国粋主義者は、 現在の日本国民の中では極めて少数の一部であり、 国民の大部分と政府は過去の植民地支配や侵略戦争を反省し謝罪し、 中国、韓国、東北東南アジアの諸国民・政府と相互理解を深め共存共栄を望んでいること、 靖国参拝問題についても「国営の無宗教の追悼施設における国の行事としての追悼」により、 解決しようとしていることを、中国、韓国、東北東南アジアの諸国の メジャーなポータルサイトや掲示板で、または新聞やテレビ放送の広告で発信する などの方法で、国民レベルで対話と働きかけを継続してゆくことが必要です。 上記のような方法で国内外の問題を解消してゆくことは長い時間がかかることですが、 中国、韓国、東北東南アジア諸国との相互理解、日本の国益のために、 日本国民が自発的かつ主体的に取り組んで行く必要があります。 (3) 運動の方法 社会的・政治的な問題の解決、目的の実現のための方法として必要・有効・有益なことは、 靖国参拝でもその他の問題でも、賛成・反対のいずれの立場であっても、 自分の認識も意見も、他人の人域も意見も尊重し、関係性の中で対話と働きかけをすることである。 社会的・政治的な問題の解決、目的の実現のための方法として不要・無効・無益なことは、 自分達が信仰するイデオロギーを絶対正義として原理主義的に振りかざし、 自分達が信仰するイデオロギーとは異なる認識を絶対不正義として原理主義的に全否定し、 自分達とは認識や意見が異なる他人との対話や他人への働きかけを拒絶し、 自分達だけが絶対正義であり、正義を理解した賢民であると独善的に自画自賛し、 自分達のイデオロギーに賛同しない者は正義を理解しない愚民とラベリングし、 現実認識を自分の主観に従属させ、自分のイデオロギーを満足させる観念だけを真実と思い込み、 自分のイデオロギーや主張に都合よい言説や資料だけを取捨選択して自分の主張を正当化することです。 上記のように硬直的な思考回路と原理主義的イデオロギーを振りかざし、 善と悪、正義と不正義、敵と味方、賢民と愚民などの弁証法・単純二元論を振りかざす人々は、 現実の世界においては自分と同じイデオロギーを信仰し、 自分と同じ硬直的な思考回路を持つ原理主義者の間では受け入れられますが、 そうではない国民大衆からは、独善的かつ硬直的な原理主義者は受け入れられない。 サイバー空間上の掲示板やQ&Aサイトでも硬直的な思考回路と原理主義的イデオロギーを振りかざし、 善と悪、正義と不正義、敵と味方、賢民と愚民などの弁証法・二元論の主張は蔓延している。 例えば、中国人、韓国人、米国人に対する強烈な嫌悪や蔑視の感情を剥き出しにした表現、 自民党、民主党、公明党、社民党、共産党、米国民主党、米国共和党などの政党に対する、 または、日本、韓国、中国、米国などの国家に対する、政党や国家としての、 個々のまたは総体的な政策や行為や実績に対する指摘・検証・評価ではなく、 その政党や国家自体を絶対敵な悪・敵とみなして、敵意を剥き出しにして攻撃し、 排斥・離間・断絶・敵対政策を主張する表現などが流布されていますが、 上記のような極論・暴論の主張は現実世界では国民大衆から受け入れられない。 サイバー空間における上記のような極論・暴論の主張は、論者が現実社会で国民大衆から相手にされず、 国家・社会が論者が期待する状態でないことに対するストレスを発散する場として、 論者が犯罪やテロの形で暴発しないための抑止装置としてなら意味はあるかもしれないが、 現実の世界で問題を解決すること、目的を実現することには全く結びつかない。 筆者の経験則では、上記のような硬直的な思考回路と原理主義的イデオロギーを振りかざす人々は、 本人の極めて独善的かつ偏狭な自尊心を満足させ、自己陶酔することはできるが、 現実の世界で問題の解決も、目的の実現もできない、生産性・創造性ゼロの人々です。 靖国問題も他の問題も、社会的・政治的問題の解決、目的の実現のためには、 人間の精神的な最大の欠陥である、上記のような硬直的な思考回路や原理主義的イデオロギー、 自分を神格化・無謬化し、他者を蔑視することで人格を保つ優越感情・選民思想に陥ることなく、 自分も他人も、いかなる個人も法人も国家も、長所も短所も利点も欠点もあると相対化し、 生物の食物連鎖や生態系と同じく、人間社会で生きている全ての人々が、 社会的な相互依存・相互協力の関係性の中でのみ存在している・存在できる法則を理解し、 個人でも法人でも国家でも他者との対話や、他者との関係性の中で働きかけることによってのみ、 世界の諸国民の相互理解・共存共栄が実現できることを理解し、 現実の世界での問題解決や目的実現に結び付けてゆくことが必要です。
- tiuhti
- ベストアンサー率66% (447/668)
ブッシュ大統領の支持率は、イラク戦争開戦直後は約7割ありましたが、圧倒的に多くのアメリカ国民が開戦に反対であれば、ブッシュも開戦に踏み切らなかったかも知れません。だから、もし、イラクでの『戦争』の責任を追及するならば、アメリカ国民にも責任はある、とも言えるでしょう。しかし、「イラクは大量破壊兵器を保有している」と言い続け、それを開戦の理由にしていたのは、ブッシュ政権ですから、ブッシュ大統領の責任が一番重い、と考えるのが常識的な考え方でしょう。同じような意味で、「日本の戦争指導者に100%責任がある」という意見が、もしあれば(そんな意見は私は未だ聞いた事がないけど)、それは間違っていると思いますが、一方「日本人全員が等しく責任を負うべき」という意見があるとしたら、こちらも間違っていると思います。 誰に、主な(orより重い)責任があるか、というのは、天皇、軍部、政治家、マスコミ、国民等々、それぞれがどんな事をしたのかを、検討しないとわかりません。ここで述べられるようなものではないので、質問者の方が、本などで勉強される事をおすすめします。 例えば、読売新聞の企画連載「検証・戦争責任」の第一部が、単行本として先頃(今年7月)出版されたようです。自ら「東京裁判の『戦犯』概念とは距離を置く形で」、と言っているし、3大新聞の中では最も「右」と言われている読売新聞の記事ですから、この本の記述に基づいて議論しても、少なくも「お前は洗脳されている」などと言われる事はたぶんないでしょう。 さて、ここではA級戦犯のうち、松井石根と東条英機について述べます。 松井石根は、「南京大虐殺」の時の司令官として、有罪(絞首刑)になりました。判決には、「占領の前に、彼は自分の軍隊に対して、行動を厳正にせよという命令を確かに出し、その後さらに同じ趣旨の命令を出した。…これらの命令はなんの効果もなかった」、「彼は自分の軍隊を統制し、南京の不幸な市民を保護する義務をもっていたとともに、その権限も、もっていた。この義務の履行を怠ったことについて、かれは犯罪的責任があると認めなければならない。」とあり、南京で起きた事に対して、その防止策が充分でなかった事について責任を問われた訳ですが、実行したのは部下で、松井石根が「虐殺せよ」と指示を出したわけでもなく、それで死刑になるのはかわいそうだ、みせしめだ、という意見もあるでしょう。また、松井石根の経歴などから考えても、教誨師に対して松井石根が語った「(南京入城後の)慰霊祭の直後、私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った。・・・あの兵の暴行によって一挙にしてそれを落してしまった、と。ところが、このことのあとで、みなが笑った。甚だしいのは、或る師団長の如きは『当り前ですよ』とさえいった。」という話も、概ね真実なのでしょう。 http://www.geocities.jp/yu77799/toukyousaiban.html http://www.c20.jp/text/hs_sugam.html 一方、極東軍事裁判では、松井石根は、「侵略戦争の計画,遂行、共同謀議への参加」については、無罪となっています。(ですから、厳密には「松井石根はA級戦犯として訴追され、BC級戦犯として刑が執行された」というべきです。)しかし、松井石根は、南京攻略の前に、戦争の拡大を防ぐ為に軍中央が設定したラインを、現地の判断で超えてしまっています。↓。後から振り返ると、ここから日本は、日中全面戦争に突入して行きました。 http://eritokyo.jp/independent/aoyama-col7189.html http://eritokyo.jp/independent/aoyama-col7185.html 上のWebにもあるように、「現地軍の暴走&軍中央による追認・黙認、政府もそれに押し切られる」というのは、満州事変ぐらいからの、典型的なパターンです。日本側の証言によって、当時から日本軍の謀略である事が知られていた張作霖爆殺事件(1928年)でも、真相究明と責任者の処罰は曖昧にされました。このような態度は、1931年の柳条湖事件(日本軍が、中国軍による満鉄爆破を自作自演した。これにより満州事変勃発)に繋がります。 この「現地軍による謀略や独断専行、それを罰さない(罰せない?)軍中央&政府」という構図は、日本を、中国との間に泥沼のような戦争に引きずり込んでいきました。南京への進軍を、軍中央からの指示を無視して行った松井石根の行動も、その流れで理解すべきであり、「戦争を回避すべく全力を尽くした」というのとは逆です。だから、極東軍事裁判で、侵略戦争の計画、実行等に関して、無罪になっていようがいまいが、松井石根の戦争全体への責任は、問われて当然でしょう。言える事は、そういう事をしたのは松井石根だけではない、とか、独断専行だけで死刑に当たるだろうか?、というぐらいです。まして、この点に関する、一般国民と松井大将の、責任、重さの違いは言うまでもありません。 東条英機については、別の観点から書きます。東条英機は、戦争指導者の中でも、特に評判が悪いのですが、それは、既に他の方が回答したように、戦陣訓で「生きて虜囚の辱めを受けず」と、他人に自決を強要しておきながら、自身は敗戦後GHQが逮捕に来るまで自決せず、おまけに自決に失敗した、という失態を演じたのが、大きな理由の一つです。↓をご覧下さい。 http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/TOOJOINOUE.html (敗戦当時、今で言う中学生の年齢だった私の母も、「東条英機だけは絶対に許せない」と言っていました。因みに、極東軍事裁判はインチキで、日本人の手でちゃんと裁かなかったから、未だに「大東亜戦争は聖戦だった」などと主張する輩がいるのだ、とも言っていました。) しかし、東条元首相が特に憎まれたのは、それだけではなく、憲兵隊と特高(特別高等警察)や自らの権威をフルに活用して、激しい思想統制を行ったからです。その対象は共産主義者等のいわゆる「反体制派」に限られず、例えば「竹槍では勝てない、飛行機だ」という意見をある記者が新聞に書いただけで、その当時はは大正時代に徴兵検査を受けた者の召集は全くなかったにも関わらず、その記者が召集された、という事もありました。その異常さをごまかす為に、同じく大正時代に検査された老兵も250名召集されました。 逓信省工務局長松前重義は、反東条派だった為に、42歳という高齢で召集されましたが、この事件は、反東条派だった、昭和天皇の弟の高松宮の日記に「陸軍の不正であるばかりでなく、陸海軍の責任であり国権の紊乱」とまで書かれています。 このように思想弾圧、反対派の排除を行ったからこそ、東条元首相は、戦時体制を「代表する」「象徴する」人物だったのであり、上にあげたWebで山田風太郎が「『東条大将はピストルを以て……』ここまできいたとき、全日本人は、『とうとうやったか!』と叫んだであろう。来るべきものが来た、という感動と悲哀とともに、安堵の吐息を吐いたであろう。」と書いたのにも、そういう背景があります。こういう話は、極東軍事裁判の不当さとかGHQの洗脳がどうしたとかは、全く関係がありません。 No.15の方が「特定の個人が戦争に持ち込んだ訳ではない」といったのは、全くその通りですが、それは、現地軍の暴走を止めるべき軍中央がその責任を果たさず、政府も、そのような軍の暴走を結局は追認した、という「恐るべき無責任体制」だからです。じゃ、天皇はどうだったかというと、「昭和天皇独白録」によれば、「自分は立憲君主であり、内閣の決定を覆せば専制君主になってしまう」、「もし、反対すれば、クーデターが起こり、もっとひどい事になると思っていた」と天皇自身が考えていた事になっています。(↓) http://d.hatena.ne.jp/okamakoto/20060731 この昭和独白録は、後にURLを入れるWebの記述からもわかるように、天皇の戦争責任を問いたくないGHQの意向の強い影響下に作られたもので、全面的に信じるわけには行かないのですが、他の資料(木戸幸一日記や高松宮日記など)もあわせて考えると、昭和天皇が英国風の立憲君主でありたい、と意識していたのは間違いないと思います。そして、それに対して、高松宮等は、戦争回避(あるいは中止)の為に、もっと積極的に天皇としての権威を使うべきだ、と考えていたようです。(高松宮日記では、昭和天皇に対する苛立ちや失望が見て取れる)また、実際に、戦後直ぐには、天皇が道義的な責任をとり退位する、という案が、皇室内にもありました。これも、天皇の責任の追及自体よりも、皇室の維持という点に重きを置いた考えではありますが…。↓ http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20050812A/index.htm 私は、先に述べた張作霖爆殺事件で、天皇が田中義一首相を実質的には罷免した事でもわかるように、また2.26事件では反乱軍将校を処罰する事に関して、昭和天皇が非常に強硬だった事でもわかるように、天皇には、相当の権威があり、それを使うチャンスはたくさんあったと思います。「自分の権限(権威)を、もっと使えたし、使うべきだった」という点で、南京事件での松井石根大将と同じ性格の責任は、昭和天皇にはあると思っています。 あまりに長くなったので、そろそろ終わりにします。「4000万人の署名」は、おそらく「全戦犯の早期釈放の嘆願」といった内容だったのだろうと推測します。そして、その署名が行われたのは、1951年の6月以降のようです。↓ http://www.nipponkaigi.org/reidai01/Opinion3(J)/history/genten.htm 嘆願の内容がよくわからないのでこれ以上は何とも言いようがありません。そこで、ネット上で「戦犯は『名誉回復』された」と主張される時に、この署名とセットで言われる事の多い、国会での「戦犯釈放決議」で、この署名とほぼ同時期の決議の演説から、引用しておきます。 「いわゆる戦犯も一般犯罪と実質的には何ら異なるところなく、ただ関係各国との関係において一種の制約を受ける点が異なるに過ぎない」 「本決議案が本会議場に上程されるまでの動向を見ておりまする間におきましては遺憾な点がございました。或いは一部超国家主義者が戦前戦後の自己の行動をややもすれば正当ずけんとするような意図も現われたのであります。」 「我が国を敗戦に導いた責任者がそれぞれ糺明され処罰されることは止むを得ざりしことといたしましても、…今なお服役中の戦犯者は…今や人類相愛の精神によつて速かに解放救援されて然るべきにはあらざるやと、ひそかに思わざるを得ません。」 http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/013/0512/01306090512049c.html(昭和27年6月) 「本決議案の真のねらいは・・・第三には、A級戦犯の全面釈放のための伏線であり布告であると私は断ずる。」(赦免決議への反対意見。尚この時の決議はBC級のみに関わるもの) http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/015/0512/01512090512011c.html(昭和27年12月) 国会の決議文そのものは、単に「戦犯の釈放を求める」だけのもので、戦犯裁判の判決自体をひっくり返すものではありません。決議への賛成演説などでは、「戦犯裁判自体を否定し、戦犯は犯罪人ではない」という考えが見られるのも紛れも無い事実ですが、一方で、明らかに戦犯=「犯罪者」という考え方も見られるし、A級戦犯とそれ以外を分ける考え方も見られるし、「この決議案自体が、戦前の日本を正当化するのに利用されようとしている」と危惧する考えもあります。賛成演説・反対演説をつまみぐいして引用すると、自分の好む結論に誘導できてしまうので、決議案は、あくまで決議案の内容だけから判断されるべきものだと思います。(つまり、これをもって戦犯が『無罪』になったような事は言えない。) 4千万の署名がどういう中身だったのか、私にはわかりませんが、国会決議と同様に、様々な考え方(あるいは思惑)の集合体と考えた方がよいのではないでしょうか?また、昭和27年と言えば、公職追放(GHQが、戦争遂行協力者とみなしたものを、政府や有力企業等から追放する)が解除され、戦前の指導者層が政界などに復帰してきた時期です。一方、昭和25年からは、朝鮮戦争をきっかけとした東西対立から、GHQが共産党及びその支持者を公職や企業から追放しています。当時のマスコミではこの流れを「逆コース」と呼びましたが、まさにこういう時代背景の下に、署名や国会決議がされた、という事も知っておいた方がいいと思います。 最後に、これだけ長々と書いた人間が言うのもなんですが、この手の事を知る為にネットを利用するのは結構危険ですよ。なにしろ、「1943年に解散したコミンテルンが、1947年に結成した日教組を指導した」などという『専門家』がいたり、右派社会党の国会議員が、「死刑になった・獄死した戦犯の家族は、国家補償も受けられず、また戦犯とされた人が靖国にも祭られない、と(遺族が)嘆いている」と言った事を、その国会議員が「戦犯を英霊として祀れ」と主張した事になってしまう議論が掲示板で見られるのが、ネットの世界ですから…。 http://www.hirake.org/bbs/bbs2/politic/giron/cbbs.cgi/srch.cgi/cbbs.cgi?mode=one&namber=9657&type=0&space=0 このサイトでは、以前、この国会議員の発言を、「国会決議」にしてしまった回答者にも遭遇しました…。 まぁ、私の回答も、ご自分で調べるきっかけにして頂ければと思います。
- tetrarch
- ベストアンサー率21% (123/563)
初に私の記憶なんで間違いがあるかもしれないことを言っときます。 質問に回答しますと、数十年前の国会で全会一致で国内法では質問の方達は犯罪者では無いとされています。その後決議されていないので現在でも、あの方達は日本国内においては犯罪者では無いんです。国民の代表の国会議員が決めたので国民全体の意思と考えていいと私は思います。ですので、合祀されるのはさほど問題ではないと思います。
- coco1701
- ベストアンサー率51% (5323/10244)
#17 で書ききれなかったので、失礼 ◎A級戦犯(A級と分類された戦争犯罪人) 罪状:1)平和に対する罪 2)人道に対する罪 3)共同謀議に対する罪 判決:有罪(28人全員) 絞首刑 東条英機:首相・陸軍大将:大臣 板垣征四郎:陸軍大将:大臣 土肥原賢二:陸軍大将 木村兵太郎:陸軍大将 武藤章:陸軍中将 松井石根:陸軍大将 広田弘毅:首相・外相(文官) 以上、7名刑執行 終身禁固刑 獄中死 永野修身:海軍元帥・軍令部総長 梅津美治朗:陸軍大将・関東軍司令官 小磯国昭:陸軍大将・朝鮮総督・首相 松岡洋右:外相 東郷茂徳:外相・駐独、駐ソ大使 白鳥敏夫:駐伊大使 病気で仮出所ご病死 平沼騏一郎:首相・枢密院議長 以上14名がA級戦犯と呼ばれている 東京裁判とサンフランシスコ講和条約:通称(正式名:日本との講和条約)の関係 条約11条で日本はこの裁判を受け入れたことになっている 日本語訳:極東国際軍事裁判所並びに国内外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判の受諾 英語原文:Japan accepts the judgments of the International Military Tribunal for the Far East and of other Allied War Crimes Courts both within and outside Japan この条約は英語・仏語・スペイン語で書かれ(正文) 日本語の(正文)は存在しないが、日本語訳(外務省訳)は正文に準じるものとして承認された。 現在良く問題になっているのは、 裁判そのものを認めた、条約締結上認めざるをえなかった、判決を受諾したのであり裁判の正当性は認めていない、他等あります いわゆる英語の「accepts the judgments」が日本語訳の「裁判の受諾」で正しいかどうかでもめています 正文は3ヶ国語(英・仏・スペイン語)ですから 英語「accepts the judgments」 仏語「sccepte les jugements」 スペイン語「acepta las sentencias」 この原文をどう訳すかです 裁判を受諾した 諸判決を受諾した か それで、裁判に対する見方が変わってきます サンフランシスコ講和条約に関しては参考URL参照
- coco1701
- ベストアンサー率51% (5323/10244)
○A級戦犯(A級と分類された戦争犯罪人の意味) 分類:A級・・戦争を遂行した国家指導者 B級・・戦場での指揮官 C級・・戦場で実行した兵隊 戦争犯罪:戦時国際法の交戦法規違反 1.非戦闘員に危害を加えない 2.軍事目標以外の攻撃は不可 3.残虐な兵器使用不可 4.捕虜虐待不可 B・C級は当時の国際法(上記)により裁かれる (B・C級者の死刑・1061名:靖国神社に合祀) 東京裁判(極東国際軍事裁判) 経緯:1945年8月8日「ロンドン協定」 参加、米・英・仏・ソ(連合国) 内容:ドイツの戦時指導者をどう裁くか協議 1)平和に対する罪 2)人道に対する罪 3)共同謀議に対する罪 を定め、ドイツ戦時指導者の個人の 刑事責任を追及 以上に基き、ニュルンベルグ裁判実施 :連合国はロンドン協定を日本にも流用し 東京裁判を行うこととした (日本国に対しては、ポツダム宣言第10項 に基ずくものと通告) 条文:われらの俘虜を虐待した者を含む一 切の戦争犯罪人に対しては厳重な処 罰を加える。(関連のみ抜粋) GHQ作成「極東国際軍事裁判所条例」 に基ずき実施される A級戦犯容疑者39人より28人選出 ソ連の要望により2人追加上記より2名削除 上記 1).2).3)の罪により28名起訴 結果:有罪・25人(公判中死亡2人) (病気で免訴1人) 内・死刑7人 裁判中死亡・獄死7人 (以上14名、靖国に合祀のA級戦犯) 問題点:ロンドン協定 :1945年8月8日 ポツダム宣言受諾:1945年8月14日(署名7月16日) ポツダム宣言第10項は通常の戦争犯罪人の処罰を 規定しており、ロンドン協定の3罪は想定外 そもそも3罪自体が事後法(後で法を作って 以前の事を罰する)で不法行為 裁判としての法的根拠はない 戦勝国による敗戦国に対する私刑(報復) 及び公判における天皇免訴の理由付けの為 (GHQは天皇を占領政策に利用する為、裁判に おいて、天皇に戦争責任がない事を証明する必要 があった、東条英機の陳述「開戦の詔勅」の 豈朕カ志ナラムヤ の意味をやむをえないことで 朕(天皇)の意思にあらず を基にマッカーサー 元帥は天皇免訴を決定) 以上により東京裁判は不当な物と言えます (不当な物であったが、あの時代の状況下に おいては、受け入れるしかなかった) 天皇を裁くことが出来ない(GHQの日本統治政策)ので、その根拠を裁判で見出す為に(ソ連・中国は天皇の戦争責任を要求していた)A級28人に責任 をかぶせなければならない面もあった、 (裁判中の不自然、不当な物がそれを物語る) 長くなりまして申し訳ない
- zxcvqwerasdf
- ベストアンサー率8% (9/110)
昔あぐらをかいて 日本国民の頭の上に座っていた連中が このままでは自分の地位が守れなくなると判断し 消耗品として日本国民を扱ったという事実は 道義的 人道的に見てOった指導者としか思えない 美名の下に国民を駆り立てたが 結局俺の代わりに死んで来いということでしょ?この前、生存率がコンマ何%の生存者の体験談をテレビで聞いたが おぞましい地獄絵図のようでした。ほんとうに回避できなかった戦争だったのでしょうか?
- taro56
- ベストアンサー率31% (15/47)
過ぎ去った歴史はすべての事実を並べてみないと見えてきませんが、政治は都合の良い事実のみでストーリーを作ります。 戦争犯罪人の定義は戦勝国側がするものです。負けた者、とりわけ無条件降伏ではなにもいえません。 冷静に考えれば東条が悪人で、マッカーサーが善人というというのもおかしな話です。 どちらも職業殺人者のリーダーという点では同じでしょう。 日本軍幹部に対して赤紙一枚で国民を死地に追いやり、自分はのうのうと生きていて、けしからんというのは大衆の意見としてはうなずけるものではあるが、軍幹部としてとるべき行為としては間違っていません。まず、当時徴兵はどこの独立国でもあり、戦時下での強制徴兵は当たり前である。ちなみに現在韓国も中国も徴兵制度があり、つまりは成年男子は人殺しの訓練を受けていることになります。 また、軍幹部が戦線に赴いて戦うなんて話は、伝説や水戸黄門ではありうるが古今東西そんなものは聞いたことがありません。将軍の頸をとられたらそれで戦は終りだからです。従って東条悪人論はGHQが作ったストーリーである。No.11さんの説明にありますが、良く使われるA級戦犯という語も意図的ですらあります。そもそも、戦局が悪くなってから、監督交代でなった訳ですから。 事実として言えることは、特定の個人が戦争に持ち込んだ訳ではないこと。当時日本をとりまく世界情勢の中で、外務省、陸海軍ともに戦争を回避すべく全力を尽くしたことも事実だと思います。当時の日本の指導者は官民問わず、留学経験、海外勤務経験があるものが多く、アメリカやヨーロッパを相手には勝てないということぐらい判っていたはずです。余談ですが、一般青少年向け科学雑誌に1930年頃の全世界の鉱工業生産量の統計資料も掲載されており、海外に出たことのないものでも日本の地位を知ることは可能でした。 ヨーロッパ諸国が青島、香港、澳門、さらには東南アジア諸国を制圧していくなか、日本の経済は包囲されつつあったことも事実。この不安は相当なものだったと思います。 こんな中、唯一の戦略は短期決戦で優位な和解へ持ち込むというものであったというのは有名な話です。 ただ、あまりにも明らかだったため、対戦相手側としては長期戦、物量戦がとりうる対抗策であり、その前に倒れたということである。 結果論として、無謀な戦争や、軍幹部の判断ミスを批判することは誰でも言えるが、当時の世界情勢でどうやって日本を国際競争力のある立場へ導くべきかは中々の難問だったと思います。 指をくわえて、日本が欧米に経済的に包囲されていくのを黙って我慢してる方が良かったのでしょうか。戦争はなかったかもしれませんが、現代のニートやらリストラより遥かに悪い状態になっていたように思います。逆らわないと、どんどん奴隷化されていきます。人の性として。 戦争は多くの人命が失われます。しかし、それによるもっと多くの数の国民を優位なポジションに押し上げる道具とも解釈できます。 戦争を正当化するつもりはありません。しかし、なぜ戦争になったのかを考える必要があります。 今の、日本があるのはアメリカの戦後復興援助も事実ですが、WWII終結とともにやってきた、東西の戦いで必要になった中ソへの要所における人間の盾をもつ要塞化の一連の活動とも解釈できますし、そう考えるとゾッとします。
- zxcvqwerasdf
- ベストアンサー率8% (9/110)
こんな格言を聞いたことがありませんか? 歴史は繰り返す 戦時中然り 現在然り 権力者の横暴な理屈で振り回されるのは 結局社会的に見て弱い立場の人間だと思うんです 戦時中に 東条英機大将の訓諭(戦人訓)で 生きて虜囚の辱めを受けず と教練され玉砕(自殺)していった人たちの死はなんだったのでしょうか? そして実際 生きて虜囚の辱めを受けたのは誰だったでしょう? 誰が参拝しようが参拝自体には問題ないと思うんです ただ内閣総理大臣の地位にいる方が戦死者を戦時的英雄として奉られている神社に参拝するということは いろんな味方できると思いますが 一般的に見てどんなもんでしょうか?私は内外からの反発が起きて当然のことと思います 反発が起きることを承知で内閣総理大臣が参拝するという行為を 行なうということは なぜそこまでして?とおもうところです 小泉総理大臣はそれが私の信念だからといっているようですが 私には良くわかりません 首相参拝時 手をたたいて持て囃す方 が いたようですが・・・・・