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現代語にすると、どのような文章になりますか?

弓馬の業、幼年より世話致す事、是れ全く行く末、行跡を正し、才智を琢きて忠孝の心の助けともなれかしと思ふが根本なり。然るに今変じて邪見我儘の助けとなる事あらば、我が信空しく、且つ老年の後悔、何事か是に越ゆることあらん。今相応訳立ち候様に成り立つこと、是れ全く先祖の高恩ならずや。 現代語にすると、どのような文章になりますか?宜しくお願いします。

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  • ベストアンサー
  • fumkum
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回答No.2

こんにちは。少し細かくなりますが、語句の意味・文法的な説明と訳を。 語句の意味・文法的な説明 弓馬=弓道と馬術のことですが、武芸全般(武芸)を意味することも多い。 弓馬の業=業は仕事の意味もありますが、単に技術・おこないの意味にも使われます。 世話=現代と同じで、面倒をみること。 行跡=歴史的仮名遣いは「かうせき」、読みは「こうせき」。意味は、行為・身持ち かし=終助詞(もとは係助詞「か」に、副助詞「し」がついたもの)。強く念を押して、~ね・~よ。自分に言い聞かせて、~よ。 然るに=けれども・ところが・ところで・さて・ 邪見=(因果のことわりを無視する)誤った考え。 我儘=勝手気ままにふるまうこと。思い通りに贅沢をすること。意のまま あらば=未然形+「ば(接続助詞)」で仮定条件を表します。意味は、もし~ならば。ですから「邪見我儘の助けとなる事」は、現実に起こっていないことで、仮定している内容です。 是に=「邪見我儘の助けとなる事」を指し示しています。 相応=互いに答えあう。つりあう。ふさわしい。 訳=役 成り立つ=一人前になって世に立つ・立身する・出来上がる・成立する・成り立つ。 高恩=高大な恩。高い恵み。 ならず=断定の助動詞「なら」+打消しの助動詞「ず」 や=係助詞。文末にあるので、疑問(~か)、問いかけ(~か)、反語(~だろうか、いや~ではない)の意味になります。ここでは、反語で、「高恩ではないだろうか、いや高恩である(直訳では、「高恩ではないではない」)」になり、「いや」以下が本当に言いたいことで、この部分を強調するために反語表現をとっています。 訳 武芸の技術を、幼少のころから世話をする(教え導く)ことは、これ全て将来身持ちを正し、才能と知恵を磨き、忠義と孝行の心(を高めること)の助けにもなれよ思うのがそもそものおおもとである。けれども、今変わって、(武芸の技術が)誤った考えやわがままの助けとなることがあるならば、私が信じたことはむなしく、なおかつ老いての後悔としては、このこと以外に、どんなことが超えることがあるだろうか(これ以上のことがあるだろうか)。今ふさわしいように役に立つように出来上がった(一人前になった)ことは、これ全て先祖の高恩ではないのだろうか(いや高恩である) 解説 この文章は武芸の師匠である人物の書いたもののようです。武芸を教え導くことの目的は、「行く末、行跡を正し、才智を琢きて忠孝の心の助けともなれかし」であること。今一人前になったことは、「先祖の高恩」であることを言っています。途中の、「然るに~越ゆることあらん。」の部分は、二つの言いたいことを強調するための文飾の部分だと思います。 回りくどい文章なので、現代文に訳すと分かりづらい部分が出てきます。一応、( )内に意訳や付け足しの部分を付け加えましたが、逆に分かりづらくなったかもしれません。 以上、参考まで。

その他の回答 (2)

  • fumkum
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回答No.3

NO2です。追記を。 「我が信空しく」ですが、「私が信じたことはむなしく」と訳しましたが、「信」を「信用」の意味にとり、「私の信用はむなしく(失墜し)」と訳せます。そうすると、「邪見我儘の助けとなる事あらば」の部分は、師の信用失墜・後悔、先祖の恩に泥を塗る行為であるからと、釘を刺した考えるべきなのかもしれません。 以上、急ぎ追記をさせていただきました。

noname#259499
質問者

お礼

ご丁寧に解説いただきありがとうございました。大変参考になり助かりました。

回答No.1

こんにちは。 弓や乗馬の業(わざ=鍛錬・たんれん)を幼年よりしていました。 これにより、成長するにつれ、才智(さいち=才能=知識)を琢(みが)いて忠孝(親孝行)の一助となると思ったのが、そもそもの根本(要因)です。 しかし、今はすっかり変わってしまい、邪見(邪念=悪いことをしてしまうような心)と我儘(わがまま)になりつつあり、私の信念はむなしいものとなってしまいました。 さらに、老年になってからの後悔は、どのようにしてもこれを捨てきれなかったことです。 今は歳相応に言い訳がまかり通っていますが、これは、すべてご先祖様のお導きと考えています。 もう少し砕いて読むと・・・。 幼年の頃は才能を磨いたり、親孝行に励もうとして、弓や馬術などをして鍛錬してきましたが、今は、すっかり変わってしまって欲や我儘だらけとなってしまい、私の信念は無意味でした。 さらに、歳をとるにつれて、後悔していますが、もう、遅すぎました。 今は、言い訳がましいことを言っていますが、まあ、考えてみればご先祖様のお蔭かと思っています。 このような意味でしょうね。

noname#259499
質問者

お礼

ありがとうございます。わかりやすく解説して頂き大変参考になりました。

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