聖書は信じていますが、教会を信じられません
ここ数年、聖書を愛読しています。神の存在も心から信じることができます。
ですが、キリスト教の教会に行ったり、どこかの教派に属する気になかなかなれません。
聖書では、旧約、新約にわたって厳しく「偶像」を禁止しているように思います。
■使徒17:16「パウロはアテネで二人を待っている間に、この町の至るところに偶像があるのを見て憤慨した。」
自分がまだキリスト教をそんなに勉強していない時に、一度友達にカトリック教会につれていってもらったことがありましたが、壁に十字架に掛けられたイエスの像があったと記憶しています。こういうものは偶像にあたらないのでしょうか。
また、
■マタイ23:5「そのすることはすべて人に見せるためである。聖句の入った小箱を大きくしたり、衣服の房を長くしたりする。」
■マタイ23:9-10「また、地上の者を『父』と呼んではならない。あなたがたの父は天の父おひとりだけだ。『教師』と呼ばれてもいけない。あなたがたの教師はキリスト一人だけである。」
のくだりは、今の重厚な地位階層を持ってしまっている教会や、例えばカトリックのローマ教皇のいでたちなどを痛烈に批判しているようにも思えます。
いっぽうで、WEBで見かける教会の方の手による聖書の講釈の記事などはとてもすばらしく、いつも愛読しています。
さらに、使徒言行録にある初期の信徒の働きをみれば、「教会に属さねば」という気にもなり、まずはどこかの教会に行ってみようと思っています。
ずばり、どの教会へ行けばこういった迷いが氷解するのでしょうか。
それとも、すでに教会に通ってらっしゃる方もこういった悩みを抱えているものなのでしょうか。
お礼
ままごと遊びしながら、ときどき隠れんぼするってゆー。