海外で読まれている、ということを、どのように解釈するかにもよると思うのですが……。
共産党というのは“インターナショナル”な組織ですから、各国共産党間での交流も密です。
当時小林多喜二も加わっていた、日本のプロレタリア文学の担い手たちによる「作家同盟」も、「国際革命作家同盟」(モルプ)に加盟しており、この組織はドイツ、アメリカ、中国、ポーランド、フィンランド、ラトビア、チェコスロバキア、ハンガリー、オーストリア、ブルガリアなどにも支部がありました。ですから、『蟹工船』や『一九二八年三月一五日』(日本共産党に対する一斉検挙が行われた事件を題材に採ったもの)など、早くから中国語訳、ロシア語訳、そこからさらにイギリス、ドイツなどにも翻訳されていました。
ロマン・ロランは(スターリンの登場やドイツ軍のポーランド侵攻の際のソ連軍の黙認のころから、共産主義から離れていくのですが)、入党こそしなかったものの、1930年代前半はかなり深く共産主義に傾倒しています。
そうしてアンリ・バルビュスや、アンドレ・マルローらとともに、1932年、国際反戦大会の開催を呼びかけるのですが、これに片山潜を代表とする日本の共産主義者たちも参加するのです。そうして、日本における共産主義の弾圧に対する抗議の決議がこの大会で採択されています。
ロランが小林の作品を読んだかどうか、わたしはその知識を持ちませんが、多喜二の死は、世界的なファシズム勢力の台頭と、ふたたびの世界大戦の危機が目前に迫っていた時代だったこともあり、多くの進歩的知識人らの抗議を引き起こすことになります。
魯迅は弔電を送っただけでなく、ほかの中国人作家と一緒に遺族のために募金を始めたし、フランスでは共産党機関紙『ユマニテ』が抗議活動を呼びかけました。アメリカのInternational Publishers(マルクス主義系の作品を中心に出版しているところ)は1933年に出版した "The Cannery Boat and Other Japanese Short Stories"(『蟹工船 その他 日本短編集』)の末尾に、小林多喜二の死が警察による拷問だったことを記しています。
> 外国の研究者たちは、日本語のものを読んでいるのでしょうか?
> 英訳されたものがあって、一般の人たちも多喜二の著作を読めるのでしょうか?
たとえば『源氏物語』が広く読まれているように、小林多喜二が読まれているというのとは、意味合いが異なります。けれども、日本で読めなかった1930年代にも、ロシア語でなら、さらにそこから重訳されたものなら、共産党系の雑誌や書籍を通してよむことができたのです。
お礼
回答ありがとうございます。 日本では余り省みられていないような印象を受けていたのですが、海外からは脚光を浴びているのですね。 あの偉大な小林多喜二が忘れ去られるはずはないでしょう。