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愛国教育の是非
- 愛国教育について疑問を抱く声があるが、その是非について考えてみる。
- 他の国々と比較して愛国心に対する考え方が異なることもある。
- 日本ではなぜ愛国教育が行われてこなかったのか疑問が残る。
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質問者が選んだベストアンサー
日本でも愛国教育は行われています。 国旗掲揚や、国歌斉唱は、愛国教育の一環です。 どうもほかの回答者の方も、愛国教育に関して大東亜戦争直前や戦中に行われたような極端に右翼化した教育をイメージしているようですが、本来の愛国教育というのは、歴史や道徳をその国民の解釈としてきちんと教えることを言います。 現在の日本は、中途半端に周辺諸国への『配慮』を行っているため、日本人の視点としての歴史や道徳などをしっかり教えようとするだけで外交カードに利用されてしまっています。 中国、韓国がよその国の教育に口を出すのは内政干渉であり、日本の主権侵害です。もしアメリカの歴史教育に対して日本が、東京大空襲などを反省しろ、などと言ったら、アメリカ国民が猛反発することは必至ですが、日本ではそういった現象が起こらないのが現状です。 アメリカは、幼稚園ですら、国旗を持って敬礼をして忠誠を誓うというのが、当たり前のように行われています。しかし、日本ではそんなことをしたら、「右翼だー!」とか「軍国化だー!」とか言われてしまうのが現状です。これは反日教育を国内でも行われていたからです。 一つには、GHQが戦後日本の教育制度に対して行ったwar guilt infomation programが功を奏しています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0 1945年が終戦と教えられていますが、本当に終わったのは1952年に発行されたいわゆるサンフランシスコ講和条約で、この時まで日本は連合国の占領下です。 そのため、1945年から1952年の8年間は日本人、特に子供たちは徹底的に思想教育をされました。教育の内容は上に記載のwikiを見てください。 また1952年に主権を回復して安全保障ということで以降も占領軍から駐留軍に名前を変えた米軍が今でもいる以上は、簡単に教育内容を変えるのは難しかったのです。 そして、もろにこの間に育って影響を受けたのが70代で、今ようやく70代が一線を退きだしたので、ここ10年ようやく日本でも「愛国」ということができるようになりつつあります。 質問にあるように、ニュースの話題になっているだけでも、日本はようやくまともになってきたと言えます。 また、現実問題として、愛国心を持っていない国民は、自国が攻撃されて戦争が起こった時に一斉に逃げ出してしまうわけです。日本という国を守るためにも当然愛国教育は必要です。 愛国教育というのは、どの国でも必ず行います。反体制派が多いのは、その国を政情不安にするので当然ですし、それにその国々で積み重ねた歴史や伝統は、よその国の文化とは相いれないことが多くあるので、日本ではこういったことが常識ですよ、という教育をしなければ、この情報があふれる現代では、ますますアイデンティティを確立しにくくなります。 それに、そういった教育があって、はじめて日本人の良さも海外に伝えられるわけです。 愛国というと、日本では右翼が使うネガティブな言葉とされてきましたが、英語にするとpatriotで、この言葉を使った映画は枚挙にいとまがありません。 これだけ洋画を見る日本人が、ハリウッドの愛国精神万歳映画をいっぱい見ていながら、自国に対して愛国心を持っていないと考えているのは、面白い限りです。
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まず、国という概念が近代ヨーロッパから世界にという感じですよね。 オスマントルコなどは領土内にいたギリシャ人に影響して、それまで多民族だったのがアイデンティティを意識しはじめたといいます。 他の回答者さんのキーワード、郷土愛は大切です。県民もその一つです。日本は大名や藩などの体制の時代が長く、実質地方分権的な国ですよね。 自虐はしなくていいと思うんです。ただし、反省することは反省して。日本もきちんとした歴史のもった国です。 愛国教育は国を守るです。保守派は人によっては他に経済を守ったり、伝統を守ったりします。 今までの経験が役に立たなくなって時代が速いという言葉で、伝統を守らなくて愛国になってしまって過去の努力と時間を軽視する短眼的さを感じます。 知的に考える世の中でドーパミンが多く出て、過激な愛国という言葉にひかれてという状況なのかもしれませんが。 自然風土、気質など今までの試行錯誤の結果できあがった文化など伝統を見直す時なんだと思います。 日本はキリスト教の伝統があるわけではありません。 短期的な思考での愛国は暴走になっていくような気がします。あと極右と中道の保守派が分かりにくい国です。いろいろごっちゃにして好きなものだけを選択して、守ればいいという話ではないと思います。 そろそろIT慣れもしたでしょうし、ゆっくり見直す時期なのでは。伝統を尊重することは過去の積み重ねに敬意をしめして、それは日本人であることです。 国を捨てるのは飛んでもないですが、伝統を小ばかにしての愛国はおかしいと思ってます。
お礼
ご回答、ありがとうございます。 愛国が過激であってはいけないと思います。 愛国とはけっこう静かなもののような気がします。 暴走してはいけないように思います。 日本の伝統は大切にするべきだと思います。 いろいろお教えいただき、ありがとうございます。 心から感謝いたします。
- chiha2525
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アニメを見て、日本に生まれて良かった、と思うのが愛国心です。 愛国心があるなら外国人を殺せ、というように使われるものではありません。そのように使われてきたので、そのような使い方はやめましょう、ということです。
お礼
ご回答、ありがとうございます。
- TANUHACHI
- ベストアンサー率31% (791/2549)
もし今の時代に板垣退助や伊藤博文といった人物が生きていたとしたならば、恐らくは「愛国者」「愛国心」そして「愛国心教育の強要を殊更に煽る声」を観てどの様な感慨を抱いたでしょうかね。 板垣を伊藤をそして新島や大隈を言論の場から去らしめたのは他ならぬ偏狭なナショナリズム以外の何ものでもなかった。この事実だけは何を以てしても消すことができない。 凶弾に斃れた伊藤博文、浜口雄幸、高橋是清そして幽閉されたままでこの世から去っていった趙紫陽も胡耀邦そして金大中の肉声を私達が直接に聴くことも既に叶わない。 漱石も龍之介もそして丸山眞男もこの事を予見して、この世を去ることになった。後に残された私達に託された宿題は余りにも重く、一時の熱狂にだけ支えられた表層的な愛国心なる眉唾な物言いが如何に危うくそして疑わしい存在であるかは既に歴史の語るところともなり、キャッチボールの返球が私達の手許に戻されている様に、未来への扉の鍵は私達の掌の中にのみある。このことだけは努々疎かにすることの許される問題ではない。 「前へ倣え」そして「右向け右!」と一斉に同じ方向を向かせ、同じ行動を求めることは統制であっても自主を育むとの本来あるべき姿ではない。
お礼
ご回答、ありがとうございます。 私には少し難しいのですが、軍国主義のような偏狭なナショナリズムは、あってはいけないと思います。 愛国教育が全体主義のように前ならえ、右向け右と、みんなが同じようになるようにしてはいけないと思います。 いろいろお教えいただき、ありがとうございます。 心から感謝いたします。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
"愛国教育っていけないものなのでしょうか?" ↑ 愛国教育は良いものですが、やり方を間違えると 悪いものになりやすいです。 つまり、時の政権を愛せ、とか外国を排斥しろ とかになりやすいのです。 又、愛国教育をやっても、あまり効果は期待できません。 中国や韓国とか、途上国になればなるほど愛国教育が 盛んですが、効果はさっぱりです。 中国人などは、自分だけが大切で、国家など 全くといってよいほど愛していません。 韓国は70%の国民が外国への移住を希望しています。 愛されるような国を作り、国民が自然に愛するように しないと、愛国心は育ちません。 それになにより、日本人は日本を愛していると思います。 愛国教育など必要ないでしょう。 愛国教育が必要なのは、官僚と政治家です。 ”日本は過去に悪いことをしたと教わってきたように思います。” ↑ あの戦争のことでしょうが、日本が勝っていたら どうなったかを考えたことがありますか。 侵略戦争を始めたのは欧米ですが、戦勝国である 米英仏などは悪いことをした、とは言われていません。 日本は負けたから悪者にされただけです。 それを忘れないようにして欲しいと思います。 ”フランスだってナポレオンが他国を侵略したし、 東南アジアに植民地を持っていたと思うのですが・・・” ↑ アフリカを忘れていますよ。 フランスは英国とともに、奴隷売買の犯人です。 その数、4000万。 そのため、アフリカ社会は崩壊し、今の貧乏飢餓 大陸となったのです。 それなのに、批判されないのは、彼らが戦勝国だからです。 ”日本では愛国教育が、なぜいままで行われて来なかったのでしょうか?” ↑ 日本では、左側の人達が結構力を持っている からです。 マルクスは知っていますよね。 彼が言っています。 「労働者は祖国を持たない。 祖国愛を求めるのは資本家であり、権力者だ。 世界の労働者は国境を越えて 団結し革命をおこさねばならない」 つまり、左側の人達は、国家そのものが嫌い なのです。
お礼
ご回答、ありがとうございます。 中国や韓国は、愛国心をあまり持っていないのですね。 反日運動などがさかんなので、愛国心が強い国だと思っていました。 中国人が国家など全く愛してなくて、韓国の70%の国民が外国の移住を希望しているというのは驚きです。 愛されるような国をつくり、国民が自然と愛するような国をつくらないと愛国心は育たないのですね。 フランスはアフリカの奴隷売買をやっていた国なのですね。 4000万人という数は、すごい数です。 そのためアフリカが崩壊して飢餓社会になったのなら、大きな罪だと思います。 戦争に勝った国は、何をやっても罪にならないのでしょうか。 いろいろお教えいただき、ありがとうございます。 心から感謝いたします。
- TANUHACHI
- ベストアンサー率31% (791/2549)
僕はNo.1・3・6の方に同感。勇ましい意見が多く寄せられていますが、強制されて愛国心なるものを持てるかといえばそれは疑わしい。何を以て「愛国心」と呼ぶのかが不明であり、政治的イデオロギーによって左右されるなら、それを愛国心と呼ぶことに疑問の余地はないのか、と逆に問われて然るべきでしょう。 かつてのソ連に「コチンの森」があったように、中国での「天安門」やアメリカの「ソンミ」そしてフランスにも「ビシー政権」の問題が確かにある。しかしそれがあるからといって日本の過去も決して是認される性質の問題ではない。「過去の汚点」に目を向けることなく、闇雲にそして声高に「愛国心」と叫ぶならば、その内容を先ずは明らかにする必要もあります。 フランス国家が「革命歌」であり、それが意味するもの(『自由・博愛そして平等』との市民参加社会を求めての行動との評価)を知るならば、自らの手で自らの祖国の形を作ってきたことに対し誇りを持つことも自然の発露といえることにもなります。 事実として日本にも「愛国心教育」なる取り組みは明治以後から1945年に至る段階まで継続していました。それが「修身」であり「国史」と呼ばれる歪んだ価値観に具体的に表れてもいます。この刷り込みは決定的であり、戦後は形を変えて生き続けてもいます。 西欧の「市民革命」を一言で言えば、「おかしいことをおかしいと言う権利を求めての行動」ともいえ、こうした考え方を日本では余り好意的に評価することもありません。上意下達型のがっちりとした構造が安定をもたらすと考えがちで、違う形でやってみたらどうなるかとの歴史的な実験を好まない意識を育む形が「形としての日本」ともいえます。律令体制に矛盾があったから新たな価値観として中世社会が構築され、それが幕藩体制に変化してもいく。もしそれらが誤謬のない完全な枠組みだったなら、変化してもこないはずです。 上意下達型組織の恐ろしい点は、自らに誤謬性など微塵もないとの過度の思い込みを再生し続ける部分に見られます。こうしたことをお話ししますと、必ず出てくる反論として「それならば中国や旧ソ連も同じではないか」との言葉です。それは当然です。何も「日本だけが特殊である」との意味ではありません。そうした「構造を持つ国家や組織」を対象とした場合の話です。この点を誤解する方々が非常に多い。元々、人間や社会組織に「完璧」や「完全」なものなど存在もしない。その時点で「取り敢えずの結論」のレベルとしか言えず、完全な状態であるならば進歩も生まれないはずになります。 仮にそうした「上意下達型」で愛国心が生まれるならば、その基準なり規範を誰が作るのかとの問題に戻るはずになり、その内容が問われるとの話になります。一体「どの様な価値観」を中心に置くというのでしょうか。古色蒼然とした復古調のそれか、或いは1945年以後に構築された新たな枠組みが持つ良い部分を継承しそこに新たな要素を付加する形を模索するのか。僕ならば後者を選択します。支配者に支配されることだけはまっぴらです。 薬学や細菌学を扱う領域に携わる者がその成果を秘密として付され、下手をするならそれが持つ両刃の剣的な性質をも封印してしまうことにもなりかねない。復古調の価値観が内包する問題点は「由らしむべし知らしむべからず」との、まさに格好の比喩でしかない。 なお、蛇足ですが、「個人主義」は「利己主義」の意味ではありません。須く「個人」を対象としているのですから、それは同時に「違う意見を持つ相手」をも大切にするとの考え方であって、「個人主義」と対置されるのは「排他主義」もしくは「全体主義」となります。確かにフランス人はシニカルですが同時に協調性も有しております。
お礼
ご回答、ありがとうございます。 国に強制されての愛国心は、私もいやです。 北朝鮮みたいに政治的なイデオロギーを強制されたくありません。 日本も過去に是認されるべきでない問題があれば、それに目をそむけずに愛国というものを考えるべきだと思います。 上意下達で生まれる愛国心は怖いと思います。その基準なり規範なりが上の人の価値観で決めるならば、それは押し付けになってしますと思います。 古色蒼然とした復古調の価値観の愛国心になってほしくないと思います。 支配者に支配される愛国心は、私も持ちたくありません。 由らしむべし知らしむべからずという意味は、為政者は人民を施政に従わせればよいのであり、その道理を人民にわからせる必要はない。という意味なのですね。ネットで調べました。こんな愛国教育だったらいやです。 個人主義と対立するのが排他主義、全体主義なのですね。だから、個人主義は、違う意見を持つ相手も大切にするということなのですね。 いろいろお教えいただき、ありがとうございました。 心から感謝いたします。
- phj
- ベストアンサー率52% (2344/4489)
それは日本の歴史がフランスの歴史と違うからです。フランスと違うというより、日本がかなり特種、というほうがいいかもしれません。 そもそも「愛国心」というのは、どこの国民にも必ずあるものです。そしてそれは特に教育しなくても、身についていくものでも有ります。 なぜから、多くの国は陸続きの国境があるからです。この線からこっちは自分の国で、同じ線から向こうは別の国なのです。 これを子供の頃から意識していると、自然に「なぜ自分の国はココからアソコまでなんだろう」という疑問を持つでしょう。そうすると、自分の国の成り立ちとか今の状態に至った歴史などを理解する事になり、自分の国に誇りをもつことに繋がっていきます。 日本でも都道府県のレベルなら、そういう教育も生きています。「郷土愛」のレベルまでです。ある県は江戸時代に徳川家の一族が支配していた、という誇りをもつかもしれませんし、ある県では明治維新で活躍した人々をたくさん輩出したことに誇りをもつかもしれません。 いずれも「自分が住んでいる場所の特徴とそれに対する郷土愛と誇り」を持つことに繋がります。 しかしこれが「日本」という大きさになったときに、にわかに実体を失うのです。 たとえば、他の国と同様、どこからどこまでが日本なのか考えてみましょう。 →北海道・本州・四国・九州・沖縄と周辺の島々、です。他国と触れ合う国境はありません。 では、なぜその地域が「日本」なのでしょう。 →歴史的経緯で、この島々に代々日本人が住んでいるからです。 では日本人とはなんでしょう。 →ここが難しい問題なのです。 たとえばフランス人ならゲルマン人の時代にローマに帰属する事を選んだ人の子孫だからとか、19世紀にチェコから移民してきた人の孫だから、という「選択」の記憶があります。 アメリカ人はもっと明白で、どこの家でもメイフラワー号より前のファミリーはありませんし、ネイティブアメリカンは生き残った先住民という誇りを有しています。 では、日本人に「選択」の歴史はあるでしょうか。つまり「先祖がまたは自分が、選んでこの土地に来たから、この土地を支える理由」というものです。 ほとんどの日本人はどこまでさかのぼっても「日本人」であって、よく分からないけどずっと昔から住んでいた、ということになるでしょう。そこに「選んだ」という歴史はすでに失われているのです。 明治時代の指導者層は、この「日本人」の特殊性をよく理解していました。なぜなら自分達がであった西洋人は「愛国」であることを隠さなかったし、それが国の利益になり自分の栄誉になる、ということを日本人に語ったからです。 そしてそれが「近代国家」を支える基本的な「国民」としての意識であり、その意識をもった個人が兵隊になるから「国軍」としての強さを発揮できる、ということに気がついたのです。 だからこそ、明治維新の後、廃藩置県を行い「藩」というお家制度を壊して「国民」を作り始めたのです。そして日本人には個人に「選択の歴史」がありませんから、国家の象徴であり統一日本を作り上げたファミリーである天皇を元首として奉ることで「国民(臣民)」という国家意識を作り出そうとしたのです。(統一日本とはヤマト王権が日本の国土統一を果たした5世紀頃の歴史を言います) そして結果としてこれはうまく機能しました。いや、うまく機能しすぎてしまったのです。 その結果が、天皇を利用した軍部の暴走と戦争であり敗戦だったのです。 敗戦した後、日本人は「国家」というものについて、もう一度考えました。天皇を奉る熱狂は虚構であるということ、同時に、自分達はたとえ焦土になってもこの国から出る「選択」は無い、ということを思い知ったのです。 特に「教師・学者」の人々は「私達が天皇に熱狂した為に、多くの若者を戦死させてしまった。こんな虚構は二度と有ってはいけない」と反省しました。「良識派」「左翼(労働者寄りのリベラリスト)」も虚構により庶民が戦地に送られ、また空襲で犠牲になったことを問題視しました。そしてその虚構に加担した天皇や、虚構の象徴である日の丸・君が代を強く否定するようになったのです。 これらの層は学校教育におけるリーダー的な役割がありましたから、日教組だけでなく有識者と言われる学者達も「戦前は愛国と呼ばれたもの=天皇・日の丸・君が代」を否定する態度をとり続けたのです。 もちろん、当時から保守層も多くたとえば天皇が各地に行幸すれば、大人気で迎えられました。しかし、マスコミを含めて当時の知識層は基本的に左寄りだったので、左派の勢力が強かったのです。 この流れが替わったのは最近になってからです。最初のきっかけは昭和天皇の崩御でしょう。平成の天皇は戦争責任とは無縁ですし、戦前の虚構であった現人神とも無縁ですから、国民と象徴として敬愛を表明しても憚られる事がなくなってきたといえます。 そして、日本人の意識が再度「国家」として意識される出来事が続くようになります。大きなもので言えば、ひとつは1995年の阪神淡路大震災、そして1998年のオリンピックや2002年のワールドカップ開催、これらの出来事は、国境をもたない日本人にも「国と国の違い」とか「国民としての日本人」ということを意識させることになったといえます。 そして2001.9.11の後、アメリカを主体とした連合軍に参加せず資金だけ出した日本は、感謝されるどころか蔑まされ「ショーンザブーツ」とさえ言われるようになり、その後、自衛隊を派遣し多くの感謝と日本国民の規律正しさに賞賛が送られるようになりました。 これらのことがつづき、日本人も「国際社会で求められること」がだんだん理解できるようになり、「国際社会のなかの日本」を再定義することに繋がっていきました。 そして、これらの再評価の最中に起きたのが、東日本大震災です。あの地震の際に日本人が見せた規律と寛容は、世界から絶賛され、日本人はようやく「日本人とはなにか」を取り戻したのです。 ここで新しく構築された「日本人」に、戦前の指導者が意図した国家的な日本人ではなく、あくまで自然に日本人が感じた日本であったことが重要です。 このような流れがあって、そして最近こういう質問が出るようになってきました。 >愛国教育はいけないことなの? 愛国教育は悪いことでは有りません。しかし、今でも教師や学者は怖がっているのです。ある意味「国民」を信用していない態度といえますので、支持者が少なくなっているのです。 それ以外の一般的な国民は、以前とは違いごく自然な目で「日本と日本人」を認識できるようになってきているといえます。ですから、もう以前のような戦争に向かうような愛国はないでしょう。 しかし、同時に気をつけないといけないこともあります。自然を装って指導者層が悪い企むを企てるかもしれない、ということです。 だから、愛国というのは劇薬なのです。それを日本人が他の国の人と同じに扱えるようになるには、もう少しかかるでしょう。国境を持つ多くの国は何千年と「愛国心」がテーマでやってきているのに、日本人の「愛国心」は明治維新からのものですで、日本人が使いこなすには時間がかかるのです。
お礼
ご回答、ありがとうございます。 ご説明のとおり、私は日本が好きですが、教育されて身に着いたのではないと思います。 フランスはドイツなどと陸続きで、日本は陸続きではありません。海がほかの国と分けてくれています。 そして、私の祖先は、どこまでさかのぼっても日本に住んでいました。縄文時代とかそのころのことはわかりませんが。 郷土愛ということは、私の静岡の友達は世界遺産となった富士山があること、高知の友達は、坂本竜馬がいたことを自慢にしています。きっと大人の人たちから小さいころから教えられたのだと思います。 明治時代の廃藩置県は、藩というお家制度を壊して国民を作り上げることだったのですね。近代国家を支える国民という意識が必要だったのですね。国民という意識を持った個人が国軍として兵士になると強くなることに気がついたのですね。 戦後の知識層には左寄りの人が多かったのですね。戦前は愛国と呼ばれたものを否定する経緯を私は良く知りませんでした。 昭和天皇のころは天皇陛下に敬意を持つことが憚られるということがあったのですね。 私は、今の天皇陛下や皇后陛下の優しさが、すごく好きです。東日本大震災のときも、とても心配しておられました。だれに教育されたわけでもなく自然に大好きです。 ですから、すこし難しかったですけど「ここで新しく構築された「日本人」に、戦前の指導者が意図した国家的な日本人ではなく、あくまで自然に日本人が感じた日本であったことが重要です」というお言葉、わるような気がします。 だけど、愛国というのは劇薬なのですね。愛国を装って指導者が悪事をたくらむことがあるのですね。 いろいろお教えいただき、ありがとうございます。 心から感謝いたします。
- あずき なな(@azuki-7)
- ベストアンサー率16% (1963/11745)
今の日本の教育はすべて日教組に支配されています 日教組は過去の日本(特に太平洋戦争)は悪だと徹底的に教え込んでいます すべては日教組のせいです
お礼
ご回答、ありがとうございます。
たとえば、自分自身のこととして引き比べてみれば分かりやすいかと思うけど、やっぱり自分はすべてのおおもとだから大事にしたいと思うし、優れたいい人間だと思いたい。だから自分を愛するなんてごく当たり前に備わっているものだし、一旦冷静になって周囲の社会や他人と比べてみたら、べたべたうぬぼれするほどたいした人間じゃないということは自覚できるよね。まったくナンセンスだ。賢い人間ならそれは十分分かっているけれど、たまさか暴漢がつっかかってきたら火事場のバカ力じゃないけど自然に夢中になって反抗し、命を守ろうとする。それは自愛本能だろう。 自分って一番大事だから、別に格別うぬぼれ教育を受けることなど必要はないと思う。自分のいいところは教えてもらわなくても分かっている。危機に襲われれれば自動的にしゃんとして闘うだろう、と思う。だから北朝鮮などはしょっちゅう危機だ、国家存亡の危機とかいって国民の目を外に向けようとしてあおっている。自分の国に自信がもてないせいでもあるだろうけれど、やはり不自然だし、政府になんらかのよこしまな意図があるんだろうと思ってしまう。 われら日本国だってそうでしょう。愛国教育とかいい始めるのは、やはり為政者になんらかの不自然な意図があるとおもわなければならない、とわたしは思います。仮想敵国を不必要に憎み戦いに向けて興奮させるツールであり、冷静に時局を読むには百害あって一利なし。 必要はありませんね。
お礼
ご回答、ありがとうございます。 北朝鮮が国家存亡の危機と言っているのは、国民の目を外に向けさせようとしているのですね。 中国にしても愛国教育の熱心なところは、政府になんらかのよこしまな意図があるということ、わかるような気がします。 愛国教育は国民の目を外に向けさせるツールでもあるのですね。 いろいろお教えいただきありがとうございます。 心から感謝いたします。
1945年に大日本帝国が無くなりました、日本国になり、軍国主義の名の 下に日本の良き事までが、封印されてしまいました、愛国心もその一つですね。 アヘン戦争が大日本帝国誕生の大きな要因となり、ひたすら護国の名目で軍備拡張 したので、国民は途端の苦しみを味わいましたが、大日本帝国のした事は、全て悪い 事ばかりでは無いと思いますが・・・ 帝国主義で他国を侵略した国は数多ありますが、謝罪した国は日本国だけです。 そして、多大の犠牲者を出した事を反省し、悲しみを乗り越えて、平和憲法の下で 地球上で一番、住み良い国を作りました。 そんな、日本国、日本人を誇りに思い、愛するのは自然な事と思いますが・・・ 悲惨な戦争体験をして、その後、日本を復興させた、大正、昭和の初めの世代の方々が 存命中に見直し、平和国家日本を世界に発信すべき時期だと思うのですが、 国政選挙の投票率が50%未満では、お先、真っ暗ですね。 個人的には、国連憲章の敵国条項の削除を求める事から始めるべきだと考えてます。 日の丸に反対している方々の事を書こうと思いましたが、質問の主旨から外れる事に なりそうなので、止めにします。
お礼
ご回答、ありがとうございます。 軍国主義の名のもとに日本のよきことまでも封印されてしまったとしたら残念なことです。 帝国主義で他国を侵略した国がたくさんあって、謝罪した国が日本だけとは知りませんでいた。 日本も護国の名のもとに軍備拡張を行って、他国を侵略したのかもしれませんが欧米は日本以上に他国を侵略したのだと思いますが謝罪はしていないのですね。 大正昭和の方々がつくった平和国家日本を誇りに思い、世界に発信すべきと私も思います。 いろいろお教えいただき、ありがとうございます。 心から感謝いたします。
- eroero1919
- ベストアンサー率27% (3007/11113)
おトナリの中国は、愛国教育に力を入れています。ついでにいえば韓国もそうです。北朝鮮に至っては、何をかいわんやです。 だから今の中国のゆとり世代(20代以下)は、「日本軍は中国各地ですごい悪いことをした。我々の人民解放軍はその悪逆日本軍と戦って勝った」と学校で教わります。だから、彼らからすると「日本は尖閣諸島を不法に占拠してる」と見えるのです。 愛国教育に力を入れているので、例えば天安門事件とか、文化大革命のような今の政権にとって都合の悪いことは教えません。かくして、こないだの反日暴動のときは中国の若者たちの間で「愛国無罪」という言葉がスローガンとなりました。「確かに暴動は悪いことかもしれないが、その動機は国を愛するあまりの行動だから罪はない」ということです。 愛国教育というのは、つまるところ時の政権の思惑でしかありません。中国や韓国の愛国教育では、かつて自分たち政府がやったあまり自慢できない話は触れないか、触れてもさらっということになります。そして自分たちの国が受けた受難はことさらに強調することになります。 今の80歳前後くらいの年齢のお爺さんたちは、いわゆる軍国少年と呼ばれた世代の人たちです。私の伯父がその世代ですけどね。その人たちは小学生のときに「君たちの寿命は20歳までだ。将来は軍人になり、国のために死ね」と教わったそうです。まだ素直な小学生ですから、伯父も「ああ、僕は20歳で死ぬんだな」と思ったそうですよ。 かつては日本でもそういう教育をしてきて、あまり極端なことをすると価値観が歪んだ人間が作られちゃうからよろしくないねとなったのですよ。幸か不幸かそういう教育を受けなかった世代が多くなったのでそういう意見も出てきてしまうのですけどね。 あと、フランス人、中国人、朝鮮人(韓国と北朝鮮の両方をひっくるむという意味です)にはある共通項があります。それは、極端な個人主義者が多数派だということです。個人主義ってのは、他人と協調しません。悪くいえば「俺がよければそれでいい」という考え方です。だから、そういう人たちを国としてまとめるためには愛国教育でもして子供のうちから洗脳しないとまとまらないというのもあります。日本人を含め、穏やかな協調性を持つ民族ではあんまり極端なことはしなくても国がまとまります。例えばタイでは王室が人々の尊敬を集めていますが、別に北朝鮮みたいな極端な教育はしてなくて、それでも王室の人たちがそのように振る舞えば自然と国民の尊敬が集まるのです。 極端な教育をしているってのは、それだけ国の体制が無理があるってことでもあるんですよ。ただし、フランスの場合は革命で作られた国だという自負があるのでまたちょっと違いますが。ただ、革命直後のロベスピエールとかは恐怖政治以外の何物でもありませんでしたから、洋の東西を問わず革命ちゅうものは流血を伴うということですな。
お礼
ご回答、ありがとうございます。 中国では、天安門事件とか文化大革命など、今の政権に都合の悪いことは教えないのですね。 かつて日本も「軍人になって国のために死ね」という教育だったのですね。今の私たちからでは考えられません。確かにそのような教育だと反日暴動を起こした中国人のような歪んだ価値観を持つ人間が多くなってしまうようような気がします。「愛国無罪」って変な価値観だと思います。確かに暴動は悪いけど、国を愛するあまりだから罪はないという価値観だと、国を愛しているための行動ということで、なんでもしていいことになってしまいます。 フランスは個人主義の人が多いということを知りませんでした。 極端な教育をしていることは、国の体制に無理があるのですね。ですから北朝鮮などは、体制に無理があるからこそ、極端な愛国教育をしているのですね。 いろいろお教えいただき、ありがとうございます。 心から感謝いたします。
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お礼
ご回答、ありがとうございます。 私はスポーツで、右翼とか軍国主義のことはよくわかりませんが、国家がながれてきたり国旗が掲揚されると素直にうれしいです。 大東亜戦争のときのような極端に右翼化した教育ではなくて、歴史や道徳を日本の国民の解釈として、きちんおしえることはできないものでしょうか。 中国や韓国は日本の教育に口を出しているのでしょうか。ほんとうに内政干渉だと思います。 戦後、日本は徹底的に思想教育されたのですね。徹底的に思想教育された先生が社会の授業をしたので、日本の良いところを教えてもらえなかったのでしょうか。 愛国だから右翼とは、現代では限らないのではないでしょうか。 ふつうに日本の伝統や歴史を学び、日本人としてのアイデンティティを持ちたいと思います。 そして、日本はこんなにいい文化があるんだよと外国の人に伝えたいです。 いろいろお教えいただき、ありがとうございました。 心から感謝いたします。