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論用語(論理・筋道など)の意味不。助けて下さい。

頭が非常に悪いので助けて下さい。具体例を挙げて言葉を解説してくれたり、言葉のもっとわかりやすい定義や違い、そして例文を教えてくれると助かります。 日本人ですが、いつまでたっても全く理解できません。 そのため、下記にあげる訳のわからないといっている言葉を一切使用せずに噛み砕いた解説でお願いします。 (論理、筋道、理屈、道理、条理、つじつまなど)  Ex. 条理=道理。 ←× 道理という言葉の意味がわからないので申し訳ないですが、説明の際に                 は道理という言葉は使わないでください。他の言葉も同様です      条理=「これは~みたいな意味で、こういう時に使うよ」みたいなやさしい説明 ←○    理屈=物事の筋道 ←× 筋道という言葉の意味がわかないので申し訳ないですが、説明の                     際には筋道と言う言葉は使わないでください。他の言葉も同様です    理屈=「これは~みたいな意味で、こういう時に使うよ」みたいなやさしい説明 ←○ まず、論理の意味を調べてみると、 論理=考えや議論などを進めていく筋道。思考や論証の組み立て。思考の妥当性が保障される法則や形式     例文:「筆者の論理を追え」「彼の論理は正しい」 思考の妥当性が保障される法則や形式って何? なんだ、筋道って? 調べてみよう・・・ 筋道=物事がそうなっているわけ(理由)。事の条理。道理。     例文:「筋道を立てて話す」「筋道を追う」 なんだ条理って? 道理って? だけど、世間でよく使われる筋が通っているって、「考えや気持ちがブレずに首尾一貫していること」だよな。でも定義の意味から考えると、筋が通っている=理由が矛盾なく人にも分かる? 意味がわからん。 ※通っている=矛盾がなく内容が理解できる 条理=物事の筋道。道理。 例文:「これは条理に合っている」 明らかに文章じゃ筋道とか道理の意味合いとは異なるような・・・。 また、道理とか筋道が出てきたぞ。じゃあ道理ってなんだ? 道理=(1)物事の正しい筋道。また、人として行うべき正しい道。理。      例文:「道理をわきまえる」「道理にはずれた行為」      (2)筋が通っていること。正論であること。      例文:「言われてみれば道理な話だ」「道理であいつがバカなわけだ」 人として行うべき正しい道っていうのは理解できるけど、物事の正しい筋道って条理と似たような定義だ。わけわからん。それから正論ってなんだ? 正論=道理にかなった正しい意見や議論  例文:「君の言うことは正論だ」 ※適った=ぴったり合った、当てはまった なんか意味が全て同じようで訳が分からなくなってきた。 所で矛盾ってなんだ? 矛盾=2つの物事が合うべき所が食い違っていて、つじつまが合わないこと     例文:「二人の話が矛盾している」 ※食い違う=(何か)と違っている、合わない なんだつじつまって? つじつま=合うべき所がきちんと合う物事の筋道      例文:「話のつじつまを考える」 また筋道って言葉に逆戻り・・・・。 んじゃあ良く聞くつじつまが合うって? つじつまがあう=筋道が通っている。理屈に合う。          ※「証言はまるでつじつまが合わない」 ※合う=ぴったり合った、当てはまった もうわけわからない。 気を取り直して、今度は理屈の意味を調べてみよう 理屈=(1)物事の筋道。道理。 ←また同じ意味が出てきた      例文:「君の理屈が正しければ成功する」「理屈で物を語るな」      (2)無理につじつまを合わせた論理。屁理屈。 ←つじつまと論理って言葉が出てきた      例文:「理屈をこねる」 道理。筋道。論理。だの訳のわからない言葉ばかり。 物事の道理とか物事の筋道とかなんでもっとわかりやすく説明できないんだ・・・。 って感じで調べてたんですけど、各々の言葉が似たような意味で違いが分からず、書く言葉の意味合いが全く何も見えません。しかし世の中では、明らかにこれらの言葉は使い分けられて使われています。私も頭が馬鹿以外にもなんか理解できない原因があるのかもしれません。

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回答No.2

言葉には、ほとんど同じ意味で用いられる別の単語があります。(語、単語、詞、辞、語句、用語、言葉、、、)  同じに意味ではない使い方だとして区別を付けることも可能ですし、言い換え(置き換え・置換・交替・互換)が無理な(不自然になる、普通はそのような言い方をしない)文章(文、言い回し、陳述)もあります。 学問ではできるだけ誤解や混乱を避けるために用語の意味を定義した学術用語がありますが、通常の会話や文章、文書などで使う言葉の使い方は、使い手の感覚に任されているので、使い手によって使用する言葉の用法や選択はまちまちになります。 そこで使われた用語の定義を明確にしようとしても、多くの場合、途中で循環論法(どうどう巡り)になります。   「あなたの書いたレポートだけど、書き直してから再提出してください。ちゃんと順序立てて、筋道をつけて、論理的な展開になさい。使っている理論や理屈もチェックしてご覧なさい。5ページ目の論理が正しいなら、3ページ目に書いてあるとと矛盾するじゃない。2ページ目に書いてあることと6ページ目に書いた得ることともつじつまがあってない。課題レポートなんて何か書いて出せばいいやとあなたはいい加減にやっていないですか。そういうことじゃいけないよ。あなたは高校生なのよ。今は真剣に勉強するときなの。あなたはそうじゃないけれど、インターネットでコピーペースとしてそれで良いと思っているような人も最近はいる。そんな条理に反することをしたらせっかくの高校時代が無駄になるのはわかるね。レポートを書いたら良く読み直して、筋道がわかりやすくて、言いたい理屈がすっきり読み手に伝わるように工夫してください。まかり間違っても、つじつまの合わないことを書いたままで出したりしないでね」   ★☆ 会話は、どうどう巡り、同じことの繰り返しが多いです。それでも良いのです。 ★☆ や辞書も、同義語、類語、言い換えが羅列されていても、それで良いのです。 (英和辞典なども、そういうのが普通です)   ⇒ 相手に内容を理解してもらうこと、理解の手がかりになることを提供するのが目的だからです。 言葉を一回で伝える。三回同じ言葉を繰り返して伝える。3種類の違う表現で伝える。 後者の方が、きちんと伝わる可能性が高いからです。 似たことに、何種類もの表現、語句が使われるのを強く気にして、その細部の差は何かを気にしたら、相手の伝えたいことや意図さえもわからなくなってしまいます。   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 道理。筋道。論理。だの訳のわからない言葉ばかり。 (物事の道理とか物事の筋道とかもっとわかりやすい説明がなぜできないんだ・・・) 各々の言葉が似たような意味で違いが分からず、書く言葉の意味合いが全く何も見えません。 しかし世の中では、明らかにこれらの言葉は使い分けられて使われています。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆★ 怒り・憤り・腹立つ・頭に来る:こうした言葉を辞書で理解する人は希です。生活している中で、人の言葉遣いを聞いて理解するしかありません。 ☆★ 筋道・つじつま・道筋・条理・道理・論理・理屈・ことわり・理:これも同じです。 感情の状態や大脳での理解の状態を表すのは難しいです。(うまい表現がないので)即物的な事物になぞらえているだけです。それをそれ以上にわかりやすくはならないでしょう。 大体の意味がわかり、似ている内容を表す表現のいくつかがわかれば十分です。言葉の使い方は十人十色です。同じ意味で使っていることもあれば、多少ニュアンスが違うこともあるでしょう。その単語に一対一で意味を固定させるのではなくて、文脈(会話の全体、文章の全体、相手の用語の多様さ少なさ、そのときの状況など)を考えて、相手の言いたいことが自分なりにわかれば十分です。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 自分がこうした用語を使う場合でも同じです。 未就学児に「論理・理屈・道理・筋道・つじつま・条理」という用語はまだ早いです。「順番に話してね」「○○でしょ。だから、●●でしょ」のような「順番に」「だから………でしょ」で十分です。 大人を相手に用語を使い分ける場合(私のイメージの例) 道理:文章中では明確にしていない(世間の常識、慣習、道徳)などを基準にして、それとの整合/不整合を論じるときに使用する。 筋道:(事柄の起きた時間の順番に沿って)(前提⇒思考経過⇒結論の順に)ということを言いたいときに使用する。 論理:話や文章の中にすべての要素を適切に使い、かたくなな立場の人でも納得背せざるを得ないように、それ以外の結論になる可能性がないような構成であることを、「論理的」といい、そこで使っている方法を「論理」という。 理屈(1):一見、あるいはちょっと聞いていると論理的であるようだけれども、よく調べると「欠陥がある意見」 理屈(2):感情や気分、その場の雰囲気や流れで考えるのではなくくて、筋道を追って欲しいとき、あるいはロジックで(=論理的に)考えて欲しい場合に、「もっと理屈を」のように使う。 つじつま:話や文章の中に矛盾があるかどうかを論じるときに使用する。 条理:(私はあまり使わない)使うとすれば、法令や判例、規則、慣習などに照らして整合し、かつ信義や人情、道徳にも適うという場合に使う。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 思考の妥当性が保障される法則や形式: 文章で真(内容が正しい)であるか偽(内容が誤っている)であるかが定まっているものが複数ある場合、その複数の文章を組み合わせた長い文章を作った場合に、できあがった長い文章が真(内容が正しい)であるか偽(内容が誤っている)かを判定できる[文章構成で調べる真偽判定法(法則や形式)]があります。その真偽判定法で長い文章が真と判定できる構成方法を使うことを、「思考の妥当性が保障される法則や形式を使う」と言うのだと思います。 「角が3つの三角形の内角の和は180°だ。6角形には角が6ある。6角形の内角の和は360°だ」こういう思考が妥当な形式なのかどうかを「論理的かどうか」のように言います。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 「世間でよく使われる筋が通っているって、「考えや気持ちがブレずに首尾一貫していること」だよな。」 「彼には(生き方には)一本筋が通っている」(A)一貫性や方向性や連続性に注目しています。 「彼の主張は筋が通っている」(A)のような場合もありますが、(B)(主張の内容を見ると)論理に破綻や矛盾がないように思えることを重視しています。 言葉には色々な使い方があります。   言葉は、個々の語句に一語一意のようにこだわりすぎると、文全体の意味がわからなくなります。会話では話者の言いたいことがわからなくなります。文章全体や会話の全体と語句の使い方を往復しながら、ダイナミックに理解するようにすると良いと思います。

その他の回答 (1)

  • lyingyi
  • ベストアンサー率19% (26/132)
回答No.1

まず、真面目に考えすぎだと思います。 言葉ってそもそも曖昧なんですよ。辞書によって説明も異なりますし。 意味を間違えて理解していても通じたり、間違えている人が割合が増えればそれが正しい意味になったり。意味不みたいに新しい使い方・言葉が出来たり。 それなのに何故伝わるかと言えば、単語以外の要素(前後の文章であり、表情だったり)があるからです。 また、同義語や類語というのも小中で習ったはずですが、似た意味を持つ言葉は多数存在します。あなたがあげたのがそうですね。 明確な違いがあるならまだしも、些細な違いなら意味を「感じる」くらいでいいと思います。 言葉を言葉で説明するなんて、究極的に言えば無理なんですから。 ということで、なんやかんや言いながらやってみた。(例はもうご自分で書かれてるので割愛) 論理=考え方。考える方法。法則的なつながり。 筋道=物事の順序、ルール。   条理=社会における物事の順序、ルール。 道理=人としてこうあるべきだという考え方。 正論=世間一般で正しいと認識されている意見や考え方 矛盾=正しいとされる2つの物事合わせると、どちらかの考え方や物事が成り立たなくなること。 つじつま=正しく、あっているはずの物事の考え方。 理屈=物事の順序にあった考え方。 簡単にまとめると、意味は似ているが使われる場所、範囲が違う。 この説明も深く追求すれば違うだろうし、まだ気になるなら学者に聞くか学者になってとことん調べちゃえ!

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