No.4です。
前回の回答に、
>一部分からない個所がありますので、よろしければ教えてください。
とありましたので・・・
>天皇を絶対視する帝国憲法の「天皇制」が染みついた国民の考えを打ち砕くために共産主義者を利用したと解釈すればよいのですか。
大まかに言えばそうですが、ただし「打ち砕く」とまではいきません。国民の一部に「一石を投じる」程度です。
日本の占領政策において日本国民を平穏に支配するには「天皇」という存在は不可欠と考えられました。
しかし、だからと言って、戦前、戦中からの国の主権が天皇にあるような、天皇が神格化された制度というものは、民主化を進めていく上でGHQには許容できません。また、再び日本に天皇をトップに軍国主義が復活する事も許せません。
GHQは天皇の身を戦犯として処分するような事はしませんでしたが、その存在意義を格段に低下させる手を打ちます。
敗戦から約4ヶ月後、1946年1月1日に天皇陛下は「人間宣言」の詔勅を出し、自らその神格化を否定します。この「人間宣言」の草案はGHQが作ったものです。GHQの影響下に新たな日本国憲法も作られます。
そのように天皇の国に対する影響力を低下させ、民主化を進めました。
政治犯釈放の理由の要因にもそれがあります。
GHQの共産主義者ら政治犯釈放の「人権指令」については、政治犯釈放にばかり目を向けがちですが、GHQはこの時「天皇に関する討議の自由」という権利も許可しているのです。つまり、それまでは許されなかった天皇への批判も可能となったのです。戦中なら逮捕されていた事が許される事になったのです。
ただ、日本の共産主義者が天皇制打倒を主張していたからと言って、すぐに共産主義者がそれを成功させるなどとは、GHQも考えていません。今まで神格化し敬ってきた天皇を共産主義者の主張どおりに、日本国民の大半がすぐに打倒に傾くとは考えていません。
そもそもGHQの「人権指令」により釈放された共産党員は約220人にしか過ぎません。その他に警察の監視下にあった共産主義者も二千数百名程度です。
それは当時の日本国民の数からすれば僅かな数です。
つまり当時のGHQでは、
日本の共産主義者はGHQに敵対していない。
日本の共産党勢力は小さく、これまでの日本での天皇制の歴史から見れば、共産党員を釈放しても国民への影響力は限定的にとどまる。
これまで天皇制批判など許されなかった国において、共産党のその主張は一部の国民に一石を投じ、民主化向上に繋がる。
程度の判断でした。
民主主義の根幹は「話し合い」です。戦前、戦中、天皇制を批判する事は許されず、敬う事を強制された国民に対して共産党の主張は正反対のものです。その主張が表舞台に出て、他の政治勢力と政治の場で戦う(話し合う・議論する)事は民主主義の向上と捉えられます。
そして、GHQにとって日本の共産主義者は大きな敵対勢力、政治勢力とはならずに、民主主義を日本に根付かせるのに、小さな影響力を発揮する存在になるだろうとの判断から釈放しました。
ただ、結果的に共産党は予想以上に勢力を伸ばす事になりました。
お礼
私のあつかましいお願いに、時間を割いて下さって誠にありがとうございます。 大変よく解りました。 「GHQの共産主義者ら政治犯釈放の「人権指令」については、政治犯釈放にばかり目を向けがちですが、GHQはこの時「天皇に関する討議の自由」という権利も許可しているのです。つまり、それまでは許されなかった天皇への批判も可能となったのです。戦中なら逮捕されていた事が許される事になったのです。」 そうですか!ここが重要ですね。納得しました。 >大まかに言えばそうですが、ただし「打ち砕く」とまではいきません。国民の一部に「一石を投じる」程度です。 確かにそうですね。納得しました。 ご教示に感謝申し上げます。