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共産主義の解放のわけ

皆さんこんにちは。 GHQによる日本の占領統治下時代のことに ついて、初歩的な質問なのですが教えてください。 戦後は軍国主義は追放されましたが、いままで 押さえ込まれていた共産主義は解放されました。 冷戦時代において、なぜGHQは共産主義まで 解放する必要があったのでしょうか? 冷戦で共産主義と戦うのであれば、日本の共産主義も 封じ込めることを、なぜしなかったのでしょうか? 何卒よろしくお願い致します。

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  • momonga14
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回答No.4

第二次大戦のことを、アメリカは日・独・伊との「ファシズム」との戦いと規定しています。 その解釈は、戦後日本人にも植えつけられ、 「リベラル・デモクラシーの米英仏 VS ファシズムの日独伊」 の構図は今に至るまで続いています。 個人的には、こんな単純な図式ではないと思いますが、それはさておき。 アメリカの信じる「リベラル・デモクラシー」の敵は当時はファシズムであり、コミュニズムでは無かったということです。 チャーチルは、軍事的にも、思想的にも共産主義がこれから大きな脅威になるという事を、戦争終結前に気づいていましたが、アメリカはまだ気づいていませんでした。 さらに驚くことに一般のアメリカ人は、共産主義を民主主義のひとつと考える誤解や、思想界にも親共産主義の傾向がかなりあったようです。 これは、「国王を持たない共和制が最も理想の国家形態」という単純素朴な国家観をアメリカ人が建国以来持っていたためだと思われます。 冷戦時代に入っての日本統治は、アメリカでさえ不可能な理想を実現しようとする、悪い意味での「理想主義者」が多数占めていました。 分かりやすい例は日本国憲法です。 男女問わず、20歳以上にすべて選挙権を与えるなども、大多数の日本人なら欧米諸国では当然だったろうと思ってしまいますが、スイスのように60年代になってようやく婦人参政権が与えられた例もあります。 また、出自で差別されない自由の規定も当時のアメリカ以上の理想理念でした。 現に、リンカーン以来80年経っても、黒人差別はなんら解消されず、60年代に公民権運動が盛んになったことはご存じだと思います。 結論を要約すれば、アメリカの理想主義者が多数要職を占めており、アメリカですら達成されていない信条・結社の自由を日本で行った、ということだと思います。

rin00077
質問者

お礼

こんにちはー そうでしょうね。まさか、これほど冷戦が激化するとは 思わなかったのでしょうね。 ただ、アメリカとソ連はポツダム会談くらいからは、 わりと敵視し合っているようなのです。 と、いうことで戦後、仮に共産主義が解放さていなくても、 1945年から冷戦が始まっているので、普通のような 気がするのです。が、歴史は共産主義は解放されています。 ソ連を刺激しないようにしたのかな、とも思いました。 ご回答ありがとうございました。

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  • kodon
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回答No.5

首相の近衛秀麿が総理を辞任した後当時を嘆いて右翼も左翼も目的は同じで社会主義経済を目指していたと言っていたように敗戦前は共産主義 を排斥していたがこれはコミンテルンが天皇制を排斥すべきと宣言したことに日本政府が反発したもので経済を社会主義にすることは軍国主義者達はそのように活動していて小学校などは国民学校と名称を変え、中学校は今までの自由に希望する学校を受験することができたのを学区制にして居住地域別に中学校を選定して学力の低下が始まっていた。軍国主義つまり陸軍省、海軍省の二省は廃止されてそこに所属していた官僚達はいなくなり、軍国主義者達は排斥されましたが他の省庁の社会主義者は戦後もそのまま存在しつずけました。一方アメリカのルウズベルト 大統領は共産主義者は民族主義者であり警戒する者たちでないとの見解であったためにソ連の工作者が多く側近に潜り込み日本とアメリカが戦争を始めるよう工作をしていることに無関心でソ連の思惑どうりに日本が戦争を初めてしまい日本の敗戦後共産圏といふアメリカに対抗する勢力圏が出来上がってしまいます。もし日本との戦時中に戦後に日本の国力が亡くなった時世界がどうなるかと考える政治家がアメリカにいたのならアメリカは日本の都市をあれほど無差別に一般住民を虐殺したり原爆投下実験で虐殺はしていないはずです。もしアメリカに有能な政治家がいて日本の海軍の艦艇が殆んど亡くなった時点で日本に降伏を迫れば 日本の勢力を味方にしてその後の世界戦略を考えると今のようなアフガンやイランで苦労することもなかろうと思われますが、いまさら後の祭りです。日本が開戦を決意したとき日本に大政治家がいなかったように アメリカにもその当時先をみとうせる政治家が一人もいなかったといふ ことでしょう。共産主義者が脅威と認識したのは朝鮮戦争が始まってからです。共産主義に対するアメリカの認識は日本より20年程遅れていたようです。

rin00077
質問者

お礼

こんにちはー >共産主義に対するアメリカの認識は日本より20年程遅れていたようです。 あ、そういうことなんでしょうね。 戦前は日本の場合は共産主義はわりと脅威に 感じていたところもありましたね。 治安維持法でかなり弾圧もしたし。 アメリカはわりと危機感がなく楽観的だった のしょうね。 ご回答ありがとうございました。

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  • tanuki4u
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回答No.3

戦後の定義が、非常におおざっぱなので、少し分ける必要があります。 計画経済って素敵だよね派 GHQには、大きく分けて、ニューディーラーと言われる計画経済って素敵だよね派と、生理的に計画経済がきらいな派がいました。 前者が 民政局であり後者がG2参謀部第二部という大分けになります。 冷戦が厳しくなる前、民政局が主導し、基本的には容共です。 1947年 2.1ゼネスト中止命令くらいから、G2が強くなり、1948年12月には民政局次長 ケーディスが帰国したくらいで民政局の力はなくなりました。 1950年6月6日に日本共産党中央委員24名を公職追放 1950年6月25日には朝鮮戦争勃発となります。

rin00077
質問者

お礼

こんにちはー >冷戦が厳しくなる前、民政局が主導し、基本的には容共です。 冷戦が激しくなるまでは、GHQは共産主義に寛容だった。 ということですね。 ようは、これくらいの冷戦であれば、まあいいか、と 思っていたのでしょうね。 ご回答ありがとうございました。

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回答No.2

それは、軍国主義と共産主義のどちらを排斥すべき敵と捉えるかという比較の問題です。 第二次大戦で英米は、ソ連と共に枢軸国(日独伊)と戦ったのであって、共通の敵に勝利した終戦時において、イデオロギーの違いによる冷戦対立は、それほど深刻ではありませんでした。自由主義を標榜して日本の改革を目指すGHQにとって、政治思想の自由の観点から共産主義者を解放するのは当然の流れでした。「敵の敵は味方」ということです。 その後、冷戦が激化したためにGHQの対日政策が変更され、共産主義者に対するレッドパージなどが行われました。 つまりは、軍国主義を倒したのと同時に共産主義をも封殺するという政策が提起される状況にはなかったのです。終戦の時点で国際情勢の転換を予測するのは、極めて難しいことです。 現在の時点から歴史を遡って、どうせ冷戦が激しくなるのだから、終戦時に共産主義を封じ込めておけばよかったのにと考えるのは、歴史上の結果を知っているゆえの「後知恵」に過ぎません。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%B8
rin00077
質問者

お礼

こんにちはー >終戦の時点で国際情勢の転換を予測するのは、極めて難しいことです。 冷戦は1945年からとなっていますが、 それ以前には、アメリカは冷戦の意識はなかった。 ということですね。 ご回答ありがとうございました。

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回答No.1

最初は共産党を利用できないか考えたそうです。 なので殺人事件で拘留されていた宮本顕治まで釈放しました。 しかし東西冷戦が始まり日本共産党も追放され、海外逃亡して行ったそうです。 アメリカは使えるところは何でも使いましたからね。 ナチスの戦犯でさえ無罪放免でアメリカのために使っていましたよ。 それが政治なんでしょうね。

rin00077
質問者

お礼

こんにちはー 宮本さんは去年他界されたようですね。 >しかし東西冷戦が始まり日本共産党も追放され、海外逃亡して行ったそうです。 共産党の指導部は中国に亡命されたらしいですね。 ご回答ありがとうございました。

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