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行基が作った火葬場と説教所をかねた道場

http://www.osoushiki-plaza.com/institut/dw/199112.html このサイトの奈良時代のところに次のように書いてあります。 道昭の弟子であった行基(668~749)は、畿内に49ケ所の道場を建てている。 これは火葬場と説教所を兼ねたもので、これによって国家中心の仏教が、始めて民衆とのつながりを持つようになった。 行基が火葬場と説教所をかねた道場をたてたというのは、どのような史料によるものでしょうか。

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回答No.1

続日本紀 「天平勝宝元年二月丁酉条 大僧正行基和尚遷化す。和尚は薬師寺の僧なり。(中略)和尚、霊異神験類に触れて多し。時の人号して行基菩薩と日う。留止する処、皆道場を建つ。其れ畿内には凡そ四十九処、諸道にも亦往々にしてあり。弟子相継いで皆遺法を守り、今に至るまで往持す。薨ずる時年八十」

noname#190665
質問者

お礼

おおお~、史料名だけでなく内容まで! ありがとうございます。 とーーーーってもうれしいです!

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