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むしろ解脱したところから
こんにちは。 解脱とは一般に、苦しみからの解脱、世間からの出離などと言われますが、むしろ、解脱した所から世間に入る、世間にある、と言った形が正しいのではないかと思いました。 十牛図の最終段階にもそのような表現がありましたが、そんな感じです。ただ、誰かを救おうなんて気を起こすのではなしに。 わかりにくい表現で申し訳ないですが、別の言い方をすれば、地上から天へ昇るのではなく、天にあって地上に降るという形、其れが無為なのではないかと。 色々のご感想などお待ちしています。どうぞよろしくお願いします。
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方便として解脱では様々に言われていますけど、解脱というのは苦しみではなく全ての迷い、執着から解き放たれる事です。苦しみというのは執着、迷いから発する感覚で、根源ではありません。 つまり執着がなくなるのですから衆生救済などという業もなくなります。 コレに対し狭義の解脱があります。これは人間界以下の存在の世界を巡る輪廻から解き放たれるという意味です。転生とも言います。この輪廻を解脱して仏界に生まれる事をこの場合、往生等とも言います。 しかし仏界も天部から菩薩界、如来界と行くそうにも分かれているという考え方があり、この考え方によって仏界では衆生救済、菩薩行、観音行などを行なっていくとする考え方です。 これは全ての仏教に共通した考えではありませんが、時に宗派を超えて説かれる事もあります。 仏界でも寿命は存在しますが人間世界から見れば、何百年、何千年、或いは何万年という長さです。 この仏界の輪廻を経て、漸く悟りを得るとしています。 ちなみに十牛図は悟りを得る、それが内にあることを表していますが、涅槃或いは入滅は悟りに入ることを言います。 悟りを得て、悟りに入るのです。
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- 0fool0
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ふーるです。 私は無学な人間ですが、「解脱」が誤訳である事は理解しています。 その証拠に解脱にはいくつもの解釈が生じています。 ご質問者様が何を於いて解脱と仰っているかは判りませんが、一般的には「離れる」と言う意味合いで使うのではないでしょうか? それは何から? 何処から? 日本語における『解脱』とは正確には死後輪廻の輪から抜ける事を指します。(原典は違います) 生きているうちの解脱というのなら、何から解脱したのか? 肉体がある限り迷いは消えませんから、『解脱』はありえません。 そして釈尊の教えでは死後の事等何も説いていません。 ですので『解脱』は言葉上、仏教の教えでは有り得ないのです。(大乗ではありますが) 悟りは今も皆、共に有ります。 それに目を向けていないだけです。
お礼
なるほど。少し、回答者様の哲学が見えた気がしました。 ご解説ありがとうございました。 勉強になりました。 解脱が仏教の教えではなく、おそらくはインドの哲学や宗教全般に見られる考えではないかと思いました。
- 0fool0
- ベストアンサー率18% (134/738)
No.2ふーるです。 解脱の意味と悟りの意味を混同されると会話が成立しなくなります。 正直、日本語の解脱の訳し方からして本来の仏教用語からは大きく乖離しています。 正しく納めたいのであれば、解脱の言葉は理解出来るまで使わない方が吉です。
お礼
そうなのですか。気をつけます。 もしよろしければ、 正しい解脱と悟りの解釈をお願いしてもよろしいでしょうか?
- 0fool0
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解脱の意味を理解して質問していただかないと答えは述べられません。
お礼
一般的な理解では不十分ということでしょうか?
- marbleshit
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解脱とは燃ゆるが如き心です。 http://www.youtube.com/watch?v=Jh1SFijakv8
お礼
後でリンク先見てみます。今はケータイからで跳べないので。 ご回答ありがとうございます。 また見た後に補足欄でお礼させていただきます。
補足
ジョークじゃないっすか(笑)
お礼
詳しいご回答ありがとうございます。 特に最後の部分、悟りを得て悟りに入るの箇所、難しいなと思いました。よく読みたいと思います。