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解脱の確認は分かるのでしょうか?
解脱をして輪廻のサイクルから抜けたいと思っていますがはっきりと解脱をしたのかどうかというのはどうやってわかるのですか? 線引きがあるのでしょうか? 実はしていないのに解脱をしたと信じきっている人というのがいるのではないのでしょうか? また、一度解脱をしたらもう修行はしないのですか? 解脱取り消し!なんてことはないのでしょうか?
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論理としては ○ 輪廻などないと分かることです。細かく言えば 輪廻があるかないかは 分からないことですので 輪廻の観念から自由になることです。あってもいいし なくてもいいと分かることです。 実際には 問題は ひととの関係にあります。社会全体と言ってもいいのですが ひとりの人 ただひとりの人に相い対する関係として その人の苦楽や思想のあり方について 分かるようになることです。相手には 自分とはちがう人がいいでしょう。違えば違うほど いいでしょう。 わたしがわたしであるというかたちで しかも 少しは人間的になった こう思えるようになれば いいのです。主観的でかまいません。そうなれば 《解脱》という観念など どうでもよいと分かりますし ブッダも 食わせ者だと分かります。常識を 疑い切れないというところまで 疑ってみてください。
- bonchi193
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一時的な快楽や苦痛は別として、 悩み、恐れなどの苦しみが生起しなくなった状態、 それが確定的になれば「解脱」と言ってよいでしょう。 その意味では解脱した人というのがいてもおかしくはありません。 また、この状態になった時に、 輪廻を思い煩うことはないはずですし、 思い煩いもしないのに過酷な輪廻が待受けている、 というのもないはずです。 なぜなら、輪廻も心の有り様が作り出している幻影なのですから。 初めに輪廻があって、それに対して心が生じているのではなく、 その反対なのですから、まずは苦からの脱却、解放、 それが大事なことだと思います。
お礼
ありがとうございます。 解脱を輪廻のサイクルから外れることとして捕らえずに悩みや緊張や恐れから自由になることとしてとらえるようにですね。 輪廻があるかどうかわかりませんがなにか過去を見た人の体験など聞いていますとあるように思えます。
- tumaritou1
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それはハッキリと知ることが出来ます。過去の言葉で言えば「道に達する事」「悟りを開く」「見性」「無明を知る事」上げ始めたなら限りないほどの言葉が在ります。 解脱をしたのかどうかというのはどうやってわかるのですか? 線引きがあるのでしょうか? >>>それはハッキリと判ります。自分を肯定出来ない事が『迷い』です。自分とか人生とかが『何であるのかが分からない事です』自分自身を知るという事は、『絶対肯定』という足場が築かれたということです。その事によって『眼の前が、自分自身が、全て真実という事です』 それは『生きているのか、死んでいるのか?』という迷いからの脱却と言えます。『山河大地みょうじょうみょう心』という事です。 迷いそのものが『実存』からの問いかけです。『見性』とは実存からの答えです。問いそのものが、答えです。問う者と問いが一つになります。 言い方を替えれば、好きと嫌いで分けていた世界が、好きも嫌いも皆同じくなってしまうこと、とも云えます。二つに分けて、分別で見ていた世界がその分別のまま又一つになったということです。 言い方を替えたならば、絶対に折り合わないもの『絶対矛盾の、自己同一』とも云えます。それは人間の心を『根底から』作り変えるもの、という表現がピッタリ来るものです。 また、一度解脱をしたらもう修行はしないのですか? 解脱取り消し!なんてことはないのでしょうか? >>>そのために『長養』という事が有ります。禅宗などでは悟りを開いた後何十年と山に篭ったり、人夫をしたり、橋の下に暮らしたりするようです。世に出たときには誰も彼の名を知らない。そんな事があるようです。 元々悩みの多い人は『自我と命そのものの働きが』人より強い人ですから、その修行はもっと激しくなるかも知れません。体中に血液を充分に回してやることは健康に良いと言う事は犬でも知っている事ですから。
お礼
ありがとうございます。 自分を肯定出来ない事が『迷い』 のない状態、、、。うわーーー。 天国ですね。解脱したーい!!輪廻のサイクルからの解脱ではなく本当に全部肯定できる境地に達したいです。 輪廻あろうがなかろうがやppり解脱!!したい!です!
- Y Y(@yy8yy8az)
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解脱ということは、私心(私ごころ)がない状態といえるように思います。私は解脱したと思っている人は、解脱してないでしょう。 人間として命あるときは、修行し続けないと、もとに戻ってしまうのではないでしょうか。
お礼
ありがとうございます。 解脱したと思ってる人はしてない、、、 そうですか、、。 実はインドの瞑想の先生(おじいちゃん)に解脱なさったんですか?と伺いましたら 「はい」 と答えてました!! かなり衝撃的でした。 実際してたのかなあ、、、?
仏教的な判定法はわかりませんが。 地獄を知る苦しみから抜け出せば目安になります。 ただし地獄とは縁が切れません。 今度は救える自信がつくので積極的に地獄に行きたくなります。
お礼
ありがとうございます。 今度は救える自信がつくので積極的に地獄に行きたくなります。 わかる気がします。 輪廻のサイクルから出たいと思っていますが実際解脱したらまた戻って人々を助けたいって思う気がするんです、、、。
お礼
ありがとうございます。 解脱して輪廻から外れたいという気持ちは実は100%本心ではなく権化として戻ってきていろんな人を助けたいという気持ちもあるのです。 解脱の観念から自由になることは考えて見ます。