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イワシの頭も信心から
「イワシの頭も信心から」という言葉について質問します。 意味はわかるのですが、「から」の後に、何か省略されているように思います。どんな言葉が続くのでしょうか? また、この言葉の由来となった故事など、ご存知でしたら、教えてください。m(__)m
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「信心(している)から、大事にする」という言い回しのようです。 主に西日本の風習で、節分にはヒイラギの葉とイワシの頭の付いた骨を入り口に飾るならわしから来ているようです。
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- hakuja
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以前、台東区の根岸を歩いていたときに、民家の玄関先に柊と鰯が掲げられているのを見たことがあります。 柊を使うのは葉の棘で邪鬼の目を刺すため、鰯の頭を使うのは強い臭いで邪鬼を追い払うためだそうです。 他にも臭いの強い魚はいそうですが、入手しやすいということなのかもしれませんね。
お礼
No.1さんのおっしゃるような風習が東京にもあるのですね。 あるいは、たまたまその家の方が西日本出身の方だったのでしょうか。 ちょっと興味があります。 私は北関東の出身ですが、柊と鰯が掲げられているのは見たことがありません。 >鰯の頭を使うのは強い臭いで邪鬼を追い払うためだそうです たしかにイワシの臭いは強いですね。しかも値段も安いので使われるようになったのでしょうね。 納得しました。 ご回答ありがとうございました。
ひどくありがたくおもえる ということばが省略されているのだと思います。 広辞苑第5版より ○鰯の頭も信心から 鰯の頭のようなつまらないものでも、信仰すると、ひどくありがたく思える。 新明解国語辞典第5版より いわしの頭も信心から〔=どんなつまらない物でも、信心するとありがたく思われる〕
お礼
辞典から引用していただき、納得できました。 やはり、「から」は原因を表わす助詞ということですね。 ご回答ありがとうございました。
- gekkamuka
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もともと大量に取れて食べ物というよりも肥料程度に扱われていた当時の、その肉身を食べ尽くした残り滓でしかない頭骨でさえ、尊い物と言えましょう、信仰心をもってすれば。 「信心から」の「から」は、原因をあらわす格助詞として、これは転換文として完結していると見ても良いのではないでしょうか。「徒歩から参りて」→「参りしは徒歩から」のように、「鰯の頭(が尊いの)も信心から」→「信心からに鰯の頭も(尊い)」といった感じで、「尊(たっと)い」といった言葉が中間に省略されている形と見てはおかしいでしょうか。
お礼
安くて粗末に扱われる魚の代表とも言うべきイワシを登場させたところが、この言葉のおもしろさなんですね。 「から」は原因を表わす助詞ですか。私は起点を表わす助詞だとばかり思っていましたが、たしかに原因を表わすと考えるほうが、良さそうですね。 ご回答ありがとうございました。
- farnorth
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「はじめる」あるいは「はじまる」でしょう。教訓(?)ですから、文法的には、前者の自動詞のほうが意味的に近いような気がします。続けて「故に、大事にしましょう」となるんでしょうね。
お礼
よく理解できました。 早速のご回答、ありがとうございました。
お礼
>「信心(している)から、大事にする」 なるほど、これは納得できます。 >節分にはヒイラギの葉とイワシの頭の付いた骨を入り口に飾るならわしから来ているようです そんな風習があるのですか?! 私は関東の出身なので、知りませんでした。 しかし、なぜイワシなんでしょう? サバでもサンマでもよさそうですが。。。 また新しい疑問が出てきてしまいました(笑)。 早速のご回答、ありがとうございました。