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キツネの頭になるよりは…の意味とは?

ユダヤ教のタルムードの中に 「キツネの頭になるよりは、ライオンのしっぽとなれ。」 という諺があります。 どういう意味なのでしょうか? 中国の故事に「牛のお尻になるより、鶏の嘴になれ。」とあります。 これとは、逆の意味なのでしょうか? それとも、全く別の意味なのでしょうか? 教えて下さい。宜しくお願いします。

みんなの回答

noname#57571
noname#57571
回答No.4

どこにポイントを置いているかという違いなんですよね。 「鶏口牛後」では、「鶏か牛か」ではなく「嘴か尻尾か」を重く見るわけですが、片や「キツネの頭になるよりは、ライオンのしっぽとなれ」では、「頭か尻尾か」の問題より「キツネかライオンか」が大事だとしています。 「(立ち)寄らば大樹の陰」は、これ等いずれとも違って、「同じ樹ならば小より大の方がいい」と言っているわけで、短に大小のみを問題としています。 あまりよい例えではありませんが、これ等を企業と人に置き替えると解り易いと思います ( ^^ 「鶏口牛後」=「大企業の末端社員より零細企業の社長」 「キツネよりライオン」=「零細企業の社長より大企業の末端社員」 「寄らば大樹の陰」=「零細企業の末端社員より大企業の末端社員」

noname#123938
質問者

お礼

なるほど。 企業と人と考えるなんて面白いですね。 そう考えると納得します。 諺も奥が深いですねー。 中途半端に諺を使っている事に気付きました。 ありがとうございます。

noname#57571
noname#57571
回答No.3

わあ! この質問まだ締め切ってなかったんですか ( ^^; 「キツネよりライオン」の場合は、要するに「名誉など腹の足しにならん!」と言っている訳ですよね。名誉などなくてもお腹一杯になった方がいいと‥。ですから「花より団子」かなと思いました。同じ意味では「名を取るより実(じつ)を取れ」というのがあります。 「寄らば大樹の陰」とほぼ同義の諺に「大家の犬となるも小家の犬となるな」があります。「どの道飼われるのならば、羽振りのいい家の飼い犬になった方がいい」ということですから、この場合最初から「名誉」的なものとは無関係です。したがって、「キツネよりライオン」とはニュアンスが異なると思います ( ^^

noname#123938
質問者

お礼

す、すみません(^^; 2週間が経ちましたというメールはきていたのですが、まだひっかかるトコがあったので、閉め切っていませんでした。 「名誉など腹の足しにならん」と云う意味なら、なるほどって思います。 諺って色々あって奥が深いですね。 ありがとうございました。

noname#57571
noname#57571
回答No.2

kasumi_kさんがおっしゃる通り、ちょうど正反対の意味ですね。実利と名誉のどちらを重んじるかの違いでしょう。 となると、「キツネ&ライオン」に近い我が国の諺は、 花より団子! ‥ですかね ( ^^

noname#123938
質問者

お礼

ありがとうございます。 「花より団子」と「寄らば大樹の陰」、どちらが近いのでしょうか?

  • kasumi_k
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回答No.1

>Better be the tail of lions than the head of foxes. 日本語だと『寄らば大樹の陰』ということわざが一番近いようです。 不安定な小集団の長でいるより、安定した大集団の一員でいる方が幸せであるということだそうですよ。 「寧ろ鶏口となるも牛後と為るなかれ」、「鶏の口」は鶏の嘴、弱小なものの首長のたとえで「牛後」は牛の尻、強大なものに隷属する者のたとえだそうです。 大きい集団や組織の末端にいるよりも小さくともよいから長となって重んじられる方がよいということで、逆の意味になります。

参考URL:
http://www.wa.commufa.jp/~anknak/kyoukun146.htm
noname#123938
質問者

お礼

「寄らば大樹の陰」ですか。納得しました。 重宝される諺が違うというのは、文化的な違いでしょうか? 日本でも両方の諺があるという事は、個人の考え方の違いと考えた方が良いのでしょうか?