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日本と慰安婦
戦場に慰安の為の女性をつれていくことはどのくらい昔から行なわれていたのでしょうか? 武士の時代にも慰安目的の女性はいたのでしょうか。
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質問者が選んだベストアンサー
敵国の私有財産を略奪したり女性を強姦したりすることが問題視され始めたのは近代に入ってからですので、中世ヨーロッパや日本の武士の時代には戦場へ慰安目的の女性を従軍させる必要はありませんでした。 日本において慰安婦が登場するのは支那事変からです。それ以前のシベリア出兵や満州事変などでは慰安婦のような女性もいたようですが、従軍看護婦相手の自由恋愛が主だったようです。 最初に慰安所が設けられたのは南京攻略戦後の南京です。 言わずと知れた南京大虐殺で多くの中国一般女性が被害にあった実態を重く受け止めた軍は、急遽南京に慰安所の設置を決めました。
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- cse_ri2
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回答者間での議論となってしまいますが、補足です。 >慰安婦問題を考える場合、まず慰安婦を従軍させる目的 >をしっかりと把握しなければなりません。その目的とは >言うまでも無く戦場における兵士の犯罪防止です。 慰安婦という言葉の定義を考えると、No.3の方の言葉の定義に 異議はありません。 しかし、質問者の方は、 |戦場に慰安の為の女性をつれていくことはどのくらい |昔から行なわれていたのでしょうか? |武士の時代にも慰安目的の女性はいたのでしょうか。 という質問をしているので、歴史上の慰安目的の女性を広義 で考え、遊女を兵士の慰安目的の女性として取り上げました。 個人的には、この解釈で論理的な矛盾はしていないと考えています。 ご参考まで。
- GratefulDead
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慰安婦問題を考える場合、まず慰安婦を従軍させる目的をしっかりと把握しなければなりません。その目的とは言うまでも無く戦場における兵士の犯罪防止です。 中世の西欧においてはトマス・アクィナスの正戦論に代表されるように、略奪は敵に対する罰則である、という考えが主流でした。つまり、敵地での強姦はむしろ推奨されていたわけで、このような社会(中世の日本も含め)では前述のような慰安婦は存在し得ません。 こういったことを踏まえれば、#2氏の挙げておられる全ての事例は、残念ながら間違っていると言えます。遊女と慰安婦を混同してはいけません。。。
- cse_ri2
- ベストアンサー率25% (830/3286)
>中世ヨーロッパや日本の武士の時代には戦場へ慰安目的 >の女性を従軍させる必要はありませんでした。 No.1の方のこの発言は、残念ながら間違っています。 戦争には、古来より酒と女はつきものでして、中世ヨーロッパ については私も知識不足ですが、日本では戦場に遊女を連れて いく事例はありました。 最初はいつからかは不明ですが、戦国時代には豊臣秀吉が 鳥取城・小田原城の攻略時に、長期に渡って城を包囲している 兵士を慰めるため、陣地の近くに遊女を集めたことが知られて います。 特に小田原城攻囲戦では、参加した大名たちに積極的に女性 を国もとから呼ぶよう呼びかけ、自らも側室の淀殿を大阪 から連れてきています。 もっとも戦国時代の頃は、兵士の略奪が認められることも 多かったので、遊女を集めて戦地に送るよりも現地調達する 方が多かったのではないかと推測しています。 (この場合、女性も戦利品扱いかと) 女性の現地調達の事例は、源義経ですかね。 側室の静御前は、遠征先の京都で白拍子だった静を義経が 見初めて、そのまま側室にしました。
お礼
ありがとうございました!
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