※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:何故羊羹といえば虎屋なんでしょうか?)
羊羹の歴史と虎屋の存在
このQ&Aのポイント
羊羹の歴史や虎屋、駿河屋、鶴屋八幡の関係についての説明です。
羊羹の元祖は駿河屋であり、虎屋は御所出入りの菓子司でしたが羊羹製造では駿河屋に遅れをとっていました。
虎屋、駿河屋、鶴屋八幡は羊羹処のトップ3であり、虎屋が全国的な知名度で1位ですが、駿河屋の歴史がやや格上に感じられます。
軽く検索した程度ですが羊羹の歴史を調べました。
元祖は総本家駿河屋ですよね。
こちらはのれん分けして数多くの「駿河屋」があるようです。
羊羹の元祖としてはこちらのルーツのほうが歴史もあるようです。
虎屋は御所出入りの菓子司だったようですが
羊羹製造については駿河屋に遅れをとっています。
また、「夜の梅」という商品名は
虎屋、駿河屋(のれん分け法人含む)、鶴屋八幡で合意のもと使っている商品名のようです。
鶴屋八幡の全身は虎屋伊織という話ですが、これが現在の「虎屋」とどう関連するのかわかりません。
また、駿河屋ももともとは鶴屋の屋号を名乗っており、これを返上しています。
虎屋、駿河屋、鶴屋八幡。
名実ともにようかん処のトップ3でいいと思うのですが
歴史を調べてもいまひとつどういう関係だったのかわかりかねます。
駿河屋(本家);練羊羹の開発、元祖。のれん分けして勢力拡大
虎屋:御所出入りで実績をつけ菓子司として成長、東京に移すことで関西ローカルを脱却
鶴屋八幡:虎屋の分派、今の商品券にあたる菓子切手の発行により成功
このように推測されるのですが、これでいいのでしょうか。
なにかしらようかんの歴史について調べられる書籍等(あまり高いと困りますが)
などもありましたら参考にお願いします。
まあ、駿河屋、虎屋、鶴屋八幡ならハズレってことはないんでしょうけどね。
全国的な知名度というブランドでは虎屋が1位なんでしょうか。
鶴屋八幡はまだしも、調べると総本家駿河屋のほうがやや格上に感じるのです。
何故羊羹といえば虎屋なのでしょうか。
詳しい方よろしくお願いします。
お礼
いろいろ調べた上お教えいただき本当にありがとうございます。 いやいや、戦時の軍用受注ですか…… 実はこの質問、まったく無関係の「戦時のようかんはどんなものだったのか」 という疑問に端を発したものだったのです(笑) 戦争体験の手記ものでようかんが出てくることはよくあります。 酒保で買えた支給された、というような話のほか 海軍が保有していた食料専門の補給艦「間宮」では艦内で調理、製菓をし、 「間宮の洗濯板」と呼ばれたようかんが人気だったそうです。 艦隊に随伴できる食料専門の補給艦”給糧艦”は「間宮」しかなかったため 急いで「伊良湖」という艦を建造したそうです。 この「間宮」のようかんが「虎屋」を名指しして「虎屋を凌ぐ味」とされる 話が出てきたのがそもそものきっかけでした。 「間宮」は戦没していますから当然乗っていた職人さんも戦死しています。 甘いものに飢えた軍人さんが潮風にあたる船の上で食べると格別だった…… という部分をナシにして「虎屋」を凌ぐ、とすると それ以上のようかんはなんだろう? という話からようかんのルーツを辿り 何故駿河屋が「虎屋」ほどのブランド力を持っていないのか? という疑問になって質問させていただいたのです。 それがめぐりめぐってまた軍の話になるとは思いませんでした。 WW2時代に軍と取引があったのなら状況の補正なしで 純粋に虎屋を凌ぐ味のようかんを「間宮」で作っていたのかもしれませんね。 (駿河屋のようないんげん餡ではないと思いますが) アンケートカテゴリで「ようかんといえばどこのお店?」と尋ねたところ 駿河屋は挙がらず虎屋以外では佐賀の村岡屋という店が挙がりました。 虎屋は東京進出で納得できるものの何故佐賀の店が? と思っていましたがこちらも日清戦争から軍と取引があったそうです。 もしかするとカレーライスが大衆に広まったように、虎屋の現在のブランド力は 戦後復員兵が広めた評判だったのかもしれません。 ますます面白くなってきました。本当にありがとうございます。
補足
もうちょっとなんかあるかな、と思いましたがそろそろ締め切ります。 本当にありがとうございました。 玉羊羹で有名な福島の玉嶋屋というお店では 駿河屋や虎屋ほどの歴史はないのですが江戸時代からの味、製法を 今に伝えることをこだわっているそうです。 写真を見る限り小城羊羹や駿河屋の古代伏見羊羹に似た 周りに砂糖の結晶化したタイプのようです (駿河屋ではこれを練羊羹とはわけていますが) 福島という位置から考えると藤むらで作られた羊羹の系譜かもしれませんね。 まったく根拠はありませんが。 これからも色々なようかんを食べてみようと思います。