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てつげん阿闍梨(あじゃり)をご存知ですか?
わたしのおじいちゃんから聞いたのですが 日蓮宗の偉いお坊さんが能登に島流しに遭ったとき うちの先祖のてつげん阿闍梨 (残念ながら聴いた話なので漢字まではわかりませんが) が禅問答して負けてしまい寺をあけわたしたと聴きました。 確かになるほど、うちのおじいちゃんとこは日蓮宗です。 なにかご存知でしたら是非教えていただきたいので よろしくおねがいします。
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参考URLの記述によると、 能登の妙成寺の開創伝承によれば、法華経を至上とする専唱題目(せんしょうだいもく)の教え(日蓮宗)が、能登に初めて伝えられたのは、鎌倉時代も後期の永仁2年(1294)のことであったとされている。 この年、日朗(にちろう)門下で、日蓮の孫弟子にあたる肥後坊日像(ひごぼうにちぞう)が、佐渡の日蓮の旧跡を巡拝し、日本海経由で京都に向かう途中、船中で法論(ほうろん)を交わして折伏(しゃくふく)した能登石動山の住僧乗徴(じょうちょう)阿闍梨(後、日乗と改める)の案内で、能登に立ち寄ったのであった。乗徴阿闍梨は、能登の所口湊(七尾市)で、下船後、日像を伴い石動山に登ったが、衆徒らの襲撃にあい、ともども命からがら逃げ出し、羽咋郡甘田保の領主であり日乗の叔父にあたる柴原将監の元に命からがら逃れたらしい。日像は、その柴原将監一族の帰依を得たのち、再び京都に向かった。弟子となって残された乗徴は、日乗と名を改め、柴原一族の外護(げご)により、その後、甘田保の滝谷に法華堂を建立する。これが発展し、妙成寺となったという。 など、能登へ日蓮宗が伝えられた法話が残っています。 他にも、 http://www2u.biglobe.ne.jp/~gln/77/7726/772603.htm http://www.ne.jp/asahi/akc-98/ogr/howa/houwasyu2.htm に同様の記述が見られます。 ただご先祖様の「てつげん」阿闍梨 についての酎苦節の記述は見つかりませんでした。
お礼
大変分りやすい回答ありがとうございます。 なんと言っても小学生も低学年の頃聞いた話なので ~阿闍梨だったいうことくらいしか断定できるところはありませんが、asucaさんの書いてある内容が聴いた話に非常に近いです。これ以上の情報は得られないかもしれませんがもう少し、わずかな期待を胸に更なる情報を待ってみようと思います。少しだけ。やっぱり自分のルーツって結構気になりますから・・・。asucaさんほんとうにありがとうございました。ポイントはまちがいなく差し上げますので、もうしばらくおまちください。