介入の是非
こんばんは。
「介入が可能なのは、放置しておくと「本人」にとって取り返しの付かない事態を招来することが、予見される場合に限られる」
最近、介入が遅れて取り返しのつかない事態に至ってしまった、という事例が多い気もするんですが、一方で「予防に成功した事例は、「問題」として取り上げられないので、実は水面下では成功事例のほうが多くても、失敗事例のほうが目立ってしまう」ということも??
(某新聞)「強制的「丸刈り」の罪深かったのは、それが学校を離れた私生活の面でも、「丸刈り」であることを余儀なくされたからである」
あれ、これは「学校の内部だけであれば、強制も可」ということ?
(抜粋)「転ばぬ先の杖を何万本も用意され持たされたのでは杖たちが重すぎてそもそも歩くのもままなりません。cyototuさんという人がよく仰っていますが、失敗して反省して次からはどうしたらよいのかと考えたり学習したりすることすらできません。」
これは、「介入は必要最小限に」というスタンスに近いと思います。
さらに
(抜粋)「善悪の概念は、飽くまで妥協的修正(他律的常識)であって、善は過程として善(生産)であっても、本質として悪(非認識=非充足)に属するのだ。」
「他律とは必要悪」というのは、「必要最小限に」というのと整合すると思います。
【訊きたいポイント】
「もっと積極的に「介入」すべきだ」という事例は、ありますか?
お礼
tyr134様、ご回答ありがとうございます。 (中略) >「なので,「介入=必要最小限」ではなさそうです」 いやあ、仰る通りです。参りました。 >「「介入は必要最低限に収めるべし」なら意味の通る日本語となりますけど。 文を分解すると「介入(争いやもめごとなどの間に入)るのは + 必要(どうしてもしなければならない) + 最小限(ある範囲内で、最も小さ(く))にとどめるべきだ」ってとこでしょうか」 「収めるべし(なら意味の通る日本語)」、「とどめるべきだ」 勉強になりました。ありがとうございます。