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介入の是非
こんばんは。 「介入が可能なのは、放置しておくと「本人」にとって取り返しの付かない事態を招来することが、予見される場合に限られる」 最近、介入が遅れて取り返しのつかない事態に至ってしまった、という事例が多い気もするんですが、一方で「予防に成功した事例は、「問題」として取り上げられないので、実は水面下では成功事例のほうが多くても、失敗事例のほうが目立ってしまう」ということも?? (某新聞)「強制的「丸刈り」の罪深かったのは、それが学校を離れた私生活の面でも、「丸刈り」であることを余儀なくされたからである」 あれ、これは「学校の内部だけであれば、強制も可」ということ? (抜粋)「転ばぬ先の杖を何万本も用意され持たされたのでは杖たちが重すぎてそもそも歩くのもままなりません。cyototuさんという人がよく仰っていますが、失敗して反省して次からはどうしたらよいのかと考えたり学習したりすることすらできません。」 これは、「介入は必要最小限に」というスタンスに近いと思います。 さらに (抜粋)「善悪の概念は、飽くまで妥協的修正(他律的常識)であって、善は過程として善(生産)であっても、本質として悪(非認識=非充足)に属するのだ。」 「他律とは必要悪」というのは、「必要最小限に」というのと整合すると思います。 【訊きたいポイント】 「もっと積極的に「介入」すべきだ」という事例は、ありますか?
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- seble
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結果論でしかないのでだからどうだ、という事はありませんが、 ナチスが台頭してきた当初、イギリスもアメリカも傍観、特にアメリカの参戦が遅れた事が二次大戦の拡大を招いた、という説がそれなりに有力視されています。 もちろん、歴史にifは無く、もっと早い段階での介入があったらアウシュビッツも無かったとか原爆も投下はされなかったかどうかは分かりません。ただ、あの時点ではアメリカがぐずぐずしていたのは失敗であったろうと思います。対岸の火事。 学校内だけであれば制服等の着用強制も良いでしょうが、全ての場所でそれを強制するのは全体主義的であり、好ましいとは思いません。丸刈りは選択の余地がなくなるので不可という事でしょう。校内だけ丸刈りならそれはそれで容認出来る範囲と思います。しかし、現実には無理なので。 善悪とは絶対的なものであり、相対的な問題は善悪ではなく善し悪し程度の事と思います。
介入は、まかり間違うと余計なお世話にもなると思います。 かえって問題を大きくしたり、人を傷つけたり結局、自己満足で終わる事もありますから、介入する時、責任は絶対不可欠だと思います。 ある学校で教師のワイセツ事件がありました。校内では噂がありましたが中々表に出ません。 ところが、この件で父兄会があった事がわかりました。先生が一列に並び頭を下げましたが、肝心の話がありません。父兄の中には何があったのか半信半疑だった様です。 しかし、この当事者が処分される事もなく、ある日、「学校内の噂を家で話題にしない、マスコミが聞いても知らない」と書かれた一枚のプリントを生徒が自宅に持って帰ったのです。 それまでは、マスコミが学校に取材しても拒否されて裏が取れないので報道できません。 しかし、このプリントで事態が一変し確信を得たのです。 このプリントを手に入れたのが午後2時、匿名で夕方のニュースで流し、明くる日の新聞に間に合ったのです。 デリケートな事件ですが、事件がうやむやになり、泣き寝入りをしたくない父兄の方の情報で公になりました。 この事件は当初、教育委員会も箝口令そのものでした。 第三者の介入がなければ、示談で和解し先生は他校に転勤したと私は思っています。 因に、先生は真面目で評判が良かったと聞いていますが、後日、逮捕されました。
お礼
sibamikan様、ご回答ありがとうございます。 報道関係の方ですか。 >「先生は真面目で評判が良かったと聞いていますが、後日、逮捕されました。」 だから、「逮捕」=確定じゃないんで。
補足
>「この事件は当初、教育委員会も箝口令そのものでした。 」 「サービス」に、公も民も無いんです。 ・・・「無かった事にしよう」は、かえって罪が重いのでは。
お礼
seble様、ご回答ありがとうございます。 >「結果論でしかないのでだからどうだ、という事はありませんが、 ナチスが台頭してきた当初、イギリスもアメリカも傍観、特にアメリカの参戦が遅れた事が二次大戦の拡大を招いた、という説がそれなりに有力視されています。 もちろん、歴史にifは無く、もっと早い段階での介入があったらアウシュビッツも無かったとか原爆も投下はされなかったかどうかは分かりません。ただ、あの時点ではアメリカがぐずぐずしていたのは失敗であったろうと思います。対岸の火事。」 なるほど。「アメリカの参戦」って、「真珠湾攻撃があったから!」だったですか。 (特に、アメリカが「宣戦布告」って、してないですよね?) >「学校内だけであれば制服等の着用強制も良いでしょうが、全ての場所でそれを強制するのは全体主義的であり、好ましいとは思いません。丸刈りは選択の余地がなくなるので不可という事でしょう。校内だけ丸刈りならそれはそれで容認出来る範囲と思います。しかし、現実には無理なので。」 「全体主義」ですか。 「功利主義」と違って、モロに?社会全体のためには(なんでもあり?)というものでしたか。 (ある大変な坑道で、「意識も朦朧とする中、爆薬を抱えて行って、そのまま爆死」というような、ドキュメンタリー?も見ました。それを使う方も地獄で、坑道から戻ってからも人が違ったように寡黙になってしまった、とか) >「善悪とは絶対的なものであり、相対的な問題は善悪ではなく善し悪し程度の事と思います。」 おおー、まさに「戦後教育」における「道徳」の問題で。 「善だ、悪だ」という、絶対的な「印籠」みたいなものは、無かった。