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古代オリエント
アケメネス朝を建てたキュロス2世とあります。 2世が朝を建てるというのはどういうことなんでしょうか?? 世、朝の説明もくださると嬉しいです。
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最後になると思います。キュロス2世は生まれた時からアケメネス朝ですか?後からアケメネス朝にはいった(ついた?)のですか? ↓ 「アケメネス朝」という言葉をどう理解しているか不明なんだが。 後世の歴史家がアケメネスの子孫を名乗った王たちがいたよね、と定義した。 この程度の意味なので、原理的にキュロス2世が生まれた時からとか後から(本人が意図して)アケメネス朝に入るってのはありえないよね。
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- uen_sap
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朝は朝廷の朝。王家一族を表すことばです。 すなわち、主権者一族は誰です、と表わしています。 キュロス2世がペルシア帝国を建国した、と言うことですが、ペルシャ帝国と呼ばれる帝国が複数ありますので、その中でもアケメネス一族が統治する、と言う意味でア朝ペルシャと言います。
- tanuki4u
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何回も回答本当にありがとうございます。 キュロス2世は元いた朝から、アケメネスの子孫になりたかった(?)ためにアケメネス朝を名乗ったってことですか?? ↓ 主役はダレイオス 傍系からでたダレイオスが、自分の正統性を主張するために 1 アケメネスの子孫を詐称したんじゃねーのという説 2 そもそもダレイオス以前の家系図もダレイオスが偽作したんじゃねーのという説 などがあるよという話 http://www.toride.com/~digxwa/digxwaFiles/genf/g_akemenesu.htm ダレイオスって、妙にそれまでの王家の女子と結婚しているんだよね。 これって、日本史で言うと、「遠い先祖が一緒でして、本家の男子がいないので、本家の女子と結婚して、私が本家を継ぎますわ」という、継体天皇の構造と似ている。 状況証拠的には、ダレイオスかなり系統図の詐称をしている臭がするなぁ。 http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/52/Emperor_family_tree26-37.png 同時代的に、彼らがアケメネス朝なんて名乗っていたとは思えない。 === 世、朝 世なんてのは、ヨーロッパの歴史家が便宜的にナンバリングしているだけ。 朝なんてのは、中国文化の理解の上で、他の文化圏の王に関して日本人がはめ込んでいるだけ これは極論だが、古代オリエントに 世 とか 朝 とかいうい概念があったどうかも不明
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最後になると思います。キュロス2世は生まれた時からアケメネス朝ですか?後からアケメネス朝にはいった(ついた?)のですか?
- tanuki4u
- ベストアンサー率33% (2764/8360)
ということは、アケメネスさんの作った考え方(?)っぽいのをキュロス2世が国を治めるまでに発展させたということですかね? ↓ 小王国のキュロスが諸王の王にまで自国を巨大化させた。 アケメネスさんの作った考え方 というのが、どういう意味関わらかないが、アケメネスの子孫を自称したらしい。 ※ WIKIPEDIAをみたら 「従来の定説ではダレイオス1世はアケメネス朝の傍系とされるが、そもそもアケメネス朝の系図そのものがダレイオスの帝位簒奪を正当化するために捏造されたものだという説も出てきている。」 このへんは、徳川家康が「おいら、源氏だからね」って捏造したのと同じだなぁ。
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何回も回答本当にありがとうございます。 キュロス2世は元いた朝から、アケメネスの子孫になりたかった(?)ためにアケメネス朝を名乗ったってことですか??
- tanuki4u
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B1%E3%83%A1%E3%83%8D%E3%82%B9%E6%9C%9D ご先祖様の名前 ハカーマニシュ朝か、古典ギリシャ語の発音に従ったアカイメネス朝のどちらかを用いている。 オスマン朝もご先祖の名前 現代日本人というか中国文化圏の人間には名字というか姓があるのが当たり前に思うが、世界的に見れば、そんな方法もあるくらいなもの。 聖書で代々の父親の名前が列記されますが、あれはそういうのが正しい名乗りだから。 現代でもアラブ文化圏で言えば サウディアラビアはサウード家のアラビアとなりますが、サウードというのはサウードの子孫のという意味。 http://en.wikipedia.org/wiki/Muhammad_bin_Saud の息子は http://en.wikipedia.org/wiki/Abdul_Aziz_bin_Muhammad_bin_Saud サウードの子孫のムハンマドの息子 アブドゥーラ http://en.wikipedia.org/wiki/Saud_bin_Abdul_Aziz_bin_Muhammad_bin_Saud サウードの子孫のムハンマドの息子アブドゥーラの息子サウド http://www.jetro.go.jp/world/middle_east/sa/others/pdf/name.pdf 命名法のルールに関してはJETROの解説があります 氏族名、支部族名となると、もともとその一族の祖先の誰かのファースト・ネームであったものが時代を経る内にその氏族、支部族の名前として社会的に認知された、という場合がままあります。 たとえばサウード王家はサウードという名の人物を祖とし、その人の個人名がやがて氏族名として『市民権』を得たものです。 以上引用 昔からこのへんはだいたいこういう命名法です
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ということは、アケメネスさんの作った考え方(?)っぽいのをキュロス2世が国を治めるまでに発展させたということですかね?
- tanuki4u
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キュロス2世とかの番号は「便宜的」なもので、本人が2世とか名乗っていたわけでない。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB5%E4%B8%96_(%E7%A5%9E%E8%81%96%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E7%9A%87%E5%B8%9D) 時代や場所は異なるが、 Charles, by the grace of God, Holy Roman Emperor, forever August, King of Germany, King of Italy 以下省略 というように、別に○世と名乗っているわけではない。
- tanuki4u
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%AD%E3%82%B91%E4%B8%96 それまでは「王」だったが キュロス二世の時に 諸王の王となったから。 諸王の王の国家としてのアケメネス朝を作ったのはキュロス2世。 徳川家康が将軍としては初代だが、徳川家(松平家)の当主としては○代目みたいなものです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E9%81%94%E6%94%BF%E5%AE%97 、元服して伊達藤次郎政宗と名乗る。諱の「政宗」は父・輝宗が伊達家中興の祖といわれる室町時代の第9代当主・大膳大夫政宗にあやかって名づけたもので、この大膳大夫政宗と区別するべく藤次郎政宗と呼ぶことも多い。 これに似ていますね。 西洋的に表現すれば、伊達家 政宗二世
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というと、アケメネスという名はどこからきたのでしょうか??
お礼
なんとなく最後の言い方が気に入らなかったけど、色々書いてくれたのでBA