- ベストアンサー
心が強い弱いはなんですか?心理学的な視点から解説します
- 心が強い弱いとは、刺激に対しての感じ方の違いを指す言葉です。不安障害などの影響で体が緊張し感覚が麻痺することがあります。幼少期の経験から身を守るために緊張させる癖がついてしまったと考えられます。
- しかし、心が強い弱いというのは実際には存在しません。人によって刺激に対する感じ方が異なるだけです。嫌な人と話しても力が入って緊張する人もいれば、リラックスして話せる人もいます。
- 心理学的な視点から見ると、心が強い弱いというのは個人の感じ方によるものであり、他人と比べて優劣をつけるものではありません。自分の感じ方を理解し、それに合わせて対処することが大切です。
- みんなの回答 (7)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
不安障害にしても神経症などの恐怖症にしても、心が強いとか弱いという言い方では理解する事は出来ないと思います、貴方が気付いた『実際は「刺激に対しての感じ方」が違うだけのような気がします。』という表現が合っていると思います。 不安障害にしても神経症などの恐怖症にしてもその根本原因は同じものです。ここのところがよくよく体得出来た時、不安障害は収まると思います。 ここのところの理解は、『頭での理解では無理があります。』ですが知らないでいるよりは少しはましかも知れないと思って書いています。 「刺激に対しての感じ方」という事をもっと噛み砕いて書いてみます。 「刺激に対しての感じ方」という場合『ストレス』という言葉を連想します。この場合での『ストレス』との向き合い方が『「刺激に対しての感じ方」という意味になりますので』もう少し書いてみます。 同じ環境にいながら、緊張したりして身体に力が入る対応をする場合と、力まないでリラックスした対応が出来る場合の違いは、その人が「刺激に対しての感じ方」のせいですが、本来的には誰も同じ『感じ方』をしています。 誰でもが同じ感じ方をしている、脳科学的な、或いは生体反応的な反応の仕組みを脳科学の実際の過去のデータから紹介したいと思います。 脳の機能に関する科学的な証拠です、ウイキペデアからです。 『”ロジャースペリー 分離脳 ノーベル賞受賞者 受賞年:1981年 受賞部門:ノーベル生理学・医学賞 受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究 ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”』 このデータの信憑性を、俄かには信じる事が出来ないと思いますので、是を補完するという意味で、動画を紹介しますので、検索をして良く内容の意味を飲み込んで下さい、その後からもう少し説明します。 自分『心=意識の根底=脳梁の中』の内部から自分の脳の機能を、脳の障害によって実体験出来た脳科学者の貴重な体験を語っている動画がありますので紹介します。 『脳卒中、ジル、ボルト、テイラー博士』と検索をしてみて下さい、動画が出てくる筈です。 この動画の中での体験は、道元の言っている『心身脱落、脱落心身』という体験です。この意味は貴方の場合での『体に力が入ってますし、仕事をしてた時も体に力が入り感覚は麻痺しています。幼少期の影響で外からの刺激に対し、怖れと不安からか身を守るために、』という『生体反応』を起こしている、『自分自身の正体』と出会う体験です。 もう一人の自分との出会いです。この体験を禅では『見性体験』として、禅が求めている究極の体験としています。自分自身の生体反応を『起こしている者=つまり自分自身の命を働かせている者=右脳の意識=全ての自分自身の生命の源』に従うようになる体験です。この体験を『生死の問題が解決する』と表現して代々受け継いでいます。 キリスト教に於いては『神との出会い』です。キリスト教では、その体験以後は、自分の肉体は神からの預かり物として、自分の肉体や自分の命よりも尊いものになって、自分自身の『内部からの働き』が重要なものとなってしまいます。 つまり『沸き上がる感情や考え』が、絶えず移りゆく無常なものとなって、自分自身にとっては一過性の実態ではない事柄になって、流れ去ってしまう。という意味です。 心の中で『沸き上がる雑念となって、流れ去ってしまう、一過性のものでしかなくなっている。』という意味です。 『不安障害』を一つの例で説明すると、不安障害は、『現実の真実の世界』が『頭の中の空想の世界観』に負けてしまって、空想の世界観=自分で作り出した実際には無い不安、を現実に存在すると錯覚をしている事を意味します。その空想の世界観から離れられない状態が妄想の世界とも『意識地獄の状態』とも言います。 目の前の実際にある不安という対象物に『生体反応する場合』を健常者と呼んでいるのに対して、頭の中に作り出した架空の不安に『生体反応する事』が不安障害のからくりです。 更に、現実には存在しない、架空の不安に』対して『身構える体制が』不安障害の基礎になっているという意味です。是が貴方の『体を緊張させ麻痺』させている実態です。 右脳の意識は思春期頃『脳の機能分化が完成した後では、無意識の底に隠れてしまいます。』そうして貴方が五感から入る情報を通して、貴方に働きかけています。』 高いところに上がった”感覚”や狭いところに入った”感覚”や身の毛もよだつ場合での『身の毛をよだたせている者』として貴方の生体反応を『起こしている者』として働いています。 或いは目の前の現実を『五感を通して』貴方に知らせる情報として、その情報を送る者としての働きです。 その情報を送る者とは『貴方の生命の源からの情報源です。』 赤ん坊が生まれた時既に発揮しているもの全てです。 生命維持機能全般を既に赤ん坊は持っています、学ぶ以前にです。この生まれた時既に持っている『生命維持機能』の内『身体の生命維持機能』に疑いを持つ場合で、『脳の機能にも身体の機能にもいかなる検査をしても、異常が見つけられない場合を自律神経失調症や過敏性腸症候群等の難治の心身症と仮の名前をつけています。あくまでも原因が分からないという意味で、です。 この生まれた時既に持っている『生命維持機能』の内『身体の行動の自由性に疑いを持つ場合』で、『脳の機能にも身体の機能にもいかなる検査をしても、異常が見つけられない場合を神経症と名前が付いています。 この生まれた時既に持っている『生命維持機能』の内『心に感情や考えが、沸き上がる機能に』疑いを持つ場合に、『心を病む』と表現しています。これは二つに分ける事が出来ます、一つは『沸き上がる感情』に問題ありとする場合ですが、感情障害と表現出来ます。その中の不安を問題にする場合が不安障害という具合です。 『沸き上がる考え』を問題にする場合では、『沸き上がる考えの所有者が分からなくなったり沸き上がる考えが現実か頭の中で作られたものかの違いが分からなくなる場合です。 どちらにしたところで、自分の心が相争って、どちらかの自分が出張ってしまって、多分ですが『無意識の自分の意識=本当の本来の自分』が覆い隠されてしまう現象と思います。 その覆い隠された自分からの『抗議の声』が苦痛や、生き難い想いとして、或いは罪悪感として『漠然とした不安』として感じています。是が意識地獄の状態になっています。 意識する自分が抜けない状態です。無意識の自分になれなくなるという意味です。 身体にも脳にも異常が無い場合は健常者と同じという意味ですが、検査では見つけられない一つだけの違いが明暗を分けています、それが『意識する』です。 『意識する自分』と『意識していない自分』の違いを悩んでいる事、つまり人間の『意識性を悩む事が』人間の心の奥底での深刻な悩みの元になっている事を意味します。是が『心の矛盾』の正体という意味です。 心が強い弱いという考え方ではなくて、五感から入る情報を『自分の中で処理出来て、受け入れた場合に』目の前の現実を現実として受け入れて、頭の中で架空の世界を作っていない事を意味します。つまり『現実の世界と頭の中の世界が一致している事』を意味します。 五感から入る情報を『自分で処理出来ないために、頭の中で作り変えてしまって、別なものにしてしまって、自分で作った仮のものを、恰も現実に存在するものとする事』にして反応する場合が、不安障害を作り出している事を意味しています。 是は、同じ環境や現実をストレスにするのか?或いはストレスにしないで済ませるのか?という違いを語っています。 同じ現実を受け入れた場合では『ストレスにしない』という言い方が出来ます。ストレスにする場合では『受け入れようとしない事によって』更に増大したストレスになって襲ってくる事を意味します。 パニック障害でも、不安障害でも、恐怖症という場合でも『脳内の生体反応は同じメカニズム』が働いています。 ここのところの重要性を、ジル、ボルト、テイラー博士も、釈迦も、キリストも説いています。ここのところを知的理解ではなくて『体得』出来る事で、恐怖症や自律神経失調症や不安障害が完治する事を彼の人達は説いています。
その他の回答 (6)
- birth11
- ベストアンサー率37% (82/221)
心が強い・心が弱いって次に書いたような感じのものだと思います。 <心が強い・心が弱いについて> 心。 弱いのも強いのもありのまま。 焼け野原から芽が生えてきた。 いまのいい自分、いまのダメな自分、 その両方が「本当の自分」。 その両方を認めた時、始めて答えが見つかるんだよ。 すべての答えは目の前の人が教えてくれている。 あなたが問題だと「思っている」ことは、 あなたが「問題視」しなければ問題じゃないかもしれない。 いつまでも解決しないものは、問題じゃないのかもしれない。 強い者とは、敵の前でも平常心を失わず、平然としている者である。 常に「黄金律」に従って他の人々と関わることを、 厳然たる事実として自分の潜在意識に浸透させていれば、 やがて健全な自尊心が生まれ、 人生で望むものを手に入れることを何者にも止められない、 強い自信がつくだろう。 「黄金律」の意識を心にしっかりと植えつけたら、 どんなライフワークを選ぼうと、 そこで大きなことを達成する力がみなぎり、 もう誰にもじゃまされなくなる。 <心が弱いについて> 誤解されてもいい。必死に説明するのをやめよう。 必死に誤解を解くのをやめよう。 人は自分が解釈したいようにしか解釈しない。 人は自分が経験したことしか理解できない。 だから、それを受け入れよう。 たまにはお金をかけていいサービスを受けてみよう。 愚痴や悪口を言うよりも、おかしくないあなたが、 その人の弱い部分を埋めてあげればいい。 認めること。それが埋めてあげること。 <子供の頃の経験による影響について> 僕たち人間は、子供の頃に何らかの理由で信じ込んだことが、 「常識」となって、その後の人生にも影響しています。 そう、子供の頃に「できない」「無理だ」と信じ込んだことが、 その人の人生にブレーキをかけている可能性があるということです。 子供の頃から鎖につながれ出来なかったことが 今ではできることがあるかもしれない。 <恐れについて> 人生は常に変化し、感情は常に揺れ動く。リズムの法則。 問題のある時期は極端に走らず、中心にいれば良い。中立の原則。 前に進むには感情を体験し、その後、手放す。 辛酸を体験したから、幸せ、愛、平和に感謝できる。 好ましくない感情を経験しても、 すぐ好ましい感情に戻ることができるようになる。 恐れたり、怒ったり、痛みと戦ったりすればするほど そこから抜け出せなくなる。 <私の意見> 確かに、心の強い、弱いの話ではないかもしれないですね。 誰かに言われたのですかね。 子供の頃の経験が影響してるのですかね。 体を緊張させなければいけなかった理由があったのかもしれない。 自分の意思で、体の緊張をほぐすことを試みてください。 もしかしたら、緊張しなくても良くなってるかもしれないです。 自分の意思で、自分を変えていけたらいいですね。
お礼
有意義な回答ばかりでした! ありがとうございます!
門外漢ですが。 結局、脳の問題ですから、繋がるところは一緒でしょう。 しかし、心の強度と刺激の感度は本来別物です。のはずです。 心は様々なものと結びついて成り立っているので、外因的な部分に心の在り方が左右されることはあるでしょう。 すなわち、あなたが刺激、とりわけ人間関係においてのやりとりでの恐怖や身構えの度合いが、あなたの心に安心と不安を与える規準になっているので、あなたはそう感じるに至ったのでしょう。 一度、火傷した人間が後に火を恐れるのに似てます。つまりトラウマです。 心頭滅却が成功すれば、涼しく感じることもできるでしょうか。 無邪気。という言葉がありますが、その名の如く、邪気を持たない感じない人間ほど、怖い(強い)ものはありません。まさしく幼い子どもですが。童心というのは、ある種、大人顔負けの強さがあります。 何かこれらには共通項がありますね。 心の強さは、自己の何かを無にできるかどうか、なのかもしれません。
お礼
トラウマであったり外からの影響で 心の形は変わってくるのでしょうね。 回答ありがとうございます!
心が強いってのは、1の不安を1のままにできることです。 弱いってのは、1の不安を100にも1000にもしちゃうことです。 0にしたら、問題ですよ。 目の前にライオンが現れても、逃げなくなっちゃう。 人と話すとき、緊張するのは、嫌われることを過剰に恐れているからです。 心の強い人なら、 嫌われるリスクはある→でも、それだけ。死ぬわけじゃない。ちょっと小言言われるだけ。 ってことで、バンバン本音を言えます。 あなたの不安を明確にして、それ以上の妄想じみた不安を気にしないことですね。 不安を紙に書くのもいいかもしれません。
お礼
逃げようとすると100にも1000にもなりますよね。 1を1のまま受け入れられる勇気がほしいです。 回答ありがとうございます!
- nikoooo
- ベストアンサー率37% (184/490)
心理学的は個人的に興味あるだけで、 専門家でもなく、詳しくないです。 なので、>心が強い弱いとはなんですか? について自分の意見を書きます。 対外的な要因で使われることが多いと思うのは。 恐いや面倒くさいと思われている上司にズバズバ意見。 心霊スポットに行ってもケロッと平気。 とかが『毛の生えた心臓』で逆が『ノミの心臓』。 心理的な面で使われるのが、 『大胆』『大雑把(大らか)』『繊細』『細かい(神経質)』 とかかな?と思います。 『大胆』『大雑把(大らか)』は鈍いし、敏感でない。 メンタルが強い。 『繊細』『細かい(神経質)』は、細かいし、敏感でなので、 メンタルが弱い。 置き換えれば、得意か苦手になり、どんな分野でも 得意なことは=強い(長所)。苦手なことは=弱い(弱点)。 なので、対人関係に関しても「心が強い弱い」も 当たっている意見だと思います。 対人関係が得意な人も、掃除が苦手で 『はぁ~。』と思いながら作業していれば、 その瞬間は「心が弱い」状態だと思う。 見た目が屈強で格闘技もバリバリな人が おばけ屋敷に入って半泣きでギャーギャーの 瞬間は、心が弱っていて、ノミの心臓状態。 私は、その時々、瞬間のバロメータ。 だと思っています。 誰でも得意な分野は『毛の生えた心臓』メンタル強↑ 苦手な分野は『ノミの心臓』メンタル弱↓ >人によってはその人と >力が入らずリラックスして話せる人もいる 苦手な人とも気にしないで話せる人は、 『対人関係』に強い人。なだけだと思いますよ。 まぁ。苦手、得意、状況等に関わらずにいつも 『心が強い』は、 ・人の気持ちが分からないバカさん。 ・自分中心主義のサイコパス系 とかだけだと思いますよ。 (心理学から見るともっと居るのかもしれないケド) 上記2タイプはマジで人を度外視するので本当に最強。
お礼
違った視点からの回答ありがとうございました!
- atti1228
- ベストアンサー率15% (111/711)
その人優しさがあるかないかの隔てかな。
お礼
逆に難しいです・・笑 回答ありがとうございます!
- madamlucia
- ベストアンサー率48% (107/219)
専門家とかではありません。 元全般性不安障害を患っていたものです。 しかし実のところ発達障害かもしれません。 心の強さ、弱さは漠然としたイメージですよね。 「刺激に対しての感じ方」 つまり耐性の有無だと考えても間違っていないと思います。 私の場合は、エレイン・N. アーロン著「ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。」を読んで「繊細すぎる」「敏感すぎる」という言い回しが一番納得出来ました。 刺激に対して驚きやすいというのもあると思いますし、そういう意味では反応の強弱なのかもしれません。
お礼
有意義な回答ばかりでした! ありがとうございます!
お礼
脳科学を交えたお話大変有意義でした。 回答ありがとうございます!