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お釈迦様の言いつけで実践した結果、孤独になってしまった
- お釈迦様の逸話で従兄弟のアーナンダが女性に言い寄られて困り相談するが、お釈迦様からは「話すな」とアドバイスされる。
- アーナンダの相談が続き、お釈迦様からは「聞くな」「考えるな」「見るな」と言われる。
- 私はお釈迦様の言葉に感銘を受け、人間関係を希薄にしていくが、結果として孤独になり、寂しさを感じるようになる。
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質問者が選んだベストアンサー
こんにちは >寂しくてしょうがないのです これを体験することで 今までの自分のこだわりを無くして「中道」=普通に生きる 例えば 健康であるには規則正しい生活をする 心をいつも平静であるようにするには物事の原因と結果を考えてみる 正しい知識を身につける 何事も行動してみる それが良くても悪くても経験となる 他人に優しい言葉をかけてみる 等 自己を見つめ直すのが始まりであり(主観) 寂しさから抜け出すこととなるのでは 誰もが自分と同じ一面があると気がつくことで解決できるはずです(共同主観)
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- Mokuzo100nenn
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心配なさるな。 徳は孤ならず、必ず隣あり。 君子の交わりは淡きこと水の如し。 小人の交わりは甘きこと水飴のごとし。 >失敗なら正解はなんだったのでしょうか? 失敗ではござらん。 人生の真実をかいま観ただけの事だ。 南無阿弥陀仏!
お礼
ありがとうございます 勉強にもなりました
- dropyork
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行えば、その人のその心が拓かれる。 心があって、見る。その心が拓かれる。 心があって、行う。その心が拓かれる。 だから、してはならないと教えているのだと思います。 あるものは、ある。大成する前に、それを増やさないように。 女性も、魅力的な男性をそそのかしたいという誘惑に駆らわれます。 ブッダは、それを知っている。真に受けてはならないと言うのだと思います。 独我の悟りを得たいのなら、見るな、聞くな、考えるな。 社交を捨てないつもりなら、よく、"見よ"ということです。 簡単ですが、こんなとこでしょう。 見るな、聞くな、考えるなで、煩悩が絶てるわけないでしょう。 あるものある。使わなければ、しぼむが、無くなるわけがない。ばかだろ。
- kurinal
- ベストアンサー率10% (128/1195)
こんばんは。 二つの事例は、ちょっと違うように思います。 アーナンダの場合は、好意的な(過ぎる?)甘言(?)への対処法で、 それを 「友人関係や職場での「思わしくない」表現」に援用するのは、どうでしょうか。 「甘言」には「惑わされるな」ですが、 「諫言」は「拝聴しろ」というのだったかな、と思います。 甘言に惑わされることなく、諫言を拝聴するならば、 「話すな」「聞くな」とまで頑張ることもないでしょう。 (すると、今度は、それが辛くて苦しくて、ということなら、 その時、また、「話すな」「聞くな」でしょうか。) 心理学で、「「何も、していない」ということを、自分に認める」というのがあります。 「寂しい」というのと、ちょっと違うかもしれないですが。
- hisya
- ベストアンサー率22% (65/285)
>うまく付き合う方法でも良いです 仏教の教えを人間関係で活用したいのなら、 通俗的な「仏教の本」を読んだほうがいいでしょう。 最近の本には説教くさくなくて実際に役たつものもあるようです。
お礼
読みました そこで、この質問をしました
- hisya
- ベストアンサー率22% (65/285)
>一般人にはタイの仏教>日本の仏教ということだったんですか・ 日本は大乗仏教の国です 大乗仏教は同じ仏教と言っても釈迦の教えから程遠いです 原始仏教の発展形なんですが原始仏教と別物とも言えます 日本の仏教は鎌倉時代に独自の発展をとげましたが 現在では葬式仏教になり生きてる人の救いには関心がないです 日本であなたのように釈迦の教えを実践しようとすると 個人的に修行をするか=在家で悟るのは至難の道です 原始仏教の新興宗教にいくか=最終的には出家をする のどちらかです。 日本の大乗仏教でも禅の宗派は修業的な面があるので 煩悩を消すとかに関心があるなら そこらへんを学んだらいいと思います
お礼
はじめの話に戻りますが煩悩を消すのはムリだと思ったので根本を断とうとしたのです うまく付き合う方法でも良いです
- 雪中庵(@psytex)
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アーナンダのように修行僧として悟りを開こうとされいるのですか? そうでなくて、単に心の救いを得たいというのであれば、 大乗仏教であればひたすらお題目を唱え、上部座仏教であれば お坊さんに功徳を積みましょう。 あなたのおっしゃるような修行を経て悟りを開こうとするような僧は、 結婚もできませんが、全ての人がそんな事をしたら、人類はすぐに 滅亡してしまいます。
- hisya
- ベストアンサー率22% (65/285)
>出家した人たちしか救われない教えなのですか仏教は? 上部仏教に対して大乗仏教がこれと同じ質問をしてますが 在家の人の救われる仏教の教えは別にあります そこらへんはタイの仏教に詳しくあります 煩悩を捨てきれない民衆のための易しい教えです 釈迦の教えに近いとされる上部仏教の国では 出家と在家と救いの教えが二段階あるのです ちなみに、タイは上部仏教の国で日本は大乗仏教の国です
お礼
一般人にはタイの仏教>日本の仏教ということだったんですか・・・
- hisya
- ベストアンサー率22% (65/285)
>他のコトも煩悩が沸き起こるのであればそれは妨げになるのでは それに対する仏教の教えは出家をすることです。 仏教の教えを在家で実績するのはあらゆる煩悩の元があるので 出家で実績するより大変なんですよ。至難の道といえます だから、出家の仏教の教えと在家の仏教の教えは別にあります。 この点に関してはタイの仏教を学ぶことをお勧めします
お礼
出家した人たちしか救われない教えなのですか仏教は?
- hisya
- ベストアンサー率22% (65/285)
>「女性が言い寄ってくるので困る。惑わされたら戒律に反するから」 これは女に対しての教えである 仏教では女は煩悩の根源で修行の妨げである これを友達関係、職場での人間関係に当てはめるのは間違いです
お礼
でも、他のコトも煩悩が沸き起こるのであればそれは妨げになるのでは?
- Y Y(@yy8yy8az)
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話すな、聞くな、考えるな、見るな、と云ったのは誘惑に乗らない、あるいは負けないための手段、方法を言っているのだと思います。 gaituさんは交際における“不満”の解消に質問で取り上げている釈尊の教えを適用してますが、これが間違いだったように思います。 欲望と交際を通して起きる不満とは違うのではないでしょうか。 寂しくなったと云う事は、人との交流を断ちたい訳ではないのだから、話して、聞いて、考えて、見る、ことは必要だと思います。 そう考えると、gaituさんは失敗した、と云う事になりますが、それでは正解はと云うと・・・・・ これに応えるのは結構大変かと思いますが、ヒントのレベルなら“相手の気持ちになってみる”事で結構不満は解消されるのではないかと思っています。 gaituさんは相手の気持ちを汲むことは出来ますか? なお、「煩悩を消すのは難しいので根本から断つのも手段だよ」と、寂聴さんが言ったかどうかは知りませんが、この表現はあいまいですね。なぜかと言えば根本を断つ事って難しいと思うから。
お礼
う~ん、そうですか・・・ 分かりました 回答ありがとうございました
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お礼
ありがといございます ありがたい言葉です