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秋田県と対立している県はどこですか?

江戸時代って、何なのでしょうかね? 江戸時代って、「良かった時代」だとされていますが、「本当」でしょうかね? なんだっけ・・・・江戸へ、大名行列させて、地方を疲弊させ、支配する・・・。 なんか、今の日本と江戸時代って、同じなのかもしれませんね^^; 今の日本の地方は、疲弊していますから。私は田舎へ最近行ってないので、わかりませんが。 それで、戦国時代とか、秋田県は、何たらかんたら、って名前だったと思いますが、 岩手県や、宮城県と、戦争したりもしていたのでしょうか? あと、富山県は、何家だったのでしょうか?大名?の有名な斉藤家は、何県でしょう? 質問大目ですが、お願いします。

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回答No.2

この質問の主題がよく分かりません。 タイトルからして「秋田県と対立している県はどこですか?」という現代に関する問いのようにも見えます。 前半は江戸時代についての質問者様の感想のようなものですし、 一転して戦国時代の質問になり、 一体何時の時代のことを回答してほしいのでしょうか。 歴史というのは、過去のいろんな事象の積み重ねですし、それをはっきりさせないと、回答のしようがありません。 それはともかく、私の知るところを申し述べます。 ----------------------------------------- 秋田県が気掛かりなようですので、まずそこから。 鎌倉時代から江戸時代にかけての旧国名では、出羽国(でわのくに)に属しています。 現在の、山形県・秋田県(北東部を除く)がほぼその範囲です。 太平洋側の東北地方は、陸奥国(むつのくに)です。 現在の県名でいうと、青森県・岩手県・宮城県・福島県・秋田県北東部になります。 それが明治になって、会津戦争終結後、出羽国は羽前(うぜん/山形県)と羽後(うご/秋田県)に分割されました。 陸奥国の方は、陸奥(りくおう/青森県)、陸中(りくちゅう/岩手県)、陸前(りくぜん/宮城県)、岩代(いわしろ/福島県西部)、磐城(いわき/福島県東部)に同じく分割されました。 戦国時代の大名は、出羽国には、主なもので秋田氏、小野寺氏、武藤氏、最上氏、 陸奥国には、南部氏、斯波氏、葛西氏、大崎氏、伊達氏などがいました。 室町末期から戦国時代にかけては、畿内や坂東を含め各大名家とも、一族内部での家督争いが頻繁に起こり、敵味方に分かれた戦いが続いていた時代です。 東北地方でも、伊達氏が最上氏と対立しながら勢力を伸ばしていきましたので、当然その間には戦があったはずです。 現在の富山県は越中国で、戦国大名は神保氏、信長の時代は佐々成政、秀吉政権下では前田利家、徳川幕藩体制が確立した寛文4(1664)年の大名配置では、前田利次10万石となっています。 戦国時代の斎藤氏は、美濃国(岐阜県)の大名でしたが、斎藤道三を子の義竜が敗死させたものの、信長に攻められて陥落、その後は大名家としては存続していません。 江戸時代になって、幕藩体制が固まってしまうと、大名の国替えや取り潰しは頻繁にありましたが、大名間の戦はありません。

vantice
質問者

お礼

ありがとうございます。 ベストアンサーにさせて頂きます。

その他の回答 (2)

回答No.3

 technatama様に賛成です。 ご主旨がわかりません。 ご質問を 分割されることをお勧めします。 >江戸時代って、「良かった時代」だとされていますが、「本当」でしょうかね?  見方によります。封建的な縛られた社会とは言え、一般町民は無税。日本の1/4 は天領で、「四公六民」享保の改革後でも「五公五民」。慎ましくも豊かな文化。 東北の寒村といわれる地区の本百姓であれば名主では無くとも人生に一度以上は お伊勢参りができ、「賑やかしがいい」と大きなふくべ細工を六つも伊勢から 背負ってきた逸話が山向こうの村に伝わっています。天領で無かったところは 大変でした。  「間引き」でさえ考え方です。基本夫婦は2名の子を残しました。  これは言い古されたことですが、西洋には「人命は地球より重い」なる言葉が ありますが、大抵この言葉がある国は他国を侵略し、互いに侵し合い殺し合って います。帝国主義は軍事力で、植民地主義は傭兵で、資本主義は経済(借金利子) で弱者から搾取し続ける社会体制かもしれません。他国を侵して得た富と食料 特に後者は国土の浄化力を上回る多量の食物ゴミと排泄物を生み、大地をけがし ました。食料により増えた人口はさらなる餓えを生み、より遠くの他国を侵す 原動力となりました。  長い目で見れば、基本2名の子を残す社会であれば、人口爆発による餓えは無く、 様々な枷から解き放たれていたのかもしれません。  >有名な斉藤家  道三さんの末裔 "斎藤新五郎利治"さんは 明智の乱でお亡くなりに。 子孫はわかりません。 >秋田県と対立している(た)県  これもtechnatama様に賛成です。時代により変わります。  平安末期は清原氏と藤原氏の版図で見れば良いでしょう。 出羽とか陸奥とかはその後の頼朝以後の国分けです。  同じ出羽の中でも最上義光出生の頃は群雄割拠。出羽どころか羽前の中でも 争っていました。雨後も安東氏という大きな板はありましたが、割拠の傾向に あったようです。見方を変えればこの頃「県単位」の争いでは無かったでしょう  信長の頃になると、羽前も羽後も統一が進み、「敵の敵は味方」的発想で 津軽為信と津軽藩史にある最上義光(多分 大宝寺義氏)は間の秋田勢を共通の敵 としました。武器の材料となる砂鉄の産出も考えずに南部から独立した津軽勢は 秋田勢の目を盗み、山形側から船で多量の武器を運び込ませています。今でもその 海を渡ってきた勇者の一族は津軽南部鰺ヶ沢の顔役様です。(非公式ですが)津軽 勢はお礼には四百体の藤原仏を送り返したとか。個人的にはこちらの行方の方が 気になり、仮説の物証を心がけています  山形の最上義光の関わりは 多分一般評価は「冷酷」とされる最上義光の 唯一の汚点。「奥州仕置で生じた仙北一揆に乗じ小野寺領に出兵させ、雄勝郡を 削り取った」ことでしょう。部下のフライングが雄勝郡で虐殺を起こさせてしま いました。 「愛」のサムライとされる直江兼続のまぁ直接責任となるところの 長谷堂城での刈田仕置きや(伝)非戦闘民の大虐殺はあまり取り上げられていな いのが、歴史のひずみを感じさせる一コマです。

vantice
質問者

お礼

ありがとうございます。

noname#229784
noname#229784
回答No.1

余り詳しいわけではないですが、  今の日本の地方って中央都市部に支えられているんじゃないでしょうか? 都市の人が稼いだ税金が地方交付税として地方に流れていく・・・  特に大阪は払った税金に対する見返りが最も少ない都道府県として知られています。  富山県は 加賀前田家100万石の領地に入っているかな。  斉藤家・・斉藤道三? 一族はどっかの藩の家臣となり、家系は現代につづいているみたいですね。  斉藤利三(春日局の父)の方は旗本らしいですよ。

vantice
質問者

お礼

ありがとうございます。 富山県は、前田家!!??従兄弟が、前田家です!!!偶然かな? 大阪は、不憫ですかね? 地方へお金が流れる図ですか・・・・地方あまり知りませんが、無駄に税金が流れてしまっている感は、ありますね。

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